マゾヒズムに花札を!

Female Domination & BDSM …とは殆ど関係ない花札に関する四方山話です。

高遠城の血染め桜

2006年03月14日 18時37分23秒 | 桜 - 3月
高遠城ん? 花見をしたのは随分前のような気がしますが、まだ3/14ですね。
いやいや、ちゃんと種を明かしましょう。これを書いているのは随分たってから、平成18年豪雨の名称が付された日です。
今日の話題である高遠のある信州地方は相当被害が出ているとか、お見舞いします。
ということで、本日の話はちょっぴり悲しい桜の名所についてです。

   登り来て 振り返り見る 坂の上 国美しき 四季の移ろひ (松井芒人)

信州高遠城ですね。
例によって例のごとく、全く歌と関係ない話から始めましょう。

平家物語等々に描かれる壇ノ浦の下りが何故にかくもウケるのでしょうか。
ずはり、滅びゆくものの美しさが人の心を打つのだと思うのですよ。
花札3月のテーマ植物は桜、パッと咲いてパッと散るのが日本人好みであるから。何度かいっているとおりです。
生物には「死の本能」Todestriebともいえる、の性心理に重なるものもあるのですが。

おっと、おっと、話を続けましょう。
時代は下って戦国時代末期。ここにもひとつの滅びがあります。
名門武田氏の滅亡…先ずは上記、高遠城の悲話が口火的象徴となりました。

記述的には、● 仁科五郎盛信 vs 織田信忠 ○ の戦い、ということになるのですが、少し背景を振り返りましょう。
高遠城主・仁科五郎盛信。
五郎というくらいですから、信玄の五男、安曇の豪族仁科氏の(押し付け的)養子となったのち、ここの伊那の高遠を守護していました。

地理的には織田領との隣接ですよねえ。戦になれば先ず初戦の場所となりますわな。
木曽義政(信玄の女婿)が織田方に寝返り、近くの大島城を守護していた信玄の弟・信廉までが一戦も交えず夜逃げした状況とあっては、ここ高遠城には勝ち目がありません。
盛信以下腰元衆に至るまでが武器を取って戦い、そして一人残らず斬死するのです。

高遠城の桜は紅色が濃いのは、このときの彼ら彼女らの血を吸ったせいだと伝えられます。

と、この言い回し、



これで手間取った…

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


一刻千金

2006年03月13日 21時54分10秒 | 桜 - 3月
葉隠花札3月のテーマ植物は、日本を代表する花である桜、そして古来単に花と言ったら桜の花を意味する、繰り返し話してきました。

ところで、滝廉太郎の歌曲で『花』と言うのがありますよねえ。

 ♪~ はーる~ うらーらーの~ すーみーだがわ~

いやいや、『隅田川』ではありません。この歌は『花』という題です、よく間違えられるんですけどね。
ともかく、隅田川沿いの春爛漫を歌い上げた名曲で、僕大好きなんですよ。
あー、三番は宵から夜にかけて、それこそ夜桜の景になります。

 ♪~ げに いぃーこくも せんーきんの~

一刻千金にあたいする春の夜という訳ですねえ。
日本人の美学の共通項という感じです。

ところがところが、江戸の狂歌師・大田蜀山人は少し変わった賛美のしかたをしてますよ。
 
  一刻を 千金づつに しめあげて 六万両の 春の曙

江戸時代の一刻は2時間、その一刻の値が千金すなわち1万両というのなら、ひと晩つみあげて春の朝をむかえたときは、しめて6万両、というワケ。
いつの世にもへそ曲がりがいますよねえ、はい。

因みに一刻千金は大陸からの輸入品のようでして。
ほら、中学の授業でやったでしょう?
蘇軾の春夜です。

 春宵 一刻 直千金
 花に清香有り 月に陰有り
 歌管 楼台 声 細細
 鞦韆 院落 夜 沈沈

韻は金、陰、沈。
承句が句中対、転句結句が対句ですか。

そんなことより、
最後の二文字が(爆)

と、この言い回し、



掲示板への書き込みありがとうございました

を丸写ししました。

………
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


さくら銀行さくら支店

2006年03月12日 21時29分50秒 | 桜 - 3月
花札 桜日本を代表する花であり、花札を代表する札でもある桜。
当然のこととして地名その他の固有名詞でよく使われますす。
今日はあえて違う字の「さくら」の話をしましょう。

佐倉というところはご存知ですか?
江戸時代の城下町ということで桜の名所でもある千葉県の都市です。
そして、今はなくなってしまったけど、さくら銀行という銀行があった。当初は太陽神戸三井銀行と言ってました。
佐倉にも支店があった。さくら/さくら です。

して、問題。この店は元々はどこの銀行の佐倉支店だったのでしょう?
意外なことに、これ、神戸銀行の佐倉支店だったんですよ。
よく聞かされたもので、覚えてます。
それから、この歌も。

  朝日あび 松と桜も 原の景 八千代栄える 千葉となりたる

こちらは、ちっとうろ覚えなんですけどね。
古い古い新聞スクラップで見たような気がします。
で、その心は、

 旭 我孫子 松戸 佐倉 茂原 八千代 栄 千葉 成田

地名を織り込んだ地元賛歌というわけです。

織り込みの川柳狂歌のお話ですか?
えーっと、またしても当家秘蔵の新聞スクラップが役に立つときがきましたか。

昔五大政党の時代、京都府で5党全ての支持を集めて長期知事をつとめていた蜷川虎三氏という人がいたそうですね。
ところが1974の選挙の折、

京都府知事選…72年府議会・問題蜷川問責決議→社共関係悪化、73年大橋(江田派)府本部委員長就任、府本部方針(「革新府政推進本部」)「反蜷川・反共産」を明記。
石橋書記長(反蜷川)と成田委員長(親蜷川)でのズレ→第37回党大会江田派決議案を否決(運営委の時点)。
成田、京都に蜷川を説得に出かけるが、当地で、蜷川7選支持を表明。
結局、共産・左社vs右社・公明・民社・自民で4500票差で蜷川辛勝。

という事態がおこったとか。

     蜷川に 大橋かける 騒ぎかな

その折に詠まれた川柳だそうです。
勿論、「かける」は「架ける」に「賭ける」を「掛けて」ますよね。

と、この言い回し、



これもミユの句ではありません。だって、そのころ…、あはっ!

を丸写ししました。

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煙くらべ

2006年03月11日 16時29分48秒 | 桜 - 3月
3月続けましてもう一稿、中国では春霞を意味する煙にまつわる春三月の話題を。

日本においては煙というのは一時、忌み言葉となっていました。
ひとつには、源氏物語の柏木。
火葬の煙を連想させるから、あたりですか。

そして、また別の理由は、周防内侍の、

  恋ひわびて ながむる空の 浮雲や わが下もえの けぶりなるらむ

ここらあたりでしょうかねえ。
とまあ、ここらを踏まえて、百人一首選者・藤原定家の逸話です。
その業績からして、温厚な貴公子をイメージする方も多いのではないでしょうか?
ところがどうして、この人はなかなかの暴れ者、『狂乱の貴公子! リック・フレアー 』だったそうですよ。
若いころの暴力事件、さらに、ぐっと晩年の承久二年(一二二〇)二月十三日の内裏での二首歌会です。

ちょうど新暦で言えば三月ですよ。歌会にはもってこいの時期です。
ところが、かねて後鳥羽上皇の専横ぷりを不満に思っていた定家は、まず一首目『春山月』と題し、

  さやかにも 見るべき山は 霞みつつ わが身のほかも 春の夜の月

と、招聘されたことに対する不満を当てこすりにこめました。
そして、二首目が『野外柳』、
  
  道のべの 野原の柳 下もえぬ あはれなげきの 煙くらべに

上でいったように、「下もえぬ」「煙くらべ」は当時の宮中では不吉な言葉として禁句・NGワードになってました。
それを両方入れて、秀歌にするとは!

果たして、上皇はぶちきれ定家を勅勘(上皇が臣下を勘当すること)してしまいます。
以上、歌詠みが必ずしも文弱の徒という訳ではないという事例でした。

と、この言い回し、



「煙くらべ」がなんで縁起が悪いか
潜入観念で評価しちゃダメ

を巧みにちらばらせて丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

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煙花三月

2006年03月10日 07時06分32秒 | 桜 - 3月
手書き桜春三月は花の季節、そして花札の季節でもあります。
そうでしょう?
日本において単に花といった場合は桜の花のことを言う、前に書きました。

お隣は中国においても三月は花の季節です。
残念ながらソメイヨシノというわけではないでしょうが、まあ、見てみましょう。
李白の有名な七言絶句です。


  黄鶴樓に孟浩然の廣陵に之(ゆ)くを送る

 故人 西のかた  黄鶴樓を 辭し,
 煙花 三月  揚州に 下る。
 孤帆の 遠影  碧空に 盡き,
 惟(た)だ見る 長江の  天際に流るるを。

煙花三月、出てきますよねえ。
ここで言うところの煙花とは、「カスミと花」ということで、つまりは春景色のことのようです。
いいですよねえ、響きとすれば。
我彼の煙観の相違といったところですか? お隣の国では煙というのは爛漫の雰囲気があるようです。

わが国だと、むしろ反対の感じにもなりますか?

   我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山

我が同門、某W大の皆様、おまたせしました。
第二校歌の人生劇場ですよ~。
5番まであって、4番と5番の間にこの歌の朗詠が入るんですよね?
手元の古い宴会ソング集によればそうです。

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人生劇場 早稲田大学第二校歌

 ”ああ歓楽は女の生命虚栄は女の身上であります。わずか七日ばかりの享楽を得んがために哀れ儚なくも美しき乙女の貞操は花と散ったのであります。覆水盆に帰らずのたとえあるが如く 親をいつわりし罪いと深きかな 哀れメリーさんよ チンタッタチンタッタ”

一.やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ 
  なまじ止めるな 夜の雨
  
 ”ああ 縁なす緑 緑また緑の その中に まことなる乙女の姿 その時 夏村大三はつぷやいた”

二、あんな女に 未練はないが
  何故か涙が 流れてならぬ
  男心は 男でなけりゃ
  わかるものかと あきらめた
  
 ”時は大正の末年 夕暮の日 いとさびしき所は 三州横須賀村 印ばんてんにもじりの外套を わらじに乗せたる 身もいと軽く帰り来りしは 音にも聞えし 吉良常なり”

三.時や時節が  かわろとままよ
  吉良の仁吉は 男じゃないか
  俺も生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

 ”ああ 夢の世や夢の世や 今は三歳のその昔 いとなつかしき父母や 春は花咲き夏茂り 冬は雪降る故郷の 生れは正しき郷士にて 一人男子と生れたる 宿世の運命の哀れなるかな 浮き立つ夢にさそわれて 一人旅立つ東京の 学ぴの庭は 早稲田なり”

四.はした役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 浪風受けて
  行くぞ男の この花道を
  人生劇場 いざ序幕

 ”おきゃん おいどんの心がわかるか 我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば 煙はうすし 桜島山”

五.早稲田なりゃこそ 一目でわかる
  つらい浮世を 笑って過ごす
  馬鹿な奴だと 笑わば笑え
  他人にやわからぬ 心意気

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ちなみに、この歌の作者=西郷隆盛 説は間違いです。


と、この言い回し、



わーかー~る~ ものかーと~ あきらーめー~た~

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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花や今宵の

2006年03月09日 18時02分59秒 | 桜 - 3月
山桜開口一番話しましたように、花札というのは大変美しいカルタです。
ゲームとしてもルールは簡単で覚えやすく、それでいて奥が深い。僕たち日本人が愛し熱中してきたもの当然と言えるでしょう。
でもまあ、余り熱くなるもはいけません。いつまでもいつまでもきりなく続けるのは考え物です。
一年12ヶ月と決めたら、きっぱりそこで終わりにする、博打の道具に使うなど論外です。
そうですよ、勝っても負けても恨みっこなし、パッと咲いてバッと散る桜の心に学ぼうではありませんか。

と、滅びの美学を話したのは、投稿日ベースで3日前。
三日見ぬ間の桜はどうなりましたかねえ?
マゾヒズムに花札を! の根幹とも言えるべき滅びの美学です。
実際は日付は開きましたが、その続編といきましょう。

    行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし

前にご紹介した平忠度の歌。
出典もすばり、平家物語<九・忠度最期>です。
清盛の弟・薩摩守忠度は名高い歌人だったんですよねえ。

一の谷の戦いで敗れて落ちて行く途中、忠度は岡部六弥太(オカベノロクヤタ)に討たました。
六弥太は最初は討ち取った相手がだれなのか分からなかったんですよ。
と、箙(エビラ)に結びつけてあった書き物を取って見ると、「旅宿の花」という題でこの歌。
岡部六弥太はこれで討ち取った相手が薩摩守であることを知るのです。

箙に歌を手挟んであったことからすれば忠度は、戦の前から死を覚悟していたに相違ありません。
でもですよ。
決して生を投げ出していたわけではないですよ。
見てください、この歌、

 「ゆきくれてこのしたかげをやどとせばはなやこよひのあるじならまし」

旅の途中で日が暮れて、桜の木の下を宿とするならば、花が今夜の宿の主人となり、もてなしてくれるであろうか。

ね? 辞世の類ではないでしょう。
事実鉄漿貴族のなりをした忠度は、昔とった杵柄、柔術まで駆使してあわやというところまで六弥太を追い詰めるのです。

最後の瞬間まで命の限りに戦った、だからこそ死の安定がおとづれる、そして滅びの美学として人のこころを打つのではないでしょうか。

と、この言い回し、



某国営放送ではやらなかったシーン

を全文丸写ししました。

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破邪剣征 桜花放神

2006年03月08日 20時57分37秒 | 桜 - 3月
america投稿日付に拘らず前にお話した『花札占い』。
三月・桜の言葉はこうです。

 「桜花らんまん。旭日昇天の大吉兆であって、願い事すべてかなう。
  然し油断して一朝チャンスを逸すると、一夜の嵐に吹き散る憂いあり。
  機会は迅速に掴まればならぬ。」

将に想定どおりといったところですよね。
咲くも花なら散るも花、ですか。ハラハラと散る桜の花というのもまた情緒があるものです。
セガの看板ゲーム『サクラ大戦』のヒロイン格・真宮寺さくらの剣技のバックにも、桜の花びらが舞っています。

俄然無粋な方向に進めれば、桜の時期はまた春の長雨の時期でもあります。
必ず降るんですよねえ。花散らしの雨というのが。
奇しくも、投稿日時に殆ど意味のないこのブログの今この記事を書いているその瞬間、降ってますよぉ!

   風吹けば あだ口惜しや 桜花 けふの宴に とみ落つるらむ

あん? なんなんでしょうねぇ~
しゃーない。返歌といきますか。

   花散らし いたくな降りそ 上野山 我はこぞより 参らざるをも

つーことで、今年もまた花の散ったころを見計らって寛永寺参りとなりそうな運びデス。。。

と、この言い回し、



上野山の桜と蜀山人の歌

の加筆部を丸写ししました。
一度ならず二度…までも…

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お花見

2006年03月07日 07時02分26秒 | 桜 - 3月
花見花札3月は桜。
旧暦表示のあるカレンダーで投稿日付を旧暦日に見つけた日前後のお休みの日、実際にお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか?
今日は趣向を変えまして、東京は上野公園の桜散策としゃれこみましょう。

まずはお山の辺りから。

  井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔
  
秋色桜ですねえ。江戸情緒が感じられます。
作者・秋色こと、菓子屋お秋は、この句を詠んだとき、なんとなんと数え年13歳だったとか!
びっくりです。

さてさて坂を下りますれば、同じく江戸のびっくり人間・蜀山人の歌碑が鎮座まします。

  一めんの 花は碁盤の 上野山 黒門前に かかる志ら雲

原文は最後『しら雲』ですが、歌碑を見る限り表記のように見えましたのでそのまま記します。
流石は蜀山人、『一めん』に碁盤面を匂わせ、白と黒とを織り込んでますね。
黒門(町)は今はなくなってしまった地名、所謂アキバの北部あたりのことです。

囲碁も江戸時代に盛んだったボードゲームです。
花札とは少々趣を異にし偶発性に左右されません。純然たるサシ勝負といえますか、だから喧嘩が絶えない。
同系ゲームの代表例は将棋ですよねえ。

ただし、囲碁と将棋では協議者層が異なるといわれてまして。
囲碁は旦那様のやるもの、将棋は○夫馬○のやるもの、というのがちょっと前の常識だったとか。
理由を述べよ、と問われて明確に答えられる人いる?

と、これらの言い回し、



ホント、季節感のないこのblog
上野山の桜と蜀山人の歌
サイトオーナーの方にも読んでいただけてるようで (三度=みたび)


を次々に丸写ししました。

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滅びの美学

2006年03月06日 21時19分28秒 | 桜 - 3月
刺青判官再三書いてますように、桜の花がウケるのはバッと咲いてパッと散るから。
「咲いた花なら散るのは覚悟」、これもある種の『滅びの美学』でしょう。
あー、今日はあまり触れたくない話題に発展させてみますか。

その潔さから、桜吹雪は博徒たちが好んで彫る刺青の図柄ですよねえ。
待ってました! ご存知『刺青判官』!
「この金さんの桜吹雪、散らせるものなら散らしてみな!」
そういえば、銭形平次の投げ銭よろしく、金さんが花札飛ばしをやっていたシリーズもありましたっけ。

『遠山の金さん』こと江戸北町奉行・遠山左衛門尉景元。
恩ある弟に家督を継がせるため、わざと無頼の徒と交わり墨を入れて身体を汚した人ですよね。
江戸末期の名奉行といて現在まで語り継がれています。
まあ実際は、時の南町奉行・鳥井甲斐守があまりにも評判が悪かったために江戸っ子たちの支持を集められたんですけどね。
それでも反骨の政治家であったことだけは確かでしょう。

それに引き換え、投稿日付に拘りなく本日、記者会見をした某野党議員
なんですか、あれ!?
あの未練な物言いはなんですかいな~
官僚じゃないんですよ。
野党なんだから、野人の心意気で政治にあたって欲しいものです。

そうですよ。
別に政治生命を絶たれても実際に死ぬわけではないんですから。
これが、本当に死んでしまうとなると…
歌を行きましょう。

   春さらば 挿頭にせむと わが思(も)ひし 櫻の花は 散りにけるかも

万葉集巻十六には雑歌が収録されてます。
評掲の三七八六も「由縁ある雑歌」として、歌物語風に収められてるものです。

なんでも、昔、櫻児というおとめがいて、二人の男が求婚し、共に命をかけて争うので、進退窮まって首を吊って死んでしまった。
そのあとに遺された二人の男は悲しみにくれて、それぞれ嘆きの歌を詠んだ。
そのひとつですか。

それにしてもですよ。
三角関係ぐらいで自殺するなっちゅーの!
温存ネタとしてとっておきたいため敢えて名は出しませんが、万葉にはもっとメジャーな同類♀が登場するでしょう。
最後の最後まで生きようとしなければねえ。
少なくとも滅びの美学として後人のこころを打つことなどありえないでしょう。

と、この言い回し、



そうそう、単に「花」と言ったら桜の花のことを意味する、これが昔からのルールです。

を丸写ししました。

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頼朝と日本コンベンションセンター

2006年03月05日 19時37分11秒 | 桜 - 3月
桜20
 世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

お花見が待ちどおしい今日この頃です。
花札の20点札のように幔幕を張り巡らして花を愛でることができたら、もう最高ですよ。

ときに幕張という地名はご存知でしょう?
近年急激に全国区になってきたこの地名。なんか変な響きですね。
メッセがあるのは、まあ埋立地なのですが、元々の幕張は奥地の方はお狩場の出来るような場所柄です。
狩のために幕を張ったから幕張だ、という説もありますが、どちらかというと少数説です。

ここで、話は源頼朝の伝記になります。
初戦で敗れた頼朝は房総、今の千葉県に逃れ再起を計るんですよねえ。
千葉県には多くの頼朝伝説が残っています。

もてなしてくれたある村のお百姓さんに頼朝は、褒美として苗字を与えようといいます。
「いえいえ、手前どもは百姓でごぜえますから、そのようなものは…」
「そうか、バカ」

ソウカさんとかクサカさんとかいう苗字は地に多いですよ。
そうなんですよ。その村のお百姓さんは、「そうか、バカ」を貰った苗字だと思いこんでしまったんですよ。
『バカ』なんて苗字じゃ流石にかっこ悪くて敵いませんから、『馬加 = ウマカ』ですね。
見事な(広義)重箱読み(湯桶読み)ですけど、草加(ソウカ)を草加(クサカ)と読むのもありですからねえ。

苗字はやがて地名に、これは万国共通の法則です。

 馬加 → 両方訓読みにすれば『マクワリ』 → マクハリ

お分かりになりましたでしょう? 『幕張』の話をしてたんですよ。
こっちの説の方が有力です。
事実、昭和31年に千葉郡幕張町が千葉市に編入される前までの幕張の中心部は『幕張町馬加』でしたから。 

もうひとつ同じく房総の頼朝伝説で、仁右衛門島の話をご紹介しましょう。
仁右衛門島…
南房・鴨川沖にちまりと存在する小島で、代々仁右衛門を称する頭首の私有地です。

石橋山の合戦で破れ、房総に逃れてきた頼朝、与力してくれたご先祖仁右衛門にこういいます。
「安房一国をくれてやろう」
と。

ところが、口頭での契約とは齟齬が生じやすいもの。
仁右衛門は「安房一国」を「粟一石」と聞き違えてしまうのです。
うーん、同音。アクセントも同じ。

そんなもの、もらっても仕方がない、それよりも沖に見える小島でももらったほうがマシ、と考えた仁右衛門はそう申し出ます。
欲のない奴と思いつつ承諾 (まー当然ですわ、真部分集合ですからねえ) する頼朝。
そして、現在に至ります。


と、この言い回し、



これであってたかなあ? ソースは記憶だけ

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

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