孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

火葬場にいる、理科の先生

2017年12月31日 | 社会観察
年末の義母の葬儀に参列して、葬儀業者の仕切る様子や僧侶たちの所作、あるいは火葬場の担当者の作業などなど、人間観察好きにとっては、飽く事のない非常に興味深いじかんであった。

一番可笑しかったのは、葬儀社の女性担当者が、何度も何度も「さあ、もっと近くに寄って、故人との別れを惜しめ」と勧めることであった。

家が街の住宅地なので、ご遺体はまず実家に寝かされるが、通夜は少し離れたところにある、葬儀社の「セレモニーホール」に移動される。そこは、大きな駐車場のある近代的な施設だが、テーブルや椅子などは良く見ると、徹底的にコストダウンをして作られていた。

葬儀社ほど利益率の高い職業は無いといわれる。原価が数百円の中国製骨壷を数万円としたり、「舞台装置」の祭壇も目を凝らしてみれば、子供の工作のようなシロモノ。

7~8回使えば原価は軽く償却できてしまって、それ以降は原価ゼロとなるわけだ。不透明な部分が多いが、一般的に葬儀社の原価率は20%未満だと言われている。

今のご時世、葬式には約200万円かかり、その内訳は葬儀社と坊主に6:4の割合で支払われる。

話が横道にそれたが、セレモニーホールでの通夜の為に、自宅から会場にご遺体を移動する。自宅で寝ていたご遺体を簡単に言えば真白な専用のシーツで包んで、病院で使うようなストレッチャーに載せてセレモニーホールまで移動する。

シーツでご遺体を包む時、係りの女性はそこにいた私を含む近親者たちに、「もっと近づいて、別れを惜しめ。顔を良く見てやれ」と言った。そして、遠巻きに見ていた近親者たちは近づいて、ご遺体の顔をシゲシゲと見た。

通夜の際はご遺体は棺桶に入り、極楽への旅装束をまとうことになる。みんなで棺桶にご遺体を移し、係りの女性から渡される、足袋や脚半や手甲、杖などの小道具をご遺体に着けていく。

すべてが終わると、係りの女性は、これで後はフタをするだけだ。「さあ、みなさん、もっと近寄って、最後のお別れをしてあげてください。」と告げるのだった。

通夜は、坊主の念仏、列席者の焼香、施主の挨拶と続いて終了する。

その後、ご遺体は棺桶にはいったまま、再び実家に戻る事になる。なぜか。

それは、翌日の出棺を自宅から始めたいからであった。出棺時に近所の人たちが道の両脇に並ぶ。そして、家の玄関以外から棺桶を運び出し、霊柩車に載せる。近所の人たちはそれを見ながら、最後の別れを惜しみ、施主は集まった人たちに挨拶をする。

時間通りに火葬場に着いたご遺体は運搬用の台車に載せられ、係りの男性がテキパキと炉の前に移動させて炉に入る。

「最後のお別れとなりますので、どうかもっと近づいてお顔を良く見てやってください。」と言われた遺族たちは、代わる代わる顔を覗き込んで、中には涙ぐむ親族もいた。

係りの男性は、時計を見ながら「それではこれより点火となります。お時間は1時間半ほど掛かりますので、お時間が参りましたら放送にてお知らせします。」と早口で事務的に告げて、炉の扉を閉めた。

言ったとおり、1時間半経った頃、放送があった。

炉の前に行くと、すでにお骨が1.5m四方くらいのステンレスの台に何かの基準で分別されて置かれていた。係りの男性は、遺族を回りに集めて、お骨に関して講釈し始めた。

このグループは腰から下です。ここは、腕の骨と上半身、そして、ここが頭です。

男性は骨の一つを手にとって、これはちょうどこの部分の骨です、などと言って自分の腰あたりに当てて見せた。遺族の中には、興味深げに聞き入っている人もいたが、私はまったく興醒めで、まるで理科の授業みたいな講釈に腹を立てていた。

表には出さなかったが、あの時私の血圧は300位に跳ね上がっていたと思う。

遺族は炉に入る遺体をほんの1時間半前に見ている。それがお骨になって炉から出てくる。その変り様を目にして、感極まってしまい、私はその場面こそ葬儀のクライマックスであると思っている。確かにショックは大きいが、それが人間の最後なのだ。

それを、まるで小学校の理科教師みたいな馬鹿者が、見事に台無しにしてくれた。


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