平荘町・上荘町をゆく(61) 寺谷新村(現:東磐)
『印南郡史』からの引用です。(書き直しています)
・・・・磐村は、もと寺谷・蔭山の二村であったが、明治11年10月合併して一村となりました。
村の名・磐(いわお)は、村の北一帯につながる紅岩(べにいわ・写真)にちなみ磐村としています。
(中略)寺谷村(現:東磐)の開発について、岸本家の過去帖には次のようにあるります。
・・・・岸本市右衛門源與は天正13年(1585)3月25日生まれで、・・・・慶長11年(1606)、見土呂村に来て、同14年から16年の間、寺谷(ひがし磐)の地の水の状況を調査し、同17年(1612)3月のはじめ28歳で当村を開発ました。
なお、『印南郡史』には、「寺谷村と名づけたのは、この地に報恩寺の一院があったためと伝えています。
地名に“寺所口”を言うところが残っていますが村の名は、これによるものでしょう?
岸本市右衛門は、寛永9年正月の22日49才で没しました。
*『印南郡歴(前編)』参照 写真:紅山(べにやま)