★ちゃっぴ★

ちゃっぴのこと、いろいろ、いろいろ、
いろいろありすぎて困るがなー

守る

2008-01-31 04:23:07 | Weblog
今日レッスンに行った先で、最後にお母さんとも挨拶をした。

その時何となく感じたのが、「子供を守る」ってことだった。

ああ、このお母さんは、子供を守るお母さんだって思った。

多分だけど、今まで特別の何かから守って来た、と言うよりは、

いつも常に、子供を守るために考えているような、

或いは、この先の「何か」に備えて準備しているような。

私の感覚が正しいのかどうか、

でも、この「守る」は温かく、心地好い感覚だった。




日曜日に子供達を守るって決めて、

月曜日から子供達の可愛さが変わった。

一緒に暮らす子も、レッスンに来る子も、みんな。

「守る」お母さんを見習おう。




でも、本当に「守る」のならば、

時には「鬼」にもなるのだろうなと思った。

レッスンとは言え関わっているのだから、

昔のように逃げたりせず、しっかり関わっていく。

ちゃんと見て、聞いて、感じていく。

どの子供達に対しても、また新しくやり直す。



子供・未熟

2008-01-31 04:14:49 | Weblog
時々、自分がとてつもなく未熟で、誰よりも子供だって感じてしまう。

それは、本来の自分の姿で正しいことなのかなと思うけど、
でも、やっぱりそういう感覚が怖い。

誰よりも子供で、誰よりも未熟で、周りに置いて行かれ、ひとりぼっちになってしまう。

怖い。

それが嫌で、自分を隠し、誤魔化し、惚け、無理をしてきた。

未熟でも、子供でも、それがどんなに酷くても、今度はちゃんと逃げずに受け止める。

また同じことの「やり直し」はやめよう。

「あ~らら」な大人たち

2008-01-30 11:06:05 | Weblog

日曜日、先生が帰ってしまい、何人かが追いかけ、子供達と私と junco ちゃんが残った。

その時、mai が聞いてきた。
「ね~、どうしたの?」
「先生が、怒って帰っちゃったの」
「何で?」
「みんなが真剣じゃなかったから」
「子供たちも?」
「ううん、大人たち」
「あ~らら」


そうなのだ、私達は「あ~らら」な大人たちだったのだ。

子供のことなんて、ちょっとだって何も言えないような大人だったのだ。

でも、何かと言えば、ちょっと子供達が愚図ったりダレたり我侭言ったりすれば、すぐに子供達を「叱る」と称して、子供達に自分の不満をぶつけていただろうし、カッコだけ付けて自分達の「あらら」ぶりを隠して誤魔化してきたんだ。


ほんとに間抜けだし、人生そのまま「お笑い」だったんだ。

情けなさ過ぎる!

「それだけはイヤ」だったこと

2008-01-30 10:53:26 | Weblog
日曜日、先生が帰ってしまった後に、「先生が居ても居なくても、活動は続けていよう」と、前の日に先生に言われたらしい「各自に来週までに何をするか言わせて、ちゃんとそれをやらせろ」ということを、その場でもう一度それぞれに自分がやってくる内容を確認することになった。

「来週までにやってくることを、言ってもらえますか?」って言われて、でも私は「それは納得出来ないので、今は言わない」と、言葉忘れちゃったけど、答えなかった。


ひとつには、見捨てられたのに、「居ても居なくても関係ない」と息巻きながらやろうってしてるのに、何故また「先生が言ったから」なんだ?、っていう気持ちがあった。


そしてもうひとつ、私はペットや家畜じゃない、と思ったからだ。自分でやることをわざわざ言って、次回までにそれをやってくる、そんな、何でそこまで管理されなくちゃいけないんだと。みんなで目標を言い合って、じゃあ次までにやりましょうなんて、そんな幼稚園レベルなこと、イヤだと感じた。

でも、それだけ今までの自分は、自分自身じゃ何も進められないバカモノ、それこそペットや家畜レベルだったんだと解った。


でも私はペットや家畜じゃない。もちろん、今までは自分で進めて来れなかった。動かなかった。でも、ペットや家畜じゃない。

そして、お手々つないで仲良くの幼稚園児でもない。


だから、自分で決めて自分でやるんだと、だから答えなかった。


ちゃんと人間になる!

 う~ん、・・・・・・ちゃんと、女性になる!





温度差

2008-01-30 10:33:44 | Weblog
その場ですぐに行動出来ることが、熱い心には繋がらない。

私達の場合は。


それに、本当に熱い心を持っているならば、勢いでその場を何とかしようみたいなことでは、動かない。熱い心があるヤツは、それと一緒にいつも冷静な心も持ち合わせていると思う。

そうじゃないと、熱さが危険なだけの、無鉄砲なだけの、うまく言えないけどそういうものだけになってしまって、折角の熱がうまく使えないことにも繋がると思うから。

でも、私の心もまだまだ熱さには遠いから、正しいかどうかは解らないけれど。



心の溶けない氷が分厚いのだから、熱さを求める前に、その氷を溶かしていかなくては。

分厚い氷を溶かしつつ、熱さにも気持ちを向けつつ。


例えば自分が泣いた分、自分が自分のために泣けた分は、氷は溶けるかな。


今日もがんばろー!


まず、自分のことから

2008-01-30 10:26:24 | Weblog
一昨日、中学時代のことを思い出した。

我侭で身勝手な同級生が何かに不満を持ち、泣き出した。確か、先生に何かを言われたのだったと思う。同級生ごときが自分に意見をすることなどあり得ない、と思っているような子だったから。

その同級生は、自習の時間にベランダで泣きながら自分の不満をぶちまけていた。クラスの女子は入れ代わり立ち代わり、その同級生を慰めに行っていた。

そして私は、その同級生のところには行かなかった。何であんな我侭な勝手な女王様気取りのヤツを慰めに行かなくちゃいけないんだと、絶対に行かないと、行かなければ何か言われるに違いないと思っていたけれど、行かなかった。

結果としては、「ちゃっぴは、私が泣いているのに慰めにも来ない。他の子はみんな来たのに、ちゃっぴひとりだけ来なかった。あいつは酷いヤツ」と、クラス中に言いふらされた。

根暗い中学生だったけど、自分では悪いことをしたとは思っていなかったし、多分、他の女子だってほんとにその同級生を可哀相だとは思っていなかっただろうなとは思う。

自分では、そんなことずっと忘れていたけれど、でも、自分の中ではトラウマになっていたのだと思う。ずっと、またそういうことがあったらどうしようと、怖がっていたのだと思う。

この中学時代のことを直接思い浮かべたりはしていなかったけれど、いつも、「相手を怒らせたら怖い」「何を言われるか怖い」、そういう思いはずっと抜けなかった。だから、いつも嫌だろうが何だろうが、相手に流される。そして、不満を溜める。



でも、それももう止める。いい加減、しんどい。自分の大事な「個性」である自分の性格も、嫌がらない。今すぐに人と楽しめないからって、それがどうだと言うんだ?それだって自分では本当には楽しめていないのに、周りの雰囲気や自分の中にある怖さのためだけに人に合せるのは、もう嫌だし、間違っている。

人それぞれ楽しみも楽しみ方も違うし、それをたまたま言葉が出やすい人間に「楽しめないなんてつまらないヤツ」と言われたからって、「楽しまないなんて、嫌なヤツ」と言われたからって、それがどうだと言うんだ?

楽しくないことを楽しいフリするのはもうやめる。楽しくないものは楽しくない。そんなことでウソを吐かない。そういうバカなウソを吐いて、バカな我慢ばかりしているから、不満も溜めるし、大事な事に対してのウソだってなくならないんだ。


今からは、自分の大事な「個性」である自分の性格を、めいっぱい好きになる。めいっぱい活用して、まず自分の足をちゃんと地面につける。ちゃんと根っこを張るんだ。不満を溜めるのは自分が悪い。人のせいにしない自分にするには、まず自分が自分の魅力であるこの性格を使って、自分の今ある能力をどんどん高めていくことだ。

ピアノを弾けることは悪いことじゃない。そのために、それだけの時間も使ってきたんだ。それを、お高く留まってるとか、ピアノ弾けるからすましてるとか、そんな言葉ばかりに自分はバカみたいに自分から流されてきた。

ピアノ弾いて、その分の時間は普通よりは確かに引き篭もってるだろうし、もともと苦手なコミュニケーションだって、その分遅れてる。でも、ピアノを弾けることは悪いことじゃない。そのために、それだけの時間も使ってきた。時間だけじゃない、お金も使ってきたし、そのための、今からすれば間違ってはいても、色々試してみたり、ピアノを弾く為にコミュニケーション頑張ったり、良い曲にしようと、何人もの先生にレッスンを受けたり、色んなCD聴いてみたり、解らないなりにもやってみていた。

その結果は、良いものは何も出せていなかったし、だから今こうしてやり直しをしている。でも、ピアノを弾くことは悪いことじゃないんだ。ピアノをずっと続けてきて、ピアノが弾けることは、全然全く微塵も悪いことじゃないんだ。

それを悪いことのようにして前に進めなかったのは、自分が未熟なまま、その未熟さにも気付かなかったからなんだ。


ピアノを弾くことは悪いことじゃない

ピアノが弾けることは私の凄く大きい武器になる

私には、磨けば光り輝き出す武器があるんだ

正しく磨けば、ちゃんと大きな力を出せる武器があるんだ

ピアノを弾くことは、悪いことじゃ無いんだ

全然悪いことじゃないんだ

私は、ピアノを弾いても良いんだ

ピアノをたくさん弾いても良いんだ

ピアノを、自分の武器として、いっぱいいっぱい使って良いんだ

誰かの目を気にすることなんてないんだ

自分が今まで続けて来たピアノを否定することなんて無いんだ

ピアノを、もっともっともっともっと、まず自分のために弾いて良いんだ

私は、ピアノを弾いて良いんだ

たくさん、毎日毎日、いっぱいピアノを弾いて良いんだ

悪いことじゃないんだ

ピアノを弾くことは、悪いことじゃないんだ

誰にも遠慮なんてしなくて良いんだ

ピアノを、たくさんたくさん弾いて、たくさんたくさん楽しんで良いんだ

ピアノが好きな自分を隠さなくて良いんだ

ピアノが好きなことを、悪いことだと思わなくて良いんだ

ピアノが大好きなんだから、そのままの気持ちでピアノを弾けば良いんだ

自分の気持ちを抑える事なんて無いんだ

私は、死ぬまでピアノでうんと人生を楽しんで良いんだ

それは、私自身が決めて良いことなんだ






先生のブログより・自分の性格の「良い部分」のみを借用。まずは、この性格を好きになる。と言うか、好きだ。これを使うんだ。いっぱい、使うんだ。他人に何を言われようと、構わない。まず、自分からだ。自分で自分の足を引っ張らない為にも、まずは「良い部分」から~。


●いい子ぶるタイプ 

【ちゃっぴ】

可愛い子ぶることも、そういう相手に迎合する事も出来ない「不器用で根暗な芸術家タイプ」である。その性格に「楽しいノリがない」「面白みが無い」ということにあり、簡単に言えば「クソ真面目優等生タイプ」と言える。だがこのタイプの面白さは「その真面目さ」であり、このタイプの楽しさは「本気で真面目にとことん芸術を追求する事でどんどん育っていく」と自覚出来ない限り、人に流されて不満ばかり溜め込む人生は終らない。



☆この真面目さは言い換えれば「自分を律する意思の強さ」でもあり、フザけずに本気で真面目に音楽や文学、絵画や映像芸術に取り組めば、その心と身体に豊かで心地よいリズム感が湧き起こり、「社会に通用する楽しさ」や「本当の意味での金を引き寄せる面白さ」を多くの人に提供できる「本物の芸術家」となれる。自分の不器用さ、真面目さを嫌わず、その真面目さ、不器用さを武器に本気で音楽や文学、絵画、映像芸術を磨いていけば成功者となれる。




ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、


未熟で弱い、だからこそ

2008-01-29 01:49:00 | Weblog
自分はまだ、未熟で弱い。

だから、すぐ流される。

流されるのは、自分が未熟で弱いからだ。

でも、未熟で弱いからこそ、流されたくない。

強い自分にならなければ、いつまでも流されてしまう。

強い自分になるために、自分の武器を磨かなければならない。

自分の武器をちゃんと磨いて、自分が強くなるまで、

出来ることなら何ものにも流されたくない。

自分が弱くて未熟だからこそ、流されたくない。

いつまでも、「流される自分が悪い」と、自分を責めているのは嫌だ。

もし、自分が親ならば

2008-01-29 01:44:37 | Weblog
もし自分が親ならば、親になったならば、

そして、もし子供が大きな失敗をしてしまった時、間違いを犯した時、悪いことをした時、

もし相手があることならば、親である自分がまず謝る。

子供にも、謝らせる。

「それは悪いこと、してはいけないこと」と、しっかり叱る。

親も子供にちゃんと謝る。育てた責任があるから、謝る。

外からの罰は親が受ける。外からの攻撃からは守る。

家庭内では、親と子供とどちらにも罰を課す。

一緒にやり直す。



・・・これだったら、ちゃんと子供の責任を取っている、子供を守っていることになるだろうか?


自分はまだ親では無いけれど、叱られてことで、考えた。

自分が成長して行けば、ちゃんとやり方が解ってくると思う。
頭だけではなく、行動が出来るようになると思う。

感覚

2008-01-28 22:33:51 | Weblog
今日、自分の感覚が変化していることに気付いた。

今までは、周りのこと、相手の言動や状況など、自分が判断の基準だった。

うまく言えないけど、自分がそれを受け入れられるか、受け入れられないか、とでも言うような。

だから、嫌な気持ちを持ってしまうと、それがイコール「自分が未熟だから」「自分の器が小さいから」と自分を責めることへ繋がっていた。


今も、自分の未熟さや器の小ささは、そんなに変わっていないと思う。

でも、今日感じた判断基準は、それが「人間として正しいかどうか」「愛情ある言動かどうか」、そういうことだった。

それが良いことか、悪いことか、それが判断基準になっていた。


だから、自分のことをいたずらに責めたり、卑下したり、卑屈になったり、そういう感じが無くなった。


奴隷根性が無くならなかった自分にとっては、これは大きいことだと思う。


でもまだ、冷静に見て判断しているだけで、それに対して自分の意見を言うとか、立ち向かっていくとか、そこまでにはなってない。と思う。

でも、お陰で、「自分の感覚」を信じることが出来る、という感じを持てた。


私にとっては、凄く凄く大きく、大事なことだ。

小さい頃からずっと、洗脳された状態、奴隷のままの状態だったのだから。

もちろん、自分も悪いけど。

自分達のこと

2008-01-28 07:12:20 | Weblog
自分達がどれほど弱くて、どれほど未熟か、

自分達の弱さ、未熟さは、本当に痛いほどなんだと、

ちゃんと認めればそこからやり直せる。


あまりに弱くて、あまりに未熟で、それが痛くて、昨日は涙が出た。

あまりに弱くて、あまりに未熟で、でも心の中には叫び出したい思いがいっぱいある。

だから、涙が出た。