山の頂から

やさしい風

イワシの頭も・・・

2008-10-12 23:46:48 | Weblog
 
  宗教を冒涜するつもりなど毛頭ないが、
神様がいると深く信じている方は幸せである。
私などは目に見えない何かはあるかも知れないが、
座り込んで、また、身を投げ出すほど一心不乱に、
祈るほどのめり込むことはない。

 父が亡くなって今、寺だ、墓だ、仏壇だと、
現実的な事に追われて、初めて己の宗教観の薄さを実感している。
そして、人間が世を去る事にお金のかかるということも・・・

 生前、父も差ほど宗教に熱心ではなかった。
が、神社や寺を疎かにしていたわけでもない。
自分等が永久に眠る場所は確保していたし、
また、人並みに寺への布施もしていたようだ。
神社の拝殿には額ずき、路傍の地蔵さまに手を合わせてもいた。
しかし、その程度なのである。

 毎朝、神棚や仏壇の水を替え、決まって祈ることと感謝は欠かさない。
そして、だからといって幸運が手に入ることなど決してないと知る私。

 ローマ教皇ベネディクト16世はこのほど、
バチカンの或る集会で世界金融危機および資本主義について、
参加した他の主教たちに対し、
「金銭は無用であり、唯一真実不変なものは神の言葉だ」と語り、
「人生で見えるもの、実際に触れられるもの、
例えば成功、事業、金銭を築く者は、
人生を砂上に築くのと同様だ」と指摘したと、
記事に書いてあったが、それもまた、首を傾げるのである。

 つまり、神の声を言葉を実際耳にしてない私には眉唾。
そのくせ、節分の日の「イワシの頭」を単純に信じる自分がいる。
ああ~、この矛盾と単純さ。
神様がおいでなら願うことは山ほどあるのだが・・・