お母さんとの想い出箱

OCNブログ人から引越ししました。
書きたいことはたくさんあるけど、時間がない…
でも、お母さんとの想い出は永遠

就寝時間とテレビ

2015-02-24 00:32:00 | 日記
小学校へ上がってからも、私の就寝時間はお母さんが管理してくれていて、
8時には「おやすみなさい」と言ってました。
その「おやすみなさい」ですが、お母さんから聞いたのですが、「〇〇さんおやすみなさい」
とパパやお母さん、真由美、飼っていた動物たち、おじいちゃん、おばあちゃんが〇の中に
私が口にする人たちで、最後は「世界の皆様おやすみなさい」と言っていたとjか。
お母さんはそのことを大人になった私に話して和んでいましたね、私もそんなことをしていたような、そうではないような、はっきりしないのですが、私ならやりそうですね。
 そして、その就寝時間ですが、日曜だけは9時ころまで伸びていた記憶があります。
 お母さんが好きなNHKの大河ドラマ、私の記憶では、「源義経」(尾上菊之助、藤純子共演)「三姉妹」(岡田茉利子、藤村志保、栗原小巻)あたりは、絵日記に書いてあるのを発見しましたから、間違いなく観ているのです。その後の「竜馬がゆく」「天と地と」など、内容も覚えているようなものが続き、間違いなく小学生の低学年のうちから日曜8時過ぎに起きていることが判明。お母さんは自身も向学心に燃えていましたが、小さい私にもきっとためになると判断して、8時すぎの就寝になっても番組を観せてくれたんですね。
 そして、その後9時からの日立か東芝が提供していた「すばらしき世界旅行」も、これは高学年だったと思うけど、お母さんと私と二人で、未開の地で暮らす人々の風習や日常を観ましたよね。
 そのうち東芝日曜劇場を観るようなったお母さんと私の興味は別れて行く…私も自分自身が8時以降に起きていられる年齢になり、勉強したり、本を読んだり、その時間はテレビは観なくなっていった。
 お母さんは、いろんなことにオールマイティというか、柔軟性のある精神で一つに固執しない過ごし方をしていた気がする。私もぜひ今後見習いたい。

鳥たち

2015-02-16 00:22:22 | 日記
私ね
毎朝お母さんたちに手を合わせる時
レオやサスケをはじめ
鳩十姉妹やインコたち
昔家族だった子たちにも手を合わせてます

私は
今こんな年になっても
動物が大好きなのは
お母さんの影響だなって思います
レオやサスケの犬たちにはじまり
チャッピーのハムスターたち
亀太郎のミドリガメ
金魚も何匹も飼ってた

そして

私の大好きな動物たちのなかでも
一番種類が多いのが鳥たち
お母さんは
ほんとうに優しい人だったって
そう思うのは
動物に接する姿が親身だったから
うちには
私が小さくて覚えていない頃の
九官鳥
カナリヤ
そしてカラスの赤ちゃんがいたと
聞いた気がするけど
お母さんに確かめることができない…

そして
私が物心つきはじめたころ
家の中で従兄弟からもらったレース鳩で
ルルとルル子という鳩のつがいを飼ってた
家の中に放すから糞だらけで
ビニール袋のおむつをつけたりして
ルルとルル子は
外の鳩小屋に出していた時
テンかイタチのような胴が伸びる動物に
首を噛まれて死んでしまった

そのあとは
親戚から十姉妹のつがいをもらって
つがいから子だくさんの大ファミリーへと発展
つがいはオスとメスと平凡すぎる名前
その子たちは
真っ白い『ピッチ』
黄土色のぶちの『二段構え』
こげ茶色のぶちの『目淵黒』
オスも黄土色系で穏やかな性格
そしてメスはこげ茶系でキカナイ性格
仲良し夫婦からどんどんヒナが生まれて
透明なエサ袋を付けたヒナを何羽育てたか
死んじゃった子もたくさんいたし
私が真由美と遊んでいる時に
間違って殺してしまった子が居て…
今も心の傷になったまま
たぶん一生消えない過ちの傷

山鳩がけがをして
迷い込んできたときは
けがが治るまで飼って
放してあげたけど
あのお別れも悲しかった

インコも親戚からもらって
これも増えてたいへんで
結局元のつがいを
真由美の友達の大友さんへあげたけど
中学生だった私にとっては
切ない気持ちで
家族だったから余所へ行ってしまうのは悲しかった
その後も
カナリヤが家に居たこともあった

そして結婚した私は
インコのサスケを飼って
心に傷を作る結果となり…

本当に
私は今も鳥が好き
フクロウが大好きで
ペンギンも大好きで
大きなオウムも好き
いつか飼いたい

お母さんの優しさはまちがいなく
私の中に完全に根をおろしてます
獣医さんになればよかったと思った日もありました
鳥たち動物たち
欺いたり裏切ったりしないピュアな子たち
人を信じられないと思うことがあると
動物たちはたとえうちの子でなくても
その存在が救ってくれることもある

亡くなってしまったから言えるのではなくて
お母さんは小さい子がすきで
動物も好きで
私にそんな姿を自然に見せてくれて
私の心にも同じ培養土を分けてくれた
私の心の中で闇ではない部分
お母さんのおかげで自分でも
すべてが腹黒くないと思えます
鳥たちを愛でるときの気持ちは
自信をもって汚れていない気持ちです

節分

2015-02-09 03:27:54 | 日記
過ぎてしまったけど

今年もシオと二人で豆まきしました

小さい頃も

木の枡に落花生を入れて

まず神棚に供えて

それから

パパが「鬼は外、福は内、恵比寿大国豆あがれ」って

最初に言った後

次の人も同じく神棚に手を会わて拝んで

同じこと言って

少しでも声が小さいと叱られて

大きな声で言い終わるまでやり直し

私はそれも恥ずかしかったけど

家じゅう戸や窓を開けるから

寒いし

あまり好きな行事ではなかったよ

豆も好きでもなかったしね

お母さんは私たちが食べやすいように

お皿ぶ皮をむいた落花生を貯めてくれた

それでも好んで食べなかった記憶が…

お母さん、パパ、真由美と家族4人で豆まき

懐かしいなあ

そして嫁いでも豆まきしてます

最盛期(?)は私とサト君、アキとシオとサスケ

ワイワイ大騒ぎだったけど

今ではシオと二人

それでもやってますよ

親不孝

2015-02-02 01:50:57 | 日記
何が親不孝ったって

お母さんもよく言ってたよね

「親より先に死んでしまうこと」って

ニュースで連日イスラム国で

拉致されてる日本人のことを報道されてて

今日はとうとう最悪の日を迎えてしまい

後藤さんのお母さんの姿を観て

胸が締め付けられてたまらなかった

私がお母さんにできた親孝行は

孫という存在とともにする時間を

あげられたこと

そして

お母さんを見送ったこと

でも

今でも思い出すのは

衝動的に睡眠薬をたくさん飲んだ高校生の日

ようやく登校した後

お母さんが学校に心配して来てくれたね

思春期の物憂い頃で

学校が嫌で

更にパパとお母さんの仲が悪い状態の頃で

そんないろいろな思いが交錯する中

何となくとってしまった軽はずみな行動

ごめんなさい

あの時大変な親孝行をするところだった…

あの時死んでいたら

私は今頃どこにいるのだろう

自殺は天国には行けないという

そうすると

お母さんにも会えていないかも…

あの日のお母さんの顔をなんとなく思い出す

困らせてごめんねって

今でも思い出す