3月18日の続き
太陽電池の普及が特に底辺の途上国に与えるインパクトを考える。
何でこんなこと考えるかというと、
どうも太陽電池(だけでなく一般に自然エネルギー)は
その他の近代的な道具とは異なる性格を持っていると感じるからだ。
用はエネルギーを消費するものと生産するものの違いである。
例えば自動車という道具はどうしてもエネルギー(主に石油)
を必要とするし、管理コストもバカにならない。
それに対し太陽電池は一度買えばほとんどメンテナンスフリーで
20年以上エネルギーを(つまりは付加価値を)生産する。
太陽電池によるエネルギー生産は農業に似ていると思う。
いずれも土地と太陽光から付加価値を生産するものだからだ。
太陽光発電所は21世紀の畑である。
だから途上国において太陽電池というのは最先端の道具というより
「全く新しい農作物のタネ」と理解した方がいいのではないかと思う。
日当りの良い所に植えると毎日電気が収穫できるという・・・
僕は太陽電池の普及は、緑の革命のようなインパクトを与えると思っている。
(太陽電池が一般に黒いことを考慮すればさしずめ「黒の革命」か?)
緑の革命は必ずしも成功したとは言えなかったが、
黒の革命はそれより素性がよさそうだ。
特にテレビやパソコンなどの情報機器の
普及がもたらす影響は少なくないだろう。
人里離れた非電化の村で電気が使えるようになったら何が起こるんだろう。