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NHK学園 平家琵琶7月29日演奏後記 秋山良造

2011-07-30 10:36:36 | インポート

NHK学園カルチャーセンター 平家琵琶を味わうー夏の宴(7月29日)演奏後記

                                於:NHK学園オープンスクール市川校

曲句:有王島下り(一節)・僧都死去

                        解説:安藤千鶴子  平曲演奏:秋山良造

此の物語は異本によっては、有王の事として一章になっているものもあるが、私の語る平家(平曲)では有王(有王島下り)と俊寛の最期(僧都死去)の二句に分けて語るようになっている。 

今回は、有王島下りは有王と俊寛が奇しくも対面する場面の一節。僧都死去は一句全を語った。二句を同時に語って感じた事であるが、物語は続いているのだが、平家(平曲)は曲節で場の違い・登場人物の心情を表して、メロディーが世界を創っている。前句後句の違いがある。私は前句を少し低音に、後句をやや高めに調弦して語った。曲節を付した人(又は人々)の気持ちを考えたつもりである。

本日の天候:時々激しい雨、地上150mの会場は西北に大きな稲妻が何度も光る。


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平家琵琶定期演奏会第28回 (7月3日) 演奏後記 秋山良造

2011-07-04 09:47:54 | 平家琵琶

平家琵琶定期演奏会 平家物語探訪第28回 (7月3日) 演奏後記

                                     於:東京四谷石響サロン101

演奏曲句  巻十一 大臣殿誅罰   巻十二 重衡被斬

大臣殿誅罰 壇ノ浦敗戦後宗盛・子息清宗は京へ鎌倉へ連行された。連行直後、もう一人の子息副将は、8歳だが一族の長の子として京加茂川で斬首される。

宗盛は頼朝と面謁の後、再び京へ戻されるが都近く、近江篠原宿に於いて二人とも斬首される。武門の家柄、乱世に生きねばならぬ権力の上位者達の苦悩は推し測る事はできない。  但し、宗盛最期の言葉「右衛門の督は既にか」は一族の長ではなく、一人の父親としての子を思いやる心の内をかんがえさせてくれる。宗盛は決して勇猛果敢、決断力のある像として描かれてはいなく、もし戦乱、権力闘争のない時代であれば、イクダン(育男)パパとして幸せに生きたのではないか? 考えさせられながら演奏した。

重衡被斬  東大寺・興福寺を焼亡させた罪で斬首刑となる。                   重衡は宮中出仕の頃、民部卿親範女との恋、一の谷捕らわれの後、鎌倉道行でも、東国で過ごす一年余、池田宿長熊野の娘、千手前が現れる。彼女等は重衡死して後、仏門へ入ったり、思い悩み死んでいる。重衡がどれだけ好感を持って迎えられたか文化技芸の教養の持ち合わせだけでなく、人間の深さ、魅力を計る尺度にもなるかと思う。                   妻との最期の逢瀬、みすぼらしい身なりは浄土行きには相応しくないと、浄衣の用意、斬首後の夫の身柄の引き取り、処置も当意即妙の対応は憎いほどである。

宗盛・重衡二人の頭領格の人物を語ったが、生き延びる事に未練を持つ者、死を覚悟したものとの差が曲調に出ていて平曲として作り上げた当時の人の苦労が偲ばれる。

何時もながら、山本陽一氏の素朗読は、見事。

演奏後歓談の時お客様の声:二曲ともとても趣があり、それぞれの人物が懐かしく感じられた良い演奏でした。

                当日資料

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