今回の震災では原発事故に限らず「想定外」という言葉がよく使われ
それが批判の対象になることがあった。
まず言葉遊びのようだが、想定外のことに対応できないのは当然である。
想定していることだって対応できるとは限らないわけで、
想定していないことに対応できなくても不思議はない。
問題なのは想定が結果として甘かったということだ。
しかし、現実問題としてあらゆることを想定することは不可能である。
今回は巨大地震と大津波だったわけだが、
では、明日宇宙人が攻めてきて原発を攻撃することを想定するべきだろうか?
流石にそこまでしなくてもいいだろう。
しかし可能性がゼロかと言われればゼロとは言えないはずだ。
何故なら何にでも最初の一回目というのはあるからだ。
だから元々「絶対」は保証できないのである。
重要なのは想定すべきことと想定する必要のない事を分ける
皆が納得できるような評価方法を作ることだ。
有限なリソース(人・物・金・時間)であらゆるリスクに対応することは不可能であり、
我々にできるのは幅広くリスクを評価し効果的にリソースを分配することだけである。
典型的なリスク評価方法として発生確率と推定損害額の積で評価するという方法がある。
発生確率が低くても起こった時に大きな損害をもたらすならその対策は優先されるべきだろう。
だとすればある事象の潜在リスクは「単位時間での発生確率×推定損害額」で計算できる。
仮に原発事故の推定損害額が通常の事故の1000倍なら、
通常考慮する1000分の1の確率事象にまで対応するべきとなる。
課題は多いがこの手の問題は確率的には低いが起こると大きな影響を及ぼす現象
(地震・津波・洪水・パンデミック・テロなど)のリスク管理に共通する問題であり、
良い評価方法を作ることができれば人を説得する大きな武器になる。
今回の事故は原子力発電の信頼を著しく傷つけたが、
原子力発電は今までエネルギー供給という大切な役割を果たしてきた、
そしてこれからもしばらくの間は果たしていく、その功績は少しも軽んじられるべきではない。
しかし、原子力発電はエネルギーを大量に安定して調達する「手段」であり、
適当な代替手段があるなら(核兵器を作りたい場合を除いて)選択する理由はない。
また、どんなに安全性を高めても、どこかからミサイルが飛んでくるリスクは無くならない。
個人的には長期的な枠組みの中で全廃すべきと考える。
もし原子力発電を減らしていくのなら、その代わりに再生可能エネルギーを使うことになるだろう。
コストアップは避けられないが、逆を言えばコストアップを許容すれば選択肢はあるのである。
エネルギーには品質や産地の概念が希薄だが、
例えば野菜では産地が異なる商品が異なる値段で売っていることはおかしくもなんともない。
ならば同じ電気でも水力発電で作った電気と
原子力発電で作った電気を異なる値段で売ってもいいのである。
現実には電気は混ざってしまうので難しいが、
実質的にそれを実現している例はある。(グリーン電力証書)
つまりこれはいい悪いではなく選択の問題なのだ。
もし原子力発電を捨てるなら、大きなパラダイムシフトが待っている。
新しい未来を選択するなら変化を受け入れなければならない。
あるいは原子力発電の安全性を高め今まで通り、又は今まで以上に使っていくという選択肢もある。
どちらを選ぶのも自由だ。
多くの人が自分の選択結果に納得できることを期待する。
それが批判の対象になることがあった。
まず言葉遊びのようだが、想定外のことに対応できないのは当然である。
想定していることだって対応できるとは限らないわけで、
想定していないことに対応できなくても不思議はない。
問題なのは想定が結果として甘かったということだ。
しかし、現実問題としてあらゆることを想定することは不可能である。
今回は巨大地震と大津波だったわけだが、
では、明日宇宙人が攻めてきて原発を攻撃することを想定するべきだろうか?
流石にそこまでしなくてもいいだろう。
しかし可能性がゼロかと言われればゼロとは言えないはずだ。
何故なら何にでも最初の一回目というのはあるからだ。
だから元々「絶対」は保証できないのである。
重要なのは想定すべきことと想定する必要のない事を分ける
皆が納得できるような評価方法を作ることだ。
有限なリソース(人・物・金・時間)であらゆるリスクに対応することは不可能であり、
我々にできるのは幅広くリスクを評価し効果的にリソースを分配することだけである。
典型的なリスク評価方法として発生確率と推定損害額の積で評価するという方法がある。
発生確率が低くても起こった時に大きな損害をもたらすならその対策は優先されるべきだろう。
だとすればある事象の潜在リスクは「単位時間での発生確率×推定損害額」で計算できる。
仮に原発事故の推定損害額が通常の事故の1000倍なら、
通常考慮する1000分の1の確率事象にまで対応するべきとなる。
課題は多いがこの手の問題は確率的には低いが起こると大きな影響を及ぼす現象
(地震・津波・洪水・パンデミック・テロなど)のリスク管理に共通する問題であり、
良い評価方法を作ることができれば人を説得する大きな武器になる。
今回の事故は原子力発電の信頼を著しく傷つけたが、
原子力発電は今までエネルギー供給という大切な役割を果たしてきた、
そしてこれからもしばらくの間は果たしていく、その功績は少しも軽んじられるべきではない。
しかし、原子力発電はエネルギーを大量に安定して調達する「手段」であり、
適当な代替手段があるなら(核兵器を作りたい場合を除いて)選択する理由はない。
また、どんなに安全性を高めても、どこかからミサイルが飛んでくるリスクは無くならない。
個人的には長期的な枠組みの中で全廃すべきと考える。
もし原子力発電を減らしていくのなら、その代わりに再生可能エネルギーを使うことになるだろう。
コストアップは避けられないが、逆を言えばコストアップを許容すれば選択肢はあるのである。
エネルギーには品質や産地の概念が希薄だが、
例えば野菜では産地が異なる商品が異なる値段で売っていることはおかしくもなんともない。
ならば同じ電気でも水力発電で作った電気と
原子力発電で作った電気を異なる値段で売ってもいいのである。
現実には電気は混ざってしまうので難しいが、
実質的にそれを実現している例はある。(グリーン電力証書)
つまりこれはいい悪いではなく選択の問題なのだ。
もし原子力発電を捨てるなら、大きなパラダイムシフトが待っている。
新しい未来を選択するなら変化を受け入れなければならない。
あるいは原子力発電の安全性を高め今まで通り、又は今まで以上に使っていくという選択肢もある。
どちらを選ぶのも自由だ。
多くの人が自分の選択結果に納得できることを期待する。