お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

今年もまた韓国へ行ってきました

2014-08-31 19:13:45 | インポート

昨年に続き

サス君のお世話が無いので韓国へ行ってきたよ

私はお母さんから生まれたけど

なんだか韓国の風景・風情・文化懐かしくて

前世は韓国人だったかな?って

昔から思ってたよ

お母さんの若い頃のことの夢を見た日があったけど

そのときの場面は本当に韓国だったの

真由美が頑張ってパパと暮らしてるのに

きっと私のことを気楽で自分勝手だと思うだろうから

内緒で行ってくるの

去年もそうだった

でも真由美はきっと韓国にデジャブを感じていないと思うから

個人的に理解を求めない代わりに

罪にならぬように隠密に行ってきたの

できたら

お母さんを韓国へ連れて行きたかった

一度でいいから…

私が大好きな街大好きな国

きっとお母さんからみゃくみゃくと流れている

血筋だと思うから

お母さんも私の目を通して

私の肌を通して

私の鼻を通して

韓国を感じて韓国への思いを受け止めてみてね

近いうちに

今度は史織と一緒に

お母さんが行ったことのある長崎へ行ってこようかなと思ってます


もう秋です

2014-08-24 14:08:23 | インポート

お母さんがいなくなって

時のうつろいを意識することが多くなりました

ぼんやりしているとすぐ時は過ぎて行きます

お母さんは夏の間は「暑い、暑い」と

よく動く人でしたから

人一倍暑がっていました

そして、お盆が過ぎる今ぐらいになると

「すっかり涼しくなったね」と文字通り涼しい顔をしてましたね

お母さんは季節季節で姿を変えて

どの季節も楽しんでいるように思えました

家族のために毎日を送る人

家族の暑さ寒さに気を遣う人

気を遣ってもらわなくなった今

どれだけありがたいことだったかが

秋風と一緒に身に沁みます

当たり前に思って大切にしなかったもの

お母さん、もう一度会って謝りたいです


行事、お盆

2014-08-18 00:54:56 | インポート

お母さん

こちらに近くに帰って来てましたか?

最近はどんどんお母さんの好きな人たちがそちらへ行き

何だか安心して

そして次は私がそちらへ行って

お母さんに会う番だと信じてます

お母さんやサスケが天国へ旅立ったとき

一人で行かせるのが可哀そうで

一緒に行ってしまいたい…と思ったものの

はたしてお母さんやサスケにほんとうに会えるのか

同じところへ行けるのか

心配でした

だから「実行」に移せなかった

お盆のお墓詣り行ったでしょ?

見ててくれましたか?

感じてくれましたか?

お母さんがお膳立てをして

それに乗っかる形で参加してた行事

今お母さんの代わりに真由美が一生懸命

準備してくれて

ポンと参加する私です

真由美は最初可哀そうでした

お母さんがやっていたことを

誰に教わるでもなく始めるのですから

私でさえ

昔はお母さんのクッションの上で飛んだり跳ねたり

無意識に行っていたことを

お母さんが居ないことを実感しながら

自分の意志で自分からすすんでやらなければならない

お母さん

もう一度聞きたいことたくさんあります

いつでもできると思っていたこと

今しかできないと感じるべきでした

怠け者の心に後から鞭を打っても

悲しみしか残らないんですね

お母さんと一緒に生きてきたことを痛いほど思い知ります


私たちの服を作ってくれたね

2014-08-11 01:11:47 | インポート

お母さんは

私と真由美におしゃれをさせてくれたね

官舎の中では

奥さん達が自分でニットやレースでセーターを

編むことが流行っていた

お母さんは自分のものも作ってたけど

私と真由美にも冬のセーター

夏のサマーセーター

作ってくれたね

私は釧路に買い物に出かけると

手芸の材料のお店や物資部の毛糸売り場で

待たされるのが少し嫌だったけど

お母さんは一生懸命に

私たちの服の材料を選んでいたんだよね

時にはよその人から頼まれたりもしたよね

お母さんはほんとう器用だったのかもしれないけど

いつも前向きでいろんなことに挑戦して

今ならわかるよ私

人生は一度だもの

できること

やれること

何でもやってみることだよね

孫たちが生まれた後は

孫たちの服もよく作ってたね

編み物もミシンで作ってくれたワンピースも

母である私よりもとても気にしてくれた

スノーマンの陽のカーディガン

サンリオのキャラクターの編み込まれたシオと綾の

サマーニットの上下

写真に収めてるけど

デジカメのない時代でネガにあるから

ブログにアップできないのが残念

現物も何点か残してあるはず

釧路の私たちの家の押し入れに入れてきたはず

お母さんの愛のこめられた宝物だから

私の命ある限りはたまに眺めて

お母さんを偲びますね


ラジオ体操

2014-08-04 02:03:09 | インポート

夏休み

直別に住んでいた頃は

釧路管内でありながら

十勝に近い気候で

釧路の夏は海霧がかかって

気温も真夏でも25度くらいになると

「暑いね」というくらいだったけど

直別の夏は暑かった

朝からジリジリと太陽が輝き

お母さんは

そんなに早起きではなかったから

せいぜい6時半頃起きてた記憶があり

私と真由美が夏休みに

学校までラジオ体操に行く時

ラジオ体操が始まる6時半には

学校へ着くため6時過ぎには起きて

私達を起こして身支度させて

家を出る前のお母さんは

髪の毛も乱れていて起きたばかりって感じだった

それでも

ラジオ体操から戻ってくる頃には

もうきちんと身支度して

朝ごはんの準備もして

ひょっとしたら

いつも6時半頃起きていたお母さんは

ラジオ体操が始まるのが

疎ましかったかもね

でも眠くて起きられない私達のお尻を叩き

札幌へ旅行する時以外は

だいたい皆勤賞だった

最終日にノートや鉛筆などをもらって

お母さんに見せる瞬間が嬉しかった

懐かしい…