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ハナのグチャグチャ飯

2017-04-25 12:03:10 | お話
🍚🍚ハナのグチャグチャ飯🍚🍚


今年の6月、ハナが死んだ。

花は14年前、北海道の私の別荘の玄関の前に捨てられていたメス犬だ。

生まれて2、3ヶ月というところか、両の手のひらに乗っかるくらいの大きさだった。

夜が白々と明けてる頃、クークー、
キャンキャンと啼(な)く声に家中が目を覚ましたのだ。

どこから来たんだろう、こんなに小さいのに…、

と居合わせた泊まり客がいったのは、

私の家は人里離れた山の中腹にあって、人家のある所からは700メートルくらい山道を登らなければならないからだ。

どこから来たもヘチマもない。

車に乗せて捨てに来たのだ。

我が家を狙って、わざわざ早朝に来たのだ。

私に押しつけに。

ここは私の別荘である。

秋になれば私は東京に帰る。

この犬を引き受けるとしたら、東京に連れて行かなければならない。

飛行機に乗せて、だ。
(犬の飛行機賃なんぼ?)

そうしなければ、これから寒さに向うこの山に、こやつを捨てて行くことになる。

その残酷な役割をこやつの飼い主は見も知らぬ(尻の持ち込みようのない)私に落ち着けたのだ。

私は犬を飼いたいと思っていない。

前にいたタローという犬が死んだ後、暫くは犬を飼うのをやめようと思っていたのだ。

飼いたくないのに(どこの何者ともわからぬ勝手者のために)飼わなければならなくなっていることの理不尽な事態に、ハラワタが煮えくり返る思いだった。

しかし、人恋しさに足元にすり寄っているこの小さき者を、北狐(キタキツネ)の出没する荒野に放棄することはできない。

ちくしょう!

と私は憤怒しつつ、

「飼うしかない!」

と決心したのだった。


東京の家へ連れて来られた犬コロは、孫によってハナというう名がつけられた。

前にいた犬がタローだったので、今度はメス犬だからハナにした。

熟考の末につけられた名ではない。

考えもなしで、思いついただけの名前である。

それほど大切にされていたのではないことが、この名前のつけ方でおわかりになるだろう。

ハナはタローが使っていた小屋を当てがわれ、家の中には気の向いた時しか入れてもらえず、

いつもテラスからガラス戸越しに私を見ていた。

私が居間にいるときは居間のガラス戸の向こう、

応接間で来客と向き合っている時は応接間のガラス戸の向こうからこっちを見ている。

「このワンちゃんは、いつも佐藤さんを見つめてるんですねえ。

よっぽど可愛がられてるんですね」

と何人もの客からいわれた。

私は特別にハナを可愛がってはいない。

日々の暮らしの "ついで" に飼っている、という気分だった。

何しろ私は忙しいのだ。

ハナに心を寄せる暇などなかった。

時々、思い出したように、ハナ、元気かい、と言葉をかけて頭を撫でてやるくらい。

庭には穴を掘ったといっては叱り、泥足で磨いたばかりの床に上がったといっては邪険に追い出し、

たまにブラシをかけてやるが、何ごともやり出すと熱中するたちなので、力まかせにいつまでもかけつづけ、

いやがて逃げようとするのを逃さず押さえつけて怒る。

しかし、お客の中には、

「ホントに幸せなワンちゃんねえ。

ゲージに入れられたり、つながれたりしていないし、

お庭は広いし、こんなに自由にさせてもらってる犬はいませんよ」

という人が少なくなく、

私は尻こそばゆい思いで、

「いや…そんな…幸せだなんて…そんなことは…」

あとは口の中でむにゃむにゃいってごま化すしかない。

花ハナにしてみれば、

「幸せな犬? 勝手に決めなさんな」

という思いかもしれないと思っていた。


そんなある日、思い出したことがある。

北海道の別荘でハナを飼うことに決めた翌日のことだ。

朝の5時半、けたたましい啼き声に窓を開けると、1匹の北狐がハナをくわえている。

思わず、コラーッと怒鳴って窓から飛び降りると、

狐はハナを放して一目散に逃げていき、

ハナは手毬が転がるように私に向かってきたのを受け止め抱き上げると、

額に狐の牙の痕が血を滲(にじ)ませていた。

その時のことをハナは忘れないだろう。

ハナは私を「命の恩人」だと思っているのだ。

その恩人が東京の家では少しもかまってくれないが、

ハナは失望もせず、黙って遠くから「恩人」を見守っているのか。

見守る癖がついてしまったのかもしれない。

そのうち気がついた。

ハナは自分の小屋では寝ずに、私の寝室の外のテラスで毎晩寝ている。

春や夏はともかく厳寒の頃も変わらない。

ハナは私を守っているつもりなのだろうか。

それとも捨てられた時のあの夜明けの、ひとりぼっちの心細さが身に染みこんでいて、

少しでも人の気配に近いところにいたかったのだろうか。

しかし私はそんなハナの心情に応えてやろうともせず、いつも忙しくいつも邪険だった。


この国では昔から、猫の飯は残飯に鰹節をかけたものと決まっていて、

犬の飯は魚の骨やら肉片、野菜の煮物にそれらの煮汁か味噌汁の残りを残飯にかけた「汁飯」と決まっていた。

「猫飯」は汁がないから、猫の食べ方は静かである。

犬はピチャピチャと音を立ててまず汁を平らげ、それからおもむろに中身にとりかかる。

そのピチャピチャに犬のいそいそした気持ちが滲み出て可愛いかった。

だが今はドッグフードなるコロコロが犬の常食になった。

毎日毎日、来る日も来る日も何年も、同じコロコロを食べてよく飽きないものだと思う。

何かしらヘンだ。

不気味だ。

もうピチャピチャに始まる食事ではなく、初めから終わりまでカリカリリ、カリカリだ。

だが、「それでいいのです。ドッグフードなら栄養も考えられているし、第一、糞が臭わない」

と皆がいう。

そうかもしれない。

そうかもしれないが、そうでなければいけない、ということもないだろう。

そう考えて私はハナのご飯は昔ながらの残飯主体の汁飯にしていた。

昆布でだしを取った後の昆布を細かく刻んで必ず入れた。

この昆布飯でタローは20歳まで生きた。

太郎の前のチビは19年生きた。

ハナもそれくらいは生きると私は固く思い込み、昆布入り残飯を食べさせているから、うちの犬は長命なのですと自慢げにいったりしていたのだ。

しかし15年目の春が過ぎた頃から、ハナは昆布飯ばかりが何を与えても食べなくなり、

お医者さんから「腎不全」だといわれた。

腎不全用のドッグフードを勧められたが、

何も食べず飲まず、昼は居間、夜は私のベッドの下で、2ヶ月ばかり寝起きして、ある夜、死んだ。

あの昆布入り汁飯がいけなかったのか?

思うまいとしても思ってしまう。


私の胸には呵責と後悔の暗い穴が開いたままである。

自分の独断と冷たさへの呵責だ。

冷たい飼い主なのにハナの方は失望せずに慕ってくれた。

そのことへの自責である。


ある日、娘が親しくしている霊能のある女性から、こんな話を聞いて来た。

「ハナちゃんは、佐藤さんに命を助けてもらったっていって、

本当に感謝していますよ。

そしてね、あのご飯をもう一度食べたいっていってます」

そのご飯が、その人の目に見えてきたらしい。

「これは何ですか?

なんだか、ぐちゃぐちゃしたご飯ですね?」

不思議そうに、その人はいったとか。

途端に、私の目から、どっと涙が溢れたのであった。


(「九十歳。何がめでたい」佐藤愛子さんより)