お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

新釧路川花火大会

2017-08-16 23:24:09 | 日記


市の東部の幣舞橋のあるほうがもともと釧路川

西部の新橋、治水地区と鳥取昭和地区の間を流れる新釧路川

水源は同じ屈斜路湖だが

釧路湿原を流れる上流で繰り返される氾濫の対策で

もともと一本の川を釧路郡釧路町の岩保木地点で分岐して

幣舞橋のかかるほうを旧釧路川

西部のほうを釧路川としたが

釧路川に『旧』の字をあてることを嫌った市民運動によって

元の通り最初に存在した方は『釧路川』

分岐して新設したした方を『新釧路川』にした

私が生まれるずっと前に新釧路川を人力で掘り進めたときく

その新釧路川で開かれる釧新花火大会は

お母さんとの想い出に欠かせない

くしろ港祭りが開かれる8月上旬に釧路港で開催されていた

道新花火大会もあった

こちらは霧がかかり

かなりの確率で観られないことが多く

こちらも父母妹とだったり

夫のサト君、子供達とも観に出かけたが

白い靄中で花火が打ち上がる音だけしか聞こえないこともあった

日程の都合上、やり終えてしまう消化試合のような感があった

それに比べて

釧新花火大会は観られることの方が多く

海で上げるのと、川で上げるのとの違いだと思った

お母さんの終の棲家になった昭和釧労協団地から目と鼻の先にある新釧路川

家の子供建や妹の子達が小さい時は

お母さんに手を引かれ河川敷まで花火を観に出かけた

天気が良ければ私の部屋だった実家の2階からも花火が見えた

だけどやはり思い出深いのは

十條製紙の社宅アパートに住む従兄弟の家の窓から観たのや

ずっとずっと昔石田の伯母が丹頂湯の近くの社宅に住んでいる頃に

鳥取大橋の上を牛歩で何度も往復しながら花火を観たこと

警察がメガホンで「止まらず動いてください!!」と叫んでいたけど

みんなで渡れば怖くない??

大勢が同じ行動をとっていた

一度は直別にいたころに大雨で汽車が止まり

花火大好きのお母さんはどうしても行きたかったのか

私や真由美に観せたかったのか

なんと国道38号線を通る知らない車にヒッチハイクするという暴挙に出た

30代くらいの男性が運転する白いセダンを捕まえて

お母さんと真由美と私は新釧路川の花火大会へ向かった

その男性は良い人で気持ちよく私達は鳥取まで送り届けてくれた

お母さんが降りる時に「タバコ代に」とお金を渡した

しかし、その日花火大会は中止になった

大雨はやんだが川が増水したためだった

新釧路川の花火はお盆の最終日8月16日に開催された

たしか夕方6時半からで

それまでは『千灯祭』いわゆる灯篭流しが行われる

亡くなった親族・友人の冥福を祈って灯篭を流し

その流れの尽きない中で空に打ち上がる花火の影が水面に映る

小さかった頃は訳が分からなかったけど

なんだか物悲しくて切ない気分になった

逝く夏と先祖を送るお盆の最終日

そしてヒュルルーと聞こえる花火が上がる音が悲しく聞こえ

キクノおばあちゃんが生きている頃

なぜだかいつか訪れる別れの予感が胸いっぱいになり

おばあちゃんの手をギュッと握ったりした

その頃のお母さんはまだ十分若くて

ヒッチハイクをやってのけるようなバイタリティーも持ち合わせ

花火を観ながらお母さんとの別れを想像することはなかった

でも、私や真由美に子供が生まれ

お母さんがおばあちゃんと呼ばれ

考えたくないけど人生の順番が進んでいることに気付くことになってゆく

私は今花火を観る機会はない

今観るとお母さんを思い出してきっと泣くだろう

花火が人の一生のように思えて辛すぎる気がする

打ち上がりパッと花開きそのあと火花が落ちることは

だれにも止められない

お母さんがあの世へ行くのを止められなかったように…