浄土真宗本願寺派 法徳寺ブログ

神奈川県厚木市にある浄土真宗本願寺派(西)のお寺です。
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生老病死の意味、間違ってますよ

2023-11-21 17:50:48 | お知らせ

今日は、樹木医さんがいらして、松を病気や害虫から守る薬を木に注入する作業をしてくれました。5年に一度なのですが、前回の時のこともよく覚えていて、あれから、早いもので5年たったのか、次回は、5年後だから私は、生きていれば60歳だなと思いました。木を診断するCTがあるそうで、木が今どのような状態なのか、主に、木の内部の空洞化がどのくらいすすんでいて、倒れる危険性を診断出来るそうなのですが、その診断が、難しいようです。人間と違って、木は、ここが痛いとか、ここが苦しいとか言ってくれないですから、この木は、それほど、空洞化がすすんでないから、大丈夫と診断したのに、倒れてしまうこともあるし、その逆もあるそうです。どんな仕事もそうですが、数値だけでない、経験や勘が大事なのでしょう。仏教の言葉で一番馴染みがあるのが、生老病死の四苦ですが、つらいとか苦しいという意味ではありません。人間の思い通りにいかない」という意味です。生老病死は、つらいとか苦しいということではなく、生きているのですから、すべて、当たり前のことです。「いやいや、病気は苦しいじゃないか」と思われると思いますが(私も思ってました)、違います。病気自体は、生きているのですから、病気になるのは当たり前のことです、世の中に病気にならない方などいらっしゃいません。でも、それを、自分だけは、病気になどなりたくない、いつまでも健康でいたいという思いが、苦しみを生んでいます。誰が、自分を苦しめているのでしょうか?自分の思い通りにならないものを思い通りにしたいという思いが、苦しみを生んでいます。それを受け入れたら、生老病死は、解決です、でも、それが、人間には出来ないのです。それが、出来た方を仏様と申します。さて、まとめですが、生老病死は、平等です。特に死は最も平等です。今も病気や老いで苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。どうして、病気になってしまったのだろうか?と悩むことも多いと思います。その理由は生きているからです。病気がわかったとたんに、生きる楽しみや慶びまでも、無くしてしまう方が多いと思います。病気になっても、生きている喜びを忘れないで欲しいと思います。病気を理由に、お寺の行事にお参りされなくなる方が多いのです。また、好きだった旅行も行かなくなってしまったり、趣味もやめてしまったり、友人と会うこともやめてしまう方もいらっしゃると思いますが、お医者様がダメですと言われない限り、自分のやりたいことをやって、人生を楽しんで欲しいと思います。


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