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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 大森町学びや 60年前の高校時代の関西修学旅行を追想するその2

2011年05月06日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2011 紫式部源氏の間           

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第2日目の旅行行程(2)
1951年の修学旅行は、当時は大森高等学校(新制高校)の昼夜間3年生との合同旅行であり、引率は佐成先生と島田先生の総勢36名でした。石山駅を降りて石山寺への歩行行程は、石山寺の開門が午前8時であるので、琵琶湖(瀬田川)周辺の風景を楽しみながら持参の2つ目のお弁当を公園で開いて朝食をとりました。

 石山寺付近地図

・石山寺
修学旅行の栞に書かれた石山寺には、「観音をほおむる源氏の間、観月亭等見るところが多い、全山書かれた 山を以ってたたれ石山寺の名がある」とあります。
開門を待って、1190年(建久元年)の建立の瓦葺きで入母屋造の参道入り口の東大門を入り、修学旅行最初の寺社見学です。東大門からまっすぐに伸びる境内の参道を進むと、石山寺(滋賀県大津市石山寺1-1-1)は、開基は良弁で747年(天平19年)の創建の東寺真言宗の寺で、寺院は山の上に建ち、本堂へは石段の参道を登って行きます。石段を登ると右手に1773年(安永2年)に建立の兜跋毘沙門天を本尊とした毘沙門堂で、正面には国の天記念物に指定の珪灰石という巨大な岩盤があり、「石山」という名称はこの硅灰石に由来しています。毘沙門堂の対面には硅灰石の崖にせり出しで慶長期に建つ蓮如堂があります。

 石山寺東大門(左)と珪灰石と多宝塔(右)

蓮如堂の右に並んで建つのは本堂(国宝)で、1078年(承暦2年)の火災焼失後、1096年(永長元年)に再建されたもので、本尊は木造如意輪観音半跏像で、厨子に納められている秘仏です。本堂の構造は、正面が7柱間隔で奥行きが4柱間隔の「正堂(しょうどう)」と、正面が9柱間隔で奥行が4柱間隔の傾斜地に建つ懸造りの「礼堂(らいどう)」の2つの寄棟造建物の間を、奥行が1柱間隔の「会の間」で結んだ複合建築です。

 石山寺本堂(左)と懸造り霊堂(右)

会の間の東端は、「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されています。
珪灰石の脇の石段を登ると多宝塔があり、1194年(建久5年)の建立で内部には快慶作の大日如来像を安置し、滋賀県下最古の建築です。後白河上皇の行幸に際して建てられたといわれる月見亭は、多宝塔の先を進み最奥の高台にあり、そこからはるかに琵琶湖を望みながら眺める」瀬田川の風景は絶景です(フォト蔵、西国第十三番石光山石山寺、日本隅々の旅全国観光名所巡り&グルメ日記参照)。

 源氏の間(左)と月見亭(右)

・三井寺
修学旅行の栞に書かれた2つめの見学場所の三井寺には、「弘文天祖帝の御所跡を寺とした、この智証大師の時、大いに栄え一時八百坊の像徒を蓄え、延暦寺と勢力を争った」とあります。
三井寺(大津市園城寺町246)は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山で、山号を「長等山(ながらさん)」と称し、開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩であり、日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所であります。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」で知られています。
石山寺からは京阪電気鉄道石山坂本線の起点駅の石山寺駅で乗車して、三井寺駅で下車します。2つ目の三井寺の参拝は、三井寺駅からは反時計廻りに周遊して、信号を左折して広大な境内地北端にある大門(仁王門)から入ります。

 三井寺拝観見学地図

仁王門は、もと近江の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を1601年(慶長6年)に徳川家康が寄進したもので、室町時代の1451年(宝徳3年)の建立と推定されています。大門を入って金堂に至る道の右側にある釈迦堂は、16世紀末 (天正年間)造営の御所清涼殿を下賜され移築したものと伝えられています。

 大門(左)と釈迦堂(右)

金堂(国宝)は、三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院が1599年(慶長4年)に再建した、入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂です。金堂の左手前にある「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る鐘堂です。この梵鐘は1602年(慶長7年)の鋳造で、日本三名鐘に数えられています。

 金堂(左)と晩鐘(右)

三重塔は、鎌倉時代末期から室町時代初期の建築で、奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、1601年(慶長6年)に徳川家康が再度移築させたもの。毘沙門堂は、1616年(元和2年)の建立と伝えられている観音堂の近くにある小堂です。

 三重塔(左)と毘沙門堂(右)

・琵琶湖疏水
三井寺を見学した後に、境内を出て塀沿いに南下して三井寺の下を流れる、第1流水の琵琶湖疏水のトンネルを見学しました。琵琶湖疏水とは、琵琶湖の湖水を、三井寺の下を通り京都市へ通ずるために作られた水路(疏水)で、禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新と東京奠都に伴い京都市は人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画。主任技術者として、大学を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ設計監督にあたらせて、第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から、鴨川合流点までと蹴上から分岐する疏水分線が完成しました。
琵琶湖疏水のトンネルを見てから、トンネルにに流れる第1流水路に沿って京阪電気鉄道石山坂本線の三井寺駅に戻り、次の見学先の比叡山へと京阪電気鉄道終点の坂本駅まで乗車しました。

 三井寺の境内の下を流れる琵琶湖疏水とトンネル入り口

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