登坂車線

ピギィ

6日目

2020年04月27日 22時48分40秒 | 夏合宿
朝、始発列車のディーゼルエンジンの起動音で目が覚めた。浦さんが丁度この列車に乗っていたらしく駅横で立てていたテントを目撃されていた。そんな事を知るはずもなく、適当にパスタを作って食べた。


真横


この日のルートは足の痛み次第で決めることにした。完治していたらオロロンを小樽までひとっ走り、少し和らいでいたら深川付近まで輪行で戻って適当に走る、全く改善してなかったら病院行ってフル輪行。結果的に昨晩サロンパスを貼ったことが功を奏して大分痛みはマシになったが、流石に140kmは長いなということで輪行しながら小樽を目指すことにした。




留萌本線は見てもらうと分かるようにかなりのローカル線だ。それも廃線が以前から噂されるというかJRは早く切り捨てたい意志を示しているレベルだ。最初9時発のやつで輪行しようと思ったが、新神戸事件のように何をしでかすか分からなかったので8時の列車に乗ることにした。




テントを片すのにも慣れていたので余裕を持って輪行の準備ができた。留萌駅には若い駅員さんが2人いていきなり配属されたのがここなら大変やろなと勝手に哀れんだ。それでも音威子府とか知床斜里みたいな駅よりはマシかもしれない。JR北海道は苦しい経営状況(らしい)ながらも随所に手の込んでいる箇所が見受けられて、僕が好きな鉄道会社の一つだ。北海道に住んでいる訳でもないが、この留萌本線だけでなく他のローカル線も魅力しかないので何とか存続させて欲しい限りである。話を戻して若い駅員の片方に18切符を発行してもらい列車に乗り込んだ。乗客は僕の他に3人だけで色々と察するものがあった。ちなみにこの18切符を使って夏休みの間に本土最南端まで行くことになる。


指が邪魔や

40分ほど輪行して石狩沼田という駅で降りた。ここで降りた理由としては、どうしても新十津川という街に行きたかったのとホクレンが近くにあったので昨日のリベンジを果たすべくというものだ。ここから新十津川まではさほど遠い道のりではないので足も耐えるだろうということで40kmばかり走ることにした。



北竜町の道の駅


無事に赤フラッグも揃えこの時点で3色揃った。無駄に金がかかっているが誰もいない道の駅に寄りながら南に進んでいった。



道中で信号待ちしている間に突然おばちゃんに話しかけられなんやと思ったらひまわりを突然渡され「頑張ってね!」とだけ告げられ去ってしまった。おばちゃんが歩いていった方向には店先にたくさん花を並べたお花屋さんがあった。今まで無かった体験だったが心が温まった瞬間だった。


今調べたら酒屋さんだった。



死んでるんかと思ったら寝てるだけやった

馬が放牧されていた。次の日にここを走った重政さんもこの馬の写真を撮っててシンパシーを感じる。




やはり1晩サロンパス貼っただけで捻挫は完治するもでく徐々に痛くなっていった。無理せずゆっくり進もうと思いちんたら漕いでいたら、だんだんいくら踏み込んでもスピードに乗らなくなっていった。まさかと思い止まってみると後輪がパンクしていた。僕はこの時まで1度も走っている最中にパンクなどした事がなく、引退までこれを続けて文集の自慢欄に「合宿中のパンク0」を堂々と書きたかったのにその夢が潰えた。それでも治さないと先に進めないので川の土手の上でパンク修理し始めた。

しかし修理している間にどんどん雲行きが怪しくなってきて後輪に空気を入れている間に降ってきた。周りには雨を凌げるような建物は一切なく、このままでは風邪を引くと思いすぐに出発した。ところが雨はどんどん勢いを増し、顔に雨水がかかりすぎて本気で死にそうになった。水中でもないのに人は溺れることがあるのだと学んだ。流石に危ないと思い暫く立ち竦んだ。

局所的すぎん?

ひまわり貰ったばかりなのにパンクするわ雨に打たれるわ散々だった。この時は生花だと思っていたが何日経っても枯れないのでよく見たら造花だった。10分ぐらい経つとさっきまでの悪天が嘘のように晴れ出したのでやっと走り始めた。



ここから数キロ走って新十津川の街に出た。ここには留萌本線と同じく北海道を代表するローカル線の一つである札沼線の終着駅があり、去年来れなかったので今回是非とも訪れてみたいということで寄ることにした。








写真にもあるようにこの路線(正確には1部区間)は廃線が決定しており、つい先日実際に消えてしまった路線だ。本数も1日1本という極限の路線で逆に有名になっていた。濡れた体を駅舎のベンチで暫く休ませ駅を後にした。



昼飯

もう15時を回っていたのにも関わらずまだ飯にありつけていなかったので滝川の山岡家に滑り込んだ。この時のラーメンは本当に身に染みた。1回の頃学校終わりにクロスで名古屋行った時深夜11時に大津で食べた天一よりも染みた。腹一杯になりすぎて動けず1時間ぐらいしてから店を出た。


去年榊原がチャリを治してもらった自転車屋さん

足が痛くなったのと時間も大分経ってしまったのもあって砂川から輪行することにした。砂川の駅前にはランドリーがあったのでプレ中1回も洗濯していなかった僕は着ていた服も全部脱いでぶち込んだ。(1回も着ていないパーカーと水着を着た)しかもこのランドリーの素晴らしかった点はシャワーが付いていてちゃんと10分間浴びることができた。浜頓別以来風呂に入っていなかったので助かった。


砂川からは普通列車で札幌を目指した。この区間を輪行するのは2日目以来だ。


道庁


わざわざ北海道道庁に行くためだけに札幌駅で途中下車してチャリを組み立てた。次の日も札幌に来る予定だったが荷物どうするか面倒くさかったのでまた輪行して小樽に向かった。



1年振り

フェリー組を迎えるべく小樽に来た。彼らには何も言わずにフェリー乗り場に向かった。


やあ

フェリーは丁度着いたタイミングで直ぐにチャリが大勢降りてきていた。自分と同じような装備のチャリばかりだったがこいつは降りてきた瞬間に分かった。再会した瞬間は本当に嬉しくて、僕が犬なら尻尾を振りすぎて腱鞘炎になるレベルだった。行く場所も決めていなかったのでとりあえず小樽駅に行くことにした。



札幌にチャリを置いてきた北澤氏

無事に5人揃ったので写真を撮りまくっていた。1人の時でも割と撮っていたがここからはペースがまるで違う。ソロプレ(と言っても複数人での行動多め)の醍醐味はこの時の為にあるのではと錯覚してしまう程みんなの存在は大きかった。この後なか卯に行きお互いのここまでの道中の思い出を語り合った。



フェリー乗り場近くのセコマにとりあえず寄った。店がワンオペだったにも関わらずポイントカードを作る男達。





その後オスパの露天風呂で一生喋ってた。何を話していたか詳しくは覚えていないけどずっとテレビを見ながら浸かるのと出るのを繰り返していた。休憩室で夜を明かそうと思ったが真っ暗で入るのを躊躇ったので去年48期の先輩らと寝た公園に行くことにした。





この時点で夜1時半だったが疲れを忘れて寝ることさえ惜しく感じられた。翌日から3週間以上行動を共にするのにも関わらず何かしら話したかった。寝ようと思ったがカモメがうるさすぎて結局みんな寝れなかった。




























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