万歩径

一万歩

熊野古道なかへじ美術館

2017-06-16 09:32:13 | 日記

なかへじ美術館

 

平成10年(1998年)に熊野古道 近露王子(ちかつゆおうじ)の近くに

中辺路町立美術館として設立されたが

平成17年(2005年)市町村合併で田辺市となり

田辺市立美術館の分館として再スタートした

 

展示室周辺は全面ガラス張りになっているので

中辺路の美しい景観を絵画のように鑑賞できる 

設計はブリッカー賞受賞の妹島和世氏と西沢立衛氏の作品

 

紀伊田辺駅から新宮行きバスに約1時間強乗り

なかへじ美術館前で下車

 

<なかへじ美術館前バス停>

 

<美術館ゲート>

 

<美術館正面>

今回は特別展「没後20年 脇村芳太郎のコレクション」展を見に行った

脇村氏(1990-1997)は田辺市出身の元東京帝国大学教授

神奈川県立美術館、東京都美術館をはじめ多くの美術館の運営に関与

脇村奨学会を設立して南紀出身の人材育成育成に努め

主に和歌山県出身作家の作品をコレクションしていた

脇村家は熊野の山林業資産家

 

<美術館裏面:ガラス張りの交流スペース側>

 

<美術館裏面側 光景>

早春には美術館裏側の日置川に霧が発生して幻想的な情景になるそうです

 

<ガラス張りの交流スペース>

 

<近露王子バス停>

 

<近露王子>

 

 

<野長瀬家の枝垂れ桜>

春には花見で賑わう一角

 

 

<古道歩きの里 ちかつゆ>

平成22年(2010年)にオープン

古道歩き案内所、お土産屋、食事処、A coop などがある

 

古代から中世にかけて熊野三山信仰が高まり

上皇 法王が100回も巡礼した熊野古道 

「蟻の熊野詣」と言われる位、庶民も含め多くの参詣で賑わっていた 

 

今は外国人グループの古道歩きが盛んで

平日にも関わらず行きのバスで2組一緒でした 

このルートの路線バスドライバー 英語が結構達者でした

 

東京からの若い日本人女性一人歩きにも出会いました

私も10年前だったら歩けたと思いますが、もう 山道は無理です

 

今日の万歩計は13,276歩でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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鳥の巣半島(田辺市)散策

2017-06-13 22:47:18 | 日記

鳥の巣半島散策

 

田辺湾西南に突き出した鳥の巣半島を

内之浦港から入り島内縦断路を半島先端まで行き

小型車一台がぎりぎり通れる海沿いの道を

かなり強い海風に吹かれて田辺側を周回した

(白浜側道路は途中で行き止まり)

 

<白浜道路からの半島入口>

 

<半島内道案内版>

 

<島内集落道>

 

<半島先端標識>

左 白浜方面行き止まり、

右 泥岩岩脈群(田辺側)

 

<半島内神社>

 

<廃屋>

 

<泥岩岩脈群の一部>

泥岩脈は国の天然記念物に指定されている

先に見えるのは「神島」(天然記念物)

(神島については 2017/6/8 「知の巨人 南方熊楠 その4 ⑩」を参照ください)

 

<海沿いの道>

遠景に田辺市内が見える

 

<ボートライセンス スクール>

 

<燃え残った真っ黒な廃船>

周りの樹木も黒く焼けている  どうしたのかな?

 

<道路沿い渚の建造物基礎跡>

何が建っていたのかな?

 

<鳥の巣平和公園>

太平洋戦争末期に特攻基地として

特攻艇「震洋}人間魚雷「回天」の基地跡に格納洞窟が三つあり、、

その一つに特攻艇「震洋」の復刻版が収納されている

2015年4月に鶏の巣平和公園として開園された

 

<鳥の巣平和公園>

公園設立記念碑と洞窟の一つ

 

<特攻艇基地跡>

洞窟の中に特攻艇「震洋」の復刻版が収納されている

 

<平和公園資料館>

入口に寄付金箱があったので入館料として寸志を寄付

 

<平和公園資料館内部>

 

 

このような風光明媚な静かなところにも

太平洋戦争の遺跡があったとは驚きだった

 

今日の万歩計は16,915歩でした

 

 

 

 

 

 

 

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道成寺から御坊を歩く

2017-06-11 17:12:24 | 日記

道成寺から御坊を歩く

 

前々から一度訪れてみたいと思っていた道成寺、御坊を独り歩きした

JR紀伊田辺からJR道成寺(無人駅)まで約40分 普通電車に乗り

のんびりツアーを楽しんだ

駅前は無人状態だが、参道に出ると団体バスでにぎわっていた

 

<道成寺駅ホーム>

 

<道成寺駅舎>

 

<参道>

 

<道成寺仁王門から本堂>

ご本尊は千手観世音菩薩(国宝)

 

縁起堂で道成寺縁起の写本を広げて

安珍・清姫の絵とき説法と宝仏殿の仏像群の説明を受けた

暫し静謐の時を過ごした

 

絵とき説法は

道成寺は安珍・清姫の伝説ともう一つ宮子姫の伝承

 

宮子姫 伝承

宮子姫は髪の毛のなかった女の子が

海から拾い上げた観音様を拝むうち、

髪長姫と呼ばれるほどの美しい黒髪の持ち主として成長

その噂が都に聞こえ文武天皇の妃となり、聖武天皇を生んだ

文武天皇の勅願で大宝元年(701年)に法相宗道成寺を開眼

 

安珍清姫物語

延長6年(928年に今の福島県白河市から来た安珍坊が

田辺の清姫に追いかけられ、

最後に道成寺の鐘つき堂で清姫が大蛇になり

焼き殺し清姫も自殺したという悲恋物語

 

 

<安珍塚>

安珍の亡骸を三重塔の前に葬り安珍塚を作った

清姫の恨みでねじれた木が生えている

 

<鐘楼跡>

二代目鐘楼は京都妙満寺に奉納されておりここにはない

 

<三重塔>

 

<宝仏殿>

国宝および国宝級の仏像二十数体が祀られている

 

<宝仏殿と稲荷神社>

 

<念仏堂>

 

<本堂裏>

 

<閻魔堂>

 

<仁王門から参道を望む>

 

<蛇塚>

境内を出た畑の一角に祀られている

 

<国道42号線>

道成寺から国道42号線をJR御坊駅間で歩く

 

<JR御坊駅>

 

<紀州鉄道>

1928年設立1931年開業の紀州鉄道

JR御坊駅から離れた御坊市街地との2.7kmを連絡する日本有数のミニ鉄道

今は通勤通学と観光鉄道として利用されている

 

JR御坊駅0番線から乗車

 

<紀州鉄道学問駅>

 

<寺内町 旧華岡青洲医院>

紀州鉄道終点の西御坊駅周辺の歴史ロマンが息づく街並みの寺内町

大正・昭和のレトロな建物が立ち並ぶ

 

今日の万歩計は15,714歩 10kmでした

 

今回は時間切れで御坊を回りきれなかったので

また、機会を見つけて日の岬あたりまで足を延ばしたい

 

遅まきながら、今後も元気なうちに和歌山県内を

「歩きゆっくり旅」で楽しみたいと思っております

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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知の巨人 南方熊楠(その4)

2017-06-08 20:51:11 | 日記

地元紙 紀伊民報 特集

「熊楠生誕150年 ゆかりの地を訪ねて」

 

5月18日が南方熊楠生誕150年になります

地元紙 紀伊民報が

「熊楠を知り、熊楠に学ぶ」

をテーマに特集を連載しました

市内外、県内外の人々にゆかりの地を訪れて

馴染んでほしいと特集しました

私も阪神間の人々にも知っていただきたいと思い

図書館で記事を転写してきました

(撮影環境が良くなかったので少し見にくいですが拡大して読んでいただければ幸いです)

 

① 那智山・大阪屋旅館

熊野古道大門坂にある生物調査、熊楠の国内最初の拠点

陰陽の滝、植物・粘菌採取

(大阪屋旅館については2017/5/4  ブログ 世界遺産補陀洛山寺をご参照ください)

 

②川湯温泉

 生物植物調査の帰りに冨士屋(当温泉で最古)で宿泊し、

河原の湯で疲れを癒した露天風呂

 

 

③継桜王子の一方杉

1904年(明治37年)に熊楠が初めてこの巨杉群を訪れていた

4年後に一村一社の神社合祀令が出され

この地域でも13の神社の合祀の結果、神社林伐採が行われたので

神社林伐採阻止運動を興し

やっと9本だけ残すことができた

 

④金刀比羅神社(白浜町)

熊楠が熊野三景の1つとして絶賛した景勝地

 

⑤田中神社(上富田町)

100年前に熊楠が熊野景勝地の一つとして保存を呼びかけ

神社分祀から守った神社と森

 

⑥報恩寺

1902年(明治35年)にクサソテツ(山菜名コゴミ)の自生を発見した場所

豊富なシダ類が今も健在

 

⑦高山寺

1907年(明治40年)稲荷神社への合祀に伴い

神社林が伐採されたことが契機で合祀反対の先駆けとなり

神社合祀反対運動の発火点となった

なお、当地は熊楠の恰好の研究観察地であった

 

熊楠の墓は菩提寺の高山寺で親友の

和歌山中学の同級生喜多幅武三郎(田辺で医院を開業)と向いあっている

 

⑧伊作田稲荷神社

町を見下ろす神の森

粘菌採取のために、何回も訪れている神社で

今もシイを中心とした神社林が自然のまま残っている

 

⑨闘鶏神社(昨年世界遺産に登録)

神社本殿裏の仮庵(かりほ)山は熊楠の植物研究の拠点だった

平地で類を見ない密林で今も立ち入り禁止になっている

なお、熊楠夫人(松枝)はこの神社の当時の宮司の娘

 

源平合戦で熊野別当湛山が紅白の鶏を戦わせ源氏に味方したことでも有名な神社

(闘鶏神社については2016/4/8ブログ 弁慶ゆかりの史跡めぐりをご参照ください)

 

⑩神島(かしま)

内之浦 鳥の巣半島の沖合200mにある無人島で

おやま、こやまの2島

因みに自室から左前方500m位のところに見えます

 

熊楠が「この森こそ南西日本の自然の原野」と言って

保全に尽力天然記念物に指定されている

特徴的な植物はハカマカズラ

1909年(昭和4年)に昭和天皇行幸に熊楠が御進講

それを記念した碑が建てられている

 

 

<こぼれ話>

県外からの移住者にとって地方紙は情報の宝の山

特に「紀伊民報」は

南紀の歴史・文化・行事など詳細にレポートされており

貴重な情報源、行動指針です

大手お抱え一般紙をやめ、近々購読契約の予定

 

都会に住んでいた私は今まで感じていなかった地元地方紙の存在感を痛感!

購読契約をして皆で盛り立て支援しなくてはいけませんね

 

 

 

 

 

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京都散策 24,000歩

2017-05-31 20:42:45 | 日記

京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴

 

寿目前の中高の同級生8名で快晴の京都散策をした

地下鉄今出川から最終地の地下鉄東山三条まで歩き

JR京都駅経由JR大阪駅まで帰ってきた

 

散策ルートは

京都御所・京都迎賓館・銀閣寺・哲学の道・無鄰菴

24,000歩 よく頑張った


<京都迎賓館>

初めてで最後になるだろう京都迎賓館

伝統的西洋建築の迎賓館赤坂離宮に対して

ここは和の伝統工芸技能を堪能させている

 

<正門>

 

<正面玄関>

平成17年(2005)4月に開館

目的は海外からの賓客を心を込めて迎え 日本への理解と友好を深めてもらこと

 

<夕映えの間>

大臣会合などの会議や立礼式のお茶のもてなし、

晩餐会の待合として使用


壁面は箱崎睦昌氏の下絵を基に

綴織りの織物

比叡山を月が照らす様を描いた「比叡月英」

 

<藤の間>

最も大きな部屋で洋食晩餐会や歓迎式典に使用される

壁面は鹿見きよみち氏の下絵を基に作られた綴織り織物

 

<桐の間>

和食を提供する「和の晩餐室」 最大24名まで会食可能

 

<庭園>

深山幽谷から流れ出る水が注ぎこむ池が

周りの建物に溶け合うように配置されている

「庭屋一如」の思想の庭

 

<廊橋>

廊橋を境に池の深さが変わり北側の池には錦鯉が放たれている

 

<和舟>

来賓に日本の文化「舟遊び」を楽しんでもらう舟溜まり

 

<銀閣寺>

銀閣寺 哲学の道は何回も訪れておりますが 今回はいつもと違う角度から拝観しました

 

室町幕府八代将軍 足利義正公の隠栖生活の場として建てられたからかもしれないが、

宗教的雰囲気は薄く 庭園観光寺の様相を感じた


 

<無鄰菴(むりんあん)>

明治・大正の元老 山形有朋の別荘で昭和16年(1941)に京都市に譲渡

昭和26年(1951)に近代の名園として国の名勝に指定された


七代目 小川冶兵衛の作庭

京都岡崎・南禅寺界隈の別荘群の先駆けとなった

明治36年(1903)4月21日 元老・山形有朋、立憲政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の

4人によって、日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた場所です


ここに来たのは初めてでしたが、外国人が沢山訪れていました

外国人は事前によく調べてきているようです

我々も足元の勉強をもっとしなきゃならないですね



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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