COOの神は喜びである!

多感な万年少女COOの日々の記録。

さすが!

2006-07-21 21:06:54 | 熱闘広辞苑

今ひとつ感情的にメリハリがきいていない私は、あまり他人に「さすが!」と感動する機会がない。以前、熱闘広辞苑の「かなわないなぁ」でもそれについてはちょっと触れたが、他人を評価する目はドライでシビアである。
だからといって「他人には厳しく自分には甘い」とか「自分にも他人にも厳しい」というわかりやすいタイプでもない。
自分他人関係なく見たくもない細かいアラが目に入ってしまうタイプで、だから他人に接する時などバツの悪さを感じて、はっきりした態度がとれない優柔不断なタイプ?である。

そんな私が感動するものといったら、もうあーだこーだ文句の有無を言わせない次元の違う天才とか自分の世界を比類なく完璧に確立した人とかそういうものしかない。それか自分の完璧を求めるあまり優柔不断といった性質とは反対の性質を持つ人へややブラックな気持ちも含んだ賛美である。

後者の方でかなりブラック度の強い「さすが!」な人を紹介するとしよう。
同じ職場の女性の先輩で仮にMさんとする。
このMさんはとても頭の切れる仕事のできる方である一方、舌を巻くほど割り切り方のす早い人でもある。で、気持ちの中はそんなでなくても、ここぞという時の感情表現の巧みさは、見習いたいと思っても見習いきれるものではない。芸術作品といってもいいほどだ。

もう8、9年前の話だが、老人ホームの職場でMさんと私と男性Oさんと3人で夜勤をしていた。Oさんは水瓶座のAB型。それが関係がするかどうかはおいといて、いつも人がドキッとするような変なことをする人それがOさんだった。飲み会に行くとわざと高層階の階段の手すりにつかまって足をぶらぶら投げ出し、手を離したら大怪我しそうな動作をしたりとか。

そのOさんが夜勤時にえっらそうな口調でとくとくと話しをし出した。
話の内容はというと、昔の人類は大人しい性質の人種と争いが好きな性質の人種の2種類がいたそうな。だが争いの好きな人種が大人しい人種を「殺して食べてしまい」、今いる自分たちの先祖は争いの好きな人喰い人種なんだそうだ。だから今の人達はみんな好戦的で凶暴といった話しだった。

私はその話を聞いて、耳を塞ぎたいほど不快に感じた。
しかしMさんは表情豊かに尊敬の眼差しをOさんに向け、情感たっぷりに
「まあ、そうなの」
「すごいわね~」
「もっと聞きたいわぁ」(複数回)
「まあ」
などと熱心に相槌をおくっていた。

Oさんが何かの用事でいなくなった隙に私が
「よくMさんはああいう話を聞いていられますねえ」
と言った。
Mさん「なあに?なんのこと?」
私「。。。。(Oさんの話をかいつまんで話す)」
Mさん「あらそうなの。よく聞いていなかったから」



私はMさんのような人を凄いと思う。私にはマネのできない芸当ができるからだ。
Mさんにはそれからも様々な逸話があるが、この時の衝撃が一番印象が強い。

私はMさん嫌いではない。



※この記事は熱闘広辞苑の参加記事です。熱闘広辞苑とは、同じお題で各ブロガーが記事を書くという企画です。今回のお題は「さすが!」でした。
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※画像はティーパッグのハーブティいろいろ。職場の休憩に飲んだりしている。BIGELOW社のGreen Tea with Lemonは特にお気に入り。

注)カテゴリの記事及び本ブログは岩波書店及び同社刊「広辞苑」とは一切関係がありません。






草津・軽井沢旅行(四日目)

2006-07-18 18:55:26 | 旅行

今日は軽井沢ともお別れだ。
お別れの日の朝は、プリンスホテル内のカラマツの木立も特にすがすがしく、気持ちが良い。鳥がよく鳴くが、白糸の滝効果で、全部人工鳥の声に聞こえてしまう。余談であるが2日目の朝食のバイキング会場のレストランも、鳥のさえずりのBGMだった。

今朝はホテルの朝食ではなく、外出して蕎麦を食べる。
「水音」というお蕎麦屋さん。
今まで食べたお蕎麦で一番おいしかった。天ぷらもおいしい!

さようなら軽井沢。
と、その前に軽井沢アウトレットに向かう。
セール中ということで随分混んでいる。もちろん私はバーゲンには強い。イギリスにだってハロッズのバーゲン目当てに行った時もあるくらいだし。
でも重い足かせが。
母が「早く帰らないと」と渋い顔である。

3時に高速に乗り、家に着いたのは夜10時近くだった。
のべ850キロ。こんなに走ったのは久しぶりだ。

草津・軽井沢旅行(三日目)

2006-07-18 18:36:38 | 旅行

朝はグダグタとホテルに長居してしまい、お昼前にやっと旧軽井沢銀座に出向く。
旧軽井沢銀座はまるで原宿のようだ。ガイドブックのお勧めのコースよろしくミカドコーヒーでモカソフトを食べ、ブランジェ浅野屋の奥で店内で買ったパンとお惣菜を食べる。なんということはないが、あっという間に時間だけは経った。

夕方4時にホテルに戻るが、二人とも疲れて何もする気になれず、6時半に予約していたレストランまでの間、ベッドに寝そべったりしてだらだらしていた。
「無彩庵」というフレンチレストランに行く。人気のレストランのようで食事している間にだんだんと人でうまってくる。桃のスープがとてもおいしかった。

帰りに駐車場をみたらものの見事に高級車でうまっている。やっぱり軽井沢に常駐している人たちは日中は木立の中の別荘でひっそりと暮らし、夜、活動しているのか?蛾?

帰りにコンビニとスーパーによって帰路に着く。夜は夜で軽井沢の別な一面をかいまみる。軽井沢は夏(梅雨時だけど)の夜も活気づいている。



草津・軽井沢旅行(二日目)

2006-07-18 15:42:24 | 旅行

山本館でグッスリ寝て早朝目覚める。私は湯畑近くの無料の共同浴場巡りを。
母も誘うが厳として行かない。お風呂は旅館で充分、歩き回って疲れるのがいやなんだそうな。もったいない。草津は自然沸出の湯量日本一、源泉6つ、共同浴場18湯。湯巡りなしでは草津の魅力も半減ではないか。

朝のうちに瑠璃の湯、地蔵の湯、白旗の湯、千代の湯に入る。
瑠璃の湯


お気に入りは地蔵の湯であるが、何気に瑠璃の湯も好きだ。初草津で最初に入ったのが、バスターミナルから湯畑に通じる道路上にある瑠璃の湯。思い出深い湯である。その時は地蔵の湯源泉の高砂館に泊まった。

母と一緒に旅館の外で湯もみショーを楽しむ。



湯もみショーで体験コーナーがあり、浴衣を着たじーさまがデヘデヘ笑いながら湯もみを体験していた。よっぽどうれしいんだろうな。
若い今風の青年が、教えられた通りに木のヘラを左右にかき回さず、上下にわざとかき回す。お主、なかなかやるではないか。

西の河原、温泉街を散歩して午後から軽井沢へ。

軽井沢へ向かう道は有料道路と北軽井沢を通過する道路と2通りある。
北軽井沢の道路には「日本ロマンチック街道」と名づけられていて、つければつけるもんだと感心した。いったいどんな街道なんだ。

日本ロマンチック街道をこの目で確かめることなく、有料道路で軽井沢に向かう。
雄大な浅間山が見える。




途中、白糸の滝による。



これは宣伝倒れだ。全然凄くない。
白糸の滝の入り口には小鳥の鳴き声がクドイくらい聞こえてくる。
なんということはない林に設置した人工小鳥の声だった。
都会の人はこの場所に自然を感じ、癒されたりするのだろうか。素晴らしい。

今日の宿は軽井沢プリンスホテルである。
宿に着く前に田崎美術館をみる。



田崎廣助は阿蘇山、朱富士、浅間山などをおもに描いた山岳画家である。
絵もどっしりとして男の絵という感じで、なかなか見応えがある。
美術館の方がいろいろ説明してくださり、とても勉強になった。
特になるほどと思ったのは、よく有名画家の子供がその画家の私設美術館の館長になっているが、あれは遺産相続で莫大な相続税を払う為絵を売って分散させるより、絵を寄付して美術館の館長になる方を選んだ為だという例が多いからだそうだ。また昭和初期の画家は裕福な家の出か貧しい家の出か、2つに分かれ、中間層の出の画家はあまりいないそうだ。
「裕福な家の出も貧しい家の出も、何も失うものがない」からだそう。田崎廣助は貧しい家の出ということだ。

軽井沢プリンスホテルに着く。最初プリンスホテル敷地内のコテージの予約だったが、母が突然難色を示す。まだ父を失ってその寂しさから完全に解放されていない。(どちらかというと気楽に遊びまわれる私の方が普通じゃないのかも。いや思い出すと悲しいけどね)コテージだと寂しさがつのるのだという。それに、
「家にいるのと変わりない。家も広くて自然があるし。家でもここでもお前と二人きりだし変わりない」( ̄□ ̄;)!!
そういうわけで、コテージからプリンスホテル内に変更してもらった。
母は「つつまれている感じがする」といたく喜ぶ。

就寝。







草津・軽井沢旅行(一日目)

2006-07-18 14:04:19 | 旅行

夏休み&ストレス発散もかねて、先週行ってきた、草津温泉と軽井沢。

どちらも観光地のビッグネームであるが、遠方の方々には、両者が実は近い距離にあるということをご存知ない方も多いはず。(実は私、1回草津に行くまで知らなかった)

車、バスで1時間ちょっと。両者を行き来しているバスはなんと「草軽交通」。わかりやす~い。

春に父が亡くなり気落ちしている母も「たまに気分転換しないと」と少々強引に連れ出す。新幹線で行くことも考えたが、今回は私の赤いブーブーちゃんで行くことにした。

車で行く場合、東北からのアクセスはかなり悪く、宿に着いたのは午後7時。
泊まったのは山本館という由緒ある旅館で、趣があってとても落ち着いて過ごせた。

山本館


部屋から眺めた景色


湯畑がみえる部屋を指定したのでお値段もそれなりで、もちょっと早く来てゆっくりしたかったな。部屋に「何でも書いてください」と記されたノートがあって、読んでて楽しめた。結婚記念日に来た人、海外に住んでいて里帰りの度にくる人、学生時代に山本館をみて泊まってみたいと思い社会人になって泊まりにきた人、など等。

布団が心地よく、ドライブの疲れもあっていつの間にかグッスリと眠る。

こだわり

2006-07-18 08:52:58 | 熱闘広辞苑

歩くこだわり人間ことCOOが帰ってきましたよ。

今回の熱闘広辞苑のお題は「こだわり」。
締め切りは木曜であるが、大遅刻で月曜の夜に書き始めている。
実は先週ほとんど旅行に行ってて、書く暇がなかったのだ。
私の頭の中では今回から毎週木ではなく隔週木に変更で余裕で書ける予定だったのだが、帰ってくるとやはり期日は毎週木であった。(そこが人生の面白いところ、なんて一人うそぶく自分である)

まずもって、私をよく知っている人間10人に、私がこだわりのある人かない人か聞いたら、9人強はこだわりのある人間だということであろう。
昔から私を形容する言葉に、「こだわり」は欠かせなかった。
(ただし不思議と「オタク」ではないそうな。私のこだわりは「マニアック」としてうつるみたい)

で、
何にこだわりを持っているか、というと。(質問)

その時その時でちがう。←応え




お茶を濁してしまいましたね。




よくこだわりのある人間を「違いのわかる人間」と大人風な捉え方をしますが、こだわりとはその人にしか理解できない独自の通過方法(フィルター)を通して物事を選択することだと解釈している。
選択した物事の真偽は別として。


私にとって、こだわりのある人の典型は、コーヒーのCMに出てきそうな文化人ではなく、サキの短編「夢見る人」に出てくるアディーラ・チェムピングのごとき人である。

「わたくし、バーゲンあさりはしやしませんけどね」と彼女はいった、「バーゲン・セールをしている店へ行くのは大好き」

「まずナプキン売り場へ行きましょう」

ミセス・チェムピングはナプキンを一枚一枚光線に向けてからじっとそれを見詰めた。何か革命さわぎの暗号でも、見えないインクに書いてあると思っているらしい。
やがて突然、今度はガラス製品売り場の方へ歩き出した。
「ミリセントにたのまれたのよ、デカンターを二つ三つ買ってきてって、もし本当に値段の安いのがあったら」と歩きながら説明を加えた、「それにわたしもサラダ・ボウルが一つほしいの。ナプキンはあとでまた回ってくるからいいわ」

彼女はデカンターとサラダ・ボウルをたくさんいじり回してよく調べたあげく、とうとう最後にキクを生ける花瓶を七個買いこんだ。

日傘が二本、途方もなく安いとミセス・チェムピングの目に止まって彼女の買上品となった。
「一本はルス・コルソンにあげるの。そら、あの人、そのうちマレー半島へ出かけて行くから日傘ならいつでも使えるわ。それに便箋もあげなきゃね。便箋なら荷物へ入れてもかさばらないから」
「ねえ、どう思う?ルスはブルーが好きかしらグレーが好きかしら」
「グレーです」とスィプリアンが答えた。グレーという女性にはまだ一度もあったことがない。
「この手の便箋でモーブ色のはなくて?」とアディーラは売子にたずねた。
「モーブはございません。グリーンとも少し濃いグレーならございますが」
ミセス・チェムピングはグリーンの便箋と濃いグレーの便箋をよく調べてからブルーの便箋を買いこんだ。

(ザ・ベスト・オブ・サキⅡ「ちくま文庫」より)


アディーラ・チェムピングの行為をただの気まぐれと思うなかれ。
彼女は荷物を持たせようと、映画と食事という餌をつけバーゲン初日に一番若い甥と待ち合わせて用意万端でバーゲンに臨んだのだ。(しかし、この甥が夢見る人であったばかりに最後はどんでん返しにあうのだが。。。)



物事にステレオタイプがあるのなら、「そこの部分は特別注文で」というのがこだわりなんだと思う。
特注をバン!と頼めない庶民派のこだわり人間は、アディーラ・チェムピングのようにちこまかと迷路のような思考の選択を経ることにより、特注気分を味わい、こだわり感を満足させるのだと思う。

こだわりには、人一倍の思い入れとそれを表わす力がいる。
しかしステレオタイプではなくクセがあるので、人にはとうてい理解されない。




※この記事は熱闘広辞苑の参加記事です。熱闘広辞苑とは、同じお題で各ブロガーが記事を書くという企画です。今回のお題は「こだわり」でした。
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写真は今回旅行に行った先、草津温泉で。曇っているのは湯煙ですよ~。

注)カテゴリの記事及び本ブログは岩波書店及び同社刊「広辞苑」とは一切関係がありません。











結果

2006-07-05 09:15:44 | 熱闘広辞苑

熱闘広辞苑、今回のお題は「結果」である。
う~ん。
あんまり自分って人生において結果のでない人間だったんだよなあ。
勉強、運動、一生懸命したことがないし、
結婚、仕事、中途半端だし。

人間、結果ではなく過程が大事ですよ。
ほら、自分なんか死んだって世の中は相変わらず動いていくんだから。
結果はその時点での結果であって、時とともにどんどん入れ替わっていくものなんだし。
勝ち負けや結果なんかより、日々充実している方が大事なんですよ。

↑という精神を持たないと、たくましく生きていけない私である。
というか、ちょっとの挫折を経験すると「どうせ頑張っても××だから」とネガティブ思考にはしるのが、その程度の結果しか生まない原因だろうと容易に推察できる。

姉達はさして勉強しなくてもいい成績をとれる人達だった。私はそれなりの人物。
「どうせ無理して勉強しても、もともと頭いい人にはかなわないのだから」。
バレエ教室に10年以上通っても、バレエのバの字も他人に思い起こさせる人になれない。
そりゃそうだ。月に3回通えばいい方、家では食っちゃ寝の連続。
「バレエばっかし上達したって、バレエバカになって人を見下す人になるんなら、下手でいいのよ自分」。

結婚は一回しくじってしまった経験を持つ。「しかし、週刊誌を見てみなさい」

「子供に殺されないための『父親の教育』鉄則集」

子供がキレてリセットしたいと自宅に火をつけ親を殺す世の中。
(リセットするには旅行が一番←提案)

「結婚して家庭を持っても、それでハッピーエンドとは限らないのだから」

職場ではキャリアばっかりくっても、主張は通らず抑えこまれるばかり。
「『この職場は何かが間違っている』と思っても、どうせ私は文句をいうのがせいぜいで管理能力なんか持ってないんだしさ」


ところで私は結果より過程の方が大事だと思っている。
でも、もしかしたら失敗し傷つくのを恐れるあまり、何にも向き合わずに過程をただ引き延ばしているだけなのかも。

ううむ。



※この記事は熱闘広辞苑の参加記事です。熱闘広辞苑とは、同じお題で各ブロガーが記事を書くという企画です。今回のお題は「結果」でした。
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