早朝と夕刻、
一日の始まりと終わり、
こんな景色を見ながら毎日が過ぎていく。
9年ぶりに北海道に上陸した台風。
庭のコスモスの半分以上が倒れ、鉢植えの花たちは精彩を欠き、
今日もなお雨が降り、庭から夏の趣きが消えた。
8月が終わる。
それは夏の終焉。
あっという間に秋風が吹き、あっという間に冬の予感がやってくる。
北海道の短い夏。
10日に横浜から小4、小2の孫が2人だけでやってきて、空港で2人を待つ間に、義母が急変との報あり。
来た早々2人を自宅で留守番をさせ、病院へと急ぎ、翌朝には帰らぬ人となった。
通夜、告別式と続き、孫2人と約束の旅行はキャンセル。
合間に、プール、カラオケなどなど連れて行き、せわしなく終わった今年の夏。
互いの両親はいなくなった。
今度は私たちの番?
まだまだこの世が愛おしい。
苦しまずにあの世にいきたいものだ。
夏の終焉は花々の終焉でもある。
雨がやんだら、来季の庭作りプランを思い描きながら、ばちばち片付けをしなくては。
トンボがやってきた。
自然は正直。
自然の営みに逆らわず、素直に季節と向き合わなくちゃ。
ババが入居しているグループホームから、嘔吐あり腸閉塞で近医に入院しましたと連絡あり。それから数時間後、苫小牧の病院に急きょ転院。行くとあっちこっちにチューブをつけ苦しむババの姿があった。
大腸癌からの腸閉塞。夜が明け、ババは旅立った。
数年前にこんなことを書いていた。
埼玉では教師の娘として厳しい躾をうけ、卒業後は銀座で働いていたこともあったば~ちゃん。
近所に住むじ~ちゃんと知り合い結婚。三男のじ~ちゃんは、ある日、役場で北海道開拓民募集の記事を見て移住を決心。
ば~ちゃんの親は大反対だった。〝嫌だったら連いて来なくてもいい、ひとりで行くから〟とじ~ちゃんの意思は固く、一家での北海道移住が決まった。
1953年4月1日、汽車で埼玉から青森まで、青森から青函連絡船(洞爺丸)に乗船し津軽海峡を渡り、函館で降船。函館から汽車で追分まで。
長い長い道のりを経て、4月2日、じ~ちゃん(32歳)ば~ちゃんは(27歳)4歳(義兄)と2歳(夫)の4人は、埼玉から他の4家族と共に追分に開拓民として入植した。
54才のババが書いた文章があった。
4月だというのに、肌をさす、痛いような風が身を突き抜けていった。
道らしき道はなく、木々の中をぬってたどり着いた、自分達がこれから開墾する土地を見たときの驚き。
〝ここです。〟と言われた場所は木にロープで囲いがしてあるだけの、見渡す限り未開の原生林。
話には聞いていたがここまでとは・・・・・
不安と恐怖に見舞われました。
4家族は町の労働会館で、自分達の住まいが出来るまで共に暮らしていました。
子供を連れ、毎日毎日、日が暮れるまで真っ黒になって、せめて自分達の家をと、必死で鋸で大木を切り倒し、一鍬一鍬、大きな根っこを掘り出し、開墾していきました。
やがてそれぞれの家族は自分の土地に落ち着きました。
出来上がった我が家。
それは左右から柱を斜めに立て屋根を作り、その上に、葦や笹などの草木で屋根を覆い周囲も草木で囲った拝み小屋(おがみごや)で、出入り口はムシロを2枚ぶら下げただけの粗末なものでした。もちろん電気なんかないランプ生活。
床は土のままで、野草や笹を敷き、さらにその上にムシロを敷き、台所は流し台と水桶と、食器などを置く粗末な戸棚があるだけでした。暖房は炉で大木の根を燃やし、煙突がないので、煙がいつも部屋に充満していました。
それが待ちに待った家族4人の住む家でした。
ついこの間までは親の元で身の不自由なく暮らしていたのに、なぜこのような思いをしているのか、思えば思うほど涙がこみ上げ、仕事も手につかず大きな木の下で泣いていました。
親の反対を押し切ってここに来た。でもほんとうに厳しい。もうだめだ!内地に帰りたい!
母の顔が何度も浮かび、〝お母さん~!〟大きな声で叫びました。
戻れない・・・・・
今更泣き言を言っても、もう遅い。頑張れ!と自分の心を叱りつけ、一日も早く安定した生活ができる様に、畑を作って家族が食べていけるようにと、来る日も来る日も開墾に明け暮れました。
割り当てられた土地は5町(この数字は記憶が定かではない。15000坪)、一畝(いっせ)(30坪)を開墾すると役場から測量に来て、お金がもらえるのだが、利子がつくのでお金がある人は一年後にまとめてもらっていた。
町までの買い物。
狭い道路(これも開拓の人達で作ったもの)、険しい坂道を登り降りし、側には川が流れ、大きな丸太が横たわりその上をやっと渡り、町に出るが、帰りが遅くなると何時熊が出るかそればかりが心配だった。
開墾には夫婦ふたりだけの労働では到底叶うものではなく、
親子馬を買った。よく働いてくれた。
せめて子供達には暖かいセーターをと綿羊も買い、
豚も買い、大きくして売ったもんだ。
鶏も買い、町に卵を売りに行った。
お金が掛かることばかりだったが、少しでも安定した生活をと必死で働いた。
開墾で疲れた足を休むことなく、あちらの草こちらの草とつなぎ替えて食べさせていたのに・・・・
ある日熊が出て綿羊2頭が食われてしまい、
ある年は大冷害に見舞われ一夜にして豆が全滅。
大事な働き手の馬も伝貧にかかって、親子共々連れて行かれてしまった。
どうして! なんでなの!
根気を失ってしまいそうでした。
今ここで弱音を吐いてはいられない。内地の親に逢わす顔がない。立派な農家にならなければと心に言い聞かせながら、つらいこと、悲しいこと、寂しいことをじっと我慢してこらえました
すべてを開墾するのにどれだけの年月を費やしただろうか。
開墾が終わると今度は土地代を払わなくてはいけない。
払うお金が無いと、土地を売って払う。
血の滲むような思いで必死で開墾した土地を・・・・
今、長男は開墾した土地で園芸農家を、次男はサラリーマンを辞め、メロン作りを継ぎ、北海道で生まれ育った娘も農家に嫁ぎ、子供達全員が農業にたずさわっている。
言葉では言い尽くせない辛苦の毎日。
今ではすっかり昔話になっている。
ボタンひとつで自由になる文化生活、なにかいたましく感じるのは私だけでしょうか。
※ば~ちゃんたちが乗ってきた「洞爺丸」は翌年9月26日、函館湾七重浜近くで横転転覆座礁し、1,331名の内、死者1,172名の大惨事となった。
北海道への移住が推奨されたのは本土での余剰人口の受け入れ先としてとも聞く。北海道は寒冷地、山地、火山灰地、低湿地、泥炭地などで農耕には不向きの土地。冬の寒さも厳しく、獣害もあり、農業経営に失敗し、冬の寒さに耐え切れずに夜逃げをする移住者も後を絶たず、北海道の開拓の歴史は極めて過酷なものだったようだ。今日、食の北海道と呼ばれるまでになったのは先人の苦労があったからこそ。労働力さえつぎ込めば開拓できるほど甘い状況では無かった。
辛苦をなめ尽くし、開拓に人生を賭けたじ~ちゃんとば~ちゃん。
ババが認知症になっていなかったら、本州の転勤に赴き定年を迎え、淡々とした生活が待っていただろう。
ババのおかげでメロン栽培をし、リサイクルショップを開き、摩訶不思議な思いもしない北海道での生活があった。
ババが北海道に導いてくれたんだね。
今、ジジとババはふたり寄り添い穏やかな時間を過ごしている事だろう。
ババ、ありがとう!
今日もいい天気だなあ~
早朝、寝床から見えるオレンジの光。
“起きなくっちゃ!”
いつもの見慣れた景色だけど、いつもの景色じゃない。
無人になった農家。
朝露が宝石のように光り輝やく土手の雑草。
野花がいつのまにそっと咲き、
畑のキャベツが大きくなって、
鳥たちのさえずりが聞こえ、
空がこんなに広いなんて知らなかった。
建物がじゃましていたんだね。
横浜から北海道。
もう北海道を離れられない。
日曜日の朝は早い。
土曜、日曜、ゴルフ場バイトの夫は4時半出勤。
夫を送り出し、散歩開始!
まだ人の息の混じっていない清澄な朝の空気の中、朝陽に向かって自転車を走らせる。
乳白色の夜明けが闇をとかし始め、朝焼けが東の空に広がり始める。
早朝の空は変わり身が早い。
そのわずかの変わり身を見られる幸せ。
思わず朝陽に合掌。
“今日も一日、いい日でありますように。”
去年のこぼれ種から大きくなって、私の背丈を超えた。
咲くのを楽しみにしていたんだけど、
太い幹の割には花が小さい。
去年はすご~く大きかったんだ。
たい肥が少なかったからね。
でも、
嬉し。
ひまわり、大好きなんだ。
朝5時、心が浮き立つほどの真っ青な空。
空気が美味しい。
刈り取られた小麦、そろそろ収穫を待つじゃが芋、きゃべつ、豆、ビートなどなどが朝陽を浴びて気持ちよさそう。
大型犬の6歳アイリッシュセッターのチャチャは毛がなびくほどの疾走。速い! 家に戻るとハウスの前に座り、大好きなきゅうりを待つ。
15歳のモコは白内障とちょっと耳が遠いけど、うさぎのようにピョンピョン元気いっぱい。
中型犬の6歳風太は、4時半頃になると“早く外へ行こうよ~”と起こしにかかり、着替え始めると、ぴょんぴょん飛び跳ね嬉しさ爆発。
運動量がそれぞれ違うので、別々に散歩。
この子たちのおかげで、早朝の爽やかさを身体いっぱい感じ、早朝の運動をたくさんさせてもらい、
感謝、感謝。ありがとう。
どの子も散歩が大好き。
明日も今日のような空が見えるといいなあ~
水中展望船に乗船。
船底から海の中を覗き、ふわふわ浮いているクラゲや魚に出会い、
デッキではパンのミミを手渡され、小さくちぎるのが面倒なので、容器ごとカモメさんに“はい、どうぞ!”
40分1400円。安いよね。
積丹ブルーに魅せられ今年も来たけど、空の色も海の色もいまいちでちょっと残念。(涙)
それでも、気持ちよい海風を感じてきた。
8月末までウニ漁解禁で、積丹の町にはあちらこちらに“美味しいウニがあるよ~食べにおいで~”と誘う、のぼり旗が立ち並んでいるけど、目もくれず。
以前、旦那がウニを食べ過ぎてお腹のあんばいが悪くなり、以来口にせず、まあ~それに付き合っているって感じかな。
コレステロールも高いし・・
ウニは別として、
積丹の海は最高!
好きだな~
10日間呑んでいない。
この暑い時期、
冷たいビールは 最高! なのに、
堪えている。
なんの事はない。
10日前にさんざん呑んだから、
呑み過ぎたから、(生ビール9杯かな?)
記憶がなくなっているから、
いい年のおばさんがみっともないよね。
だから、
堪えている。
節度ある飲み方をしなくては。
と思って・・
今日解禁。
積丹の蕎麦屋で、板わさ、焼きのり、蕎麦みそ、茄子びたしを肴にちょっと一杯。
(冷酒一合だけ)
それだけで終わった節度ある今日の真知子であった・・・
えかった・・・・
札幌に住む息子がやってきた。
帰り際、庭を見ながら、
“花、頑張ってるじゃん。”
庭を花いっぱいにしたくて、納得できる庭作りをしたくて、今、一番頑張っていることだったから。
とってもとっても嬉しかった。
いくつになっても、
頑張っていることを、口に出して褒めてもらえると、
キュンってなっちゃう。
口に出して言うってとっても大事だね。大切だね。
頑張っているのはわかっているからって、
黙っているより、声に出したほうがず~~~といいよ。
こんな息子を誇りに思う。
息子よ、ありがとう!
か~ちゃん、嬉しかったよ。
今の住まいに移ってから知り合いが一人もおらず、仲間作りをしよう!とFBをやり始めて一年。
知り合いが増えた。
いいな~って思った。
こんな人、あんな人、
職業も、楽しみ方も違う。
仲間作りを上手にしているな~、楽しんでいるな~って思う。
私は何を楽しんでいるかな~
何かに熱くなっているかな~
何かしているかな~
仲間かぁ・・・
気のおけない仲間って楽しいよね。
同年輩の女性方も楽しそうに仲良くおしゃべりしている姿をよく見かける。
楽しそうだな~って思うけど・・・
すっと心が入っていける人になかなか出会えない。
出会いたくて、色々な方のFBをのぞくのだけど・・
歌の文句にあったよね。
♪ひとりでもいい わかってくれる友あれば~♪
世の中沢山の人がいるのに、
私は何を探しているんだろう。
人が恋しいのに、
人が煩わしく、
人と出会いたいのに、
横を向いて、
我ままなのかな~