過去をふりかえり、未来へ

思い出せるだけのことを思い出し、書き綴る場所

川越祭り~川越城・喜多院~

2008-10-19 23:50:00 | Weblog
この日、行ってきました。

本来の目的は21日に改修工事に入り、しばらく
見られなくなる川越城本丸御殿を見ることでしたが、
ちょうどこの時期は川越祭りに重なっており、
(たぶん工事の方をここにあわせたのでしょうか?)
同時に祭り見物も兼ねることとなりました。

まずは駅前通りから祭りを見物しながら歩くことに。
さすがに大変な人出と、多くの屋台が並んでいました。



上記の画像は俵藤太秀郷(左)と小狐丸(右)の山車。
どちらも県指定文化財に登録されています。

山車はこれらを含めて15あるそうですが、
出逢えたのは残念ながら半分くらいでした。

次に川越城へ。



御殿は江戸時代後期(1848)に創建されたもので、すでに戦の時代の
城郭とは趣を異にしていました。
内部は川越城の歴史について展示がなされていましたが、さすがに
所々痛んでおり、改修はやむを得ないのかなあと思います。

城を出てからは喜多院へ。
天海上人ゆかりの寺院です。



こちらは江戸城から移築された「家光誕生の間」「春日局間」などが
あり、歴史を感じさせます。
また、敷地内には「五百羅漢像」があり、表情豊かな羅漢像が
合計538体ありました。

おまけ

川越市役所前の太田道灌像



喜多院前の天海像



喜多院裏のどろぼうばし



喜多院に町奉行の手が及ばないことを知った盗賊が
この橋を渡って敷地内に逃げてきたところ、寺僧に諭され
寺院の厄除元三大師に祈り真人間として立ち直ったとの
伝承があるそうです。

そう聞くと逆方向には渡りずらいものがありましたが、
現実にはそんな案内板気にせず渡っている人ばかりでした。

播磨城めぐり ~赤穂城・姫路城・明石城~

2008-10-12 02:24:08 | Weblog
最近週末ごとに消化している100城めぐりですが、
この日は播磨に目標を定め、行ってきました。
ルートは赤穂城→姫路城→明石城の順です。

まず赤穂城。「忠臣蔵」のふるさとです。
赤穂駅から城までは徒歩15分ほどですが、その間に義士が祀られている
花岳寺がありましたので、そこに立ち寄りました。




寺は正保2(1645)年創立で、赤穂の藩主となった浅野家、永井家、森家の
菩提寺です。
最初「義士が祀られている」と聞いたとき、「たしか品川の泉岳寺にお墓が
あったのでは・・?」と思いましたが、よくよく確認すると、義士の37回忌に
あたって遺髪を納め、墓を建立したようです。

寺をあとにして、目的の赤穂城へ。
写真は大手門外



こちらは本丸外
(一見地面のように見える緑色の部分は一面水草で、注意を促す
立て札がありました。)



特徴的なのは、郭の周囲を直線ではなく所々入り組ませることで
防御機能を高めていることです。
本丸の天守台には天守閣は建てられなかったようですが、甲州流軍学を
参考に縄張りされたこの城は、1600年代半ばに建てられた割には
かなり実戦的なものでした。
城の引渡しが決まった時、純粋にこの城を渡したくないと考えた
浅野家の家臣はさぞ多かったのではと思いました。

赤穂の次は姫路。
いわずもがなの世界遺産。



連休中ということもあり、外国の人も含め満員御礼状態。
人ごみにまぎれているのも嫌だったので、ひととおり廻るのみで
細かく観察はしませんでした。

それにしても連立式天守の美しさといい、その周囲の勾配を生かした
門や櫓や土塀の構成の見事さといい、見事としか言い様がありません。
他のいろいろな城を廻った後、改めてもう一度見てみたいとも思いました。

姫路の次は明石城
駅のプラットホームからすぐ見える2つの櫓が特徴的な城郭です。
城跡は公園になっていまして、当日はイベントで賑わっておりました。



天守は土台のみであったようですが、
その前方に配置される2つの櫓と、その下方の高石垣が
近くから見るととても興味深かったです。



城廻りを終えたのち、神戸南京町をめぐりラーメンや肉まんをつっつき
帰路につきました。
                              (10月15日記)

緒方拳氏逝去

2008-10-07 23:50:00 | Weblog
10月5日とのこと。
つい最近まで活動していたと思っていたので、
びっくりしましたし、本当に残念。

個人的にはよく見ていた大河ドラマ『毛利元就』の
尼子経久役と、『風林火山』(つい昨年!)の
宇佐美定満みたいな謀将役が真っ先に思い浮かびますが、
どちらも主人公の敵でありながら、人間的な奥深さを感じさせ
味わいあるキャラクターだったのが印象的です。

とにかく雰囲気・存在感だけで魅せられる
かっこいい役者さんでした。




北条攻め ~山中城・小田原城・石垣山一夜城~

2008-10-05 21:45:00 | Weblog
先週やっと9つを数えた100城ツアー。
今週末はタイトルに関連ある城、
山中城、小田原城、石垣一夜城とめぐってきました。

まずは山中城。
天正18(1590)年3月29日、ここに立て籠もる北条勢4千は
4万の豊臣勢の猛攻撃に遭い、城主松田康長が討たれるなど
わずか半日で総崩れとなった歴史があります。

場所は伊豆の三島駅からバスで30分ほど相模方面へ
国道1号線を遡った処。まさに箱根越え手前の
最前線に位置しています。

売店でスタンプを押し、寒ざらし団子を食べてから
スタート。1時間半ほどで廻りました。



城郭は1号線を挟み2つの部分から成り立っていますが、メインは
山側。こちらに本丸、二の丸など主要な郭が集まっています。
全体的にだいぶ整備されていて、季節柄ちょっとしたお散歩コースと
してもよかったです。

見所はやはり郭を囲む障子堀。



障子とは、堀底を仕切る障害物であり、山城において
用いられるようですが、ここでは、これでもか、というほど
全体的に障子と堀との対比が印象的でした。
(本来は関東ローム層の土面がむき出しだったようですが)
建物や石垣こそありませんが、興味深い城です。

お次は小田原城。
本来なら攻め手は石垣山に進出するべきですが、
スタンプ対象の城であり、見学時間が計算できるこちらを
先にまわしました。



全体的に以前見学したことがあったので、本日はスタンプのある
天守閣のみ。
内部には外郎など小田原の産業や、後北条氏、鉄砲などの武器に
ついての展示がありました。

天守最上階からは西北の石垣山の位置を確認。

見学を終えてから、早川駅に移動し、石垣山へ
登城を開始しました。



タクシーの誘惑を振り切って、上記のような坂を
40分ほどかけて登りました。
途中、向かって左手には、「石垣山に参陣した武将たち」
と題された案内板が8つ間隔をおいて設置されており
飽きさせない工夫がなされています。

ちなみにその8つは堀秀政、伊達政宗、宇喜多秀家、羽柴秀次
徳川家康、千利休(武将?)、淀殿(武将?しかも女性だし)、
ラストの一夜城入り口に豊臣秀吉、となってました。

さて一夜城。
もっとチャチなイメージを持ってましたが、とんでもない。
郭跡といい、石垣といい、ずいぶん本格的な城でした。
しかも標高約280mの高台。小田原城とその周辺を
全体的に見晴らすことが可能で、ここに本陣が置かれた
状況を考えると、北条方は相当なプレッシャーを
受けたであろうことが想像できます。



やはり現地は見るべきだなと感じた一日でした。


おまけ

(1)小田原駅前の北条早雲像


(2)小田原城本丸の象


(3)早川駅付近にある、日本一低い?らしい信号