フェイクニュース
「タバコを吸いながらお祈りしてもよいだろうか」と二人の教会員が議論していた。そこで、それなら牧師先生に訊いてみよう、ということになり、別々にではあったが二人は牧師に訊ねてみた。すると、一人への答えは「それはちょっとどうですかね」であり、もう一人への答えは「いいんじゃないですか」であったという。不思議に思った二人は、 「いったい何と訊いたのか」とお互いに確かめてみた。
すると、一人は「タバコを吸いながらお祈りをしてもよいものでしょうか」と訊いた、もう一人は「タバコを吸っていたらお祈りしたくなったのですが、そのままお祈りしてもよい でしょうか」と訊いた、ということがわかった。これはひとつの笑い話である。
しかしそれとそっくりのことが、現首相の発言のなかにはしばしば顔を出す。「裁量労働制」を採用しても「逆に労働時間が短くなるというデータもあります」と首相は答弁したが、しかし詳しく調べてみると、まったく異なった設問に回答している労働時間についての別のアンケート結果を、そのまま単純に比較したことから生じた「フェイク」であることが判明した。
「辺野古埋め立て」 に際しての、「サンゴは移した」との首相の発言も、同様の「フェイク」である。なぜなら、「辺野古一帯のことを指して言ったのだ」との強弁が官邸からなされているが、たとえ埋め立てとはまったく別の場所でごくわずかのサンゴの移植が実際に行なわれたとしても、しかし「いま、土砂が投入されている映像がございましたが、土砂を投入していくにあたってですね、あそこのサンゴについては、これは移しております」との首相の「明言」は、明らかにその強弁とは矛盾しているからである。
最近の「毎月勤労統計」の不正問題においても、「毎月の統計数値を挙げながら実質賃金が上がったと申し上げたことは一度もございません」との首相答弁は、やはり「フェイク」である。なぜなら、「数値を挙げる」ことはしなかったかもしれないが、しかしまさにその「数値」に基づいた「実質賃金の上昇」には、首相は何度となく言及してきたからである。
この種の「フェイク」は、少なくとも私たちのキリスト教会からは追放したいものである。とくに、聖書における明らかな矛盾・齟齬を、しばしばなされるように強引に辻褄が合ったものとして説明する「牽強付会」つまり「フェイ ク」は、もう止めたいと思う。例えば、「イエスは復活した」との報に接した婦人たちは、「何も言わなかった、恐ろし かったからである」(マルコ福音書の結語としての 16:8)という報告と、「恐れながらも大喜びで、弟子たちに知らせるために走っていった」(マタイ 28:8)との報告の間の齟齬を、人為的な「フェイク」によって矛盾のないものに仕立て上げてはならないのだ。なぜならそこには、マルコとマタイの二人に固有な主張が込められているのだからであり、そうしたそれぞれの主張を自分はどう解釈し、どう判断するのかを、私たち各々は常に問われているのだからである。
青野太潮 協力牧師