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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(29) 手記第2編 戦災日誌中野にて(第7回)

2006年06月20日 | 大森町界隈あれこれ 空襲
東京大空襲の記録資料(4)
若山武義氏手記「手記第2編 戦災日誌中野にて」も、今回の五月二十七日までで終了し、次回から「手記第3編 終戦前後(目黒にて)」を開始します。
第3編では、原子爆弾と終戦日に関する記述で、爆撃からは逃れられたが敗戦により千仞の谷底になげ込まれた上、今日迄、あまりにもまっ正直に政府と軍とを信用しきって来た我々庶民は、「ポツダム宣言」を信用出来るかなと迷わざるを得なかった。此の敗戦と云う冷厳な事実を、臨時議会での説明に、初めて愕然として驚き、真に無謀な戦いをしたものだと憤慨せざるを得ぬ。戦時中に圧制されて来た軍、官に、初めて反撥し、批判する余裕が生じたのである、と記述されております。

大空襲記録資料は、前回に続き「海野十三敗戦日記」について紹介します。
また、若山武義氏手記のハイライトである昭和二十年(1945年)四月十五日の悲惨な大森町大空襲が描かれている、海野十三敗戦日記の四月二十七日の日記から抜粋してみました。

 四月二十七日
◯この日記をしばらく休んだ。........
◯さて、休んでいた間にも、帝都への大爆撃はあった。それは去る四月十五日深更より十六日暁へかけての夜間爆撃で、蒲田、荏原、品川、大森をやられ、大小の工場がほとんど全滅したとのことだ。なおこのとき川崎もかなりの被害があった。
◯蒲田の工場は当然疎開したものと思っていたが、欲ばっていて親工場へ吸収される値段の吊上げを試みつつあり、そしてやられて元も子もなくしたものが軒並だ。個人工場の損失ではない、国家の大損失であり、猫の手さえ借りたい刻下の沖縄大決戦の折柄、戦力をそぐこと甚しい。

◯去る四月二十五日の新聞に、被害の総合結果の発表あり。
 東京  五十万戸  二百十万人
   その他省略
 「大部分焼失した区域は、浅草、本所、深川、城東、向島、蒲田」であり、「その他相当焼けた区は下谷、本郷、日本橋、神田、荒川、豊島、板橋、王子、四谷、大森、荏原、品川」である。「川崎市は市街の大部分を焼失」
◯四月十五日、十六日の夜間空襲のときはちょうど神戸の益三兄さんが泊っていて、これを見物した。その前の豊島区などの焼けたときほど大きくは見えなかったが、初め品川上空に照明弾を落としてそれからずんずん東へ南へひろがり、駒沢のが一番近く、そこへ落ちる頃はこれはいよいよ来るかなと思わせた。  

この後、空襲都日記(第一部)は、五月一、二日の日記にて終了となります。
海野十三は日記第一部を閉じ、夜ヒットラー総統死去のラジオ報道を聞き、「この騒然たる空の下、事実を拾うはなかなか困難であり、それを書き付けるは一層難事であるが、私としては出来るだけ書き残して行きたいと思う」
と、五月三日から「降伏日記(空襲都日記第二部)」を記述しはじめ、十二月三十一日まで続きます。
(次回に続く)


若山武義氏の手記(1946年記述) 第2編「戦災日誌(中野にて)」第7回
海軍記念日
翌日、航機統制会に勤務の石原君に、第二戦災記念の写真を娘と共に撮影してもらい、借りてもらったリヤカーで娘たちを連れて焼跡整理に出かけた。
途中荻窪の酒屋で「戦災者激励慰安立飲所」の看板がある。大勢行列して勢よく飲んでいる。
 「とうさんのんでおいでよ、まってるから」
娘のすすめなくとも、のどのなる処だ。早速二杯直しをひっかけて、とてもよい機嫌となった。これで死ぬ苦しみも苦労もすっとんでしまった。リヤカーにお乗りよで乗ってゆられゆられすっかりよっぱらった。
高円寺まで来ると、戦災地の焼トタンの至極お粗末なバラック三々五々。初夏の陽にはためく国旗を出して居る。
 「なんだろ、今日旗を出してさ」
 「お父さん、今日は海軍記念日よ」

ああそうか、なにもかもわすれて居た。なる程、今日は五月二十七日。想い起す四十年前、日本海に
  皇国の興廃をを此の一戦に決した日であった
  我れに無敵艦隊厳として存す
  第二、第三、幾多の東郷元帥健在なり
  軍備は制限されようとも訓練に制限はない
  我が海軍猛者の訓練は月々金々だ
神州は不滅、絶対不敗だ
  来るなら来いだ、焼くなら何度でも焼いて見ろ
  必勝の信念は焼かれないぞ
と、おやじ一人でリヤカーの上で悠然としてりきんで居る。
おやじ何を想い、何を考えようと頓着なく、前夜の苦しみなんかけろりと忘れた娘三人、朗らかに歌を謡い、足なみそろえて進み行く。

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(5月分掲載Indexへ)
前回 大森町界隈あれこれ(25) 手記第2編 戦災日誌中野にて(第6回) 
次回 大森町界隈あれこれ(K30) 手記第3編 終戦前後目黒にて (第1回) 
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