晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読「非常民の民俗文化」 9/25

2015-09-25 | 雨読

2015.9.25(金)雨
 なんとも壮絶な本である。サブタイトルは「生活民俗と差別昔話」というものだが、社会の底辺にあるとされた非常民の生活と性民俗を独特の資料収集と筆使いで書かれたものである。
「非常民の民俗文化」赤松啓介著 明石書店 1991年第6刷 古書

 柳田国男氏がサンカや木地師などのいわゆる非常民の研究を急に止めて常民の民族学を提唱し始めたこと、性民俗、性風俗については黙して語らなかったことは有名でありまた謎である。赤松氏はこの柳田氏、柳田民俗学を徹底的に批判している。柳田民俗学に欠いている部分を本書に求めたのだが、学術的な内容ではなく、個人的な体験談や見聞きしたことを羅列してあるばかりで、週刊誌の下ネタ記事を読んでいるような嫌な気分になった。ところがよく読んでみると、端々に氏のポリシーが窺え、困難ではあるがひとつの主張が見いだされる。

 例えばかつて底辺であり差別されていた武士(侍)がやがて主人公になり、その時にやはり底辺であった町人、百姓、職人が近代の主人公となった。そして次の時代は中流に上昇した彼らに期待するのではなく、もっと底辺にある非民衆、非市民、非常民を発掘し育てようと唱えている。
 性民俗についてはなぜ柳田が語らなかったかという事については諸説あるようだが、わたしは国策として性が虐げられ隠匿されタブー化していたからだと考えている。官吏でもあった氏が国の方針に逆らうとみなされる研究や発表を出来ようはずもない。赤松氏はこういった事情を少なからず理解していると思えるのだが、それをも無視して徹底的に非難している。それは柳田氏があまりにも偉大であったということの裏返しかもしれない。
 「周知のように日本民俗学の主流であった柳田派はこうした性的民俗については、実に頑強なまでの拒否反応をしめした.当時の民俗学の置かれた状況からみて、ある程度までの自制を必要とした立場は、私にも理解できる。しかし彼と、その一派の拒否反応は異常というべきまでに昂進してしまい、人間生活にとって最も重要な半面の現実を無視する誤りを犯した。私は早くから柳田は、ほんとうにムラで民俗を採取した経験があるまいと推測していたのである。ムラの住人たちは、そうやすやすと他国の人間、とくに肩書きのついた人間にムラの事情、とくに日出を話すものでないからだ。当たり障りのないことはしゃべるが、ムラの不為なると思うようなことになると貝のように口を閉じる。云々
つづく

【今日のじょん】鍋シーズン始まる。「じょんはこれが好きなんだナ」(芦屋雁之助口調で)

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あなしら上林-12 9/21

2015-09-21 | あなしら上林

2015.9.21(月・祝)曇り あなしら上林-11は2015.8.3

 かんばやし里山新聞 第11号(2015.9.18)が発行されたので掲載の「あなしら上林」を公開します。

 
三、上林の盃状穴 その一

 睦合町引地(ひきじ)の善福寺は真言宗の古刹である。府道からおそろしく急な石段を垣間見ることが出来る。その石段に見事な盃状穴(はいじょうけつ)が穿(うが)たれていることをご存じだろうか。あちこちの社寺で盃状穴を探してきたが、これ程の数の盃状穴があるのは今のところ善福寺をおいて他に無い。しかも石段のみでなく石灯籠の基礎部分や石柱の頭部、側面などにも見られ、石段やその周辺部以外の盃状穴は上林では今のところ他に発見していない。

(写真1,2 善福寺の盃状穴)

盃状穴とは字のとおり石造物に穿たれた盃状の穴である。大きさは3cm~10cmぐらいで、慣れてくると容易に見つける事が出来る。
 ではこれは一体何なのだろう。最も多い答えは、「子どものいたずら」であり、次が「雨だれの痕」である。実はその存在をも知らない方がほとんどだろう。
子どもいたずら、雨だれのどちらでもない事は後ほど書くとして、盃状穴の特徴を思いつくままに羅列してみよう。
世界中に存在する、古代から存在する、人為的なものである、弥生時代や古墳時代の遺跡からも発見されている、近世以降のものはごく一般的に穿たれている、説は色々あるがその目的は不明である、盃状穴に関する古文書や言い伝えが見当たらない、昭和の初期まで彫られたというが彫ったという人の証言が無い、考古学などの学者の研究が少ない、などととにかく謎だらけなのだ。
 学者による研究がまれなので発行される文献が少ない。「盃状穴考」(慶文社)は唯一の専門的な文献と思われるし、「山・川・人」(加古川流域史学会)も盃状穴について一部書かれている。どこそこにあるという情報はネット上であふれているし、郷土資料館などで話題として扱っているところも散見する。
 本当にそんなものが存在するのかと訝しく思っていたところ、何とも意外なところで見つかった。それは京都帝釈天という八木町船枝にある神社で、毎週のように南丹病院の歯科へ通っていたときの道すがらである。和気清麿公所縁の神社と言うから古い神社で、建物も石造物も随分立派である。長い石段や境内の石造物に盃状穴などないものかと何度も見て回るが一向にそれらしきものはない。何回か訪問し、諦めて帰路についた
とき、参道の入口にあたる民家の脇の石灯籠に目をやると、その基礎部分に盃状穴らしき穴がぐるりと取り囲んでいる。基礎に彫られた模様、いわゆる返花(かえりばな)かなと思い詳しく見てみるが、大きさも位置もバラバラで模様ではない。異常なほど胸が高鳴りしてきた。

(写真3京都帝釈天参道入口の灯籠)つづく

 

 

 

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食べある記 小浜 9/18

2015-09-18 | 食・レシピ

2015.9.18(金)雨、曇り
 9月4日に響さんの日替わり定食をいただいた。今日はごえんさんの日替わり定食をと小浜にいそぐ。昼の時間はいつも列んでいる人が見られたが今日は雨模様ですんなりと入れた。ここの日替わり定食は前回ハンバーグと今回中華丼のように刺身や焼き魚といった魚類が無いようだ。働いている人の昼食や魚嫌いの人のためのメニューと考えればそれはそれで気遣いかと思えるが、小浜に来て魚が付いてないというのは何とも味気ないものだ。中華丼と手羽先フライで量はたっぷり、値段は860円、午後の水泳にはちと苦しいかなという感じだった。

ごえんさんの日替わり定食、860円
 さて日替わり定食と言えばご近所の「しまだや」さんのものを紹介しておかねばならない。こちらも刺身が付いたり付かなかったりだが、日替わり定食というのはそういうものだろう。この日はエビフライが主だったが、味は最高、値段は850円。

しまだやさんの日替わり定食、850円
 要するに日替わり定食は値段は同じようなものだが、内容が違うので比べようが無いというのが結論。またわざわざ遠くへ行って食べるという性質のものでも無いし、都合で食べれば良いのだろう。

 

 

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食べある記 舞 9/17

2015-09-17 | 食・レシピ

2015.9.17(木)雨

 先日(9月11日)舞鶴に所用があって出かけることとなった。丁度昼時となったのでとれとれ市場に行くことにする。市場内には定食屋さんや寿司屋さんがあるが、市場内のあちこちのテーブルで食べている人も多い。
とりあえず定食屋さんの行列に並ぶ。「刺身定食二つください」と言うと「残りひとつなんですよ」だと。じゃあ何にしようかなと考えていると、「どちらでお召し上がられますか?」「ここで」「それだと列ぶ必要ないです、お座りください」
 うーむ、どうやら列んでいるのは持ち出して他のテーブルで食べる人のようだ。残りの刺身定食と御飯味噌汁セットにうどんを付けて注文する。市場らしくウニ丼とかいくら丼、海鮮丼とか漁港らしいメニューが並ぶ。刺身定食は1,160円だったろうか、刺身は小さく、活きは悪い。小浜の2軒の刺身定食には比べるべくもない。期待して入っただけに残念だ。周囲を見渡すと観光なんかで訪れた風の人ばかりで、地元の仕事風の人は見受けられない。安くて美味しいところは誰だって知ってるもんね。うどんも随分ひどいもので悲しくなってくる。

味、量、値段とも×
 後で解ったことだが、御飯と味噌汁を注文し、後は各店で魚を調理してもらって食べるのが常道らしい。実際に目で見て捌いてもらうのだからきっと美味いのだろう。だからこそ行列をつくって御飯を買っていたのかも知れない。でも大勢で幾つかの魚をさばいてもらうのはよしとしても一人で同じ魚を一匹分食べるのはどうなんだろう。それとも小分けにしてくれたり、幾つか見繕ってくれるのだろうか。
 でも簡単に食せるあの定食屋さんのまずさではちょっと海の京都が泣きそうだ。ネット情報であの美味しそうなどんぶり類の評判を調べてみたが、やっぱり余りよろしくない。二度と行くことはないだろう。

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じょんこの頃 9/17

2015-09-17 | Dog

2015.9.17(木)雨

 ブログが飛び飛びになって「今日のじょん」の読者の皆さんにはご迷惑をおかけしておりやす。
兄妹のマーブルとくるみちゃんが亡くなって2年、生き残りのじょんが長生きしてくれるよう願っているところだが、最近とみに老齢化しており、やがて老老介護になるのではと不安になっている。中大型犬といえども7,8才はまだ若いと言われるが、やはり個体差はあるようでじょんの老齢化が自分の身を見るようで寂しい気持ちになってくる。
 ☆妙にがんこになってきた。散歩の途中でも行きたくないところへは頑として動かない。そのくせ他所の家や小屋など妙なところへ行きたがる。
 ☆動作が遅い。特に始動が悪くてお尻を押してやらないと動き出さない。また動作の途中で急に固まってしまうことがあり、次の動作に移れない。ただし、 おやつやご飯の時(自分の主食は別)だけは素晴らしい瞬発力で行動的だ。

散歩の途中で固まったとこ、押しても引いても動かない
 ☆左手の神経痛。診断はいろいろされているが、わたしは神経痛だと思っている。夏の間何事も無かったが、涼しくなったらやっぱり悪くなってきた。この痛みが動作の遅さにつながっていると思われる。
 ☆目の腫れ。先日百足に咬まれたか?と書いたが実はその翌日反対の目が開かなくなった。やたらくしゃみもして、どうやらイネ科の花粉症ではないだろうか。周囲は稲刈りの真っ最中である。子供用の目薬などさしていたが動物病院に行くことにする。傷などはなくて抗生剤などの目薬二種類を処方されてさしているが、即効性は無いようだ。

ファーミネーターしてるとき(11日)はどうもなかったのだが、14日にはこのとおり。
 ☆ますます雨が嫌いになってきた。今日は朝から雨でケージから出てこない。なだめすかして出してきて、レインコートを着せるがまたケージに入ろうとする。お尻を押してベランダに出し、外から迎えに行くが奥にすっこんで出てこない。出ないとおしっこもうんPも出来ないのだが、、、。

おいっええかげんに降りてこい
 こういうことってやっぱ老齢化が原因なんだろうか。まあぐずぐず言いながらも長生きしてくれればそれでいいんだが。

 

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食べある記 9/13

2015-09-13 | グルメ

2015.9.13(日)曇り

 小浜食べ歩き(8.28)の続編なんだが、約束通り「ステーション響(ひびき)」さんの日替わり定食をいただきに行った。9月4日のことである。画像は訳あって後日紹介するが、魚類にコロッケなんぞも付いていて納得の逸品、800円台で食せる満足の昼食であった。現在のところトップ。ただしかみさんはご飯がべっとりとして団子になっていると不満そう、前回はきりっと炊けていて美味しかったが、その時によって加減が違うのは減点。今回ジャーの保存時間が長かったのだろうか。次は「ごえん」さんの日替わり定食にチャレンジしようと思う。気になるのは前回行ったときの日替わりがハンバーグであったことだ。小浜に行って魚を食べないのはちと理不尽かと思うのだが、、、、。
 さて小浜以外の食べ歩きを少し紹介しよう。先日ルーブル美術館展に行ったとき(9月8日)に、昼食として選んだのが旅行客に人気の「大明神總本店」である。美術館の近くでバリアフリーでリーズナブルといったらまずここだろう。電話番号だけ調べていったので美術館を出て電話する。「美術館から南に5分、車いすでも入れますけどただいま3組ほどお待ちです」とのこと。3組ったって20分ほどというから予約していく、昼の時間を過ぎているのに行列が出来るのはかなりの人気のようだ。みればすべてが旅行者のようだ。きっちり20分待って鰻重(大)をいただく。2,450円、(小)は900円とか、ずんぶん差があるなあと思いきや、近年食べたことの無い分厚さ、といっても昔はみんなこれくらいあったが、、、、。味は合格、問題はめしの量と半分が天ぷらだということ。
 お上品な京都のこと(小)ならどのくらいかなと想像する。天ぷらは後から調べたことなんだけど、言えば天ぷら無し、天ぷらばっかしもしてくれるそうだ。みんな蒲焼きで食えば良かった。

こんな感じで半分はてんぷら、胡麻団子はサービス。プーさんご満悦

【今日のじょん】朝方、何とも情けない声で啼いている。かみさんが見に行って、「大変、百足に咬まれたようやで」ということ。慌ててネットで対処法を探すが、医者に行けとか温めろとか冷やせとか訳がわからない。日曜日の朝とて医者には行きようが無い。温めるにしても冷やすにしても目の上なのでどうしようも無い。軟膏もつけようが無い。結局自然治癒を待つしか無い。かみさんがアレルギー用の子ども目薬をさしていたが、これは問題ないようだ。夕方になって腫れもかなりひいてきた、やれやれ。

ちょっとわかりにくいが、左の目は開かない。

 

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アウトレット 9/9

2015-09-09 | 日記・エッセイ・コラム

2015.9.9(水)雨

 9月1日、神戸三田プレミアム・アウトレットに行った記事が下書きのままだったので、ここでご紹介しよう。買い物なんて大嫌いなんだけど、始末屋の小川さんが「楽しいわよ~」なんていうから予定の空いた定休日に神戸三田プレミアム・アウトレットに行く。かみさんは競泳用の水着をわたしはアウトドア用の綿のズボンが欲しいと思っていたので、西日本最大のアウトレットに行けば狙いの品があるだろうと勇んでいく。雨天の予想されるウイークデイとあって駐車場も空いている。オープン当初はおそろしく離れた駐車場に駐車して店にたどり着く前に疲れてしまったなんて話も聞く。ロスアンジェルスの高級住宅街のなんとかをモデルとしたと言うふれ込みでさすがにおしゃれな店が並んでいる。アラモアナのショッピングセンターを思い起こしながら一軒づつのぞいていく。アラモアナではブランド商品などの高級店には用はなく、文房具店やおもちゃ屋、本屋などが面白かった。東急ハンズやロフトみたいな感じでいつまで見ていても楽しい。ところがここは品数も少ないし、お目当ての品物などどこにも無い。その上「何かお探しでしょうか?」などと店員は純日本風だ。

雨のウィークデイとあって客もまばら。
10軒も廻ったら疲れてしまって、食事をとることにしてフードギャラリーに向かう。エリアの真ん中に10店近くが並んでいてテーブルに運んで食べるのだが、最盛期には長蛇の列で、食べられなかったという話をよく聞く。そりゃあそうだろう、これだけの店では無理がありそう。しかも料金は割高で、アウトレットで安い買い物をしても交通費と食事代で足が出てしまいそう。味はまずまずだが二人で3,000円の昼食はなんとも不満。

これで3,000円
 もう店を廻る気も失せてしまってカフェでコーヒー飲んで帰途につく。雨が降り始め、神戸三田から綾部までもの凄い豪雨、50キロ規制となったが視界が開けず、轍では車を撮られて運転もくたくた。綾部に帰って買い物してたら嘘のように晴れてきた。
 買い物嫌いにとってはアウトレットと言ってもつらいものがある、思えば10月に竜王のアウトレットに行く予定が入っている。楽しみというより憂鬱になってきた。

【今日のじょん】低気圧のせいか気温が下がってきたせいかじょんの左足がまたしてもやばいことになってきた。どうやら神経痛かと思われる。投薬も副作用ばかりで効果が無く、成り行きに任せるしかないかという心境。冷やしたらあかんとかいってかみさんがサポーター買ってきた。どうも白いのは痛々しくていけない。

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ルーヴル美術館展に行く 9/8

2015-09-08 | 日記・エッセイ・コラム

2015.9.8(火)雨

 7月1日、長岡天神に向かう10分間の間に大雨が降って全身ずぶ濡れになってしまった。ルーヴル美術館展が開催されている京都市美術館に向かう途中のことである。入場料の割引がされる新聞の切り抜きを握りしめて向かったのだが、このずぶ濡れでは堪らない、がたがた震えながら綾部に帰ってきた。もう諦めていたのだが、プーさんが「ルーヴル美術館展観たいねえ」って言い出すから行くことになった。やっぱり雨が降って大変だったが、7月ほどのことは無い。

 普通のルーブル美術館展なら行ってないだろうけど、今回のは「日常を描くー風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」というものだ。フェルメールの「天文学者」、グルーズの「割れた水瓶」、マセイスの「両替商とその妻」など有名な絵の実物が見られるのだから素晴らしい。展覧会も終盤にかかっているためか多くの人で落ち着いて鑑賞するのは難しいが、さすがのルーヴルに感動する。絵の見方は各人の勝手だが、やはり風俗画となるとその当時の暮らし、特に庶民の暮らしはどうだったのかと、歴史博物館を観る感じで見てしまう。16世紀は裸足の人が多いが18世紀になるとみんな靴を履いてるなあとか、八割方の絵の中に犬が登場しているのもヨーロッパの生活文化を感じさせる。狩りの場面には当然だが、家の中でペットとしているのも多いのだ。中にはマルチーズがいたりして、ペット文化の先進性を感じる。年代が新しくなると首輪をしているのも多くなり、やはりベースには狩猟文化があるのかとも思われる。日本では江戸時代あたりの年代だから、やはり文化の違いを思わせる。
  庶民や貧民を描いているのだけど、描いているのは王侯貴族に雇われた画家達だし「蚤をとる少年」も「蚤をとる女性」も妙に血色が良かったりして貧しさや悲惨さは伝わってこない。絵に込められた教訓めいたことはともかくとして、皮肉めいたことはその雇い主にはわからないだろなあなんて余計な想像までしてしまう。
 一番嬉しかったことは、カミーユ・コローの「アトリエ・画架の前に座る若い女」がその中にあったことだ。どこでこの絵を知ったのか憶えはないのだが、どこか見覚えのある絵で、この絵の実物に会えたことはこの上なく嬉しい。コローに家族があったかどうかも知らないのだが、彼の娘に対する情愛を感じてしまうのだ。斜め後ろから描かれているからだろうけどその顔の輪郭と頬の膨らみがわたしの娘に似ていて、マンドリンを持っているのが余計そのように思わせる。コローに娘がいたとしたら、マンドリンを弾いている途中に「お父さんって何描いてるんだろう」なんて、ふとアトリエに入って絵を覗いてみる。そんな情景が浮かぶんだが、本当はどうかわからない。わたしが思うんだからそれでいいのだろう。同じ色調の「身づくろいをする若い娘」と二枚のポストカードを買ってきた。

左のが「アトリエ」

  

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オークラ東京のこと 9/6

2015-09-06 | 食・レシピ

2015.9.6(日)雨
 ホテルオークラ東京が閉鎖されるというニュース、まさかと思っていたらどうやら立て替えのためのようで、あの落ち着いた雰囲気の建物が高層のビルに変わるそうだ。本館は8月末で閉館し、別館がリニューアルされて営業されているということだ。
 大学の一年間弱ここでウェイターのアルバイトをしていた。世界一になったホテルでそのフランス料理も日本では最も正当なものとされていた。主に宴会場の配膳をしていたのだが一週間はみっちりとフランス料理のマナーを教育され、もちろん配膳のノウハウも教えてもらった。そうでもしないとあの複雑な食事のとり方など永久に憶えることはなかったであろう。もっともフルコースの料理など未だに食したことはない。コースの食事は食べたことはないが、立食パーティなどでその日の最後の会が終わると残り物を食べられることもあった。料理も酒類も世界最高のもので、ワインなどはホテルの職員さんなどが説明してくれることもあった。従って上質のワインの味は今でも見分けられる様な気がする。でも本当に美味しいと思ったのは、アイスクリームとフルーツポンチとクロワッサンであった。こういったものが日常的になっていなかった時代だった。

 ホテルオークラは芸能人の利用が多いので有名だが、H、J子さんの結婚式など末席からはメインテーブルが見えずに困ったことを憶えている。食事の進行はメインテーブルにあわすことになっているからだ。モハメドアリ(カシアスクレイと言っていたかもしれない)の対戦が日本であり、そのレセプションが行われたこともあった。びっくりする大男で、こんな選手のパンチって凄いだろうなあと思いつつ「スカッチオアサントリー」なんていいながら外国人に水割りを勧めているとほとんどがサントリーという答で、日本のウィスキーもたいしたものだと思った。
 困ったのは品川プリンスや出来たばかりの京王プラザホテルに出張に行った時のことである。ホテルオークラの職員だと上席に配置されること、知らない中華料理の配膳にまわされることなどである。オークラでは和食と中華は女性職員が配膳しており、我々男性はフランス料理、洋食のみであった。鯉だか鯛の馬鹿でかいのを10人に分けるなんてそんなこと知らんわな、ばらばらになった魚を配ってみたが、あれってばれてたかなー。ホテルの名誉にも関わることなので表には出せないが、冷や汗ものの失敗談がいっぱいあり、楽しいアルバイトであった。

【今日のじょん】この頃のじょん、どうゆうわけかぷっつんきて動かなくなる。病的なものか意地張ってるのかよくわからないが、朝夕の散歩が大変である。昔のねじ巻きの時計がたんびに止まってるのを思い出していただきたい。イライラカリカリしてしまうのだが、忍忍。きっとセロトニンが減少してるのではないかと想像している。

これどちらも固まっているところ。

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初恋号7世(2) 9/2

2015-09-02 | 自転車

2015.9.2(水)

 走ることに夢中になっているときは、エンジンをパワーアップすること、自転車を軽量化することばかり考えて、バッグや泥よけの付いた自転車などを無視していたし、リフレクターやベルなどもとんでもない不要物と考えていた。日本一周の旅に出て、車だらけの公道やトンネルの通過でどれほどの恐怖を感じたことか。確実なブレーキ、破損の無いフレーム、故障の無いパーツ、明るい前照灯、相手に確実に認識できるバックライト、よく見えるバックミラーなどが重要になってくるのである。つまり同じ自転車でも目的によって装備は随分かわってくるということだし、乗り手の考え方もまるで別物となるのである。
 もう一つ、初恋号6世で困ったことは、輪行ができないことである。輪行とは自転車をバラして輪行袋に収納し列車やバスで移動することである。北海道を早々に退散したのは、雪が降っても走るか歩くしか先に進めないことである。沖縄だって飛行機で輪行する方が廉くて早いのだけど、船で行くしか無かった。駅前で輪行袋から自転車を出して組み立てている姿を見たとき、ああいう旅行したいなあとしみじみ思ったものである。
 そんなこんなで、初恋号4世の第2の人生、いや車世をこういったタイプの自転車にチェンジしてかけてみようかと言う気になったのである。ところがまるで違うタイプの自転車にチェンジするのは相当困難な問題があると思う。ましてわたしの思いを取り入れて製作してくれるビルダーは一人しかいない。それは4世、6世を作ってもらった辻本さんである。ところがここで大きな問題が起きた、日本一周が終わってから連絡することもなく過ごしていたのだけどさて連絡しようとしたらHPは閉鎖されているわ、電話は通じないわでなにやら怪しげな雰囲気。歳といえば歳もあり、なにごとかあったのかと気にして1年ぐらいたった。悩んだあげくに携帯電話に電話してみる。これも繋がらなかったら自転車改造のことは諦めよう、繋がったら実行しようと決めてかかった。
「こんにちわ~小原さん久しぶりやね~」「
辻本さん雲隠れしてるって噂なんですが、仕事はどうしてるんですか?」「色々ありましてHPと電話を廃止してました、体調を崩して仕事も休んでいたこともあります。でも今はもう大丈夫ですよ。」
 てなことで初恋号4世は7世として甦ることとなった。

15年前のパーツとしてはかなりマニアックなものを使っていた。ブレーキアーチ、チエンホイルはスギノテクノ75でディレーラーはシェパーブプロで今では幻の逸品と言うところか。フレームはコロンバスSLXで京都の名工萩原さんの手になるものである。
 ホイール、ハンドル、ペダルをはずし、指定のボックスに収まって旅立っていった。新しく自転車をつくるとき、パーツをセレクトしてサイズを合わせて、でき上がるまでのあの感覚は、初恋の人に思いを告げるまでの切なくも心躍る時間のようなものである。経過はその都度お知らせするとして、ひとまずおわり。

 

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初恋号7世 9/1

2015-09-01 | 自転車

2015.9.1(火)曇り       6世の旅立ち(2006.7) 
 First Love Ⅰ、Ⅱ~というおしゃれな名前の付いたわたしの自転車は現在1世から6世まであって、手元に存在しているのは4世、5世、6世である。詳しくは「初恋号六世」(2006.7.8)に書いているのだが、この中で数奇な運命をたどってきた一台がある。
1世 (ロード、スチール)初トライアスロン(第一回天橋立大会)、宮古島、琵琶湖大会、その他ロードレースなど
2世 (MTB、アルミ)ようやく開催され始めたMTBの大会参加、京都MTBクラブをつくり北山など走破
3世 (ロード、アルミ)ハワイアイアンマン、琵琶湖大会、皆生大会などトライアスロン全盛期
5世 (サス付MTB、アルミ)主にトレーニング用に使用、10数年間通勤に使ったので走行距離はNo.1、現役
6世 (MTB、スチール)日本一周、現役

 さて、問題の4世だがスチールのロードレーサーでフレーム、パーツともに最高のセレクトで、値段的にも最高だったと思う。スタイルもカラーも大のお気に入りだったのだが、トライアスロンの組織再編やルール策定、各地大会の運営や審判団の育成など裏方仕事が忙しく大会参加などとても出来なくなり、この4世は倉庫に眠ったままの状態となった。2度ばかし新旭のトライアスロン駅伝で準優勝したことがあるが、他人の力で勝ったようなもので4世の活躍の場は少なかった。その後も倉庫の天井にぶら下がったままで15年が過ぎてしまった。埃をかぶって哀れな姿を見る度に心を痛めていた。
 競技を止めたわたしにとってロードレーサーは不要であるし、自転車に対する考え方、楽しみ方もかわってきた。走ること自体より、目的を持って走ること、その楽しみを日本一周でおぼえた。6世などはその最たるもので、頑丈で荷物が多く積め安全に快適に乗れるよう設計した。それを駈って目的地に向かうというのはなにか自転車本来の姿のような気がして楽しくなるのだ。MTBが出てきたとき、野や山にどこでも行けるのだというあの感動も思い出してきた。

何年かぶりかで取り出してきた4世、埃だらけ。
 オンでもオフでもMTBで走っているときまた違ったバイクを見かけた。レクリエーション協会の単位を取るために参加したサイクリングイベントで、ロードでもない、MTBでもない、ツーリング車でもない丁度ロードとツーリング車を合わせたような自転車で、フロントバッグがあり、泥よけもあったかな、それでいてスポーティで軽そうなのだ。おじさんと違って女の子がそれなりの服装で乗ってるととってもおしゃれで、ああこういう世界もあるんだなんて感じがした。わたしがロードレーサーに乗り始めた頃(もう30年以上前なんだが、、)女性は少なくて、「お母さんに、競輪選手みたいなまねせんといて、近所にみっともないと言われるんですよ」なんてこと言っていた。最近のサイクリングイベントでは自転車も服装も随分おしゃれになって、とても楽しそうだ。

おじさん撮った訳じゃ無いのよ、女性二人かっこいいでしょ。(じょんのびエイドで)

 ちょっと話がそれてしまったが、この4世をなんとか世に出してあげたい、もう一花咲かせてあげたいとおもっていたのである。つづく

 

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