癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■二世安倍政権のひどい1年・「果報を寝て待った」二世福田氏!

2007年09月15日 19時15分44秒 | ニュース

     福田、麻生氏が記者会見 握手交わす両氏

次期首相は福田氏にほぼ決定、チルドレン組が勝ち馬に乗ろうと右往左往、民主党まで勝機を失ったように元気が無くなった。福田氏は、民主党の政策強調路線を大幅譲歩する路線変更で政策を打開しようしている事が早くも流されたからだ。何れの党も昔の仲間やる事にそんなに変わるとも思えない。

「果報は寝て待て」の通りの首相の椅子は確実になった。二世福田パフォーマンスはどんな奇策で政策で進めようとしているのか楽しみである。麻生氏の立候補は線香花火となったようだ。


ここで安倍首相の11日までの一年の歩みを上手く纏めたコラムが掲載されていたので記して置く事にしました。
                   ◆
      安倍政権1年、ひどい年は辞任で幕

今月11日のことだ。ふだんは羊のように大人しい日本人記者団が珍しく、安倍晋三首相に「少し体調が悪いようだが」と立ち入った質問をした。首相はこれに「ちょっと風邪をひきました」と返答。しかし振り返ってみればこれは、予兆だった。映画ではたいがい、登場人物がくしゃみをすれば、そのキャラクターは後のほうで死ぬことになっているものだが、案の定、「ちょっと風邪をひきました」と答えてから24時間もたたない内に、安倍首相は政治的な屍と化していた。

首相の辞任会見後に会見した与謝野馨官房長官は、首相が自ら口にすることはなかったが、辞任の理由のひとつに健康問題があったのではないかと述べた。

「総理は自分の健康が総理大臣の厳しい日程・精神的な重圧に耐えられるかどうか、常に吟味していた」と官房長官。

確かに12日の辞意表明会見で、安倍首相はげっそりと生気がなかった。声は小さく、元気もなくて、狭い会見室の後ろのほうにいた人たちは、首相が何を言っているのか聞き取るのに苦労するほどだった。

健康問題を辞任理由にする自民党の説明の仕方が、単なる目くらましの煙幕なのかどうかは、間もなく明らかになるだろう。しかし何が突然の辞任の契機となったにせよ、安倍首相の近くにいた人々はみな驚いていた。

「絶対に戦い続けるはずだと信じていた」 首相を良く知る関係者はこう言う。

これが7月に参院選で惨敗した後に、首相が辞任していれば、誰も驚かなかったはずだ。自民党52年の歴史の中でも最悪の敗北だったとされるあの選挙で、有権者は安倍首相のリーダーシップと政治テーマをとことん拒絶したのだ。なかでも、ここ数年の自民党の経済政策によって取り残され、のけ者にされたと感じている地方や貧しい県の有権者は、きっぱりと安倍政権にそっぽを向いた。

にもかかわらず安倍首相は、政治的な慣例を破り、党内重鎮たちの声も聞き入れず、続投を表明。参院選大敗の責任をとって辞任するのではなく、国際社会において顔を上げて主張することのできる日本をつくるという野望実現のため、努力し続けると表明していた。
心機一転の再出発を期して、首相は8月に内閣を改造。閣僚が4人も不祥事や失言などで辞任する羽目になった「軽量級」の第一次内閣とは異なる、より堅実で有能な布陣をそろえたかに見えた。しかしそれからたった1週間もしないうちに、農林水産大臣がスキャンダルで辞任するという事態に陥っていたのだ。

首相はその後、海上自衛隊がインド洋で米国など同盟国の艦船に給油することを認めるテロ対策特別措置法の延長に、自分の将来を賭けることになる。というのも、参院第一党となった民主党が、「直接的に国連安全保障理事会から承認されていない」という理由で、延長に反対しているからだ。

先週末にシドニーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、安倍首相はブッシュ米大統領に、テロ特措法延長を約束。さらに記者会見で、そのために「職を賭す」と発言し、延長できなければ辞任する意向を示唆したのだ。この発言は、首相が面目を保ちながら辞任する口実を作るための、いわば出口戦略を自ら用意したものだと、そう解釈する声もあった。

しかし帰国後の首相は、戦い続ける意志があるかのような姿勢を見せていた。10日には臨時国会を開いて所信表明演説。与党が衆院で獲得している3分の2の圧倒多数を使ってテロ特措法延長を衆院で再可決する意欲があるかのようだった。

けれどもその同じ日、安倍氏の後継と目されている麻生太郎氏によると、首相は「困難な状況」打開のために自ら退くと、辞任の意向を麻生氏に伝えていた。

辞任表明のタイミングに、大勢が驚き、そして政治状況をいっそう混乱させるものだと反発した。「大変なことになる」と政府関係者は話す。

しかし短命政権で終る羽目になった安倍首相の就任直後から、今回の事態の予兆はあちこちにあった。就任直後に果たした中国訪問で、首相は冷え切っていた両国関係の回復を図り、「戦略的互恵」と呼んだ日中関係の構築を掲げるというシンボリックな外交成果を挙げた。

しかし思えばこれこそが安倍政権の絶頂期だったわけで、それ以降は閣僚のカネのスキャンダルと失言(女性を「産む機械」と呼んで、有権者の半分の反感を買った大臣さえいた)が相次ぎ、首相の支持率は60%から20%台までひたすら下落し続けた。

ただでさえ支持率が低下し続ける中、社会保険庁が3000万件分の年金記録を紛失したという事態があかるみに出て、安倍政権はさらに横殴りの打撃を受ける羽目に。

米コロンビア大学の日本専門家ジェラルド・カーティス教授は、年金記録問題こそが安倍首相にとっての「ハリケーン・カトリーナ」だったと指摘する。2005年に米南部を襲ったハリケーン・カトリーナがブッシュ米大統領自身の責任ではなかったと同様、年金記録の紛失は安倍首相本人の責任ではないものの、事後の対処の仕方があまりにひどかったせいで、首相の(あるいは大統領の)感覚と国民の感覚がいかにずれているか、そのずれの大きさを象徴する出来事だったからだ。

日本経済はもう5年間も成長基調にあると言われるが、全くそれを実感できない。日本各地で一般国民は、そのことを何よりも心配している。にもかかわらず、安倍首相は「美しい国」作りというお題目を唱え続けたのだ。

「自虐的」だと安倍氏が呼ぶ日本人の自己像を捨て、日本の誇りを復活させようと安倍氏は訴えた。これは祖父・岸信介氏から安倍氏が引き継いだものだ。戦時中の東條内閣で大臣を務めた岸元首相は敗戦後、A級戦犯容疑で逮捕され収監されたが不起訴となった。この岸元首相の孫である安倍氏は、祖父の愛国心を尊敬し、たとえ国民に不人気でも国益のために正しいと信じることを実行するべきだという、そういう信念を抱いていた。

岸元首相は1960年、国内を揺るがした反対デモを無視して日米安保条約改定を断行したものの、混乱を招いた責任をとって辞職。安保改定を達成した上での、まさに栄光の炎にわが身を焼くがごとくの失墜だった。

孫の安倍氏もやはり日米関係が間接的な原因となって、首相の座を降りることになった。しかし1年で終った安倍内閣は結局一度も、「栄光の炎」に輝くことはなかったのだった。(フィナンシャル・タイムズ)


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■金魚の目の色は?

2007年09月15日 10時28分53秒 | 癒  し
  開発20年、赤目の金魚がお目見え
黄金色のからだとウサギのような赤い目を持つ金魚がお目見えした。名前は「アルビノ琉金」。愛知県水産試験場弥富指導所が約20年間、品種改良を繰り返し、このほど出荷にこぎつけた。

                    目の色まで気にしていなかったなー