ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(61) 寺谷新村(現:東磐)

2024-05-17 09:47:43 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

      平荘町・上荘町をゆく(61) 寺谷新村(現:東磐)


 『印南郡史』からの引用です。(書き直しています)


 ・・・・磐村は、もと寺谷・蔭山の二村であったが、明治11年10月合併して一村となりました。
 村の名・磐(いわお)は、村の北一帯につながる紅岩(べにいわ・写真)にちなみ磐村としています。
 (中略)寺谷村(現:東磐)の開発について、岸本家の過去帖には次のようにあるります。
 ・・・・岸本市右衛門源與は天正13年(1585)3月25日生まれで、・・・・慶長11年(1606)、見土呂村に来て、同14年から16年の間、寺谷(ひがし磐)の地の水の状況を調査し、同17年(1612)3月のはじめ28歳で当村を開発ました。
 なお、『印南郡史』には、「寺谷村と名づけたのは、この地に報恩寺の一院があったためと伝えています。
 地名に“寺所口”を言うところが残っていますが村の名は、これによるものでしょう?
 岸本市右衛門は、寛永9年正月の22日49才で没しました。
 *『印南郡歴(前編)』参照  写真:紅山(べにやま)

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