ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

ちゃんとしなさい!!

2008年10月14日 | 感じたこと
「ちゃんとしなさい!!!」って私たちは何度となく子供たちを叱ってきたことだろうか。

 今、社会の報道を見聞きしていると、なんとどれもこれも「ちゃんとしなさい!」と言いたくなる出来事ばかりではないだろうか。

 日本国内の政治や経済に限ってみても、年金問題、医療問題、教育問題、環境問題と数え切れない呆れた実態が毎日のようにテレビや新聞報道を中心に我々の耳や目に飛び込んでくる度に、「いい加減にちゃんとしてくれよ」と心の中で叫ばずにはいられないのである。

 しかし、そう口走っている我々も「ちゃんとしている」と自信を持って言い切れる人はどれ程いるのだろうか。

 いつも思うことだが、特に親が子供を叱ったり、注意をする場合に多くのケースは「ちゃんとしなさい!」と言っているのだが、果たしてこのちゃんとするとはどういうことなのだろうかが定かでない場合が多いのである。

 子供にしてみれば、叱られていることは分かっているのだが、母親の言うところの「ちゃんと」が不明の場合も多いのではないだろうか。

 たとえば、夜遅くなって、おかぁさんが子供たちに「ちゃんとすることして寝なさい」とでも言っているのだか、歯を磨いて、宿題して、遊んだ後片付けて、着替えて、戸を閉めて、などなどといろいろと注文が多いものだろう。

 しかし、こうした具体的な物事への指示や目的が明確な場合は許せると思うのだが、たいていの場合は「何をどうすればいいのか?」が不明な「ちゃんと」がおおいのではないだろうか。

 つまり、親にとって都合のいい言葉として、「ちゃんとしなさい!!」という常套句が使われていて、子供にとってはよく分からない「ちゃんと」が多いようである。

 一転、社会に目を向けて見ても、私たちが漠然として感じている「ちゃんとしてくれよな」といった感情や感想も定かでない場合が多いのである。

 というよりも、我々個人、個人の漠然とした価値観や感情の機微の違いもあって、「ちゃんと」と願う形やルール、あり方も異なっているのである。

 自分に都合のいい、つまり自分にとってよいと思える環境や利害、安心、安全などを潜在的には思いながら、「ちゃんとしてほしい」と願っているのではないだろうか。

 特に親が子供たちを叱ったり、注意する場合に言っている「ちゃんとしなさい!!」に関しては、相手の立場、つまり子供たちの主張や考え方、言い訳などは無視して親の一方的な都合で「ちゃんと」と叫ばれている場合が多いのである。

 それにしても、昨今の政治や経済に関しては、国民の多くが「ちゃんとしてほしい!!」と強く願わざるを得ない状況、実情が多発していて、「何とかしてほしい!!」と思っているのである。

 最後に、やっぱり政治家と大人たち、親たちに「ちゃんとしなさい!!」と叫ばざるを得ない。

 自分自身の「ちゃんとしていない」ことを棚にあげたままで。

 

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