江東区の教育委員会と学習塾の提携事業にスタートから協力して、私の公立学校指導も今年で5年目を迎えます。
私の教室の業務に支障のない程度に、第三砂町中学校と大島南央小学校そして第二大島小学校の3校で、毎週生徒の学習指導を行っています。
公立学校指導当初は、意気込んで私なりの理想を掲げてオリジナル教材をワードで作成し、授業で使用しました。
しかし、学習塾と公立学校では、その果たす役割や教科指導法、そしてそこに通う生徒の質や置かれた状況の違い、どれを取っても両者には大きな隔たりがあり、年を経るごとに学校の教科書レベルに近づいていきました。
塾では、一人一人の能力を最大限に伸ばすことがまず求められます。
しかし、公立学校では、指定された薄っぺらな教科書を、限りなく全員に理解させることがまず求められています。
すなわち、現実の公教育は、学習指導要領に沿った教科書を、できうる限り全員にマスターさせることが至上命令となっていると考えられます。
そうした現状を考えると、理解力ある生徒に対して、教科書を越えた指導を現場で行うことは難しく、そうした生徒の能力を伸ばすことは容易でないのが実情でしょう。
大変問題なのは、教科書を超えた範囲の問題を積極的に教えそして学ぶという教育を行うことが難しく、生徒の本来持っている意欲を削いでしまう傾向があります。
ただ、私に言わせれば、学習指導要領は後生大事にするほど普遍性をも持っているわけではなく、かつてコロコロと変わってきました。
現場で働く教師の皆さんが一番良く知っていることですが、学習指導要領は現場を知らない者たちの作文により、長いスパンの教育的視点に立脚した『要領』ではなかったと考えられます。
ところで、教科書を越えて学力ある生徒を指導する役割は、完全に進学塾に委ねられているわけで、公立学校と塾との役割分担は良いのですが、通塾の費用を出費できる家庭の子弟に限定されることが問題となります。
学習塾の教師である私が、公立学校へ出向いて小学生や中学生の指導を行うことで、様々なことを感じたり考えたりする契機となったことは、私にとっても貴重な経験となっています。
また学校の教師の皆さんにとっても、意思の疎通が上手くいく学校では、意見交換ができて、互いに得るところがあります。

教室の七夕飾り
公立学校の指導の難しい点は、学ぶ生徒たちの学力に大きな差がある点でしょう。
学力だけではなく、学習意欲や基本的な生活態度も生徒によって千差万別。
そうした点で、私立や国立そして新たに6ヶ年一貫指導に参入した都立の中学校は、生徒の学力がそろっている分、遙かに指導しやすいのが実情でしょう。
特に、公立中学校の数学指導を行って感じることは、学力底辺層の生徒たちの取り扱いです。
小学校の小数・分数などの計算を確実に行えない生徒、単位変換ができない生徒、割合や速さの公式をマスターしていない生徒、そうした生徒に対して、すかすかになったとも言える現在の中学数学教科書でさえ、教えることに困難を感じる教師は多いと思います。
数学の学力アップを真剣に考えれば、そうした小学校で学習した内容に遡って指導しなければならないのは分かり切ったことです。
しかし、公立学校の一斉授業では、ある程度そうした生徒に配慮しながらも、与えられた教科書の範囲に沿った授業をやるのに精一杯なのが現実です。
基礎学力の劣った生徒は、補習塾や家庭教師等で学年を遡った内容で指導を受けるのが望ましいのですが、そうした生徒の家庭が積極的に費用を出費できる環境にないことが多いようです。
こうした公立学校の状況を裏返せば、公立学校の学力上位陣は、その力に相応しい発展的な学習を充分に行う環境にないということでもあります。
トップ進学校とまで言わなくとも、私の教室の中堅私立進学校や、公立6ヶ年一貫校に在籍する中2の生徒たちの数学の1学期の学習範囲は、数量では中3および高1程度の因数分解や展開など、また図形では中3の相似、高1のメネラウスの定理・チェバの定理などです。
そうした学校に通う生徒と学力的に遜色ない公立学校の中学生もいますが、そうした生徒が満足できる学習を公立学校が提供しているかどうかというと、大いに問題があります。

こどもたちの願い
先生名前は入れるんですか?……願いが叶うように入れた方が良いんじゃない。
先生住所も入れますか?……サンタじゃないから、入れなくても良いよ。
織女星(織姫・しょくじょせい)と牽牛星(彦星・けんぎゅうせい)の二つの星の伝説から由来した七夕。
すなわち七夕の短冊は、『星に願いを!』と言うこと。
ここで私が提案したいのは、数学など基礎の上に積み上げていく教科については、習熟度別のクラス編成で学習指導するべきであると言うことです。
公立学校においても、最近は習熟度別クラスに分けて指導することが一般化しつつあります。
公立学校において俗な言い方をすると、習熟度別クラス分けは「できる子」と「できない子」にクラスを分けることであり、少なからず抵抗はあったはずです。
しかし、各生徒に合った指導ができる点では、マイナス面よりも遙かにプラス面が多いと考えられます。
生徒に対して、習熟度別に分けるそうしたメリットを十分に理解させて実施することが肝要です。
学力のある生徒と基礎ができていない生徒に対して同じ授業をすることは、生徒にとっても教える教師にとっても、ある意味地獄であるはずです。
少人数での指導が可能でない限り、習熟度別クラスで教えるべきで、それを徹底した方が良いと私は考えます。

私の散歩道:均整の取れた綺麗なガクアジサイ
一般的な球状のアジサイはセイヨウアジサイで、日本原産のガクアジサイを改良した品種。
学名「ヒドランジア」は、「水の容器」という意味。
まさに、日本の梅雨に相応しい花です。
ゆとり教育が是正されて学習内容が元に戻りますが、かつての学校を取り巻く状況と現在の状況とでは、かなり違ったものになっています。
増えた学習量を、限られた時間で生徒に指導するためには、現状よりも一層効率の良い学習指導が求められるでしょう。
公立学校における習熟度別のクラス編成による学習指導は、そうした状況の改善策として有効であると私は思います。

私の散歩道:アイリスの花
アヤメの種類は多くて、ひっくるめた言い方のアイリスが無難かな。
学名イリスの語源は「虹」という意味。
ギリシア神話中のにじの女神イリスに由来し,ゼウスとヘラの使者として天と地にかけたにじから地上へ下ってこの花に姿を変えたといわれる。
日本に自生するアイリス類は、アヤメ、イチハツ、ハナショウブ、カキツバタ、キショウブ、シャガなど。

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私の教室の業務に支障のない程度に、第三砂町中学校と大島南央小学校そして第二大島小学校の3校で、毎週生徒の学習指導を行っています。
公立学校指導当初は、意気込んで私なりの理想を掲げてオリジナル教材をワードで作成し、授業で使用しました。
しかし、学習塾と公立学校では、その果たす役割や教科指導法、そしてそこに通う生徒の質や置かれた状況の違い、どれを取っても両者には大きな隔たりがあり、年を経るごとに学校の教科書レベルに近づいていきました。
塾では、一人一人の能力を最大限に伸ばすことがまず求められます。
しかし、公立学校では、指定された薄っぺらな教科書を、限りなく全員に理解させることがまず求められています。
すなわち、現実の公教育は、学習指導要領に沿った教科書を、できうる限り全員にマスターさせることが至上命令となっていると考えられます。
そうした現状を考えると、理解力ある生徒に対して、教科書を越えた指導を現場で行うことは難しく、そうした生徒の能力を伸ばすことは容易でないのが実情でしょう。
大変問題なのは、教科書を超えた範囲の問題を積極的に教えそして学ぶという教育を行うことが難しく、生徒の本来持っている意欲を削いでしまう傾向があります。
ただ、私に言わせれば、学習指導要領は後生大事にするほど普遍性をも持っているわけではなく、かつてコロコロと変わってきました。
現場で働く教師の皆さんが一番良く知っていることですが、学習指導要領は現場を知らない者たちの作文により、長いスパンの教育的視点に立脚した『要領』ではなかったと考えられます。
ところで、教科書を越えて学力ある生徒を指導する役割は、完全に進学塾に委ねられているわけで、公立学校と塾との役割分担は良いのですが、通塾の費用を出費できる家庭の子弟に限定されることが問題となります。
学習塾の教師である私が、公立学校へ出向いて小学生や中学生の指導を行うことで、様々なことを感じたり考えたりする契機となったことは、私にとっても貴重な経験となっています。
また学校の教師の皆さんにとっても、意思の疎通が上手くいく学校では、意見交換ができて、互いに得るところがあります。

教室の七夕飾り
公立学校の指導の難しい点は、学ぶ生徒たちの学力に大きな差がある点でしょう。
学力だけではなく、学習意欲や基本的な生活態度も生徒によって千差万別。
そうした点で、私立や国立そして新たに6ヶ年一貫指導に参入した都立の中学校は、生徒の学力がそろっている分、遙かに指導しやすいのが実情でしょう。
特に、公立中学校の数学指導を行って感じることは、学力底辺層の生徒たちの取り扱いです。
小学校の小数・分数などの計算を確実に行えない生徒、単位変換ができない生徒、割合や速さの公式をマスターしていない生徒、そうした生徒に対して、すかすかになったとも言える現在の中学数学教科書でさえ、教えることに困難を感じる教師は多いと思います。
数学の学力アップを真剣に考えれば、そうした小学校で学習した内容に遡って指導しなければならないのは分かり切ったことです。
しかし、公立学校の一斉授業では、ある程度そうした生徒に配慮しながらも、与えられた教科書の範囲に沿った授業をやるのに精一杯なのが現実です。
基礎学力の劣った生徒は、補習塾や家庭教師等で学年を遡った内容で指導を受けるのが望ましいのですが、そうした生徒の家庭が積極的に費用を出費できる環境にないことが多いようです。
こうした公立学校の状況を裏返せば、公立学校の学力上位陣は、その力に相応しい発展的な学習を充分に行う環境にないということでもあります。
トップ進学校とまで言わなくとも、私の教室の中堅私立進学校や、公立6ヶ年一貫校に在籍する中2の生徒たちの数学の1学期の学習範囲は、数量では中3および高1程度の因数分解や展開など、また図形では中3の相似、高1のメネラウスの定理・チェバの定理などです。
そうした学校に通う生徒と学力的に遜色ない公立学校の中学生もいますが、そうした生徒が満足できる学習を公立学校が提供しているかどうかというと、大いに問題があります。

こどもたちの願い
先生名前は入れるんですか?……願いが叶うように入れた方が良いんじゃない。
先生住所も入れますか?……サンタじゃないから、入れなくても良いよ。
織女星(織姫・しょくじょせい)と牽牛星(彦星・けんぎゅうせい)の二つの星の伝説から由来した七夕。
すなわち七夕の短冊は、『星に願いを!』と言うこと。
ここで私が提案したいのは、数学など基礎の上に積み上げていく教科については、習熟度別のクラス編成で学習指導するべきであると言うことです。
公立学校においても、最近は習熟度別クラスに分けて指導することが一般化しつつあります。
公立学校において俗な言い方をすると、習熟度別クラス分けは「できる子」と「できない子」にクラスを分けることであり、少なからず抵抗はあったはずです。
しかし、各生徒に合った指導ができる点では、マイナス面よりも遙かにプラス面が多いと考えられます。
生徒に対して、習熟度別に分けるそうしたメリットを十分に理解させて実施することが肝要です。
学力のある生徒と基礎ができていない生徒に対して同じ授業をすることは、生徒にとっても教える教師にとっても、ある意味地獄であるはずです。
少人数での指導が可能でない限り、習熟度別クラスで教えるべきで、それを徹底した方が良いと私は考えます。

私の散歩道:均整の取れた綺麗なガクアジサイ
一般的な球状のアジサイはセイヨウアジサイで、日本原産のガクアジサイを改良した品種。
学名「ヒドランジア」は、「水の容器」という意味。
まさに、日本の梅雨に相応しい花です。
ゆとり教育が是正されて学習内容が元に戻りますが、かつての学校を取り巻く状況と現在の状況とでは、かなり違ったものになっています。
増えた学習量を、限られた時間で生徒に指導するためには、現状よりも一層効率の良い学習指導が求められるでしょう。
公立学校における習熟度別のクラス編成による学習指導は、そうした状況の改善策として有効であると私は思います。

私の散歩道:アイリスの花
アヤメの種類は多くて、ひっくるめた言い方のアイリスが無難かな。
学名イリスの語源は「虹」という意味。
ギリシア神話中のにじの女神イリスに由来し,ゼウスとヘラの使者として天と地にかけたにじから地上へ下ってこの花に姿を変えたといわれる。
日本に自生するアイリス類は、アヤメ、イチハツ、ハナショウブ、カキツバタ、キショウブ、シャガなど。

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