平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年12月28日/2015年1月4日 今こそ「読者は悟れ」

2015年01月10日 22時58分03秒 | Weblog
今こそ「読者は悟れ」

(マルコ福音書13・14)

 「一国の首相の口からこんな発言が軽々しく飛び出すことに驚く。」
2014年11月2日付の毎日新聞の社説は、冒頭でこのように記した。
 
 安倍首相が朝日新聞を名指しして、その報道を「捏造(ねつぞう)だ」と国会の場で断じたことを批判したのだ。そしてこう続けた。「だが、捏造とは事実の誤認ではなく、ありもしない事実を、あるかのようにつくり上げることを指す。果たして今回の報道がそれに当たるかどうか、首相は頭を冷やして考え直した方がいい。」 
 事の次第はこうである。首相はその数日前に、側近議員らと食事をした。その側近の一人が報道陣に、その席で首相は政治資金問題に関して「(与野党ともに)『撃ち方やめ』になればいい」と語った、と伝えた。
 これを受けて、朝日のみならず、この社説を書いている当の毎日も、日経も、そして右寄りの読売、産経までもが、その発言を翌日の朝刊で報じたのだった。
 ところが首相は、10月30日の国会答弁で、朝日の記事だけを名指しして、「私は言っていない。捏造だ」などと批判した。
 その後、報道陣に首相発言を伝えた出席者は、「発言者は私だった。私が『これで撃ち方やめですね』と発言し、首相は『そうだね』と同意しただけだ」、と修正した。
 つまり発端は側近のミスだったわけだ。しかし首相は、翌31日の国会でそのことを指摘されても、そしてまた、それを報じたのは朝日新聞だけではないことを指摘されても、前日とまったく同じ発言を繰り返すのみであった。

社説はこう続ける。
 「慰安婦報道や東京電力福島第1原発事故の『吉田調書』報道問題で揺れる朝日を、『捏造』との言葉で批判すれば拍手してくれる人が多いと(首相は)考えているのだろうか。」「従来、批判に耳を傾けるより、相手を攻撃することに力を注ぎがちな首相だ。
 特に最近は政治とカネの問題が収束せず、いら立っているようでもある。しかし、ムキになって報道批判をしている首相を見ていると、これで内政、外交のさまざまな課題に対し、冷静な判断ができるだろうかと心配になるほどだ。」
 その「ムキになって報道批判をしている首相」の姿は、12月14日の総選挙に至る過程においても顕著であった。
 テレビのニュース番組に出演して街頭インタヴューを聞かされて、自分に賛成している人たちの声をどうして採用しないのか、とクレームをつけたり、自分が指示したのではないと弁明してはいたが、民放各社に対して「中立・公平」な報道を要請したり(それはテレビ番組中の出演者の発言回数、ゲストの選定、街頭インタヴューの方法にまで及ぶ具体的な要請を含んでおり、その結果、選挙に関するテレビの報道番組は例年の約3分の1に激減し、それは過去最低の投票率をもたらす一要因となった)、各党首のテレビ討論会でも自分だけは○×式で回答することを駄々っ子のように拒否したり、「憲法や集団的自衛権などにどうしてもっと応援演説の中でふれないのか」と問われて、実際には統計からして2割にも満たなかったにもかかわらず、「いや、7割以上の演説で話してますよ」と応答したり、・・・・・・。 

しかし選挙の結果は、安倍自民党の圧倒的勝利。 
 マルコ福音書13・14は「読者は悟れ!」と警告しているが、われわれ一人ひとりは、今まさに覚醒された目を持つように、と深く呼びかけられているのだと思う。


青野師