∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

     本ブログの記事、画像等の無断複製および転載を禁じます。

●本ブログの趣旨と説明

【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

●ご質問・お問い合わせのコメントについて

 ご質問やお問い合わせのコメントをいただいた場合、その時点で管理者が解る範囲でお応えしておりますが、その後かなり日数を経て、それに関する史料の所在が判ったり、またブロガーのみなさんからご教示いただき、その内容が判明する事が多々ありました。その場合ご質問者のご連絡先が判っておりますと直ぐにご報告できるのですが、過去には連絡不可能で残念ながら折角判明した内容をお伝えすることが出来無いケースもありました。こういったことを回避する為、「ご質問・お問い合わせのコメント」については、本ブログの「コメント欄」ではなく、本ブログ用「掲示板」にメールアドレスを記載し(非公開)投稿されることをお勧めいたします。尚、「コメント欄」には、ご住所、電話番号、メールアドレスなどの個人情報は書き込まれないようお願いいたします。管理者へのメールは、サイドバー・ブックマークの「 [\/] ∞ヘロンへメール」からご送信下さい。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

C-8>水野忠徳が時事ネタの記事

2010-11-12 15:08:32 | C-8 >新宮水野
20010年11月11日付、下記の記事に、水野忠徳が時事ネタとして、採り上げられていますので、ご紹介します。 MSN.産経ニュース<文化> 【幕末から学ぶ現在(いま)】(87)東大教授・山内昌之 水野忠徳 2010.11.11 08:05 ■「屏風外相」の見識と胆力 外国奉行などを歴任し、幕臣として国事に奔走した水野忠徳 ※当リンクについては、産経新聞社さんに許可をいただいております。 . . . 本文を読む
コメント

C-8>寶光山 大儀寺(水野忠徳の写真掲額)

2009-04-06 22:05:09 | C-8 >新宮水野
●寶光山 大儀寺(水野筑後守忠徳の領地菩提寺)           茨城県鉾田市阿玉615 (2009.4.6 御住持から史料恵贈) ◆縁起  当大儀寺は、禅宗・臨済宗妙心寺派に属し、華蔵曇化大禪師が、慶長年間(1596-.1615)阿玉の地に隠栖し、草庵を結び法花山大儀庵と称した。  貞享元年(1684)、佛頂河南大禪師が入庵し、本堂、庫裏、山門諸堂を建立し、寶光 . . . 本文を読む
コメント (7)   トラックバック (1)

C-8>水野筑後守忠徳 No.7

2009-04-02 17:23:12 | C-8 >新宮水野
12.外國奉行と通貨問題その2  この「金銀貨同種同量交換」による「小判の流出」については、幕末における通貨・為替政策の失敗により小判が流出したことで、物価騰貴が起き経済の混乱をきたしたと概括的に捉えられてはいたが、そのプロセスを具体的に初めて明らかにしたのは、昭和五十九年(1984)初版の佐藤雅美著『大君の通貨』であると言われている。同書は講談社から刊行されたが、その後平成十二年(2000)文 . . . 本文を読む
コメント

C-8>水野筑後守忠徳 No.6

2009-04-01 09:37:53 | C-8 >新宮水野
12.外國奉行と通貨問題その1  安政六年(1859)六月二日、安政の五カ国条約に基づき、前述の通り横濱は開港場となった。従って平成二十一年(2009)は、横濱開港150周年の記念すべき年となり、横濱では4月28日から「開港・開国Y150」と題した大博覧会が開催されることとなった。  この開港に合わせて外交官や商人が日本に大勢来港し交易が始まったことから、日本にとっては「小判の流出」という . . . 本文を読む
コメント

C-8>水野筑後守忠徳 No.5

2008-05-29 17:08:44 | C-8 >新宮水野
11.外國奉行その3  前述の通り、安政五年(1858)徳川幕府は初の“本格的対外関係専掌機関”として外國奉行を新置した。創設時の外國奉行は五名制であったが、その後も一応の定員数とされてはきたものの、実質の奉行数は膨張を続け、最高時には十三名が就いた。 . . . 本文を読む
コメント

C-8>水野筑後守忠徳 No.4

2008-04-18 19:21:37 | C-8 >新宮水野
10.外國奉行の写真  安政五年(1858)七月十八日、日英修好条約締結。従って今年、平成二十年(2008)は、条約締結から丁度150年目に当たる節目の年である。これを記念して、去る平成十九年(2007)11月23日から平成二十年(2008)1月14日まで、東京渋谷の「たばこと塩の博物館」において、特別展「幕末ニッポン~ハリスと黄昏の大君の都~」が開催された。 . . . 本文を読む
コメント (4)

C-8>水野筑後守忠徳 No.3

2008-04-02 14:49:25 | C-8 >新宮水野
 幕府は通商條約を締結するや、愈々(いよいよ)開港の準備に着手した。安政五年(1858)七月八日、はじめて外國奉行を設置して、外國関係の事務を鞅握(おうしょう。忙しく立ち働いて暇のない)せしめた。 . . . 本文を読む
コメント

C-8>水野筑後守忠徳 No.2

2008-04-01 11:46:35 | C-8 >新宮水野
4.魯西亜使節応接  嘉永五年(1852)五月、ロシア政府は、ペリーがアメリカ艦隊を率いて日本に向かい開国させようと図っているとの情報を得て、エフィム・ワシリエビッチ・プチャーチンを遣日全権使節として日本に派遣する事を決めた。 . . . 本文を読む
コメント

C-8>水野筑後守忠徳 No.1

2008-03-29 19:13:21 | C-8 >新宮水野
1.生立ち  清和源氏満快流の諏訪家は、平右衛門正家を租とし、長男正良の嫡男正利(廩米二百五十俵)の時、宗家を叔父庄兵衛正孝に譲り新たに別家を興し、諏訪庄右衛門を名乗る。正利の曾孫庄右衛門頼篤は、天明八年(1788)父頼孝の死去に伴い二十二歳で家督を相続。 . . . 本文を読む
コメント

C-8 >浜松城(2)

2005-06-15 17:38:28 | C-8 >新宮水野
第六代浜松城主水野対馬守重仲(1570~1621)  父水野忠分(ただちか)は徳川家康の家臣であり、重仲も天正四年(1576)家康に出仕。同十六年(1588)大番頭 として5500石、同二十年(1592)武蔵・上総で1500石を加禄される。慶長十年(1605)には伏見城の在番にもあたり、同十二年(1607)常陸に1万石を与えられ、水戸城に移り徳川頼宣の所領水戸を治める。 . . . 本文を読む
コメント (2)