登坂車線

ピギィ

4日目

2020年04月19日 15時48分16秒 | 夏合宿
迎えた4日目。この頃になると野宿の生活リズムが完成され日の出と同時に目を覚ましても苦ではなくなっていた。この日も例によって5時半頃に目を覚ましてゴロゴロしながら時間を潰した。確か朝飯はこの時作らずに7時ぐらいには道の駅に人が集まってきたので片付けた。3人で写真を撮り、つむぐさんはこの風の中200km離れた紋別という町まで走るべく先に出発された。凄すぎます。僕らは朝飯を食べるためにセコマへ寄った。



ありがとうございました!


ここからはソロプレを一時解消してペアランで最北を目指すことにした。予めそうする予定だったのか、或いは目的が一緒やしどうせならという流れになったのか覚えていないが、久しぶりに誰かと走れることを僕は喜んだ。そうしてセコマを出発した。


今日のルートは浜頓別から宗谷岬経由で稚内まで走る至って単純な行程で、プレ初の輪行無しでちゃんと走る日だ。でも結局するんですけれどもね。走り始めてすぐにエサヌカ線に向かうべく細い横道に入った。



熊が出るぞ

正式名称は猿払村道浜猿払エサヌカ線と言うらしく、2018年度文集で高階さんが走った時の写真を載せていて行くしかねぇとなり通って見ることにした。どんな道かは写真を見てもらえたらそれだけでいいです。







地平線まで一直線に続く道、曇り空で横風(というか向かい風気味)が強く吹き付けるがまるでこの世とは思えない世界の中を走った。そう簡単に訪れることが出来ないからこそ、この景色は価値があるものだと感じることが出来た。



記念写真


ただバイクや車が結構な頻度(大体他県ナンバーかレンタカー)猛スピードで通過していくので行かれる際は気をつけてください。やがて猿払の街に出て道の駅に寄った。


トップお疲れ

猿払のセコマに旭川ナンバーのベンツが止まっていて、もしここでぶっ壊れたりしたら旭川のディーラーまで持っていかなあかんのか的な話をした。


遠すぎ

いよいよ最果てに向けここまでぽつぽつあった集落も殆どなくなり自然の中をただ進むことになる。相も変わらず風は強かったが、前に進むしかないのでラブライブを爆音で流しながらペダルを回し続けた。
以下写真集















そして午前11時50分、宗谷岬到達。丁度KiRa-KiRa Sensation! UMIMixが流れ終わったタイミングだった。当然達成感はあの時と同様に感じられたが、それとは別に去年とは違った色んな感情が最北の記念碑を見ると湧いてきた。上手く言語化出来ないけど兎に角来れて良かったという気持ちが1番強かったのは確かだ。一昨日は先輩と、去年は同回と来れたんで今年は後輩連れて行きたいですね。言葉にするには簡単やけど。

若い家族連れの方に撮ってもらいました。


昼の宗谷は観光客で賑わっていて全く違う場所のように思えた。駐車場もいっぱいやしバイクも勿論GIOSも1台止まっていて「朝田さんおるー」とか言ってふざけていた。土産物屋で最北端到達の証明書やステッカーを買い、食堂でホタテラーメンを食べた。

よじ登られた間宮林蔵ニキ

身に染みた。


この後は高台に登って暫く黄昏ていた。1時間ぐらいおってから再び稚内に向け走り出した。


ここから稚内の市街地に出るまで1枚も写真を撮っていない。何故なら死んでいたからだ。まさかとは思っていたがクソ向かい風だった。去年台風の中先輩と死にものぐるいで逆風の夜道を進んだ時は本当に永遠に感じられたし、大観峰の体感氷点下の下り坂よりもずっとしんどく心が何度も折れた(自分が無理矢理行きたいですって言ったのに)。今まで走った中で1番辛かった場所を、前回とは逆方向なのにも関わらず何でまた向かい風で走らなあかんのやとずっと考えながら進んでいた。ずっと俯きながら走っていたので前を走ってくれていた北澤はいつの間にか先にいってしまった。彼がもしこの事を気にしていたら逆に申し訳ないのだが、本当に僕は心在らずの状態だったので追いかける余裕もなかった。


結局2時間以上かけて稚内の市街地にたどり着いた。とりあえずマクドに入って何を思ったのかナゲットを15ピースも食べた。食べたら大分マシになったので青フラッグを買ったり、去年友達と野宿した防波堤ドームへ行った。

北防波堤ドーム

吉川さんが抱きついていたドナルド



本来は稚内で野宿して翌日からオロロンをひたすら下る予定だった。しかしたったの30kmでこんなにヘラった状態で濃霧の中をひた走るのは無謀すぎるし他の同回と合流できなくなるのではと思い立って当日中に旭川に戻ることにした。幸い初日に買ったフリーきっぷの期限がこの日までだったので特急を使って一気に帰ることができた。北澤も旭川に戻るとの事だったが彼は18切符しか持っていなかったので僕が先に行ってしまった。別に普通列車でも旭川に戻れたのだがいち早く神楽岡公園に戻りたかったので、今度は僕が置いていってしまった。結局彼と次にあったのは2日後の小樽だった。すまんかった。



最北端の駅


天塩中川辺りで去年一緒に稚内から舞鶴まで帰った小学校からの友達(彼もチャリダー)がしんやとまろと飲んでる写真を送ってきて鬱が加速した。早くみんなと合流したいと強く思った。


その時の自撮り

ここから写真を1枚も撮ることなく一日を終えた。本当に神楽岡公園に戻ったかどうかも覚えていないぐらい疲れていた。それでもソロプレでいちばん充実していた日だったのは間違いない。

















最新の画像もっと見る

コメントを投稿