武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

切り絵

2020年02月29日 | Weblog



これは東京展に出した作品の一場面である。
ことの他、切り絵も効果的と思っているが・・・・切り絵では表現できない限界も感じた。
版画と違って、こもってしまう。
ここら辺の心持の表現はむずかしい。

ジワジワコロナって感じで、ジムにいったら自粛営業にはいるそうな。

長谷川伯鵞の碑

2020年02月28日 | Weblog
池田町の八幡社を訪れる。
各町の山車の倉庫が並び多くの碑があり、すぐにはわからなかった。
高瀬中学と隣接している。その校門の側にあった。知らない人は見向きもされない
小さな句碑であり、文字も普通の人だと読み取れない・・・・
私などは「靄」という字で、これだと見当をつけている。私には全文読み取れない。

足もとへ靄ふきつけてほととぎす


とある。読みにくい「靄」は、モヤと読む。

愛知県の生まれの方で、池田で逗留され俳句の指導をなさっていたとか。池田で亡くなったらしい。
そのくらいしか知識がない。勝手に思い込むと、こういう文化人を迎えいれる素地がこの町にあったのだろう。

清音の滝・・・・句碑探訪

2020年02月27日 | Weblog
大町から八坂に上る右側に滝があり、芭蕉の句碑がある。
あんまり見向きされないのか、季節のせい、時勢のせいか看板もない。
芭蕉没100年を記念して建てられたようだ。
ほろほろと山吹きちるや瀧の音

とある。この滝を詠んだ句でなく、吉野山の滝を詠んだ句だそうだ。
芭蕉によって俳諧は全国にひろまり、信州の片田舎でも盛んであったようだ。
今とは違い、戦国の時代が終わると庶民に生活の安定があり、俳句という文化がエネルギーとして発散したようだ。現在にようなんでもかんでも、入って来る時代とちがい、江戸から流れてくる文化は大いに刺激があったものだろう。

俳句・・・・・苦

2020年02月26日 | Weblog
俳句の会で発行している小冊子のため、知ったふりして文章書く。
芭蕉の句碑の大町。北安曇編だ。
一応、五基か四基あるらしい。
やむなく一応、出かける。
途中池田で荻原井泉水の句碑にあう。

これだ。写真が悪くて読めない、
人生の有明つばくらめのごとく父なりし

とある。お父さんが池田の出身で、よく池田に来られたとか。
と言っても井泉水という方をよく知らない。
知ったかぶりをするため、本で調べる。種田山頭火、尾崎放哉につながる自由句の人だ。
確かに575じゃないわ。

木曽の義仲

2020年02月23日 | Weblog


これは新鉄道唱歌の中央西線編から採った一部です。
写真は曲がってますが、年齢のせいです。
登場の人物は木曽義仲。悲運の武将。
薮原のお六櫛も入れました。
月は与川の月。木曽八景に出てくる月の名勝地です。木曽にいるころは全然知らなかった。
しばらくやってなかった切り絵ですので、まだ調子出てません。

新型コロナ何くそ。再開しました。

2020年02月22日 | Weblog
東京へ行ってまいりました。
銀座の画廊で授賞者作品展に顔を出しました。
銀座の画廊というとドラマとかで見るだけでしたので、イメージを作り過ぎていました。
かなり狭い画廊でした。ま、こういうところを借りると費用も高いし,しょうがないですね。

切り絵2点。

あいかわずです。