欠かせない視点
なぜ、そのことを教会に望むのかと聞かれたら、それはキリストの教会だからだ、と答える。当教会の信仰告白の前文に「この信仰告白は、何人の信仰をも制限することなく、あかしとして又、はげましとしてこれを宣言いたします」とあるのを、どうして誇りに思うのかと問われたら、それは、イエス・キリストのどのような人をもレッテルを貼ることなく受け入れようとされた、つまり、多様性を大事にされたそのお姿と合致する点が多いからと答える。
私たち教会人は、どうしてあなたはそのような言動をなさるのか、と聞かれたら、イエス・キリストがこうであったから、そうであったから、ああであったからということになる。その捉え方が妥当なものかどうかは大いに議論しなければならない。また、それは教会とて同じで、どうして、教会はそのような選びをしたのか、と聞かれたら、イエス・キリストがこのように教えているからだ、と答える。
それが大事な視点であって、私はこれが好きだからとか、私の趣味に合わないとかは、他でお願いしたい。もし、イエス様であれば、どのようになさっただろうか、どのように言われただろうか、それが大事なことだと思う。
これについては、キリスト者であれば、誰もが、堂々とできるのである。教会のありようを考えるとき、それぞれの自分の心の内なるイエス様をぶつけて、真剣な議論をなすことは、とてもうれしいことだ。
平良憲誠 主任牧師