むっくのハウスもテントだけれど、モモちゃんもテント。サイズはむっくのテントより2周りくらいデカイやつ。それにいつも姪っことモモちゃんは二人で入っておままごと。。偉いぞ!!モモちゃん無理な遊びにきちんと付き合ってあげている。。むっくとちっちは即行逃げるのに
おでぶのモモちゃん。見るからに暑いぞだけど、ごくろう!いつも周りに気を使って動いているあなたはおりこうです
私には毎日欠かせないブログがあります。ボストンテリアのムックのお話です。うちのむっくと同じ名前でもあるし、パパさんがフレンチブルやボストンテリアが大好きなのもあって、ふと検索していたらたまたまこのブログに出会いました。。とっても楽しくって、温かくって、素敵なブログです今日もそのお話を見ていたら、涙が出て私の大切な思い出も溢れてきました。
http://blog.goo.ne.jp/muckbuhibuhi
これが私の大好きなボストンテリアのムックのお話です。。。
私は小学校六年生から23歳までとっても大切な家族がいました。シェルティのラッキー♀です。とっても身体が弱くって、だけど頭がすごく良くって、しかもイタズラっ子で。。転勤族で、転校を繰り返し、あまり友達のいない暗い子だった私にとって、友達でもあり、兄弟でもありました。
小学校六年生のクリスマスイブの日。。小さな小さなあなたは家族になったのよ。
だけど・・・
重度のアレルギー、癲癇発作、腎臓病等。薬が毎日欠かせなくって、生涯病院通だったね。。
学校から帰ると、ツナ缶がペッシャンコのひらひら状態に潰れていて、なんだぁ???と思ってみてみると、歯形がいっぱい。ダイニングテーブルにジャンプして乗って、ツナ缶やいわし缶、ペティグリーチャムの缶なんかを上手に缶ごと食べてたっけそのおかげで肥満になったりどんなに隠しても、ラッキーには全く通用しなかったな。絶対に探して、高い場所だってどうやってか上って食べ物ゲットしてたっけ
何度も癲癇の発作が出て、たくさん苦しい思いもさせた。何度も何度も痙攣が起きて脳障害になり、右回りにしか歩けなくなったり。引越ししたばかりの家で発作が出てしまって、近所の見知らぬ病院に連れて行ったら、その医者は
「ママぁ~僕触れない」
って。ああこいつにラッキーは殺される。ここに連れてきてしまった私たちがラッキーを殺してしまうと、絶望に突き落とされたこともあった。だけど偶然すぐに電話帳で見つけた、ちっちも助けてもらった渡辺先生が往診に来てくれてラッキーは助かったそれから何年も毎週先生の下に通ったけれど、渡辺先生がいなかったら・・・。
親や兄と喧嘩をすると、かならず悪い方に飛び掛ってワンワン吠えてたよね。きっと止めようとしてたんだよね。
悲しかったり辛かったり、泣いていたりすると、かならず気持ちが落ち着くまでじっと傍にいてくれた。。絶対離れずにずっと寄り添ってくれていたのはいつもラッキーだったね。
私の遅い反抗期で家を飛び出し、家族がバラバラになりそうだった時、ラッキーが家族を守って助けてくれた。命と引き換えに・・・。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのか・・・。どうしてもっと早く自分の愚かさに気付かなかったのか・・・。ラッキーは自分の命と引き換えに私の家族の絆を取り戻してくれました。。
もしあの時、ラッキーが我が家に来ていなかったら?
きっと今の私や家族は無かったでしょう。
今でもラッキーは私や私の家族にとって大切な宝であり、家族です。
だけど・・・果たしてラッキーは私の下に来て幸せだったのでしょうか?最後まで苦しんで逝ってしまったラッキーは、本当はもっと幸せな生涯を迎えられたのでは?
12年と言う生涯、傍から見れば長生きの部類に入るのでしょう。でもその12年はラッキーが病気に苦しみ抜いた日々でもあります・・・
それでも私たち家族は、ラッキーがいた日々すべてが幸せだったように、彼女も幸せであったと信じたいです。
実家には今コーギーの超デブなモモちゃん、結婚した我が家にはむっくとちっち。。
この子達もみ~んな大切な大切な私たちの宝物です
ムックのママのyumiさん。。素敵なお話これからも毎日楽しみにしています