劇団☆新感線2009秋興行 INOUEKABUKI SHOCHIKU-MIX
『蛮幽鬼』 新橋演舞場
10月21日(水) 1階5列
鬼になろうとして、鬼になれなかった男。
いや、鬼にならなかった男。
今、そう確信している。
自分を陥れすべてを奪い、尊き志を持った唯一の友まで惨殺した者たちへ、
過去の名を捨て、己を捨て、復讐の一念にのみ魂を捧げ鬼になろうとした
伊達土門=飛頭蛮。
しかし彼のなかには、捨てようとして捨てきれない人の心が在り続けた。
だから彼は、揺らぐ。揺らぎ続ける。
昔愛した女に。復讐の虚しさに。そして謀略の罠に。
もちろん彼はそんな己に気づかない。あるいは目を背けている。
サジはわかっていたのだと思う。
土門のなかに人の心が残っていることを。
だから、サジにとって利用するに足る男だった。
彼が人の心を失ったほんとうの鬼なら、サジは操ろうなどと考えまい。
土門はなぜ鬼になれなかったのだろう。
それは、土門の心の弱さゆえ?それとも強さ?
彼のなかには、調部が生き続けていたからではないかと思った。
京兼調部。
同志であり、愛する女の兄であり、土門のことを深く信頼してくれていた
唯一の友だった。そして彼は、親をも討つ覚悟で腐敗した祖国の再生を願う、
尊き志を持つ男だった。
その志と、ゆえに耐えがたい無念を最も知るのは、他ならぬ伊達土門。
調部が、飛頭蛮となった土門のなかに生き続け、
彼が人の心を捨てた鬼になるのを許さなかったのではないだろうか。
思えば飛頭蛮は、サジを除き、その手で誰も殺めてはいない。
(追記:間違い!ペナンらを皆殺しにされた怒りでめった殺ししてますね~。
まあ、、この怒りは調部にも止められなかった、と苦しい解釈。笑)
調部が、復讐の一念で土門がその手を血で汚す前に、その愚かさや虚しさを
教えた。
調部が、為すべきことは復讐ではなく、美古都を守り祖国を再生させることだと
土門に気づかせた。
サジは、鬼だった。
利用され、裏切られ、彼は復讐の鬼と化した。
人間を利用し、裏切り、あらたな鬼を生み、すべての人間を葬り去る。
それがサジの目的。
子どもの頃から殺しの技術だけを教える暗殺集団のなかで育てられてきたサジ。
もとより人の心を持つことは許されなかったに違いない。
復讐の闇から抜け出しつつある土門は、事の発端はどうあれ、
祖国を血で血を洗う恐怖と混乱に陥れた張本人が、サジであったことを知る。
最も憎むべき相手である。
しかし、彼もまた自分と同じ不幸な宿命を背負い、復讐の闇を彷徨い
続けていることに、同情を禁じえない。
もしかしたら、サジのなかにわずかに残る人の心を感じていたかもしれない。
それでも、土門はサジを討つ。
サジの復讐を終わらせ、愛する美古都と祖国を守るため。
そして、土門は最後の仕事を為す。
天下の逆賊飛頭蛮として、美古都大王にその首を取らせること。
復讐のために祖国を血と混乱で惑わせた己の、落とし前をつけなければならない。
そしてそれを、新しく美古都大王が治める祖国再生への礎とさせる。
唯一の友、京兼調部の志を果たさなければならない。
十幾年もの間触れることの叶わなかった愛する美古都の身体を、
ようやく万感の思いで抱きしめ、大王の剣を腹に呑み込む。
飛頭蛮として死んだ男のなかに流れていた熱い血は、まちがいなく伊達土門。
土門は光を見る。
これですべてが終わる。
復讐の闇=監獄島から今ようやく、自らの力で脱した。
「シアターガイド」11月号の『蛮幽鬼』特集のなかで、上川さんが
とても気になることを話していた。
『蛮幽鬼』は、とあるいのうえ×中島作品のバージョンアップ=2.0
になっているにおいがする・・と。
そのとき真っ先に思い浮かんだのは、おなじいのうえ歌舞伎の『朧の森
に棲む鬼』だったけれど、それは自分の中ですぐに打ち消した。
タイトルから推し量れるようなそんな単純なバージョンアップであるはずは
ないし、そもそもアレのバージョンアップなんて不可能でしょ。
じゃあどれっ?! ・・ということで、かなり悶々とした(笑)
実際観てみてわからなかったら、新感線ファンとしてもめっちゃ悔しいし。
果たして結果は・・すぐわかった(笑)
既視感のあるシチュエーションだとか、聞き覚えのある台詞だとか、、
たしかにぷんぷんする。アレ、に違いない♪(と、観劇中ひとり興奮)
でも、バージョンアップと言われると、なかなか理解に苦しむ。
帰りの新幹線のなかでパンフレットを読んだ。
なんだ、、書いてあるじゃん(笑)
「アレ」はどうやら正解だ♪
上川さんの解釈には「な~るほど、いつもながらさすが♪(ぱちぱち)」
たしかに「別バージョン」っぽいというのは、わたしでもわかった。
しかし、「バージョンアップ」てのが、やはり解せない。
そこのところが、実はいのうえさんがかねがね話していた
「『SHIROH』でやりきれなかったこと」であるようだが、
それが何だったのか、いまだによくわからなくて(涙)結局悶々としている。
その上川さん。ダブル主演で対照的な人物を演じる芝居が重なる。
『SHIROH』然り、『表裏源内蛙合戦』然り。
そして演じるのは、必ず「揺らぎ」「もがく」ほうの人間。
今回も、揺るぎのないサジに対し、土門はしばしば揺れる。
たまには逆の立場もと思わぬでもないが、
そういう「揺らぎ」や「もがき」を見せるのが、やはりなんといっても上手い。
そういう役や作品を重ねるごとになお、
繊細さや激しさ、狂おしさを増してきているように感じる。
観るほうも覚悟が必要である(笑)苦しすぎるのよ・・。
伊達土門。
哀しくも美しい、幸せだと思える最期を見せてくれたのが幸いだけど、
あれから何日経ってもまだ、彼の揺らぎやもがきに、心がしくしくと痛む。
残りますよね・・・。
上川さんって、例のあの作品もそうだったけど
女を(に)残してゆくじゃん・・・。
・・・で、残されちゃうやん・・・。私たちも・・。
まだ、大阪があって良かったです。
これから細かい所観て行こうと思います。
ちょいとヘバっていたのもあって、ずいぶん遅いレスとなりました。ごめんね!
>・・・・最後ね~~。
かなり乱暴ですが・・この芝居、あのラストシーンに尽きます。あそこがすべて(笑)
感想はまだ書きたいことがいくつかあるのだけど、
ここまで延ばしてしまったので、あとはまた大阪公演を観てから・・と思っていますが書けるのかな~。
最近書くこと、というかPCの前にいること自体に執着がないようで(笑)
今度会うときにしゃべったほうが早いかも(笑)