今日のことば。

人に聞いたことば。頭に思い浮かんだことば。本で読んだことば。ことばの記録。

勉強とは大人を説得する武器だ

2013-10-12 10:32:26 | Weblog
by堀江貴文

そういうところはあったと思う。

ただ机に向かうということだけでなく。

机に向かう習慣をつくること
机に向かう目的、目標を定めること
そのために何を、いつまでに、どれくらいやるかを決めること
自分が、自分とかわした約束に従って実行すること
計画通りに進んでいるか確認して、必要に応じて修正すること
結果をふりかえり、現状から目を背けないこと
できなかった原因を認識して、改善策を考えること
諦めずに前を向くこと

そういう一連のことが意識しなくてもできるようになる。
それが学習習慣の効用だと思う。

しかし、大人は、勉強の成果を
プロセスではなく、結果で判断する。

勉強で大人を説得できるのは、結果を出した人だけだ。

翻って、大人になったらどうか?

やはり、仕事で大人を説得できるのは、結果を出した人だけではないか?

ただし、答えが決まっているペーパーテストと違って
仕事の結果は時として曖昧だ。

データの見方、指標の置き方、評価する人の思考や志向により
結果の受け止められ方は違うから。

公平な評価なんて存在しない。
この不条理の中でも諦めずに前を向くことができる人だけが生き残る。

バッテリーの枯渇としてのうつ

2013-10-02 20:55:11 | Weblog
すごくしっくりくる表現だけど、当てはまるとしたら私は鬱か?

2012年2月から、まったく充電できんかった。
でも大丈夫。予備タンクでとりあえずあと二ヶ月はしのげるか…


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心というのはハイブリッド自動車的な側面があるのだと思う。どんな環境であっても、蓄電池に余力があれば頑張れるけれど、充電機能が消費に追いつかないと、ある日いきなり止まる

忙しすぎる会社なんかで擦り切れる人というのは、あれは「壊れた」と言うよりも、蓄電池に電力がなくなった状態なんだろう。コンポーネントが破壊されたのではなく、その人は置かれた環境から充電することができなかった、というのが正しくて


ブラック企業と呼ばれるあれは、充電を許さない環境なんだと思う。仕事自体はもしかしたら、言われるほど負荷が重たいわけでもなければ一睡もできないわけでもないけれど、最初から蓄電池のみを当てにして充電の機会がないから、結果として擦り切れる人が増えてしまう

「俺は壊れた。だめなやつだった」ではなく、「この環境は自分の発電機に燃料が合わなかった」が正しいのだと思う。いずれにしても必要なのは環境の取替えであって


うつ病の新旧が本当に区別できるものだとして、モーター、蓄電池、発電機に不具合が生じるタイプのそれと、発電を許さない環境がもたらした蓄電池の枯渇とは分けないといけないんだと思う。どちらがより病的というものではなく、たぶん介入すべき場所が異なってくる


蓄電池さえあればどこだって走れる。枯渇するまでは。結果としてたぶん、蓄電池の枯渇が、「劣ったからついて来られなかった」という事例として観測される。「お客様のため」みたいな綺麗なスローガンを掲げる場所では特に

「ボランティアですから」みたいな言葉は、そこから十分な充電を得られる人が口にすべきで、それを蓄電池放出の理由にしてはいけない。美辞麗句が制度になるとそこは地獄になる


若い人は、いわば「満充電」の状態で社会にでる。だからこそ頑張りが効くし、電池が枯渇するまでは、「俺はこの業界に向いている」とさえ思う。あるひ蓄電池がアラートを発して、そこで初めて、「この環境は自分に充電の機会を与えていなかった」ということに気がつく

「頑張ろうよ」という呼びかけはこう、蓄電池をショートさせるような側面があって、案外もう少しだけ残っていた電力を絞り出せたりもするけれど、結果として電池は壊れる。


おそらくは環境の相性みたいな問題はあるんだろうと思う。万能のブラック・ホワイトがあるわけでなく、それが合う人と合わない人とがいる。頻度の問題こそあれど

電池が切れた論は医者の方によく言われるのですが、鬱経験の自分には違和感を感じます。持論で恐縮ですが、無意味な事を続けていると自己評価も下が仕事がより無意味になる、というスパイラルに落ち込むのが鬱だと考えています。

蓄電池を直接急速充電するような方法はたぶんなく、発電機を回す方策を考えないといけないんだろうと思う。休んだら治るのではなく、休むことで一時的に発電機が稼働する可能性が高い、というだけで