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11月24日(日)、久しぶりに山へ出かけました。今回は、師匠Y氏と、丹沢山系の大山から南に延びる稜線上にある低山を歩きました。新宿小田急線7時11分発の電車に乗り、伊勢原駅で下車。駅前から出ているバスに乗り、大山ケーブルバス停で降り、大山ケーブル駅まで続くこま参道の豆腐料理店やお土産屋が列ぶ石段を登り始めました。
大山の中腹にある阿夫利神社下社までは、ケーブルは使わずに歩きました。子どもを連れて大山に登った頃は、ケーブルを利用して下社まで行き、そこから1時間20分ほど歩いて大山山頂へ登りました。また、帰りは見晴台を経由して1時間10分ほどで下社に下り、再びケーブルを使って麓まで戻るハイキングをしました。この周辺の登山路は、案内を含めてとても整備されているので、家族連れでも安心です。
今回初めて、ケーブル下から下社まで歩きましたが、この時期の登山路の周囲には、モミジを中心に紅葉した木々が多く、歩く楽しさだけではなく、目も楽しませてくれる場所でした。
下社までの登山路は、途中で男坂と女坂に分岐しますが、見所の多い女坂を選択しました。女坂の登山路脇には、大山の七不思議が立て札で説明されていて、興味を惹きます。登山路のお地蔵さんは、落ち葉に囲まれて、晩秋の風情を味わっているようでした。
山登り当日は快晴で、紅葉狩りに最適な小春日和でした。風もなく、防寒のために着たヒートテックの下着が、暑く感じられました。紅葉したモミジが、古い建物や石碑を、いっそう侘び寂びた感じに演出しています。
玉のごとき 小春日和を 授かりし (松本 たかし)
できるなら、この両腕で優しく包み込んでしまいたいような、「玉のごとき」幸せに満ちた暖かい一日。冬だからこそ、太陽の暖かみを感じる一句です。
少し長い石段を登り切ると、阿夫利神社下社が鎮座しています。社正面には、お参りする人たちの長い行列ができていました。前の広場には、一杯百円の「モミジ汁」が販売されていて、多くの方が賞味していました。ダイコンやニンジンがいちょう切りされて、みそ汁の中に入っていました。
この場所が、今回の山歩きの最も高い地点で、そこからはアップダウンはありますが、麓の駅まで主に下ることになります。夜には、社周辺のモミジがライトアップされるらしく、照明器具が設置されていました。
モミジの紅葉とイチョウの黄葉の対比が、快晴の青空をバックに美しく映えていました。紅葉した木々の葉は、順光よりも逆光(斜光)で撮った方が、下の画像のように遙かに美しくその朱色が映えます。それから、空の青と黄色もしくは朱色が補色に近い関係にありますので、紅葉した木々を撮るときは、効果的に空を入れた方がよいでしょう。また、被写界深度を浅くして、バックのボケを効果的に活用した方が、対象を際だたせることができます。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ (良寛)
散り際に、何のわだかまりも持たずに、ハラハラと舞い落ちるモミジ葉に、ある境地に至ったような「悟り」の心を見ているようです。良寛の辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」の構造にちょっとにている気がします。
落ち葉の上を、サクサクと音をたてて歩く楽しさは、格別です。黄葉した小さな葉が、青空にしばし舞い、ハラハラと一枚そしてまた一枚と地上に落ちてきます。そして紅葉した葉と、黄色に色づいた葉が、地面一杯に敷き詰められ、色鮮やかな錦秋の絨毯ができあがります。
邪魔な不要な存在、例えば定年退職した夫に対して、「濡れ落ち葉」などと形容することもありますが、枯葉も落ち葉も、おまけに定年退職した夫も、不要な存在だとは全く思えません。春・夏・秋と、ある時は風雨に耐え、ある時は直射日光の暑さに耐え、しっかりと光合成をして、役立ってきた存在でした。そして、最後に美しく紅葉し、潔く地面に舞い落ちてやがて土に戻っていく木々の葉。人間の生き方をも示唆しているようです。
枯れ薄の向こうに、やや霞がかかった富士山が見えました。これから真冬に向けて、いっそう美しい富士山を仰ぐことができるようになるでしょう。
蓑毛への登山路を右手に分け稜線を直進し、大きく登り返した場所に、高取山山頂があります。南方前面の展望があり、ベンチも設置されていて、一休みするのには良い場所です。
どこにでも、遠慮無く繁茂するススキは、代表的な雑草と言えますが、秋の七草として、月見の団子とセットでイメージされます。このススキの穂が、陽光を反射して銀色に輝くと、何とも言えない美しさを感じるのは、私だけではないでしょう。
ところで、秋の七草は、「おすきなふくは?」で覚えると良いでしょう。春の七草は、知っていて当然ですが、秋の七草を言える人は意外と少ないはず。
お…オミナエシ、す…ススキ、き…キキョウ、な…ナデシコ、ふ…フジバカマ、く…クズ、は…ハギ、以上が秋の七草です。教室の授業でも、これで教えています。
今回の稜線から東に少しずれて、大きく下ると聖峯という場所があります。そこには、不動明王を祀ったお堂があり、その前がちょっとした広場となっていて、ベンチも設置されています。また聖峯は、前面が大きく開けて、大展望台となっています。初日の出の賑わいを撮った写真が、案内板横に展示されていました。上り下りのピストンをする体力の余力があれば、聖峯に立ち寄ると良いでしょう。
また、高取山を山歩きのピークとして、念仏山やこの聖峯を結んで歩いている方も多いようですし、栗原近辺に車を駐車して、散歩程度の気分で聖峯を訪れる家族連れも幾組か見かけました。
聖峯にあるお堂の前に、江戸・文化年間の石仏や天明年間の石の祠などが列んでいます。長い時の流れの中で、風雪に浸食され無常観の漂う石仏たちです。モノトーンの石仏の脇に、色鮮やかに紅葉したドウダンツツジが、色を添えていました。
現在の大山は、阿夫利神社が信仰の中心ですが、江戸期以前は神仏習合でした。本社には、かつて本来の祭神である石尊大権現が祀られていたそうです。また西暦752年に、雨降山大山寺が建立されて、本尊として不動明王が祀られ、中世以降は大山寺を拠点とする修験道が盛んになりました。江戸時代には、大山講が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣したことが、浮世絵などで分かります。
現在のようになったのは、明治時代になってからで、神仏分離令による廃仏毀釈の影響によるものです。日本におけるこの神仏習合は、とても興味深いもので、研究してこのブログに載せる予定です。しかし、二年ほど前から、下書き状態になっています。まとまりましたら、このブログにアップしたいと思います。
晩秋の下山路、早くも陽が傾き初め、一抹の寂しささえ感じます。鹿か猪を狙っているのでしょうか、ハンターが撃つ鉄砲の音が、時折こだましていました。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき (猿丸太夫)
多くの方が知っている小倉百人一首の歌です。歌意:「遠く人里離れた奥山で、一面散り積もった紅葉の枯れ葉を踏み分けながら、恋の相手を求めて鳴く雄鹿の声を聞くときこそ、秋の悲しさはひとしお身にしみて感じられるものだ。」
聖峯から元の稜線に戻り、およそ50分ほど下った念仏山山頂脇には、幾つかの石仏があります。晩秋の夕方の淡い光線の中に、静かに佇んでいました。このエリアには、浅間山・聖峯・念仏山・弘法山など、大山詣で賑わった参道の名残と思える地名が多いようです。
秦野から鶴巻温泉まで小高い里山が続いています。この稜線上に、かつてこのブログでも綴ったハイキングコースがあります。念仏山から少し下ると、この稜線に突き当たり、右手に行けば弘法山、左手に行けば吾妻山を経由して鶴巻温泉駅に通じる道です。
(ハイキングコースの詳細は、以下のブログを参考にしてください。)
マッキーの山登り:秦野駅~鶴巻温泉の丘陵・里山散策…子供たちに自然の楽しさを教えよう! (2008年11月17日)
東屋がある吾妻山で小休止し、鶴巻温泉に下りました。駅の近くにある公営の入浴施設「弘法の里湯」で入浴予定でしたが、たいへん混み合っていましたので、入浴は止めてビールで乾杯し、お土産を買って、帰途に就きました。
【標準的な歩程】
大山ケーブルバス停~0.55~阿夫利神社下社~0.25~蓑毛越・浅間山~1.20~高取山~0.30~聖峯~0.40~高取山分岐~0.50~念仏山~0.25~善波峠~0.30~吾妻山~0.25~鶴巻温泉駅(計約6時間)
【お土産に買った巨大な柚子】
下の画像がお土産の柚子。半分に切って、一方は浴槽に浮かべて、柚子風呂にしました。また、もう一方は薄切りにして、甘酢漬けにして現在冷蔵庫に入っています。柚子と表記されたこの巨大な柑橘類は、値段が170円でしたので、安価で楽しめた土産となりました。(まだ、甘酢漬けは食していませんが。)
大山は初等科の低学年の遠足でも、行きました。小中高と合わせ、何度か行ったはずですし、鶴巻温泉は高校まで一緒だった、受験時代は仲良しになった同級生の有名旅館、陣屋があったはずです。彼は今は経営者でしょう。毎年今の名人戦が有るのでは。苦労もしているでしょう。
昔は東京ならどこからでも富士山が見えました。家からも、学校からも、千葉からも。もっとも、数年前まで家の近くの電車からも見えましたが、今は見えなくなりました。
初等科の同級生の家に遊びに行き、皆で町の西の端にあった崖によく行きました。とてもきれいな富士山が小さく見えました。
小田急に乗り、柿もぎやミカン狩りで山の近くの駅に毎年1、2回、遠足や友人宅に遊びに行きました。先頭車両に乗るのが楽しみでした。次第に富士山が大きく見えて来るからです。家に隠れるような富士山が、他の山より小さく見える富士山が、どんどん大きくなり、他を圧倒する大きさになるのが面白かったです。
これしか光景に記憶がありません。情けないですね。
子どもたちを引率して、郊外へ出かけるときなど、ゲーム機や携帯の操作に夢中になります。本当の自然に接する機会が少なくなり、その本当の美しさや楽しさを認識できずにいるように感じます。
都内には、富士見が付く地名が多いのですが、そうした場所で、実際に富士が見える所がどれだけあるのか、ちょっと興味が湧きます。
koderaさんがコメントされたことなど、子ども時代に経験した、沢山の思い出は、人生にとって貴重な財産ですね。
コメントありがとうございました。