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昨日、「ベンジー」を見た。
動物、生きるものすべての本能はこう働くのだろうなと感じた。
人間は、全部ではなくても、やっぱりだいぶおかしくなっている。
口先だけの真面目さをやめて、真剣な行動をする、
真剣に生きる、
真剣にならないから、ずっと、愚痴っぽいものが無くならないし、集中することが出来ない、
自分の「真剣」とか「一生懸命」は、全然真剣でもないし一生懸命でもない、
前から言われていたけれど、やっと自分が納得出来た感じがする、
自分のレベルの低さもまた良く解った、
ここには自分の親もいない、だから、もう自分を抑えたり感情だって我慢することない、
だから、ずっと引きずってきた自分も、もうやめて変えるんだ、
子供たちを見ていれば良くわかる、悪いところが自分の癖と同じだって良くわかる、
解ったら、子供たちに治させるんじゃなくて、私が治す。
前よりも、自分の悪い部分を「これは良くない」と認識出来るようになってきた、
昔は、自分のことは全然解らなかった、
それがこの10年ちょっとで少しずつ解るようになってきた、
解るようになって、だいぶ解ったなと思っていても、それでもまだ気づくことも多い、
解ったと思っていても、実はまだ全然自覚出来ていなかったこともあったし、そういうのも自覚出来ることが増えた、
それでもまだ、自分を変えることはたくさんある、
自分の悪い癖が解っても、すぐには治らない、
ちゃんと「これは悪いんだ」ってかなり認識しないと、
今までの自分に流されてすぐになあなあになる、
今日は、良くない自分に気付いて、それは減らす努力をした、
自分が感情を表に出すことが苦手で、おまけに自分の感情を押し殺してずっと生きてきたし、
だから感情のコントロールも下手糞だし、
自分の感情を野放しにしてしまうこともある、
表に出さないっていうのは、口に出さないっていうのとは別で、口に出さなくても雰囲気で出てしまうことだってある、
自分の気持ちとは裏腹に、周りが受け取る雰囲気だってある、
自分もまだ隠してしまうこともある、でも、感情的になってしまうこともある、
昔は自分のことを全然見ようとしなかったから、全然解らなかった、
でも、今はいろんなことが冷静に見れるようにもなったし、自分のこともよく解るようになったし、
自分のあらゆる部分を受け入れることも出来るようになってきた、
まだ認めたくない部分もあるけど、そうやって逃げてきたことも、少しずつ気づけるようにもなってきた、
自分を変えていくなら、いつもちゃんと自分のことを見ていないと、どこを変えればいいか解らないからすぐに疎かになる、
毎日、何か新しいことをするってことが出来なくても、いつも自分を見て変える部分を解っていれば、ちゃんとそのチャンスの時に変えられるハズ、
なので、「今日は何も出来ていない」ではなく、いつも「変える部分」をチェックしていよう、
それだって大事なこと。
昔だったら出来なかったこと、今はちょっとはマシになってきて、
何かの時に「前は出来なかったな」って感じることがある、
でも、一緒に「こんなの、ごく当たり前のことなのに」って感じる、
それだけ昔はほんとに何も出来なかったんだ、
社会性ゼロっていうか、コミュニケーション能力ゼロっていうか、
この歳になって情けないっちゃあ情けないけど、
出来ないままに出来ないことを放置して、くだらない意地を張ったままに生きているよりは、
どんなに情けなさが解っても、少しでもやり直しが出来た方がいい、
少しでも変な意地が減った方がいい、
上手に出来なくってもいい、一生懸命やれるようになればいい、
「この場面ではこう言えばいい」みたいなのも、昔よりは解るようになってきてるけど、
時々、自分の言葉じゃないように感じることもある、
でも、そんなこっちの気持ちなんて関係無いというか、
人は多分、「その時言われたら嬉しい言葉」っていうのがみんなに共通してあるんだと思う、
みんなと、というか、一般的な感じで出来なくても、自分がいつも、前よりもちょっとずつでも進歩しているように、何か変化があるように、
人に変えてもらうのではなく、自分が自分で自分を変えられるように、努力しよう。
人を責める時、ただ責めるだけじゃなく、相手の事情もちゃんと解って責めないと、
一方的に「お前が悪い」だけだと、行き場がなくなる、
例え相手が子供でも、と言うか、子供だからこそ特に、「何故こうなっているのか」をちゃんと解っていないと、
ちゃんと解らなくても「何か事情がある」ってことくらいは解っていないと、
一方的に責められても納得出来ないし、何も吸収しないんだと思う、
「お前が悪い」ばかり言われ続けた子供はどんなふうになるか、
もし自分がそんなふうに言われ続けたらどう思うか、
負の連鎖、悪循環を生むようなことを、特に子供相手には絶対にしちゃいけない。
根っこを作る、自分の根っこを作る、
今やっていることは自分の根っこに繋がることか、自分に本当に必要なことか、
自分が本当にやりたいことか、
いつも、自分の根っこを作ることを考える、
根っこが無いから、大事なところで人に流される、
自分の根っこを作ることをいつも考えていれば、
全部の道も決まってくる、
まだちゃんと根っこが出来ていない、だからいつも考える、
今、自分が囚われていることは、自分の根っこに必要なことか、
今、自分が流されていることは、自分の根っこに必要なことか、
必要なことだったらどんなことでもやればいい、
必要じゃなければ、さっさと切り捨てて次へ進めばいい、
自分の根っこを作る、
自分の根っこが出来れば、自分が強くなれる、
流されない、フラフラしない、惑わされない、
そうなるために、今日からいつも考える、「これは根っこに必要か?」って。
自分に何か「これ」というものがあれば、
きっとそんなには周りを気にしないんだと感じた、
そんなことをしなくても、ちゃんと自分のやりたいことがあり、
「自分」があるってことになる、
それがあるから、悪い意味では全然無く、無駄に周りも気にする必要がないし、
必要な時にちゃんと気遣いをすることが出来る、思いやりがいつでもあるんだと思う、
でも、自分に何も無いと、或いは何かあっても中途半端なままだと、
周りばかり気にしてしまう、というか、人目を気にするというか、
言い換えれば、何も無いことを隠そうとしているのか、
別に人に笑われたって、バカにされたって構わない、
今までだって笑われたりバカにされたり、見下されたり、
ずっとそんな人生だったし、
でも、今までは「自分のほんとうにやりたいことをやって」そうされたんじゃない、
「自分のほんとうにやりたいことをやって」バカにされたり笑われたり、見下されたり、そうされても、全然構わない、
自分にとって大事なことをやっているんだったら、
誰に何を言われようと、全然構わない、
笑いたい奴は笑えって、そう言えるように、
そこまで自分を変えないと。
同じ場面でも、自分の中で以前と変わったこと、まだ変わってないこと、がある、
いつでも自分が何かを気にしている、
周りを気にしている、
良く言うことも出来るけど、短所にもなる、「集中力が無い」ってこと、
ものすごくよそ見をしている訳ではないけれど、
だからって夢中には成れていない、
夢中になってするほどのことでも無いのかもしれないけど、
でも、夢中になれる人は夢中になる、
そこまで出来るようにしよう、どんなことでも「夢中になる」、
昔は、ピアノを弾いていても本当に夢中になることが出来なかった、
それがしんどかった、
今は少しは変わっただろうか?
今日は、髪を切った、だいぶ短くなった、
外見を変えるだけでも気持ちは変わるけど、
でもそういうことだけでは変わらないものもある、
自分の中で動かないものというか、外見は全然関係無いものもある、
本当にすっきりしたいと思ったら、中身を変えなくちゃ、本当には変わらない、
外側だけ変えて誤魔化しても、自分の中身は変わらない、
良く言えば「外見に左右されない」とも言えるんだろうけど、
まず外を変えて気持ちを動かして、それから中身もっていうのもアリだと思うけど、
やっぱり動かない自分の中身というか、それは内側から変える努力をしなくては、
他の人はそうじゃないかもしれないけど、
自分は中身をもっと大きくグルッと変えないと、
やっぱりいつまでも「同じこと」になってしまう、
誰かに教えてもらったことだけど、人間は螺旋を描きながら少しずつ前に進んで行くんだって、
なるほどなーと、自分の意識次第で、動かないようでいてもちょっとずつは前に進んでいるのかなと、
でも、自分がスッキリしたい、自分を動かしてスッキリしたい、
いつまでもこのままでは嫌だ、
もっともっと自分を変えたい、変えたい、変えよう。