芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

国家というもの…

2016年07月24日 | エッセイ
                                                        

 福田定一は、ノモンハン事件を生き延びた兵士や先輩将校から、ソ連の強大な機械化兵団の機能性の高い重戦車と、日本の戦車の比較を聞いた。完膚なきまでに叩きのめされた話を聞いた。彼の配属された戦車はその時の戦車と同型である。改良も進歩もない。この狭い戦車の中で、装甲を貫かれて肉片が四散し、あるいは丸焼きにされて死ぬのだろう。彼はその死をまざまざと意識した。 
 福田定一陸軍少尉は、戦車隊の小隊長として栃木県佐野に配属され、来るべき本土決戦の日に備えて待機していた。 
 敗色いよいよ濃い。米軍は千葉や常陸の海岸に上陸して来るに違いない。そうするとたくさんの避難民が大きな荷物を抱え、大八車やリヤカーに家財道具や幼な子を乗せて、道路という道路に溢れながら内陸に殺到するだろう。米軍を迎え撃つために出撃する戦車隊は、進むことも困難な状況になるだろう。福田定一小隊長は「その場合、どうしますか?」と大本営からやってきた参謀の上官に尋ねた。上官は「轢き殺して行け!」と言った。これが戦争をする国の狂気、当時の日本という国家の正体だった。国家も軍隊も国民を守るために存在しているのではなかった。
「日本とはこんなに愚かな国だったのか」…福田定一はこの問いを続け、作家・司馬遼太郎となった。
 国家というもの、特に戦争を始めた国家というものは、国民を守ることはしないのだ。

 日本という国は、この狂気の戦争の責任を、真に誰も取らず、従って反省もせず、戦争の起因や責任の所在を検証もしなかった。その検証に必要となる証拠の焼却を謀ったのである。
「…市ヶ谷方面を望むと、何やら大火事になったかと思われるほどの煙がもうもうと空に立ち込めている。それは途絶えることなく、夜になっても暗天を焦がすように次から次へと立ち上っていた」
 敗戦である。やがて戦勝国による戦争裁判が行われる。日本陸軍、大本営は戦前戦中の膨大な機密文書、作戦文書、明らかになるとまずい証拠文書の隠滅作業を行っていたのである。この後遺症はいまだに続き、日本は無責任国家のままである。また一部の強硬な保守派の人々は、「証拠となる文書がない」のだから「事実はない」と言うのである。
 国家というものは、後々責任を追及されそうな不都合なものを、焼却してでも隠そうとするものなのである。
 さて、終戦間際、関東軍はその家族を先に逃がし、次に軍属とともにさっさと逃げた。ソ連軍の最前線に取り残されたのは、急遽応召された開拓団の青少年、中年兵(老兵である)などである。彼らはたちまち捕虜となった。
 関東軍参謀の中佐・瀬島龍三作戦主任は「どうぞその捕虜たちは貴国の北方開拓の労働力としてお使いください」とソ連と密約したという。そのため捕虜たちはシベリアに抑留されたのである。戦後、本人は密約を否定しているが、公開されたソ連側の資料などから推察するに、それは事実であったろう。
 後に彼は中曽根首相のブレーンとして隠然たる力を持ち、また第一次安倍首相のブレーンも務めた。瀬島のように権力に取り入るのが上手い奴らが、権力を利用し、権力を握るのである。

 ノモンハン事件が起こる前年、大陸侵略を続ける祖国に、たった一人で抵抗し抗議した女性がいた。彼女はそのため売国奴と呼ばれた。しかし彼女は昂然と言った。

「お望みならば、私を売国奴と呼んでくださってもけっこうです。決して恐れません。他国を侵略するばかりか、罪のない難民の上にこの世の地獄を平然と作り出している人たちと同じ国民に属していることの方を、私は大きい恥としています。ほんとうの愛国心は人類の進歩と対立するものでは決してありません。そうでなければ排外主義です。しかし、なんと多くの排外主義者がこの戦争によって日本に生まれたことでしょうか」

 なんと勇気のある強い女性であろうか。なんと強い反逆者であろうか。長谷川テル(照子)、筆名は緑川英子というエスペランティストであった。エスペラントを世界の公用語として、エスペラントで世界の平和を訴え、反戦活動をしようとした。
 長谷川テルは山梨県大月の生まれである。「日本における婦人の状態」を書いた。満州国からの留学生・劉仁と恋愛結婚し、大陸の広州に渡り、エスペラントの翻訳と抗日運動に参加した。彼女は日本のファシズムを憎み、日本の兵士もまたその犠牲者であると考えていた。
 テルは運動のさなかに、6歳の男児と生後10ヶ月の女児を残して死去し、その後すぐに夫も亡くなった。二人の遺児は孤児院で育ち、テルを尊敬する人々に支えられ高等教育を受け、後に兄妹ともに日本の大学に留学した。兄は日本の大学で講師もした。
 長谷川テルは日中合作ドラマ「望郷の星」となり、テルを栗原小巻が演じた。
テルの娘・長谷川暁子は「二つの粗国の狭間に生きる」を書き、平和を訴えている。
 ちなみに吉永小百合の母と叔母の評論家・川田泰代は、長谷川テルの遠縁に当たるという。

        
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