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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(K33) 手記第3編 終戦前後目黒にて (第4回)

2006年07月09日 | 大森町界隈あれこれ 空襲
東京大空襲の記録資料(8)
今回も、「海野十三敗戦日記」抜粋を記す。

八月十一日の日記から
○ 今日は宿題を検討する予定なりしが、それよりもソ連の参戦、原子爆弾のことの方が重大となったので、このことを検討する。
八月十二日の日記から
○ 朝、英(夫人)と相談する。私としてはいろいろの場合を説明し、いろいろの手段を話した。その結果、やはり一家死ぬと決定した。
 いかなる条件を付したかわからぬが、国体護持の一点を条件とするものらしいことが、新聞面の情報局総裁談などからうかがわれる。
八月十三日の日記から
○ 十日米英、首都において緊急会議開催と、朝刊が報じている。和平申し入れが討議されているものと思われる。
八月十四日の日記から
○ 万事終わる。
八月十五日の日記から
○ 本日正午、いっさい決まる(玉音放送)恐懼の至りなり。ただ無念。
しかし私は負けたつもりはない。三千年来磨いてきた日本人は負けたりするものではない。
○ 今夜一同死ぬつもりなりしが、忙しくてすっかり疲れ、家族一同ゆっくりと顔見合すいとまもなし。よって、明日は最後の団欒してから、夜に入りて死のうと思いたり。
 くたくたになりて眠る。
八月十六日の日記から
○ 死の第二手段、夜に入るも入手出来ず、焦虜す。妻と共に泣く。明夜こそ、第三手段にて達せんとす。

玉音放送 (Wikipedia玉音放送から)
昭和20年(1945年)8月14日、御前会議においてポツダム宣言受諾が決定され、これを受けて同日夜大東亜戦争終結ノ詔書(通称:終戦の詔書)が発布された。これを昭和天皇が肉声によって朗読したものを録音し、翌日正午よりラジオ放送する事で国民に対して敗戦、降伏を広く告げる事とした。当時より、敗戦の象徴的事象として考えられてきた。


若山武義氏の手記(1946年記述) 第3編「終戦前後(目黒にて)」第4回
ソ連に対する宣戦布告と結論
さあ、一億時宗だ。日蓮にでもなんにでもなれの命令に違いないと飛び立つばかりである。
 翌十五日、「読売報知」に何か重大放送の記事があるかと探して見た
 ○ 大本営発表 八月十三日十七時
   我が潜水部隊ハ八月十二日夕刻沖縄東南海面ニ於テ大型水上機母艦ヲ攻撃、之ヲ撃沈セリ
 ○ 大本営発表 八月十四日十時三十分
   我ガ航空部隊ハ八月十三日午後鹿島灘東方二十五里ニ於テ航空母艦四隻ヲ基幹トスル敵機動部隊ノ一群ヲ
   捕捉攻撃シ航空母艦一隻 巡洋艦一隻ヲ大破炎上セシメタ
即ち悪天候を冒して我が特攻隊出撃の戦果である。いよいよ我が軍の迎撃が本格化して来たな、と判断した。

一方ソ連は朝鮮雄基、海拉蘭で我が関東軍と激戦を報じ、特に羅津及樺太に新上陸を開始せり、とある。
裏面には、「出撃を待つ我が新鋭荒鷲群」と題し、基地に、出撃命令一下まさに羽ばたきせんとする新型荒鷲数百機の威容を誇る写真である。
隣組集まって、なけなしの頭をしぼっての判断は、これ等新聞記事よりして、この重大放送を
  ソ連に対する宣戦布告
と結論したのである。

日本開闢以来の玉音放送
八月十五日朝のニュースで、本日正午
  天皇陛下御直々に御放送遊ばされる
旨繰返しての放送である。
いよいよ来る処まで来たのである。先にイタリヤ倒れ、ドイツ壊滅し、我が国は全世界を相手に孤軍奮闘、今やソ連に宣戦し、最後の力戦に、一億の民に親しくこの国難に一層の奮励を望ませ給う重大放送であらう事と推想したのである。
我が隣組でも、なるべく早くごはんをたべて集まりましょうと打合せ、一番調子のよい高田さんのラヂオを廊下に持ち出し、服装を改め整列して、静粛に時間を待った。
天子さまの御言葉を承る、何事か知らぬがとにかくお国の運命に関する重大なる事を御自ら我々庶民に追う仰せ給う、ただ何となく緊張するのみである。

 正午
 「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから、大詔を宣わらせ給うことになりました、これより謹しみて玉音を御送り申します」
国家「君が代」が静かにマイクを流れる。やがて
 詔書
 御玉音で仰せ給う、この時からラヂオの調子が急に悪くなって、全身の神経を耳に集めたが、いらいらして調節してもよく聞こえぬ。ただ
  非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セント欲シ
  朕ガ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応ゼシルニ至レル
  堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為メニ太平ヲ開カント欲ス
の処は力強く仰せ給わりハッキリと判ったが、あとは残念ながらわかりかねた。
 御玉音が終って再び「君が代」。

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