yama room

山コンビ大好き。

ブログではなくて妄想の世界です。

きらり

2019年1月27日

2019-01-29 19:36:20 | お知らせ




私はあまりいい書き手ではありませんでした。
更新はめちゃくちゃ不定期で遅いし、途中の話もあるし、文章も拙い。
それでもたくさんの方に見にきて頂けたのは(勝手に使わせていただいている)媒体が
嵐だったからということも理解しています。



これから先、書けるのかどうかわかりません。
自分自身の気持ちがどうなるかもわかりません。
でも許されるのなら、もう少しだけここはこのまま残しておこうと思っています。
そしてまた書きたくなったら。書ける時がきたら書こうと思います。
今までもそうですが、私の場合“書ける時が、書ける時”なので。
言い回しが変ですがその言葉そのままなのです。



初期の頃のは本当に恥ずかしいのですが。
でも不思議と直そうとも思わないっていうか。
まあ振り返るのも恥ずかしいというのもありますが、その時の思いが込められているものなので
後から変えてしまうと何だか違うっていうか。



ただただ好き好きという時の話もあれば、報道があった後の微妙な話とか。
ページ数は少ないけども(これでもアップして消した話は一個もない)
9年目ともなれば読み返してみて嵐さんたちの思い出す話もあるし、自分の歴史みたいなものです。
まああまりにも大雑把に書いているせいで、自分でも読んでわからないのもあったりするのですが。
あの時の事をって書いてあるけど何のことだっけ?みたいな。



そして今回の事。



やっぱりショックでした。
でも会見やzeroを見てやっぱり嵐っていいな、好きで良かったなって思ったし、
そして連日放送されている報道を見て、改めて凄い人たちだったんだなって感じています。
でも心のどこかではこんな日が来ると覚悟はしていたとはいえ、思っていたより随分と早かった。
そしていつかそうなる日が来るかも知れないとは思っていたけど、いざ現実となるとやっぱり辛い。



でも心のどこかでは仕方ないという気持ちもありました。
私も大野さんとは当たり前だけど立場も重圧も全然違うけどそう思っていた時があったから。
どんなに休みをもらっても(と言っても年休と夏休を合わせて10日くらい)
常にどこか片隅に仕事の事が頭の中にあって、どうにもダメになってしまって。
だから送別会の時に立場が違う方からも、今が一番経験を積んでいい時なのに勿体ないと。
せっかくこれからって時に残念でならないと言われ(他の同期の子も次々と辞めていく時期だったので)
その言葉が嬉しくもあったけど、でもそれ以上に一旦断ち切って離れたかった。



これから先どうなるかはわかりませんが、復活するしないにかかわらず
私は嵐さんたちを、これからも見守っていきたいと思っています。



そしてこういう時いつも思うのは、やっぱりzeroがあってよかったという事です。
私は何かあるといつもzeroでの翔くんを見て勝手に安心してました。
東日本大震災で毎日緊急地震速報や、アラームが一日中鳴りっぱなしで不安でどうしようもなかった時とか
月曜の11時にzeroを付けると必ず生の翔くんにあえて、その姿を見てその言葉を聞いて安心して。
そして今回もまた生の翔くんの姿を見て言葉を聞いて、救われている自分がいます。
確実に生の姿がみられる時があるっていう事は、凄くありがたい存在です。
そして大野さんの事を一生懸命伝えてくれた事、復活はあると何の躊躇いもなく言ってくれた事が嬉しかった。








『まず当日の昼にですけど大野に連絡しました。
何かあったら必ず僕がフォローするので安心して会見にのぞんで欲しいと。
そして彼からはありがとうという返事をもらいました』





さらっと何でもない事のように言った翔くんのこの言葉に、今回はじめて涙がでました。
やっぱり山が大好きです。。