伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

虹・・還暦

2020年11月21日 | 日記
 いつものように愛犬の散歩を終え、食事を済まし、2階にパソコンをとりに行くため階段を上がった時に気がついた。北の空に虹が架かっていたのだ。



 写真は自宅を全景に虹を撮ってみたもの。還暦は干支に基づく物。干支は十二支と十干の組み合わせとなるが、十干はいわゆる、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)の総称となるらしい。

 この十干に五行(ごぎょう)の木・火・土・金・水を結びつけ、さらにそれぞれ兄(え)(陽)と弟(と)(陰)を配して、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)とよぶようになったというのだが、これを十二支と組み合わせて用い、ると、5×12で60通りの年の呼び方が出来る(デジタル大辞泉より)。

 今年は庚子(きのえね)の年に辺り、私が生まれた1960年以来の年となる。1960年は日米安全保障条約、いわゆる新安保条約をめぐって未曾有の国民運動が盛り上がった年だ。

 1951年に日本がサンフランシスコ講和条約の締結と同時に、米国との間で、その駐留権などを認めた全5条からなる「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」をさらに発展させた「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、いわゆる新安保条約が1960年5月に衆院で強行採決され、6月に参院での議決がないまま自然成立した。

 新安保条約は、米軍の駐留に加え、経済協力の発展や「武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力」の維持・発展を盛り込み、今の日本の米国中心の外交の礎を打ち立てた。日本の外交、そして政治の内容を変えるには、どうしてもこの新安保条約に向き合わざるをえない。民主党政権の鳩山内閣が、公約に反して普天間基地の代替機能を沖縄県に認めざるをえなくなったのも、結局、新安保条約に縛られていたからだったのだろう。

 ともすれ、この新安保条約の成立に先だって大きく発展していた60年安保闘争は、アイゼンハワー大統領来日の準備のために訪日しようとしていた特使の訪日を阻止するとともに、採決強行など新安保条約締結の成立に導いた岸内閣を総辞職に追い込んだ。

 60年安保闘争は、60年6月の後は終結し、私が生まれた11月には静かなものだったろうと思うのだが、闘争の最盛期には国会周辺に連日、全国から国民が終結し、集会やデモが繰り広げられたという。ある意味歴史的な年が1960年なのだ。

 あの年から60年が過ぎて、還暦の日を迎えた。その日に、雨も降らないのに現われた虹、しかも、虹に気づいて最初に撮った写真が午前8時56分、最後に撮った写真が午前9時40分なので、その前後を考えると、実に1時間以上にわたって美しい七色を見せていてくれたものと思う。私の還暦を祝う素晴らしいプレゼントを天がくれたのだ。



 ちなみにくっきりと見えた七色であるが、外側から色を数えていくと、赤、橙、黄、緑、青、紫・・あれ6色・・1色足りないではないか。おかしい。

 そこでネットで調べて見ると、加えて藍があるという。つまりこうだ。外側から、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色だ。この藍の色が、私にとっては微妙で、数えることが出来なかったのだ。私にはむしろ、紫の内側に薄黄色というか、薄く明るい黄緑、色見本では三緑(サンリュー)というらしいが、そんな色合いが見えているような気がする。

 もっとも本来、この領域は紫外線となり、人間の目では見ることができない波長の領域なので、気のせいにすぎなのだろうが。

 この虹の根本が見えていた。



近づけて見ると・・



さらに近づけるとこんな具合だ。



 遠野町上根本の辺りではないだろうか。

 昔から虹の根本には宝物が埋まっているという。場所ははっきり確認できる。行ってみようか・・。

 しかし、まぁ、虹は近づけば近づく程、遠くに逃げていき、やがて消えてしまう。虹がかかる根本にはとうてい行き着くことはできない。夢を楽しむだけにしておこう。

 還暦初日。なんかさい先が良さそうな虹を見ることが出来て幸いだ。

 虹の前景に花を置いてみた。

 センニチソウ。



 季節も季節だし、霜も何度か浴びているので、色あせてしまっているが、まだがんばって花をつけている。

 次はキク。



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