八波一起のたっしゃでワイド!!

テレビ朝日のワイドショウで12年!!ワイドショウの表も裏も知り尽くした八波一起が世間のニュースを一刀両断!!

11月30日(木)今日の言っておきたいことがある。『徳山村が消えた日』

2006年11月30日 | Weblog
きょうの朝の番組・日テレの『スッキリ』で岐阜県・徳山ダムの話をやっていた。  このダムができれば日本一のダムになる。  このダムができるため、徳山村が地図から消えた。  そこの住民の一人・増山たづ子さんは、戦争に行った御主人が横井さんや小野田さんのように帰ってきたら、なぜ村がなくなったか説明できるように写真を撮って記録を残すことにした。  その写真が番組で放送された。  たづ子ばあちゃんの撮る写真は、写される側の人が皆、自然に撮られている。  それはパチカメを持ったばあちゃんが話しかけながらシャッターを押すからだ。  大笑いした写真・老夫婦が窓からのぞいてる写真・雪の上でこちらを向いた一ぴきのネコの写真、どの写真にもおばあちゃんのコメントが入っている。  必ずどこかで写真展をやるので目に止まったら、絶対見てほしい。
今から20数年前モーニングショーの司会をしていた時、当時のメインキャスターだった江森陽弘さんの提案で増山たづ子さんの取材をすることになった。  江森さんは何年も前から取材で知り合った増山たづ子さんとは友人の仲で、取材はすぐにOKがでた。  取材に行くことになった自分は30歳手前、まだ60代だったたづ子さんをたづ子ばあちゃんと呼んだ。  今から思えば失礼だったが、自分の中ではずっと、ふるさとのやさしいおばあちゃんだった。  当時は茅葺屋根の民宿をやっていたたづ子ばあちゃんの家に泊まり、囲炉裏端で串に魚を刺して焼き、昔ながらの暮らしの中、インタビューをしたことを覚えている。
以来、江森さん同様、たづ子ばあちゃんの魅力に虜になった自分は、親戚付き合いさせてもらうようになった。  その後、結婚式の時も子どもが産まれた時も手紙をいただいた。  自分は、毎年9月15日の敬老の日に湯呑みをひとつ贈ることにした。  毎年9月になると湯呑みを探すのが恒例となり、20個は送っただろうか。  今年1月に出版した『娘たちへ』をたづ子ばあちゃんに謹呈したところ、『えぇ本やなぁー!もっともっと沢山の人に伝えたいなぁー』と言って、本を何冊か注文してくれた。  そして、本代より多くのお金を送ってくれたので『ばあちゃん、そんなに送らんでええよ』と返事を書き、茶菓子を送ったことを覚えている。
それから、わずか2ヶ月もしない3月7日おばあちゃんが亡くなったことをテレビのニュースでやっていた。  88歳だった。  八波(88)の歳でなくなったのも何かの縁か。  
今年9月25日からダムには水が貯まり始め、2008年春、ダムは徳山村を呑み込み完成する。  たづ子ばあちゃんは今頃、天国で御主人に『なんや、ここにおったのかぁ~、あんなぁ、徳山村はあんたと一緒でお国のためにお役に立ったんやでぇ~、ほめてあげてなぁ~。』と話しかけていることだろう。
この手の話題は視聴率が取れないので、番組の最後のほうにやるワイドショーが多い中、8時台に放送してくれた日テレの『スッキリ』のスタッフに心より感謝申し上げる。

                                  合掌。




11月29日(水)今日の言っておきたいことがある。 『政治家のムダ使い』

2006年11月29日 | Weblog
きょうのスーパーモーニングで夕張市の悲劇を放送していた。  夕張市は633億円の負債を抱えて破綻。  今後20年かけて360億円を返していくそうだ。  年間19億円づつ返すため、水道・下水・ゴミ処理など公共のものの値段が上がるようだ。  住民は、市が勝手に遊園地などの施設を作り、借金を膨らませ破綻したのに、『借金返済に協力してほしい』はないだろうと言っている。  そりゃそうだ!!  住民は何の悪いこともしていないのに、借金を返すため公共料金値上げでは住民はやってられない。  夕張から出て行くひとが続出している。  住民が減ればさらに残った人に負担がかかる。  最悪のパターンだ。  夕張の炭鉱は日本の高度経済成長に大きく貢献してきた。  年金で暮らすお年寄りはどうやって生きていけばいいのか?  本当に、行政を預かる 市・町・村の長は深慮遠謀に命を掛ける気持ちがなければ政治家になってはいけない。
同じ番組で、目黒区議の宮沢信男議長が家の前の物置を事務所として公費を貰っていた事を放送した。  この議長の家は我が家の近くで見に行ったが確かに物置だ。  東京の区には、それぞれ政務調査費というのがあって第2の給料といわれている。  目黒区は17万・世田谷区は24万・品川区は19万・渋谷区は20万という具合だ。  この区議たちの中には、自分のことに使ったお金を政務調査費で落としている者が少なくない。  すべて区民の税金から払われているのだ。
自分は、秋田・山形・福島のふるさとCM大賞の番組の司会をしているが、今、地方は自分たちで自分たちのふるさとを守り育てようと必死だ。  秋田は69あった市町村が合併で25になった。  全国でムダを無くす運動が進んでいる。  何度も言うようだが、21世紀は精神文明といわれる本物の時代に入った。  これからはニセ物は、すべて暴かれ正されていく。  そういう意味では、いい時代になって来ている。  『正直者がバカを見る』時代は過ぎたのだ。  しかし、夕張の正直者はバカを見ている。  ここは国が助けるべきだ。  そして、この借金を作った市長や行政の人たちは、自分たちの財産を供出し、タダ働きで市民のために奉仕するべきだ。
政治家で私利私欲に走る者は終身刑にするべきだ。  そして、政治家は『究極の奉仕活動』であることを肝に銘じなければならない。
                          合掌

11月28日(火)今日の言っておきたいことがある。 『弓道のすすめ PART2』

2006年11月28日 | Weblog
きのうの弓道の話はおわかりいただけましたか?  『克己』己に克つことの大変さと、己に克った時の喜びは本人にしかわからない。  『自分の信念に誠を尽くす』この自分を見つめ直すことのできる武道が弓道だ。 
弓道が他の武道と大きく違うところは、相手がいないところだ。  剣道・柔道・空手・合気道と相手とのかけひきを要求される武道は、対戦する相手が強すぎた場合、『きょうは相手が悪かった』などと逃げ道も作れる。  しかし、弓道は動かない的が相手なので、『きょうの的は強かった』などの言い訳はできない。  うまく行っても失敗してもすべて己に返ってくるのだ。  ここが精神修養の武道と言われる所以(ゆえん)で、立って行う禅『立禅』ともいわれる。
己に負けそうになっても、それに負けずに己を律する。  負けても負けても立ち向かって行く強さを習得できる武道なのだ。  したがって、弓道の言葉には『射即人生』『射即生活』というのがあって、人生や生活にも繋がっているものだという教えである。  人生や生活でも負けそうになる時、壁にぶちあったた時、そこから逃げずに立ち向かう、生きる強さを学びとることができるのだ。  リストラされた人、いじめにあっている子ども、生活が苦しくて死んでしまいたい人も、弓道の精神を習得すればそんなことで負けない強い心を持てるのだ。
小6の十紀子は5歳の時からこの精神に学び、今小学生初の初段を目指して頑張っている。  2度の初段挑戦に失敗、心の中では悔しくってしょうがないはずだ。  しかし、その悔しさは己の胸にしまい、また頑張る!!  弓道の教えに『得意淡然』『失意泰然』というのがあって(得意泰然・失意淡然と言う人もいる)うまく行った時もガッツポーズなどとって喜びを表さず淡々としていなさい。  そして、失敗した時にも落ち込むことなく泰然自若としていなさい。  つまり『どんな時にも平常心を持って事にあたりなさい』という教えである。  ここに武士道の根幹がある。  十紀子は来年2月が小学生として受ける最後の審査だ。  真冬の寒い時季、その厳しい寒さに負けず、7年間の集大成である、己の射に誠を尽くした時、初めて日本一の小学生初段が誕生する。  小さいうちからそんな修行ができる弓道を日本中!いや世界中の子どもから大人まで普及させたいものだ。
                            合掌

11月28日(火)今日の言っておきたいことがある。 『弓道のすすめ PART2』

2006年11月28日 | Weblog
きのうの弓道の話はおわかりいただけましたか?  『克己』己に克つことの大変さと、己に克った時の喜びは本人にしかわからない。  『自分の信念に誠を尽くす』この自分を見つめ直すことのできる武道が弓道だ。 
弓道が他の武道と大きく違うところは、相手がいないところだ。  剣道・柔道・空手・合気道と相手とのかけひきを要求される武道は、対戦する相手が強すぎた場合、『きょうは相手が悪かった』などと逃げ道も作れる。  しかし、弓道は動かない的が相手なので、『きょうの的は強かった』などの言い訳はできない。  うまく行っても失敗してもすべて己に返ってくるのだ。  ここが精神修養の武道と言われる所以(ゆえん)で、立って行う禅『立禅』ともいわれる。
己に負けそうになっても、それに負けずに己を律する。  負けても負けても立ち向かって行く強さを習得できる武道なのだ。  したがって、弓道の言葉には『射即人生』『射即生活』というのがあって、人生や生活にも繋がっているものだという教えである。  人生や生活でも負けそうになる時、壁にぶちあったた時、そこから逃げずに立ち向かう、生きる強さを学びとることができるのだ。  リストラされた人、いじめにあっている子ども、生活が苦しくて死んでしまいたい人も、弓道の精神を習得すればそんなことで負けない強い心を持てるのだ。
小6の十紀子は5歳の時からこの精神に学び、今小学生初の初段を目指して頑張っている。  2度の初段挑戦に失敗、心の中では悔しくってしょうがないはずだ。  しかし、その悔しさは己の胸にしまい、また頑張る!!  弓道の教えに『得意淡然』『失意泰然』というのがあって(得意泰然・失意淡然と言う人もいる)うまく行った時もガッツポーズなどとって喜びを表さず淡々としていなさい。  そして、失敗した時にも落ち込むことなく泰然自若としていなさい。  つまり『どんな時にも平常心を持って事にあたりなさい』という教えである。  ここに武士道の根幹がある。  十紀子は来年2月が小学生として受ける最後の審査だ。  真冬の寒い時季、その厳しい寒さに負けず、7年間の集大成である、己の射に誠を尽くした時、初めて日本一の小学生初段が誕生する。  小さいうちからそんな修行ができる弓道を日本中!いや世界中の子どもから大人まで普及させたいものだ。
                            合掌

11月27日(月)今日の言っておきたいことがある。 『弓道のすすめ』

2006年11月27日 | Weblog
八波一起が弓道をやっていることを知っている方が何人いらしゃるでしょうか。
25日 土曜日、明治神宮にある至誠館弓道場で四段の審査を受験しました。  皆さまのお陰で無事四段を通過することができました。  感謝・感謝の審査結果でした。 
きのうの日曜日は三女・十紀子の初段審査でしたが、小学生初の初段は持ち越しになりました。  あと1回、2月の審査に望みを託することになりました。  十紀子は5歳の時から自分と一緒に弓道を始め、5級から始まり今年の2月に1級になりました。  小学生で段を取った人は無く、みごと初段になれば日本一!!  いや世界一と言っても過言ではないのです。  暑い日も寒い日も小さいうちから着物を着て大人に混じって精進してきました。  弓道を知らない人は、弓道は矢が的(まと)に当たればいいものだとお思いでしょうが、当てるだけなら3年もやれば7・8割当たるようになります。  しかし、それは小手先で当てる技を使っているだけで、それは弓道ではありません。  それは弓というスポーツなのです。  弓の道は己に克つ『克己』(こっき)の精神が大切で、自分ができる最大のものを出しきって射をすることが肝要なのです。  弓道には射法八節(しゃほうはっせつ)というのがあり、この八つの段階を正しく使うことが大切で、この八節を正しくできれば自然に当たるようになっているのです。  つまりこの射法八節という『正しい信念に誠を尽くす』ことが何よりも尊重され、これを全うして的に当たることが重要なのです。  だから、自分が受験した四段の審査には140人余りの人がいましたが、一手(ひとて)(弓道の審査は甲矢(はや)と乙矢(おとや)の二本で一手という)二本とも的に入れた人は10人いるかいないかでした。
つまり、当てるだけなら二本入る人は沢山でると思いますが、審査員の先生に手を抜いて引いたかどうかは目の前で見られているのです。  現に二本入っても、当てにいってる者は落とされるのです。  そこが弓道の難しくて奥が深いところなのです。  なんだか自慢のように聞こえるかもしれませんが、そんなことは少しで、もっともっと弓の魅力を知っていただきたく、あしたもこの続きを書かせていただきます。  よろしく!!
                              合掌