孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

警官の抑止力か大衆の民度か

2017年01月26日 | 社会観察
以前、フィリピンに赴任することになった時、職場の出向経験のある先輩から、「向こうに行ったら、オンナと警官には充分注意をするように」という忠告を受けたことがあった。

「オンナ」というのは、当時日本中の町という町に、いわゆる「フィリピン・パブ」が出来始めていた頃で、当時私が住んでいたアパートの一室にも、その筋のフィリピン人女性たちが共同生活していたのを見ていたので、何となく理解できた。

しかし、なぜ「警官」に注意しなければならないのか、俄かに理解できなかったものだ。

その意味は、現地に赴任後数ヶ月して「ああ、このことか・・」と納得できることがあった。それは、確かマニラ郊外のハイウェイにあるサービスエリアでの出来事だった。

休憩後に出発しようとしたらエンジンがかからない。バッテリーが弱っていたからだ。

別の車のバッテリーとケーブルでつないでエンジンは始動出来るはずだが、そのケーブルがなかったので、困っていた。すると、パトカーが通りかかり、警官が近づいてきた。

事情を説明すると、彼はパトカーからケーブルを持ち出してきて、手際よくつないでくれたので、首尾よくエンジンが始動したのだった。礼を言って出発しようとした時だった。

「バッテリーを買わないか?交換した方がいい。」と言う。

どういう意味なのかよく分からなかったので、困っていると、「このバッテリーを売ってもいい。」と、パトカーのボンネットの中のバッテリーを指差している。

「バッテリーがないとパトカーは動かないでしょ。」と言うと、「別のパトカーに代わりを持ってこさせるから、問題ない。」とニコニコしている。

「いや、今から工場に戻ればバッテリーがあるから、いいですよ。」と遠慮すると、「じゃあ、このワッペンを買わないか?」と左腕の肩に縫い付けてある警官のワッペンを指差した。「日本人は、こういうワッペンが好きなんだろ?」と、ニコニコしている。

何せ、彼の腰には拳銃が見えていたので、我々は「いや、私たちはワッペンには特別興味がありませんから。とにかく助かりました。どうもありがとう。」と言ってから、そそくさとその場を退散したのだった。

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昨日、【“不良”巡査長、分限免職 人事評価2年連続最低 大阪府警】というYahoo ニュースをみて、25年以上前のフィリピンの警官ことを思い出した。

以下、産経新聞 配信記事より抜粋;


『大阪府警は25日、港署地域課の男性巡査長(38)について、勤務実績が悪く警察官に必要な適格性を欠いているとして、地方公務員法に基づき、民間企業の解雇に相当する分限免職処分とした。』

『巡査長は平成27年ごろから勤務中に服装の乱れが目立つようになり、交番勤務時の巡回連絡を「意味がない」などと言って拒否するなど、職務命令に従わない行動を繰り返すようになった。

人事評価は2年連続で最低ランクとなり、昨年12月には停職1カ月の懲戒処分を受けていた。』

『府警が統計を取り始めた昭和41年以降、分限免職とした例は22件あるが、適格性を理由とした分限免職は初めて。』

  外国も真似る「交番」制度

ひとくちに警官といっても日本には何十万人といるだろうから、その質もピンからキリまでだろう。

記事の男性巡査長(38)は、別のニュースソースによると、交番勤務でパトロールや交番前に立つ仕事などを「自分のエネルギーの量は決まっている」「意味がない」と拒否したり、命令に背いて事件現場から離れたりする行為を繰り返したという。

警官としては不向きな人間は、大事に至る前に解雇したのは大正解だろうが、この程度の人間を警官として採用してしまう側にも何か問題がありそうだし、この程度の人間は別の道に進んでも、何か問題を起こしそうで、気になるところである。

シンガポールなども交番制度を日本から輸入し、オーストラリアやブラジルでもその犯罪抑止力の効果を期待して導入しているそうだ。

しかし、日本の治安の良さがこの「KOBAN」制度によるものと、短絡的に蚊案が得てしまうのにも疑問を感じてしまう。

敗戦直後、日本中でほとんど毎日のように派出所や警察署が襲撃される事態が起きていたことは、あまり知られていない。

占領軍GHQにより、当時の日本の警官は武器の所持は禁止されていたうえに、GHQに焚き付けられた在日朝鮮人たちが、自らを「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り武装して町をのし歩き、非道の限りを尽くした。

「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

尾花沢派出所襲撃事件、富山駅前派出所襲撃事件、長崎警察署襲撃事件、生田警察署襲撃事件、富坂警察署襲撃事件、 七条警察署巡査殺害事件、 坂町事件、益田事件、東成警察署襲撃事件、などなど、調べればキリがないほどの記録が残されている。

私の地元にも知る人ぞ知る「浜松事件」という1848年に起きた浜松市警との構想事件があったが、これなどはほとんど在日朝鮮人たちとの「戦争」といってもよかったようだ。

浜松市民ならずとも、こういう事実はしっかりと記憶に留めておくべきで忘れてはならない。発端となるのは、西洋人お得意の「分割統治」の手法である。

つまり、民族間や宗教間などの争いを故意に起こさせて、団結を阻止して統治する植民地の管理手法であった。

敗戦直後の当時の日本人は、失意のどん底で、誇りも気概もほとんど消失していたのだろうと痛感させられるのは、1945年の年の瀬に起きた、「直江津駅リンチ殺人事件」である。

新潟県の信越本線黒井駅に停車した満員電車に、窓ガラスを叩き割って乗り込もうとした朝鮮人三人組を、見るに見かねた29歳の男性セールスマンが阻止した。

すると、次の停車駅、直江津駅で朝鮮人たちは、その男性をホームに引きずり出し、近くにあったパイプやスコップで滅多打ちにして殺してしまったのだ。

緊急逮捕された三人の朝鮮人たちは、罪を認めたが、その後逃走して事件はウヤムヤとなったのだが、考えてみれば、当時電車は満員状態であった。乗客は女子供だけであったはずがない。

朝鮮人三人の暴行を阻止することはできなかったのだろうか、と返す返すも悔しい出来事である。

日本の治安の良さの要因は色々考えられるが、最上位に挙げられるのは、交番の数でも、警官の質でも、警官の携帯する武器でもない。それは、まず日本人に備わった品性、徳性によるものであると思う。

こういう特性が備わっていない、異種が交じり合ってくると、徐々に治安が悪くなることは必然であると心得るべきであろう。


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