世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

すっけすけでひっらひら

2012年12月08日 19時42分36秒 | Weblog
朝、紅葉狩りに行こうと思い立つ。
最近、散歩の途中で見かける木が黄色や赤の葉っぱをわさわささせてて気になって仕方なかった。
色づいた葉は陽光に透けて、黄色や赤のセロファンみたいに見える。
それが小さな手のひらやしずくの形に切り取られて、無数に重なり、光を複雑に透かし、さえぎる。
それを見上げると、まわりの乾燥した空気や、夏とはちがう薄い光や、足下で踏みしめる落ち葉の感触などが相まって、たまらなくなっていた。
晴れていたし、仕事は休みだった。
焼きそばを作り、タッパーに詰めた。
家を出て電車に乗り、昼には高尾山に着いた。
電車から見える小高い丘がきれいに紅葉してて、当てずっぽうながらいいタイミングで来たと判断する。
駅を出て正面の山はもこもことオレンジ色。
ラブホテルのような建物があって、さすが景勝地、と思ったら「トリックアート美術館」と書いてある。
いずれにせよ秘宝館の流れだ、さすが景勝地、と思った。
ケーブルカー乗り場へ行く道に大きなモミジの木があり、逆光を浴びた葉が赤々と透けている。
思わず立ち止まり、これはぜひ写真におさめたいと思うのだけど、いざ撮ってみると光の強い方に合わさってしまうらしく、肝心の葉の透け具合がうまくおさまらない。目で見る方がきれいだあきらめる。
土産物屋が軒を連ねる中を少し行くとケーブルカー乗り場。
その前の広場にも赤や黄色の木々。
滝行のための滝から川ができていて、その淵に散ったモミジがたまっている。
カメラを近づけるけれど、全然見たままにおさまらない。
カメラの性能の問題というより、目の性能、ひいては視神経から送られてくる情報を処理する脳の性能が抜群にいいせいだと思う。
脳は目に限らず体感している全ての感覚器官とそれまでの記憶とを総合させて知覚しているはずだから、人間がカメラより感動的にものを見ているのは当たり前のことだ。あきらめる。
急斜面を上がるために床が斜めに作られているケーブルカーに乗る。
山を登っていくとやはり葉の色がきれいだ。
内側はまだ緑で、外側になるにつれ黄色、オレンジ、赤、深紅にグラデージョンになっているモミジ。それがやはり日に透けてきらきらしている。
がこんとついて、外に出る。寒い。
東京の西の端の山々は天狗の住む山である。
天狗ホットドック、天狗そば、天狗だんご、天狗ラーメン。
開けたところからは街が見える。近い。
歩いていくと杉の大木がどーんどーんとはえている。太くまっすぐに突き上げる。
その肌は緑の苔が抹茶粉をまぶしたようにむしむしとついている。
薬王院へ。
三蔵法師が持っているような先端に輪っかのついた青銅の大きな杖があって、参拝者はその先の輪っかを棒でつついて音を鳴らし、お祈りする。
が、高いところにある輪っかを棒でつつく様は、紐でぶらさがったバナナを棒で取ろうとする猿の姿に見える。
このあたりで生まれた作詞家の人の歌碑があって、その横で持ってきた弁当を食べる。
この歌碑は人が近づくと歌が流れるようになっていて、焼きそばを食べている間、その「若いお巡りさん」という歌をずっと聞いていた。
歌碑のそばにはお寺さんによくある金言みたいなのが書いてはってあった。
「高貴な人間は自分自身に 平俗な人間は他人に要求を課す 高尾山」
おばちゃん二人がやってきて、「ほら見て、笑っちゃうわ」と言って去っていった。
どうせなので高尾山頂をめざす。
どっちがどっちに寄生しているのかもはやわからないほど融合した2本の木を通り過ぎる。
石段を登り、なにか社に出くわす度に「ここまで上がらせてもらい、ありがとうございました。」と手を合わせるおばちゃんたち。
そこここにある石車をいちいちまわす女の人と、それを辛抱強く待つ男の人。
おばあちゃんとお母さんに連れられた女の子が「おーかーしーがーいいー!おーかーしーがーいいー!!」と絶叫しながら降りてきた。
すれ違い、あとから降りてきた女の子3人が「私も小さいときはチョコボール食べながらだったな」と話しているのにもすれ違う。
韓国語のおばちゃんたちとすれ違い、
同じ派手なタイツをはいた完全装備の山カップルともすれ違う。
にしてもこの山にスキーのスティックは本当に必要か。
皆たのしそうだ。
山頂。599メートル。
街を見下ろすのとは反対の方向に山々が見える。重なっている。
薄い青。遠くにいくにしたがってその色が白く霞んでいく。
近くのおじさんが奥さんに「今は見えないけど、あの辺に富士山が見えるんだよな、今は見えないけど」と言っていたが、
実は富士山は見えるのだった。
重なる青い山々の一番奥、空にとけるぎりぎりのところ、うっすらとわずかに輪郭だけが空より濃かった。
見つけると、吸い寄せられるように見てしまう。
他にも山はたくさん見えるのに、富士山だけ見てしまう。
名前を知っている数少ない山だからか、ぴょこんと一つだけ突き出た山だからか、なにかもっと他の理由からなのかはわからない。
下山する。
今度はルートを変えて、少し山道らしい道を行く。
途中、後ろ向きに登るおじいちゃんとすれ違う。
「初詣のときに入るのは」とシフトの話をしている警備服たちとすれ違う。
少し行くとまわりに誰も人がいなくなった。
山道を一人で歩いている。
なにも音がしない。
自分の足音もしない。
こわいようなうれしいような気分になる。
白茶けた大きな葉がたくさん落ちているのを見て少しこわさが増す。
木の根が自由自在に飛び出してうねっている。
ふしふしふしふし。
音のない足音をさせながら山を降りていく。
吊り橋があり、3人のおばちゃんたちが2人の若い男の人たちに写真を頼んでいた。
吊り橋効果、とすぐに思った。が、思っただけだし別になにも起きない。
渡ってまた山道を行く。
歩いているときに、小さい死のことを考えた。
山に登るのは小さい死なのじゃないかと思った。
だから好きな人は何度も山に登るのじゃないかと思った。
一人で山道を歩いているときに小さく死んででもすぐ生き返るのは知っていた。
下りのケーブルカーに乗ったら耳がきーんとなって、あくびをするまで続いていた。

もう都市(三日目)

2012年09月20日 21時57分47秒 | Weblog
9月16日(日)。
4時半起床。
真っ暗。
青森に出発した日を思い出す。
今日は青森を出発する。
暗いが寒いわけではない。
気温は東京と変わらない。
宿の廊下にはってある「恐山」や「ようこそ下北半島へ」のポスターを
ぐるっと見渡して一階へ。
おばあちゃんが起きて待ってくれて、
よぼよぼした笑顔で「いってらっしゃいませ」と見送ってくれた。
周りが見えるくらいの明るさ。
虫の鳴き声がしきりに聞こえる。
ちっとも釜を臥せてるように見えない釜臥山をもう一度見上げて電車に乗った。
イーイーともキーキーとも聞こえる電車の雄叫びを聞きながら
どんどん朝になっていくのを見る。
空気中の水蒸気や塵が日に反射する層としない層があって、
景色の中に半透明の帯が幾重にも見える。
冬に使われる雪風よけのポールにカラスがとまっている。
山は低く、森は明るいが、
隣の町まで歩いていこうという気にすらならない一面の土地。
寺山が書いた、電車に乗ることの切実さが少しわかった。
再び野辺地へ。
そこから青森へ行く電車に乗り換える。
途中の駅で乗り込んできたおばさんが、
自分のカバンをごそごそして取り出した手作りらしいおにぎりがとてつもなく大きくて、
これはもう、おにぎり、ではなくて、にぎり飯といった方が語感がいい、などと思っていたら、
なんと中身はぎっちりのすじこだった。
おばさんはアルミ箔にくるんだ大きな大きなにぎり飯と
そこからあふれんばかりの赤くてふるふるしたすじこを
むっしゃむっしゃと食べている。
それがなんともおいしそうで、
これが海辺の町では普通の感じなんか、よくわからないけど
こんな当たり前に食べているのを見たら圧倒されてしまった。
青森に着く。
弘前行きの電車に乗る。
と、途端に風景が小田急線から見える風景みたいになる。
シュシュをつけて赤い花びらを革で模したおしゃれバックを持っている女の人なども乗っている。
そんな人、ここ2日見てこなかった。
弘前に着く。
ドトールがあったので入ると、
矢継ぎ早のマニュアル応対と笑顔に面食らう。
ぐいぐいと押してくる感じをうまく処理できない。脇へ流せない。
こんなんだっけと思いながら、でもミラノサンドBはいつもの味だった。
黒石に向かって弘南バスに乗る。
弘南バスの車体はクリーム色に少し茶色を混ぜたような色。
全く好感が持てない。
お客は私とよぼよぼしたおばあちゃんのふたり。
そこから約一時間、畑や田んぼはあるものの、
人家が見えないということは全くなく、それだけでおお町だ町だと思いながら進む。
下北半島とはぜんぜん違う。
途中で乗り込んできたおばあちゃんと弘前から一緒だったおばあちゃんが知り合いだったらしく、あいさつして話し出す。
もちろんがっつり青森弁なのでなんとなくしかわからない。
同じ日本なのにしゃべってる言葉が違うとこの世界が私の知る世界とは別の法則で動いている気がしてきて、
「でゃーえっとでしゃんぽさする」と言ってるのも
私が考える「ダイエットのために散歩をする」ということではなくて、
私が計り知れない全く別の目的のために、これも全く思いがけない未知の方法で遂行する、という感じに思える。
たまに夢の中で言葉の意味はわかるけど、それが何のことなのかわからないような感じがするときがあるけど、そんな感じだった。
ついに黒石の地名が看板などに見つけられるようになり、
「黒石名物つゆ焼きそば」なんてものがあることを知る。
看板の写真には焼きそば色したものがつゆに浸かっているのが写っていた。
少し山あいの温湯(ぬるゆ)というところへ。
ここは「こけしの里」とあって、「子供飛び出し注意」もこけしの形、
橋の欄干にもこけし、商店ののぼりにもこけし、こけしこけしで、
こけしのためにはるばる来た私のような人間をほくほくさせた。
津軽伝統工芸館で降りる。
結局、弘前の駅からここまでずっと一緒だったおばあちゃんは
途中乗り降りする人全員と知り合いだった。
バスで一時間かかる距離の人と全員知り合いなんてことがあるのか。驚異。
津軽伝統工芸館は敷地内全体にアジアンヒーリング的な音楽がかかっていてとても胡散臭いのだが、
こけし館には思った通りのものがあった。
こけしこけしこけし。
圧倒的なこけし量。
すべて伝統こけしというもので、
東北6県にそれぞれ何々系と系統別に分布しているこけしが一同に会している。
これは何々系で作者は誰それのこけし、と
ところ番地、親の姓名まではっきりしたいわば血統書付きのこけしたち。
が、ずらりと並んで、
しかも胴体の模様、顔の微妙な表情、すべてひとつひとつ違う。
迷う。
買うとなると俄然迷う。
人は選択肢が多いほど迷った挙句どれも買わないことが多い、
というのを盲目のインド人学者が言っていたけど、
私は背中に汗をかきながら迷いに迷ってたくさん買った。
目の前にすると全てが捨てがたく、突如目覚めたこけし愛みたいなものに突き動かされて買ってしまった。

買いすぎたといってもいいくらいだ。
突如として大量のこけし持ちになってしまった私は、
これから「こけし」という言葉にいちいちぴくりと反応せざるを得ない人間になるだろう。
背負い込まなくていいものを背負い込んでしまったようにも思うが、
ひとつひとつ紙にくるまれたこけしたちをカバンに入れて以降、
カバンを持ち上げて歩くとき、カバンを地面に置くとき、
電車の網棚に乗せるとき、ずっと中のこけしたちを意識して行動するようになる。
こけし館の2階は有料のこけし展示階になっていて、
入って後悔するよりは入らずに後悔する方が嫌だと思ったので入ったら後悔した。
別になんてことない。
こけしがずらっとある。
有名人が絵をつけたこけしがある。
別に感心しない。
こけし館の外に出て津軽伝統工芸館へ。
要はお土産物屋が勢ぞろいのところだった。
行きのバスで看板を見かけた「黒石名物つけ焼きそば」も売っていたが、
気味悪かったので普通の「黒石焼きそば」を食べた。
変わったところといえば平麺なくらいで、味は普通の焼きそばだった。
家族連れなどそこそこな人気。
さすがにバスで来る人は少なくて、ほとんどがマイカー。それが正解だよ。
十和田湖観光からこちらに来るルートが多いと予想する。
バスの時間までだらだら過ごして、
また1時間くらいバスで弘前へ。
弘前で青森行をまたコーヒー飲みながら待って新青森へ。
ほんとうに待ちと移動の多い旅だった。
新青森へ向かう電車の中で、
たくさんのりんご畑とその一本一本にたくさん実のついたりんごの木を見る。
青森らしい風景だなあと思うが、
私が今回の旅を今後思い出すとしたら、
下北半島の明るい森がずっと続く風景をより思い出すと思う。
新青森駅へ。
新しい駅らしく、大きくてスタイリッシュ。
こけし灯篭がかわいく配置されている。
そんな駅内を半ばすり抜けるようにしてはやてに乗り込む。
こけし館を出発して以降、もう全ての移動は「帰り道」になっている感があった。
寝ていないのに盛岡も仙台もあっという間に通り過ぎて、
早々と東京についてしまう。
電車に乗り換えて自転車で家について、
こけしの包み紙をといていると父からメールが来て
飼い猫は血液検査でも別段悪いところは見つからず、
それどころか病院で先生に差し出された餌をわぐわぐ食べたので
父と母は少し気まずい思いをしたとあった。

ひとつのことに一日(二日目)

2012年09月17日 10時24分40秒 | Weblog
9月15日(土)。
青森県下北半島の観光地は恐山の他に、
大間崎や尻屋崎がある。
2日目はそのどちらかに行ってみようと思っていた。
が、やめにした。
昨日からこの土地に来て、
交通の便、特に運行本数の少なさや乗り換えの難しさを痛感しており、
さらにそこに行ったからといって豊富な売店や土産物屋があって時間をつぶせるわけでもないことがわかった。
もともと絶対的に人が訪れないところなのだ。
店がないことも、交通の便が悪いことも、むしろ、とうとう来たなという感じがして面白いのだけど、
それはもう下北駅周辺でも十分に感じられたし、
だったら少ししか興味のもてない崎まで一日かけていくより、
一日かけて三沢まで戻り、寺山修司記念館に行って帰ってこようと思った。
三沢は下北半島の付け根にある。
朝8時。
線路に赤とんぼがとまり、すすきが繁茂する駅で待つ。
斜め右に釜臥山が見える。
昨日は恐山からこの山の反対側を見ていた。
電車に乗って下北半島を昨日とは逆に南下する。
三沢へ。
バスの出発時間までまた待つ。約1時間。
今回はこういう旅だと覚悟ができる。
私だけではなくてこの土地ではみんなが何かを待っている時間が長い。
駅の休憩所ではテレビを見ながら電車を待っているし、
バス停の周りでは地べたに座ってバスを待っている。
せせこましくない。
だからなのか一時間くらいはあっという間に過ぎる。
何をしていたという記憶もない。本も読んでいない。
バスに乗って寺山修司記念館へ。
途中、三沢の市街地を通るのだが、
米軍基地があるからだろう、すべての商店が英語表記されている。
酒屋は「SAKE SHOP」。
畳屋は「TATAMI SHOP」。
英語というよりはローマ字表記なのだが、
そんな店までアルフェベットを掲げているので米基地の街という感じがした。
帰りは商店街を歩いてみたいと思う。
少し行くと平屋で同じ作りの建物が4、5軒づつまとまっているのが続くエリアがあった。
米兵用か自衛隊用かどちらかはわからないけど、
そのために建てられた宿舎だろう。
今は民間に払いさげられて一般の人も住んでいそうだが。
基地の街だと思う。
そのせいで人が来るからだろう、サービス業、飲食店、土産物屋、下北の街とは圧倒的に店舗数が違う。
私は、バスの時刻表を見ていて、記念館から駅に戻る便が希望よりちょっと遅すぎるのしかない気がしていて、
だったらいっそ歩いて駅までとはいかないまでも途中の航空科学館まで行ってみようかと思っていた。
しかしバスが航空科学館から出発してすぐにそんな考えは吹っ飛んだ。
どこまでも続く畑。
曲がりもせず大きな木もなく、まして人家や店なんて存在しない道がずーーーーーっと続いている。
ここは北海道か?
ここではどこかに行こうとするときに、徒歩で行こうと考える人は少ないんだろう。
だからこんな駅から途方もなく離れた場所に観光施設を建てるのだ。
東北の旅にはマイカーがおすすめです。
本当にこの旅では距離や時間の感覚に面食らうことばかりでおっかしかった。
で、やっと着いた寺山修司記念館は、これまた変なところだった。
草原?
草原なの?
爽やかに風が抜け、針葉樹の林とたっぷりの陽光が降り注ぐ湖畔の近く、
なんてまあおだやかな土地か。
そこに習字と保健体育が苦手だった寺山の記念館は建っている。
建物はあの寺山っぽいアヴァンギャルドな風貌をしているのだけど、
まわりの風景がどこまでもおだやかなので、
ともすると瀬戸内海の島アートみたいにおだやか。
それでいいのか、寺山。
なんか、ツンツンとがっている息子をハイハイと無理解のまま包みこんでしまっている感じだ。
それこそ「田園に死す」で主人公が一番苦悩していたことじゃないか。
それでいいのか、寺山。
でも、そういうこと思ったのは帰ってきてからで、
その時はただ、わあやっと来た、わあきれいなとこだ、わああの建物だ、わあやったやった、くらいしか思っていない。
中に入る。
思ったよりこじんまりした暗い中に、机が並べられていて、
そこに座って引き出しを開けると中に寺山の資料が収まっているという仕組み。
卓上には懐中電灯。
暗い中、懐中電灯の光を自分で当てながら引き出しの中を覗く作業は秘密めいた感じの面白い趣向。
どこかの引き出しの一番下に黒電話が入っていて、
受話器を上げると寺山の声が聞こえる。
普通、机に向かって黒電話を耳にあて、何も言わないでいる女の姿はさぞ気味の悪いものだろうと思うが、
その客観視すると気味の悪い人にさせられてしまう、というのもおそらくは考えられた仕組みの一つであろうと思い、
仕組みの一部にさせられてしまって悔しいんだけど面白かった。
と、ここにおばちゃんおじさんたちが入ってきて、
おばちゃんがみんなに「つぐえの中さ、いままでつがってたものさはいっでっがら」と説明しだしたので寺山の声よりそっちに聞きいってしまう。
やはり生者の声の方が強い。
寺山の著作の挿絵を多く担当した薄奈々美という人を今回初めて知る。
エドワード・ゴーリーみたいな不吉な絵のオリジナルタロットカードなども寺山と作っている。
好きな絵だ。
建物の外に出る。
アジサイが咲いていてその花に赤とんぼがとまっている。変な感じだ。
湖の見えるところまで歩く。
林道を寺山の短歌と指差しのマークが並ぶ。
ここでは宮沢賢治あつかいなのか。
湖の見える高台に大きな本の記念碑。
「僕が死んだらお墓はいらない。僕の墓は僕の言葉で十分だ。」
という寺山の言葉をそっくり素直に聞いた結果、本の形の記念碑にした、というのが
すごく皮肉な感じがすると思った。
どこまでもこの土地の人と寺山は相容れないという気持ちが募る。
美しい自然の中でぷらぷらしていると父からメールが来る。
実家の飼い猫の元気がないという。
病院に連れて行ってやってとメールする。
記念館に戻り、ロビーで流れている三沢時代の同級生たちが寺山のことを語った番組を見る。
大抵みんな「いじめられてましたよ」とか「いじめてましたよ」とか微笑みながら言っていて、
インタビューに答えるおばさんの赤いてらてらした唇とそこからちらっちらっと見えるこれも真っ赤な舌を見ながらやはり寺山の鬱屈の一端はこの人たちが作ったのだと思った。
バスを待って、駅方向へ帰る。
明るく広々とした畑の道をバスと並行して鳥が一羽飛んでいる。
その鳥が寺山のようだなどとは思わずに、
こんなところに寺山はいないと思ってすがすがしくなった。
三沢の商店街で降りて、店をのぞきながら歩いて駅へ。
入った店にこけしのちいさいやつが並んでいて、
値段を聞いたら「まだそれ売り物じゃないんですよ」と言われる。
どういうことかと訪ねたら、
「こないだかわいいと思って買ってきて、今その工房に連絡して仕入れの交渉をしてるとこなんです。」と言う。
どこで買ったのかを聞くと、「黒石のこけし館」という答。
それでどうしても行ってみたくなる。
黒石は南津軽で、三沢とも、まして下北とも遠い。
でも行ってみたい。
路線を調べると今日今からは行って戻るのは確実に無理で、
明日の始発に乗れば下北から青森、弘前に行って、バスで1時間かけて黒石に行き、
新幹線を新青森からに変更して乗り込めば東京に7時に帰り着くという算段をする。
行ける。
ゴーだ。
ゴー黒石。ゴーこけし。
それでまたわざわざお金と時間をかけて下北に戻り、また始発に乗って出発するのはたいへん馬鹿馬鹿しくもあったけど、
これも旅だしょうがないと諦めて下北に戻る。
このあたりから下北が家のように思えてくる。
何もない家。帰って寝るだけの家。でもなんか落ち着く家。
またスーパーで買い物して宿に帰ると、
女将さんが茹でた枝豆を持ってきてくれた。ほんとに家だ。
今日もお客は私一人で、誰もいないお風呂に入って2階の部屋で買ってきたご飯を食べた。
下北産の赤貝と平目の刺身。
海鮮丼。
父からメール。
猫を病院に連れて行ったとのこと。
夏バテ気味で、便秘かもとのこと。
もうおばあちゃんの年なのでそういうこともあるのかと思う。
窓からは釜臥山の夕暮れが見えた。
浮世絵みたいな空の色で、
裾野の方はピンク、その上が黄みがかったオレンジ、黄色、上のほうが白くてその上には紺が迫ってきている。
始発は5時。
明日に備えて早く寝た。

青森にいく(一日目)

2012年09月16日 18時37分24秒 | Weblog
9月14日(金)
午前5時、家を出る。
真っ暗。この時間でまだ暗いのが夏の終わりっぽい。
電車に乗って持ってきた本を読む。
吉祥寺、荻窪のあたりでそれぞれ文章にふるえる。
この本を旅に同行させてよかったと早くも思う。
トーベ・ヤンソン短編集「黒と白」。
本から目をあげると、白く朝が始まっていた。海底みたいな白だ。
覚めつつある世界をぬけていく。
信濃町あたりで小躍りしたい衝動にかられる。
いまから旅行に行くことがうれしくてたまらない。
東京駅ではやてに乗る。
はやての座席の前の網にはJRの小冊子が入っていて、東北の観光地や東京駅の情報なんかが書いてあるんだけど、
終わりの方のページに東日本のJR全路線図が書いてあって、
それがいびつでおもしろかった。
ホムンクロス化した地図といえばいいのか、
全ての駅が等間隔、同じ大きさに書かれていて、当然、駅のない所は小さく、駅がつまっているところは長く書かれる。
胴体はふくれているのに手足がほんの少ししかでっぱっていないような。
まるで絵本「おおきなおおきなおいも」の芋みたいにずんぐりむっくりといびつな形の東日本。
群馬の歪みようったらなかった。
ぐったりと寝ころんでる人みたい。
右隣の母娘はずっと小声で喧嘩をしている。
座席を倒したいけど倒しかたがわからなくてイライラしている母となんでそんなこともわからないのかとイライラしている娘。
左隣のおじさんは分厚い冊子を読んでいる。
ちらと見ると表紙には「脊髄神経手術手技学会」の文字。
手術手技。
すごい言葉だ。
仙台。
窓から見える風景はそうかわらないが、車内放送がなまりだす。
「つぎは盛岡です。」の単語の最初にアクセントがくる。
山並みを通っているらしく、トンネルをいくつも越える。
二戸に着く直前、いきなり森がわっと迫ってきた感じがした。
深い緑と濃い太陽光。
せまいが海みたいに深そうな青黒い川。
八戸に着く。
乗り換えの電車を待っている間、向かいのホームで少年がずっと停まっている電車を撮っていた。
青い森鉄道に乗る。
車内に綿毛がとんでいる。
野辺地(のへじ)でいったん降りて、次の電車を待つ。その間、約50分。
待ち時間に面食らうが、さらに野辺地の駅周辺になにもなくて面食らう。
冬には豪雪になるだろう土地らしく、針葉樹林とかっちりしたつくりの家。それ以外には常夜灯くらい。
唯一と言っていい駅前商店のヤマザキパンでパックのイチゴオレなど買って時間をつぶす。
飲んだらめちゃくちゃ甘かった。
下北半島を北上するリゾートあすなろに乗る。
座席がリゾートっぽい。さすが別途500円かかるだけある。
窓からはどこまでも明るい森が続く。
針葉樹の森だからなのか、海辺の森だからなのか、とにかく明るい。
地面にまで光がよく届いて下草の背が高い。
その明るい森が続く。続く。
もう、圧倒的な自然の勝利。人家すら見えず、人の気配は電線だけ。
と、そこにそびえ立つ風車があらわれる。
そいつらはほんとうに緑の森から突然でてきて、
そのスペース的な白い流線型の羽を海風にまかせてゆっくり回転させている。
その唐突感といい、圧倒的なでかさや存在感といい、森の上に立つ姿といい、
なにこれガンダム?
ガンダムみたいだよ。
下北駅に着く。
恐山へ。
乗り込んだバスの運転手が出発前までだらだらしていたのに、
いざ時間になるとゴルゴがしてるみたいなサングラスをかけたので期待が高まる。
むつ市内を行く。
高い建物がまるでない。
ビルはおろか、マンションみたいな集合住宅もない。
そういうのがいらないところなのだ。
最果てに来た。
バスの停留所の名前が「小学校前」やらから「念仏車」に変わる。
きたな、と思う。
停留所の名前から恐山ぽくなっていく。
山道になって周りが木の影になる。
水が流れている「冷水(ひやみず)」というところでバスが停まり、運転手さんが「5分ほど停まりますので降りたい方は行って水を飲んできてください。」と言う。
バスの車内案内で「冷水を一口飲むと10年長生きし、二口飲むと20年長生きし、三口飲めば一生長生きすると言われております」と流れる。
終わりのあたりが少し変だなと思っていたら、続けて「話を聞いただけでも三日は長生きするとのことです」というので笑ってしまった。
「冷水」の水は冷たくて、お地蔵さんがたくさん。
そのお地蔵さんの足元に水分を吸い込んで黒くぐずぐずになった熊やミッキーのぬいぐるみ。おお、恐山。
さらに山を登るとどこからか硫黄のにおいがしだして、ぽっかり湖があらわれた。
これがめちゃくちゃきれいだった。
水が澄んでいて、青くみえる。
点々と木の杭が出ていてそこに鳥がとまっている。
水面が向こうの山をうつして風もなく、まったく波立たない。
うわあうわあと思っていると恐山の入り口。
こんなきれいなとこにあるとは思わなかった。
バスを降りるとどでかい六地蔵が日を背負って立っている。
テンションがぐっと上がり、走り出したいのをこらえて歩み寄る。
仰ぎ見るほどでかい。
写真を撮りまくる。かっこいいかっこいい。
しばらく心を落ち着けて入山する。
どばーん。「田園に死す」の題名が出てくるとこじゃん。
テンションがあがる。
どばーん。お地蔵さんのまわりにカラフルな風車がぎっちり刺されてきゅいきゅい回っている。
テンションがあがる。
どばーん。屋根のある巨大な卒塔婆の林。
どばーん。顔中いぼだらけの亀の像が水場を守っている。
どばーん。恐山風呂発見。
とにかくここにあるもの全てがいちいちグッとくる。
テンションがあがりまくり、異様な汗をかきながら写真を撮りまくる。
全部が絵になる気がする。
いよいよ岩場の方へ。
わあ。
すごいやすごいや。
白くてごつごつした石がそこかしこに積まれている。
石の積まれている場所も大きさもランダム。
そこに風車や小さなお地蔵さんや、名前の書いてある石や硬貨が加わっている。
石かと思うとお地蔵さんだったり、
お地蔵さんかと思うと陶器の舞子さんだったりする。
皆思い思いのものをここに置いていくらしく、その種類は計り知れない。
少しくぼんだところに、小さい子の写真と着てただろう服が半分朽ちて野ざらしになっているのを見たときはさすがにぞっとした。
そんな石の山からはときどき湯気が上がり、硫黄を含んだ熱い川が間をすり抜けていく。
熱い川はせせらぎもせず、静かに波立つ湖に吸い込まれて、向こうの山をうつす。
異様。
この光景は自然だけで出来たものでも、人間だけで作ったものでもない。
だから余計に異様。
異様という言い方がおかしければパワー。
ここにこれがあるだけで恐山には人を集める力がある。
すごいところだ。
平日でしかも午後も結構経っているからだろう、人はまばらで全然にぎわいがない。
土日や長期の休み期間は人がごった返すだろう。
いいときに来た。
湖の際まで行って手を入れてみると予想に反して冷たい。
近づいて気づいたのだが、川になって流れてくる以外に、水は湖の底からもどんどん湧いている。
空気の泡があちこちからあがっていて、それがこぽこぽとかすかな音をたてる。
そのつぶやきに似た音が誰もいない浜で聞こえるのはこの霊場恐山の恐山らしさをいや増した。
このころになると最初の興奮はだいぶ収まっていて、どんどん夕方になる空と山と湖をより見ている。
確かにおどろおどろしい景色や要素もたくさんあるのだが、けっきょく恐山はこの静かな景色が魅力なのじゃないかと思った。
静かで山と水があるこの風景を見てると浄土と言われてるのもわかる。
ぐるっとめぐって恐山温泉へ。
山小屋みたいな中に脱衣場と湯船だけのがらんとしたお風呂。
まるでつげ漫画に出てくる温泉みたいだ。
しかも入るのはひとりだけ。
嬉々として浸かる。
硫黄のにおいはバスを降りたときからずっとしているので特に気にならない。
ちょうどいい加減のあったかさで、差し込む夕日が板敷きや蒸気を照らしてそらもう最高の気分だった。
恐山最高。
あがって少し涼んで出口へ。
バスを待つ間、ヨモギアイスを食べる。
隣のベンチに腰かけたおじいちゃんおばあちゃんの一行ががちがちの訛りで、全く何を言っているかわからない。
「わぁ」とか「おら」とか言ってるので青森の言葉らしいのだが、
だんだん韓国語みたいにも聞こえてきた。
会話のイントネーションが似てる。気がする。
ヨモギアイスを食べながら、青森弁だか韓国語だかの会話をずっと聞いていた。
向こうではバスツアーの団体さんたちがバスに乗り込んでいる。
恐山の観光ガイドらしい人がその人たちに向かって「バイバーイ、バイキングたくさん食べてねー」と手を振っていた。
帰りのバスに乗り、寝入る。
起きるとむつ市内に戻ってきていてあたりはすっかり暗い。
近くのスーパーに行ってご飯を買う。
その土地のおいしいものはたいていその土地のスーパーにある、と思っているので、観光客用の変なラーメン屋に入るよりはスーパーのお総菜を食べる。
以下、食べたものメモ。
ねぎと身欠鰊の和え物。醤油と少しのみりんで味つけされた鰊とねぎの辛み。うまい。
人参のこあえ。「こ」はたらこ。
みずのおひたし。「みず」はふきに似た植物。しゃきしゃき。一緒になってる昆布のとろみとあっていてうまい。
宿は貸切状態だった。
これもつげ漫画みたいだと大変気分よく寝た。

一日が3日ほどに感ぜられた一日

2012年09月09日 23時24分35秒 | Weblog
一日目(午前中)
職場へ。
懇談会があり、父兄が来る。
いつもより化粧が濃いめのスタッフたち。
人の前に出るときはちゃんと化粧するのが身だしなみのひとつ、
というのがうちの職場の信条の一つでもあるので、
大きくなった目をばちばちさせて皆立ち動いていた。
親の前で日頃の様子を説明するのに言うことを丸暗記して
なんどもなんども繰り返し練習していた若いスタッフがいたり、
人前でしゃべり慣れていない人たちが人前でしゃべらなければいけない緊張感が建物全体を覆っている。
こないだの懇談会の時、そんな張り詰めた空気とは知らずに
のほほんとトイレから出てきたら「もっと早く出てきてください」と注意されたので
今回は私も少し緊張が伝染していた。
親が来ない保育だけの子が先に来て、大人のぴりぴりなんてお構いなしに
そこら中を走り回って汗だくになり、げたげた笑っている。
端に寄せてある机に潜り込んで「おうち」と言い、もぞもぞ動いて頭をぶつける。
なぜかはわかっていないだろうが、今日は規制が甘いことを確実に感じ取っている。
うんこをしても気づかないほど夢中で遊んでいた。
ちらほらと親に連れられた子どもたちがやってきて、
それが皆輪をかけてはしゃぎまくっており、
いつもと違うことはこれほど人の気持ちを高揚させるものかとあたらめて思う。
親の前で紐通しをする。
これは私が作ったもので、ダンボールの板に猛獣が色画用紙で書いてある。
板の上下に穴がいくつも開いていて、紐を上下に通すと
ライオンや象、ワニや虎が檻に入れられているように見える仕組み。
がしかし、やる方はそんなことはお構いなしに上下ではなく隣の穴に、
根気よくやる子もすぐにほっぽり出す子もいる。
懇談会が終わって、みんなは親子で帰っていくのに
自分だけは迎えが来ないというのを察知して泣き始める。
泣きながらご飯を食べた。
ときどき嗚咽でむせてご飯つぶが口から飛んだ。
12時頃に迎えが来て、けろっと笑って帰っていった。

二日目(午後)
着替えて「おつかれさまでした」と言い、電車に乗る。
横浜は4年ぶりくらい。
30分くらい寝たら着いていた。
地上に出ると中華街の東門がどんと立っていた。
中学の修学旅行であそこをバックに写真を撮った。
少し中華街を歩く。甘栗売り、肉まん売り、お粥屋。
しかしえらく中華じゃないものに侵食されてる感があって、
なんであんなチチカカみたいな店やインドやタイやネパールみたいな雑貨屋や
和モノ専門店ができてしまっているんだろう。
中華街じゃないじゃん。
そう思ってきょろきょろしていたら突進してきた車に轢かれそうになった。
神奈川芸術劇場へ。
ロビーでしばし本を読む。
壁にかかった大画面テレビで車いすレースをやっていた。
「いやあ、ほんっとすいません!」と笑いながら謝る日本人選手が映っていて、
あの人は負けたんだろうか勝ったんだろうか。それにしても明朗に笑っていた。
今日見るダンスの人のチラシを見る。
私はこの人は初めて見るし、何も知らないまま見るのだけど、
なぜか知らないがツイッターでフォローしていて、
それもダンスやる人とも知らずにフォローしており、
でも本人の写真はその強烈な顔で覚えていた。
だから、まさかあの人がダンスの人でそのダンスを今日今から見る、というのを
知った時には驚いた。
この劇場でこんなまぬけは私一人だと思った。
まぬけは人に誘われてびっくりするような偶然にたどり着く。
その当の誘った人が来ないので先に受付を済ませる。
中ホールという劇場の3ブロックに分かれている客席の端2ブロックが塞がれていた。
(あまりお客が入ってないのかもしれない)と思った。
舞台は茶色の壁。
黒いゴムみたいなシートがダンススペース。
そのゴム面に曲線の跡が無数についている。
おそらくこの上で表現された数々の足や物がつけただろう跡。
それが黒いゴムシートの上に薄い白で残っている。
奥からすたすた女の人が歩いてきて「one」と言ったら始まった。かっこよかった。
池田扶美代という人のソロだった。
見ている間、この人は何人なんだろうと思っていた。
もちろん日本人なんだけど、
身振り手振りが外国の人みたいだ。
さっき見たチラシで海外生活が長いようなことが書いてあったから
それはそうか当然かもなと思うのだけど、
日本人なのに欧米の人のような所作をする人を見ているのは不思議だった。
しかも英語や日本語やオランダ語(あとからオランダ語だったと知った。聞いてる時はドイツ語かと思ってた。どっちも結局わからないけど。)を話しながら踊る。
あえて何を言ってるかわからなくさせるために外国語を使っているのもあって、
ますますこの人の所属している言語とか国の境目がわからなくなる。
そしてなによりなんだあの顔は。やはり顔の力がすごい。
すごい表情をするというのではなくて、もう顔自体、それ自体がすごいのだ。
わっと思う顔をしている。忘れがたい顔だ。
ダンサーというからすらりと細い人なのかと思っていたら、
ぜい肉はないがしっかりした体つきの人だった。
最後は「good bye」と言って終わった。
アフタートーク。
こ、れ、が、めちゃくちゃ面白かった。
まず、池田さんとしゃべる劇場の女の人がえらく変だった。
この人にも何人だよ、お前と思った。
「池田さんに初めてお会いしたとき、うわぁ本物だぁって思いました!」と熱く言ったかと思ったら、
「結局アレですか、えっと、よくわかんなくなっちゃった、なんの話でしたっけ?」とか言い出す。
妙にリラックスしたような態度と話し方。
え、なにそのフランクさ。君、帰国子女?外国のインタビュアー?
なんだか聞いてる方がひやひやするやりとりがなされていた。
当の池田さんはそんなこと全然気にする感じでなくて、
「私日本語下手だから。あと英語もフランス語もみんな下手。」とか言って笑うし、
「帰ったり寝ちゃったりする人いたから今日は面白くなかったんだね」とか言って笑うし、
「ドボッとお風呂に浸かっているようなジューシーな居心地の良さ」とかいう言葉を使うし、
照明さんや音響さんのことを「テクニシャン」と呼ぶし、
お客の質問に第一声「難しい質問。」と体言止めで応えるし、
やっぱり異世界から来た人だった。
異世界から来た人なのに話してることはすごく共感できた。
「今あなたがあるのは記憶のおかげでしょ」と言い放って、
そのあとの説明よりも、その一言言い放ったその言葉がすごく力があって、
そうだ、その通りだと思った。
あの一言で分からなければきっとその後でいくら説明を受けてもわからないのだ。
ダンス中、こっくりこっくり船をこいでいて、
池田さんにガツンと見られながら、寝てるあなたに言ってるのよ、とやられてもなおも寝ていた前の人がアフタートークでうんうん頷いでいるのは解せなかった。

三日目(夜)
遅れてでも間に合った島村くんと合流する。
島村くんは池田さんの大ファンだそうで、
池田さんが所属するローザスというダンスカンパニーの動画を見ろ見ろと言った。
なので見ました。
Rosas Danst Rosas Anne Teresa de Keersmaeker 3

かっこいい。
かっこいいな、ローザス。
力強い。
歩いたり、コーヒー飲んだりしながら今見てきたダンスの話や本の話などする。
島村くんは美大を出ているので今まで出会ったことがないほどごりごりに表現のことを考えて話そうとする人で、
そのパワフルな言葉とかなんとか形にさせていこうとしているのを聞いていると
なくてもいいものを「いや!なきゃ困るんだ!」と声高々に言ってのけてしまう
世界にいた人なんだなあと思う。
いい悪いではなくて、本当にそういう世界の人という感じで
話していてすごく面白い。嫌味とかまるでないし。
表現に対して屈託がない、というのか。とにかくつきあってて気持ちいい人だ。
本も舞台も映画もよく見ている。
話し続けて川崎まで行き、南イタリアの街並みを模したような集合アミューズメント施設の映画館で「桐島、部活やめるってよ」を見た。
この映画は、公開当初から評判になっていて、
おそらく面白いだろうと予想していたんだけど、
でもスクールヒエラルキーがどうとか、文化部と運動部の関係とか、鬱屈した人間関係とか、なんかもう自分の高校時代のこととかそれきっかけて思い出してしまう要素がたくさんありすぎて、あまりにも肉薄しすぎて楽しんで見れないんじゃないかみたいなのがあって、躊躇していた。
で、「俺もっス、躊躇してんス」みたいに言っていた島村くんと一緒に見に行くことになった。
見たよ。
桐島。ついに。
うーん、もやもやする。
これはダメ映画とは言わないが、嫌いとか好きとかでもないな。
なんだこれ、すげえもやもやする。
ただこれは人と見に行ってよかったと思った。
見終わったあと誰とも話せなかったらもっともっともやもやしてた。
とりあえず、見終わったあと島村くんと話したことを言うと、
まず、季節の設定がよかったっすよねえ。
秋の終わり、寒くなりかけでそろそろ受験とかも考えはじめるころ。
びゅおっと鳴る風が吹いて落ち葉が舞い上がったり。
澄んだ空気に夕日が綺麗で、
人恋しくなる季節の話であったのがすごくよかった。
「誰に一番感情移入しましたか?」と聞かれて、
考えたら神木くんの横にいた蛭子さん似の子だった。
神木くんはにじみ出る「ほんとはメジャー感」が払拭できないままだったので、
私は顔にしろその卑屈さにしろ高慢さにしろほんとに共感できたのはあの蛭子似だった。
あの人の存在があったから私はこの映画を評価したいくらいだ。
決して主役にはならないけど、あいつがいることでどれだけこの映画のリアリティが増したか。
てかあいつはあの位置でいいんだ。あいつはあの閉塞感のある学校みたいなちっこいとこで主役になってはいけない。
たいてい学校で主役のやつほどあとからつまんなくなるんだ。
そういう私の屈折した考えも入れて、
別に桐島が部活やめようが何しようが全然興味ありませんけど、という立場でずっと見ていたので、
桐島を追いかけてみんなで走っちゃうのとか、
桐島と付き合うことで感じているステイタスとか、
そんなスーパースターがホントはいないことなんてあれ、みんな知らなかったのかな。
ちょっとだからいまいちそのへんがよくわからない。
私の知っている学校のスーパースターは
もっと複雑な愛憎のいろんな視線にさらされていた気がする。
痒いとこをかいてくれようとしているんだけど、
なんか届かないような感じ。
だからもやもやするのかも。
要は私たちはもっともやもやしながら生きてたぞ、ということなのかもしれない。
生きにくい中を生きていくのは映画でも同じだったけど、
私たちのこと全部は言ってくれなかったね!てことなのかも。
以上のことを考えて、私の屈折は相当根深いのだなと思った。
最後なんとなくカタルシスに持ち込んでいった感じもだから、もやもや。
でももやもやさせてくれる映画、考えるきっかけになる映画はいい映画だ。
中華を食べて、島村くんは遠回りだけど新宿まで一緒に帰ってくれた。
これが三日に感じられた一日のこと。

ここ一ヶ月を占めていたもの

2012年08月20日 21時11分14秒 | Weblog
保坂和志「小説の誕生」
いくつもいくつもなるほどと思う箇所が出てくる。
保坂さんによると、何かを読んでり見たりして「なるほど」と思うということは、
すでにその人の中にその考えなり、アイディアがあったということで、
それでそれを言葉や形にして見せられると「なるほど」と思うのだそうだ。
これを読んで、読んでいる時もいろいろ考えるのだが、
この本を読んでない時、例えば、駅から駐輪場までの道を歩いている時などに
ふと内容を思い出したりすることもある。
保坂さんは小説を読んでいる時に、もちろんそこに書かれている文章を読んでいるのだけど、その人の頭の中ではそれだけが充満しているわけではなくて、
その人が今まで経験してきたことや、仕入れてきた知識やそのときのまわりの状況などが全部総動員されている状態が読書体験なのであって、
そこに書かれていること以外をどれだけ読者に感じさせることができるか、みたいなのがいい本の条件なのではないか、というようなことを書いている。
それならば、本を読んでいない時に、ふとその本のことを思い出して改めて考えている時間などはまさしく「読書体験」であって、
そういうことをさせる力を持つ本がやはりいい本なのではないかと思った。
映画とかもそうで、ここ一ヶ月で見たものを思い出して書く。
思い出してよかったなと思えるものはやはりよかったのだと思う。

ルイ・マル監督作品「42丁目のワーニャ」
島村くんにすすめられた映画。というか、舞台の映画化(?)
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやる人たちのリハを撮ったという形。
劇場で、(リハだから)私服で、休憩をはさみながら、「ワーニャ伯父さん」をやる。
とても面白かった。
衣装を着ていないとか、休憩が挟まるとか、全然問題にならず、
むしろ、そのラフさが「ワーニャ伯父さん」という作品の本来のラフさにつながってよかったように思う。
本来の、というのは、あの馬鹿馬鹿しさであって、
もう、この人好きになっちゃダメ!絶対幸せになんないじゃん!という人を
もれなくみんなが好きになっている感じの馬鹿馬鹿しさとか、
お金のことにきゅうきゅうしたり、きゅうきゅうしていいはずなのになんか無頓着にしてたりの馬鹿馬鹿しさとか、
とにかく他人と関わることでこの人たちはどんどんどんどん追い詰められていって、
それでもなんかなんとかして生きていくしかないよね、みたいな馬鹿馬鹿しさとか、
そういうのがとてもおもしろかった。
「私なんで不器量に生まれてきたんだろう」のシーンもよかったし、
「あひるがガアガア鳴いてるだけ。すぐおさまりますよ」というそうやって今までいろんなことをやり過ごしてきただろう人生が見えるシーンもよかった。

「霊幻道士」
キョンシーである。
あのキョンシーだ。
小さい頃、多分テレビでやっていたのを見ててその怖さと魅力にとりつかれていた。
よく真似した。
両手を前に突き出してぴょんぴょん飛ぶのも真似したし、
キョンシーの頭にはると動きを封じれる御札もいざという時に書けるように練習してた。
息を止めている間はキョンシーに見つからないので息を長く止める練習もしていた。
キョンシーにはいろんな種類がいて図鑑も持ってたように思う。
全身が衣をまぶされてて熱した油の中に放り込まれる「天ぷら男」が一番怖かった。
そのキョンシー。
意外にもたくさんコミカルなところがあった。
そのへんは全然記憶と違う。
怖いだけのイメージだった。笑いどころなんてさっぱり記憶から抹消されていた。
挿入されてる歌の感じは懐かしい。
小さい頃にこの歌を聴いたわけではないと思うが、アレンジが似ているということだろう。
キョンシーは生の餅米が嫌いとか、新たな知識を得た。
あの、陰陽師的な呪術の作法とかにグッと来てたんだろうな、子供の頃は。
陰陽師ブームの前にはキョンシー(霊幻道士)ブームがちゃんとあったわけだ。
作法ってやっぱり真似てみたいほどかっこいいもんなんだよな。

竹中直人監督作品「無能の人」
ずっと見たかったやつ。ずっといつ行っても借りられてた。人気作なんかな。
風吹ジュンがよかった。
少し棒読みっぽいセリフまわしとか、無表情っぽいとことか。
どことなく周防監督の初期作品に感じが似ていた。「シコふんじゃった。」あたりの。

篠田正浩監督作品「写楽」
この監督は人が落ちていくときの妖しい輝きみたいなものが好きなんだと思う。
世間の底の方で生きてる人の輝きとか。
好きな監督。
泥臭くもかっちょいい映画。
絶頂で終わらず、落ちたとこまで撮りきるのが見ていて苦しいがでも妖しくほの光る蝋燭見てるみたいでぞくぞくする。

石井裕也監督作品「ハラがコレなんで」
おもしろいんだけど。
この監督好きなんだけど。
でもだんだんおもしろくなくなってきてないか?
「川の底からこんにちは」と「君と歩こう」あたりがおもしろかった。
あとは、うーん、おもしろいんだけど狙いすぎ?
あれは粋じゃなくてやっぱりおせっかいでないか?

アキ・カウリスマキ監督作品「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」
おもしろい。
とてもおもしろい。
文句なし。
だからなにも言うまい。

鈴木清順監督作品「陽炎座」
とてもおもしろい。
はっとなるようなシーンがたくさん出てくる。
最後の舞台が崩れるところはそのまま世界が崩れたんだと思った。
当たり前だが大楠道代がよかった。

蜷川実花監督作品「ヘルタースケルター」
カレー食べてるとこみたいなシーンがもっとあればもっとおもしろかっただろう。
セリフまわしがすごい説明的で勿体つけてて嫌な感じだった。
現代の日本で、女子高生のカリスマで、みたいな設定がまず失敗だと思った。
だってそれって全然カッコいいイメージないもん。
出てくる衣装やメイク、装飾はさすがと思ったけど、
それと比べると裸体が貧弱に見えた。
セックスシーンが全然キレイじゃなくて、
どうせゴテゴテに飾るんならそこもキレイに見せたほうがいいのに。
得意なとこと不得意なとこと、むらっ気がありすぎたと思う。

チョ・ポムジン監督作品「アーチ&シパック 世界ウンコ大戦争」
謳い文句が「史上最もがんばる方向を間違えた映画」。
すごいおもしろかった。
エンターテイメントと毒気が盛り盛り。
私は「死にたくない」と言って死んでいくヒーローを初めて見たぞ。

ガブリエレ・サルヴァトレス監督作品「ニルヴァーナ」
欧米から見たサイバー東洋の世界なんだと思う。
涅槃や解脱がゲームや近未来と融合して不思議な世界観。
私は誰?本当に存在するのか?
という西洋で生まれた哲学的問いが、東洋の神秘に答えを見出そうとするのは
おもしろいと思った。
いや、そういう話の映画ではないんだけど、
きっと根本には西洋から見て東洋の神秘の恩恵を受けたい、みたいなのがあると思うんだよね。
まだ東洋が神秘だったころ、と言ってもいいかもしれないけど。
結局、未来にも東洋にも答えとかないし、ってこの映画のすぐ後くらいからみんな思い始めたんじゃないかな。
映画はすごくおもしろかった。
もういない他人の記憶をこめかみに埋め込んでその恋人と会話するとことかすごくおもしろかった。
しかも、もう絶滅したというコヨーテの話するんだよ。
あ、そうか、あの映画は「いない人の話」だったのか。
もういない人、最初からいない人、それでも「いた人たち」の話。

酒見賢一「後宮小説」
「雲のように風のように」というアニメ映画の原作。
と知らずに買った。
読んで気づいて驚いた。
あのアニメ、なんか好きなのだ。
中国っぽいが、架空の国の後宮の話。
話は映画を見ているので知っているが、
読み進めていくとだいぶニュアンスが違う。
ニュアンスは違うが、やはりあのアニメっぽい。
よく細々をきれいに省いてそれでもなお原作の持ち味をちゃんと残しつつアニメ化したなと思う。
おもしろい。
諸処に工夫が見られる小説。
考えると重々しい物語なのだが、
あのアニメのイメージも手伝って、
夏の強い熱風が去ったあとみたいに何故か晴れやかになる。

安東みきえ「頭のうちどころが悪かった熊の話」
擬人化された動物たちの短編集。
かわいいのだがシニカル。
ファンタジーなのだが現実的。
中学生、高校生の時なら好きだったはず。
今はより現実のところに身を置いているので
こういう世界が遠くに感じる。

大岡昇平「野火」
どっしょっぱなからきりきりまで追い詰められた人間が出てくる。
最初から追い詰められているのにますます追い詰められる。
目の前に「死」がぶらぶらしている状態がずっと続く。
むしろまだ死んでない、という驚きが出てくるほどずっと。
状況が変わると「死」も形を変える。しかし、離れることは決してない。
そのレパートリーの豊富さにびっくりする。
「死」はひとつなんだけど、
「死に方」はひとつじゃない、というのが。

B・W・オールディス「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」
キース・フルトン監督作品「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」
小説読んで感じた言いようのない虚脱感や喪失感を
そっくりそのまま映画を見たあとにも感じて、
それはやはりあの双子を失ってしまったことへの喪失感だと思う。
どうしようもなく双子を好きになってしまう作品だ。
なのにたとえどこの誰でもあの双子を救えなかっただろう、という絶望が作品を貫いている。
とてつもない孤独と共存の話。
双子が善と悪に役割を二分されていない故の救いようのなさ。
これはすごい。
衝撃をうける。がつんがつん。
小説読んで、映画読むのがいい流れだと思う。

「トロール・ハンター」
ドキュメンタリー風のエンターテイメント。
若干いいカットが多すぎるのがドキュメンタリー臭さを邪魔していますが、
基本的にはいいとことでいいものが映ってとても気分良く話が進みます。
細かな作り込みはすばらしい。
途中でカメラマンが変わって、かぜん映像の見栄えがよくなるのとか細かいけど上手だなあと思う。

倉橋由美子「パルタイ」
どうしても学生運動のことを想起してしまう短編集。
なんか不快。
なんでこんなに不快なのか考えたら、
私は学生、とか、寮、とか、組織、とか、決まり、革命、労働者、集会、などの言葉が不快なのだと気づいた。
そういう言葉を使ってつくられる世界が不快。
あえてそういう言葉を使って不快に作っているんだろうってわかるのもなんか嫌だ。
Aを否定するためにBを持ってくるんじゃなくて、
A’を見せてるみたいな露悪趣味を感じる。
気持ち悪いでしょー?気持ち悪いでしょー?とごり押ししてくるので
もっとほかのものを見たらいいのにと思ってしまう。
ほんとにそれしかなかったんかな、60年代って。

「お食べなさい」とスイカをすすめられる

2012年08月13日 05時16分25秒 | Weblog
帰省する。
盛りを過ぎて重くなりすぎた頭を垂れてひまわりの一軍がおでむかえ。
ある日誰かが何かの目的で置いていったというミッフィーのぬいぐるみが
愛くるしさとは裏腹の禍々しさで庭の片隅に座っている。
それを「キティちゃん」と呼ぶ母の空恐ろしさ。

夕飯にだされたゴーヤの火の通りが悪くて、
「これ半生じゃん」と言うと、
「うちではいつもこんなもん」と父も母も平然と食べていた。
一緒に住まなくなってだいぶ久しいので
調理の好み、というか、かたさやわらかさの感覚がちがっている。
ゴーヤ、ミニトマト、ピーマン、オクラ、キュウリ、ばかばか採れるらしい。

海沿いに住む祖母のもとへ。
腰の曲がったちいさい身体を車へ乗せてご飯を食べに出る。
メバルの煮付けや茹でシャコなど食べながら、
それにまつわる取留めもない記憶と思い出を語る祖母と母の会話を聞いている。
8人の子どもをつれてお風呂を借りに来ていた隣人がいて、
それを見ていたまだ10代だった祖母は
私は絶対お風呂のある家に嫁に行こう、と誓ったという話。
「シャコをこんっなにたくさん茹でてみんなで食べたよね」
「シャコのゆで汁をそうめんつゆにしたよね」など、
祖母が食べる分のシャコの殻をむきながら母が祖母に話しかける。
「漁師のおかみさん方がカニの爪をよう売りに来よったね」など。
土地柄なんか、うちの家族の特性なんか、
「ちいさいカレイだなあ」「味つけが辛い」「ごはんが多い」と
だされた料理に文句を言いながら祖母も母も全部食べていた。
祖母の家に戻ってスイカをよばれる。
「今年のスイカはみんな美味しい」らしい。おいしかった。
父がスイカの種を出さずに食べていることが発覚。
祖母、母、私から信じられないという顔で見られる。
テレビで最強の柵と最強の鉄球とではどちらが強いのか、
という番組を見ながら過ごす。
鉄球が勝った。柵はへし折られた。

母にパッチワークでスカートを作って欲しいと頼む。
すとんとしたやつ。
ナインピースというパターンがいいんじゃないかとか、
配色はどうするだとか、
長さを計算したり、布を買いに行く算段をしたり。
結局、近所の布屋ではよさそうな布が見つからず、
私がこっち戻ってきた時にユザワヤ行って、
好きな色の布を母指定の長さだけ買って送ることに決着。
明日行こう。

父方の祖父母に会いにいく。
祖父が桃好きであること、父がゲソの唐揚げ好きであること、
知らなかった身内の知識が足される。
弟の赤ちゃんの名前を書いて見せると、
「ずいぶんハイカラな名前だ」と言っていた。
キラキラネームでないことを祈っていた私にとっては
ぜんぜんOKな名前なのだが、やはり感覚がちがう。
それよりも弟と私の筆跡の似方が気持ち悪い。
別に机をつき合わせて勉強してたわけでもなく、
書道なんてどっちもやってないし、
むしろ一緒に住んでたときは筆跡が似てるなんてことなかったと思うのだが、
なんでかわからないけど、今すごくよく似ている。
壁にピンで止めてある弟が書いた甥っ子の名前と、
祖父母に見せるとために私が書いた甥っ子の名前と、
書いた本人ですら見分けがほとんどつかないほど似ている。
どっちかいうと母の筆跡に近い形。
血のこととか、こういう時に強く思う。

何かを期待する目でバカボンが見ている

2012年08月06日 22時22分41秒 | Weblog
別役実作「天才バカボンのパパなのだ」が舞台にのっているのを見てきた。
私はこの戯曲をたいへんおもしろいと思っていて、
以前にもここで書いたことがあるから、
それをどうやって舞台にのっけるのか楽しみにしていった。
そしたら、すごくがっかりした。
原因は前のブログに書いた「あの漫画のキャラクターの格好してやったっておもしろくないだろうね」という私の言葉を見事に裏切り、
「あの漫画のキャラクターの格好してやってしまった」とこにあると思う。
そりゃダメだろう、と思う。
現に私はあのうずまきの柄の着物を着て、頬にも赤くうずまきを書いてバカボンが登場した瞬間につい「わあ」と言ってしまった。
そしてその瞬間からもう帰りたくなった。
なんで、私があの漫画のキャラクターの格好をしてこの芝居をすることをこんなにダメと思うかは、
あの漫画のキャラクターの格好をしてしまった途端にこの芝居がひとつの作品ではなくて、あの漫画のパロディになってしまうからだ。
この戯曲は決してあの漫画のパロディとして書かれたわけではない。
あの漫画の奇っ怪な物語構造を拝借しているだけだ。
この戯曲はあの漫画の亜流でなくて、ひとつの演劇的な実験の方法をあの漫画の中から取り出したに過ぎない。
なのにあの漫画の格好でやってしまったら、どこまでいってもコスプレ演劇から抜け出ない。
それにバカボンのパパのコスプレは赤塚不二夫本人のコスプレが頂点だとみんなが知ってしまっているのでどんなパパが出てきてもお客は誰も納得しない。
構造的にも、ビジュアル的にも間違った選択だったと思う。
あと、最後の「これでいいのだ」の歌とダンスはいらないんじゃないかな。
見ているときはここまであの漫画におもねらなくてもいいのにと思ったが、
家帰って戯曲を読んでみてびっくりした。
すっかり忘れていたのだが、なんと、戯曲にそう書いてあったのだ。
戯曲には、「間もなく、遠くから、天才バカボンのパパの歌《これでいいのだ》が聞こえはじめ、人々、ゆっくり立上がって、じっと座ったままの署長のまわりを、優雅に踊りまわる。」とはっきり書いてある。
だから、私は一瞬、別役実ってつまんないこと考えるなと思った。
だけど、考えたらそうじゃなかった。
たぶん、本当はここで初めてお客は「バカボン」らしさを味わうんだ。
きっと、お客さんはここまで全く「バカボン」らしさを感じないのがおもしろいんだと思う。
「天才バカボンのパパなのだ」というどう考えてもあの漫画のキャラクターが出てくるだろうと予想できる芝居を見に来たお客さんは、
まったくあの漫画のキャラクターに似た(格好を含め)登場人物を見いだせないのがおもしろいんじゃないか。
それなのに物語の構造とキャラクター名(ただし「バカボン」しか名前で呼ばれない)はあの漫画から来ているからすごく混乱するんじゃないかな。
未知のものを見てるはずなのにどこか知ってる、というような。
それで、最後の最後の歌でああ、やっぱりあの漫画の世界なんだなと納得できるんじゃないかな。
それでも最後まで全然この世界に馴染めない署長と同じように置いてきぼり感は残るし、やはりそこがおもしろいんだろうけど。
いきなりあの漫画の格好そのままで出てきたらそら興ざめも甚だしい。
だったら漫画読むよと思う。

じゃあ、あの漫画の格好をして、舞台の役者たちはキャラクターになりきってやっていたのかというと、
それもそうではない。
「バカボン」の世界ではどの人も決しておちゃらけようとしておちゃらけているわけではないからだ。
みんな真剣に日々を生きている。
なのに価値観がすごく歪んでいる。
だから署長のお尻を叩くバカボンは決して笑ってはいけない。
まして叩いたからといって喜んではいけない。
なぜなら彼は楽しくて所長のお尻を叩くのではないからだ。
彼は彼の名誉のために見ず知らずの署長のお尻を叩かなくてはいけないのであり、
それをなし得ることは父親への自己顕示に値するからだ。
いくら不条理劇だからといって、
いくら「バカボン」の世界だからといって、
なんでもかんでもめちゃくちゃにおもしろさだけを狙ってやってはいけないと思う。
というか、そういうのをおもしろいとは思わない。
のっぴきならない真剣さだけが狂気とおもしろさのギリギリの「バカボン」世界を体現できると思う。

赤い花と黄色い花

2012年07月29日 10時52分18秒 | Weblog
インタビューをしてもらう。
夏の午前10時は暑い。
電車から降りたばかりなのにもうじんわり汗をかいて肥田さんと合流。
京都から来ている肥田さんは6時に出たとか。
公演以来なので久しぶり、という感じでもないが、
年に1、2回会えるか会えないかぐらいなのでやはりうれしい。
肥田さんは探検隊みたいな帽子をかぶっていた。
教えられた道を行く。
直射日光というより、やはり熱気がすごい、東京は。
湯気の中を歩いているよう。
日頃は建物の中で冷房にあたって仕事しているので
夏の昼間のこの暑さはくへえと思う。
思うが、嫌いではない。
教えられた通りに進むが、見つからない。
どうやら行き過ぎたようだが、どこまで戻ればいいのかわからない。
電話して聞いて戻る。
肥田さんが「いいねあの家」と言った民家を見ながら戻る。
さつきとメイの家みたい。
そういえば、あの家のモデルは阿佐ヶ谷にあるらしいですよ、などと話していると見つけた。
やはり素通りしていた。
なぜ気づかないんだと言わんばかりに阿部サダヲがこっちを見ているポスターがでかでかと貼られていた。
おじゃましますと入っていって、どうぞどうぞとすすめられるままに座り、冷たいお茶が出てきて、いただきますといって飲んだ。
「まずは雑談で」みたいなこと言われて、肥田さんの経歴とか聞いてた。
ミュージシャンなんですか、と聞かれていて案の定、とほくそ笑む。
そのときに肥田という苗字が初見では読みにくいことを知る。ルビがいるな。
テープが回って聞かれたり、しゃべったり。
私の手柄は何もなくてすべて役者と脚本と場所のおかげだったと思うことを話した。
印象的だったのは、
座付きの脚本家が別の場所にいて(「地方」と言っていた)、稽古や公演は演出家に任せて運営している演劇団体というモデルケースとしておもしろいと言われたこと。
そうか。
やはりおもしろいと言われるものの最初は、
「そうせざるを得ない」ケースによって突然変異的に現れるものなんだな。
全くもって計算ではないからな。
肥田さんの脚本について物語構造がどうのこうのと話したら
肥田さんがこっちを向いてにやにやしていていたので
くっだらないこと話しちまったなと思った。
「甘もの会とはと、説明するとしたら」と言われて
甘もの会の名前の由来みたいなのを話したら
「小料理屋みたいですね」と言われる。
ああ、そうかも、そういうのやりたいのかもと思う。
肥田さんは相変わらずにやにやして聞いていたのでもう何か三者面談の生徒気分だった。
最後に「今後の展望は?」と聞かれて
肥田さんは俗世から寸断されたところに住む仙人のようなことを言っていた。
私はやはり、こじんまりした小料理屋の女将みたいなことを言ったように思う。
ありがとうございました、お邪魔しましたと言って猛暑の中へ出る。
歩きながら壁など見つけて写真を撮ってもらう。
民家の庭先に赤い花が咲いていて、「なんて名前なんでしょうね」と言いながら撮ってもらう。
駅前のひまわりの群生の前で、「ひまわりがみんな太陽の方向を向くなんて嘘ですね」と言いながら撮ってもらう。
そんでおいしくて安い料理屋を「お昼食べていかれるんでしたら、」と教えてもらって、分かれる。
肥田さんと入ってイナダをトマトとバターでアレしたのを食べた。
おいしかった。
次回作について少し聞く。
DVDを借りる約束をする。
前史のこととか、すっごい未来のこととかになると楽しいなど。
実現するかはわからないけど。
時間があまりない肥田さんはこれからすぐ帰って仕事だそうだ。
過酷な一日。ごくろうさまでした。
楽しかった。
どんな記事の感じになるかはまだわかりません。

あの人は私の伯母さんです

2012年06月17日 20時44分54秒 | Weblog
青年団「月の岬」見てきた。
ちゃんとしてた。
もちろんのことだがちゃんとしてた。
ちゃんとした芝居だった。
妹の役が一番グッと来た。
あの人の明るさや噂話好きや
少しちゃんとしてないかわいさや
抱えている家庭の事情など、
うちの伯母を見ているようだった。
私にはあんな伯母がいて、
あの中でいるように物語の片隅で
ちゃんと地に足をつけて必死に日々を生きている。
そう思った。
伯母さん、いつも明るい伯母さん。
あの伯母さんをすくい取っているだけで、
この芝居はいい芝居であったと思う。
あの人は確かにいるなと思った。
私はあの人を知っている。
生徒の人も知ってる。
知り合いにいる。
うん、そっくりなんですよ、あの感じとか。
青☆組のリーディング見たときもそう思った。
あの男を敵にまわしてでも結局男なしではいられない感じとか。
背筋を伸ばして隙を見せたくなくて必死な感じとか。
いるんですよ、あの人も。
でもあんな気持ち悪い姉弟は知らないな。
ずっと作者の松田さんが演出したらどうなるんだろうと思って見ていた。
あの憑依のとことか。
もちょっと肉が足されるんじゃないかとか。
研ぎ澄まされた感じに、もっとどうしようもなさみたいなものが足されるのかもとか。
いや、これは松田さんが作ったらという話ではないな。
結局は私の話だな。
白馬の王子様があのはげた変な服の趣味のおじさんで
それが結局はリアルであってそれは笑えないけど笑えてしまって
あ、そうだ、もうなんなの、松尾スズキなの?みたいなのもあって
食べ終わったゼリーの容器にスプーンは置きにくいよねとかは思った。
にしてもすごく大きいTシャツばかりたたんでたな。