登坂車線

ピギィ

5日目

2020年04月22日 21時22分31秒 | 夏合宿
どうやら翌朝の写真を見た限り、ちゃんと神楽岡公園でテントを張って寝ていたらしい。なんせここに泊まるのは2日ぶりだったので記憶がごっちゃになっているのだが、夜トイレに行く時にふと振り返るとキタキツネが後ろを付いてきていてので追い払った。西川さんがパッキングロープ片手に猫を追いかけ回したエピソードを思い出した。別に札幌でも熊は出没するし旭川でキツネが出ても何もおかしくないなとか考えた。もう北海道も5日目。何が起きても動じぬ精神を知らぬ間に鍛えている気がした。



結局仙台まで天気の子は先送り


翌朝。起きるのが遅すぎて他にも数機あったテントはひとつも残っておらず僕だけ取り残されていた。わんちゃん先日話しかけてくれたおっちゃんがまた通らんかなとか淡い期待をしながら米を炊いて作った。



お手の物

この日の行先は全く決めていなかったので、Twitterのアンケート機能を使って決めることにした。その結果留萌まで行くことにした。本来オロロンを走ったら留萌に出る予定だったので、実質計画が一日が早まった。



こうして2日(初日もほぼ敷地内で寝たので3日)お世話になった神楽岡公園を後にした。全国各地で野宿をして回っているが、2回以上止まったことがある地点はもうもう実質実家のようなものだ。リストアップしてみると、小樽の海沿いの公園、天童、大津、甲山、御前浜、淡路、尾道、別府。これらはいずれも語り草となっているような由緒正しき場所ばかりだ。特にこの神楽岡公園については初めてテント泊をした補正もあるのだが自信を持ってオススメしたい。それぐらい思い入れのある場所になってしまった。そもそも旭川という街が好きすぎて永住を希望したい。ななみんにも会えるかもやし。そうして去年の思い出を回収しながらやっと青森に向け南下を始めた。以下写真集






LINEのカバー画像




イオンの駐輪場






終わらない終わらせない発祥の地



ふじえんから石狩川の土手を下流に向け走り始めた。旭川から札幌方面に出るには必ず神居古潭という渓谷を通ることになる。ここは自然地理的にも鉄オタ的にも魅力の詰まった場所である上にサイクリングロードもあるので、僕にはこれ以上ない最高の場所だ。去年のプレでも訪れた場所なので当然立ち寄ることにした。

入口










函館本線の旧線と旧神居古潭駅がこのように整備されており、往年の雰囲気を偲ぶことが出来る。更には昔のトンネルが残っていてそこを自転車で走ることができるのでここを通らない手は無いだろう。全国的に廃止なった線路をサイクリングロードとして整備している場所は多いが(鹿児島の吹上サイクリングロードもこれ)、ここは景色の良さも相まって僕は最高に好きだ。



数十分程でサイクリングロードは終わりそのまま深川の街まで進んだ。久々にすき家があったので昼飯にしたが高校生バイトの態度が悪すぎて笑ってた。彼は元気にやっているだろうか。更生してクビになってなければいいけど。慣れしたんだ味をあっという間に平らげ留萌に向けまた走り始めた。

ノスタルジー

深川から留萌までは50km。間に軽い峠を挟むだけの1本道だ。前日の100kmに比べたらなんてことないだろうと思っていたのがフラグだった。フラッグのエリアが変わっていたので秩父別という町のホクレンに買いに行ったが断られてしまった。これに関しては無理もない。本来ライダー向けに始めたキャンペーンなので、こんな意味のわからん装備のチャリに乗った何処の馬の骨かもわからん奴に売っていただけるでもありがたい。だが買えなかったのは初めてだったので少ししょげた。


秩父別から15km進んだところから峠に入った。この時点で左足首に少し違和感を感じていたが足だけは丈夫やし大したことないやろと言い聞かせ登り始めた。交通量も少なく道も広いので特に気にする事はなかったのだが、ペダルを回すにつれ足首の違和感は痛みに変わっていった。そして頂上に着く頃には激痛のあまり路肩に倒れ込んでしまった。

留萌市に入った

考えはいくつかあった。幸い道沿いには留萌本線が通っていたので留萌か深川まで輪行、無理矢理自走、もしくは吉川さん理論で乗っけて行ってもらう。まず人見知り陰キャな上におじさん受けも良くない(知らんけど)僕には3つめの選択肢は消えた。輪行するか自走するか。この地点から留萌の街までは20kmちょっと、下り坂ならなんとかなるやろとなり走ることにした。しかし下りといえども全然スピードが出なかった。ペダルを全然回していないので当然っちゃ当然なのだが、余りにも進まないので無理矢理漕いだ。弱ペダのインハイで真波が羽を生やした場面ばりに回れと念じて進んだ。

なお翼は出ない模様


2時間程かけて街に出た。足は限界だったが半分以上下り坂だったのが幸いだった。真っ先にツルハドラッグに滑り込みサロンパスを買った。重政さんや浦さんほど過酷な道中だった訳ではなかったが、市街地に入った時の喜びはそう言葉にできるものではなかった。ここに最初に集落を作り始めたアイヌの人々にただ感謝した。たまたま浦さんが留萌のライダーハウスに同じ日に滞在していたが、ライハ童貞の僕は色々考え躊躇してしまった。今思えば転がり込んだ方が身のためではあったが多少はね。セコマで夜飯を買い日が暮れる前にもうテントをたてた。


この日のてんばは駅の横にある公園という野宿には最も不向きな場所だが、一刻も早く休みたかったのと公園が広すぎて別に邪魔にならんやろということで脳死でテントを組んだ。地元の人にも話しかけられたが優しい人たちばかりで串木野に似た雰囲気を持つこの街が一気に好きになった。

夕日

めし


飯も食い終わりダラダラしていると突然榊原から電話がかかってきた。あいつら今日出発よな、まさか僕が1日ミスったかと思いながらでると、まろの後輪にパッキングロープが絡まり取りたいのだが3人とも禄に後輪を外した経験がなくビデオ通話で助言をして欲しいとの事だった。2回にもなって後輪外せへんとはどういうことやねんと思いつつも、久々に声を聞けて嬉しかった。単純なのでね。結局同じ船に乗り合わせた通りすがりの高校生平田くんのおかげで彼らは無事に船に乗ることができたらしい。ありがとうございました。

ロープが取れた瞬間のまろにき



またしばらく経ってから重政さんからこんなクソリプ(失礼)が送られてきた。


先輩も疲れてるやなと在り来りな感想を覚えつつ自分も頑張ろうと思えた。1日留萌で待って先輩を出待ちして着いていこうかというカスみたいな考えが一瞬脳裏に浮かんだが、どうせなら青森で再会したかったのでやめといた。明日頑張ればみんなに会える、その言葉だけを信じて寝た。

















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