ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

オレの心は負けない

2008年11月30日 | 地域の話題
 11月の最後の日の日曜だったので、午前中に我が家玄関脇の狭い倉庫のツタの絡まる壁に孫のK君に手伝ってもらって、恒例のささやかな「クリスマスイルミネーション」を飾り付けた。

 日差しは暖かいが風は初冬を感じさせる冷たさで、「風邪」やインフルエンザが流行りだしていて、医院や病院では今年はB型インフルエンザのワクチン注射が盛んに行われて、もう品切れ寸前だというから、子供や高齢者は早めの対応が必要な冬である。

 午後は、地元の「平和と人権を考える市民の会」が主催した映画会「オレの心は負けてない!」を観に中央公民館へと向かった。

 この映画は、在日朝鮮人「慰安婦」となってしまった「宋神道さんの戦い」を追ったドキュメンタリーであった。

 チラシとチケットを預かり、少しでも多くの人に参加してもらえればと願ったが、なかなか「従軍慰安婦」の映画なので、宣伝やお誘いが難かった。

 それでも、多くの参加者が日曜の午後ではあったが、中央公民館の大ホールに集まられての映画鑑賞会となって一安心であった。

 宮城県で戦後を過ごされていた「宋神道さん」、朝鮮読みでソン、シンドさんは陽気なお婆さんなのだが、戦時中に強制的に中国本土各地で7年間も、日本の兵隊さんたちの「慰安婦」として従事させられたという。

 現在はよく笑い、冗談を飛ばし、よく怒る激しい気性と鋭いお喋りの、類まれなる洞察力の持ち主の彼女だが、屈辱的な経験を繰り返した後、半世紀経って「日本政府」に謝罪を求めて訴訟することに踏み切った女性なのである。

 「人の心の一寸先は闇だから、オレは絶対、人を信じない」と、人間不信に陥っていた彼女だったが、在日の慰安婦裁判を支える会の人たちを中心に、この歴史的事実を受け止めて、共に戦おうとする女性たちと出会うことで、他者への信頼や自らへの確信を取り戻し、明るく強く戦う女性と変身して行ったのである。

 「二度と戦争はしないこと」を合言葉に、「戦争は国のためじゃなくて、自分のためにしてはならない」と、全ての人に語りかけながら、「裁判やってオレも、ちっとは人間らしくなった。すっかりアカ抜けたババァになっちまったよ」と笑い飛ばす。

 裁判の結果は、国の責任は認めたものの、訴訟時があまりにも遅いので、有罪の判決は出ず、「敗訴」となり、上告も棄却されてしまい、「慰安婦裁判」は決着したのだが、しっかりと歴史的事実を確認し、国の責任を問うたことは大きな成果であった。

 1993年に提訴し、2003年に敗訴が確定したが、この十年間の宋神道おばぁちゃんの成長と元気な言動に、私たちも多くを学び、心を揺さぶられる思いであった。

 私の知人の若い女性の鑑賞後の感想は、「ダークやったね」と一言。しかし、そんな不幸な戦争の時代があって、今は平和で愚痴を言いながらでも暮らせる時代に生きていられることを感謝すべきだと実感している様子であった。

 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬱金って何?

2008年11月29日 | 感じたこと
最近、何やら「ウコン」がブームらしい。

 国語辞典で「うこん」を引いたら、何と「鬱金」と漢字では書くらしく、鬱なる金だそうである。

 この「鬱金」は、①熱帯原産の多年生の植物で、根から黄色の染料をとる。②うこんの根で染めた「こい黄色」または、そのような鮮やかな黄色。とある。

 しかし、最近はどこかの食品メーカーが売り出した「ウコンの力」なんてぇドリンク剤が、コンビ二やドラッグストアで売られていて、なぜか人気だそうである。

 私も、誰かの結婚披露パーティーに参加する際に、若者がこの「ウコンの力」を前もって買ってきて、飲酒前に飲むという話を聞いて目撃したことがあった。

 しかし、私自身は酒やアルコールの入った飲み物をあんまりいただかないので、一度もこの「ウコンの力」なるものを飲んだことがないし、一本二百円程度のドリンク剤が、そんなに酔いや二日酔いに効くなんて思わないし、どうしても必要なら生のウコンから効き目を試したらと思っていた。

 先日、近くの知人が家庭菜園とでも言うべきご自分の畑から自転車で帰宅される途中で出くわせたら、自転車の荷台に白い瘤の様な塊がたくさんついた葱の親玉のような植物を持っておられたので、質問すると「ウコン」だとのことで、大きな一株を下さったのである。

 「ウコン」は、アジア原産のショウガ科の多年草なので、国内では沖縄が最大の栽培地だと聞いていたので、関西のこんな地域で「ウコン」を栽培されているとは知らなかったのであった。

 私は、「土生姜」は大好きで、薬味としてだけでなく、生姜汁を汁物に入れたり、味付けに使ったりもできるので、「厚揚げ」などを焼いて、醤油をかけて食べる際も「生姜」は欠かせない薬味なのである。

 その「生姜」の親戚とでもいうべき「ウコン」を生でいただいたので、少し調べて、スライスしたものを四五日天日干しにしてから、粉末ウコンにして保存して、いろんな食材の隠し味やカレーの味付けにも加えてみようと思っている。

 ウコンには、春ウコン、秋ウコン、紫ウコンと三種あるらしいが、夏に白い花を咲かせて、秋に収穫できる「秋ウコン」が一番、黄色の色素でもある「クルクミン」の含有量が多くて、肝臓の解毒作用や胆汁の分泌促進作用が高く、さらに抗酸化作用や抗ガン作用もあるといわれているらしい。

 秋ウコンは、中身が濃いオレンジ色で、苦味も少なくカレー児たくあんなどの着色料としても食用に適しているし、衣服の染料などにも利用できるらしい。

 結局、「ウコンの力」を市販のドリンク剤で試すのではなく、肝臓機能促進、動脈硬化の改善、コレステローの減少、食物繊維による便秘の解消、活性酸素の除去、ガンの発生、促進の抑制、健胃作用、ミネラル補給などの効能を少しだけ期待して、お茶やコーヒー、紅茶にも入れて試してみようと思うのである。

 他にも多用途として、チャーハン、ケーキ、クッキー、パン、スープ、ご飯と一緒に炊くなど利用範囲も広がりそうである。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂枝雀さん。

2008年11月26日 | テレビマスコミ
 今夕、たまたまNHK衛星テレビの「蔵出し」という昔のテレビ番組を見せるもので「この人・桂枝雀ショー」を観たのである。

 独特のオーバーアクションとも言える顔の芸術と話術で一世を風靡し、多くの落語ファンだけでなく、関西の笑いの中心にもなった桂枝雀師匠が、突然の自殺で世を去ってから、もう来春で10年になろうとしている。

 
「蔵出し」と銘打ってのテレビ番組ショーは、大阪府和泉市で収録されたものだったと思うが、桂枝雀こと本名前田達さんの人となりと人柄が本人のお喋りだけではなくて、、取り巻きの落語家たちと奥さん、それに一風変わった恩師である、森本先生らによって語られていた。

 彼は、兵庫県神戸市に昭和14年8月生まれて伊丹市に移り住んだが、中学卒業後進学を希望していたが、父が亡くなるなど家計が苦しく、やむを得ず夜間の伊丹市立高等学校定時制に学びながら、昼は三菱電機伊丹工場で働いたり、兵庫県立伊丹高校で給仕の仕事をしながら家族を支えていたという。

 この頃から、弟と組んでラジオ番組「漫才教室」などにリスナーとして参加し、好評を得て、「伊丹の前田兄弟」は、素人のお笑い番組荒らしとして賞金を得ては家計の足しにしていたのだが、後に師匠になる「桂米朝」さんも漫才教室の審査員に名を連ねておられたらしい。

 そんな多忙な中でも勉強ができて、高校は首席で合格し入学式では代表で挨拶をするほどだったらしい。高校生時代から英語の学力も優れ、専門書を読めるほどで後の「英語落語」にも繋がったのである。

 1960年に神戸大学文学部に入学したが、一年で「大学がどんなとこか大体わかりました」とあっさりやめて、三代目、桂米朝一門に入門し、桂小米として、米朝の一番弟子となり、繊細で鋭角的なインテリ的な落語家として頭角を表していた。

 1973年に「二代目桂枝雀」を襲名し、「枝雀落語」として、高座は大爆笑の例の今までにはない独特の人物描写や喜怒哀楽描写のユニークな落語がどんどんと広がって、多くの「枝雀ファン」を魅了し続けた。

 結婚後、長男の誕生後より落語に専念する真面目さから、「演芸場に行くのが怖い」と路上にしゃがみ込んでしまう症状から、重いうつ病と診断され、家庭を持って将来へのプレッシャーを感じて、自分の芸と突き詰めた思いが重なって苦悩の日々を送った。

 しかし三ヶ月のブランクを経て、もともとは陰気な性格という枝雀師匠は明るい奥さんの支えもあって立ち直り、意欲的に英語落語も取り組み、ハワイ、バンクーバー、ロスでも落語公演を行うなど、全国各地での独演会も大入り満員の大人気を博したのである。

 今思うと、現在NHKの朝ドラで放送中の「だんだん」に出演の「マナ・カナ」姉妹が出演した最初の「ふたりっ子」には、珍しく役者として出演したが、落語家としての活躍がすさまじかった。

 その後、糖尿病や高血圧の持病もあったが、再度「うつ病」になってしまい、
自分の落語がわからなくなった」と泣いたりしつつ、突然1999年3月に自殺を図り、約一ヵ月後に還らぬ人となったのである。

 あの素晴らしいお喋りと顔アクションを再び観ることができた。ありがとう!枝雀さん。
 
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

匿名社会の犯罪

2008年11月25日 | とんでもない!
 厚生労働省の元次官夫婦と別の元次官の奥さんが突然やってきた「宅配便です」と名乗った男に刃物で殺されるという凶悪事件が連続して起こり、不気味な匿名社会の「年金不安」や「厚生労働行政」に対する恨みが「あだ討ち」という形で実行されたのかと思いきや、全く因果関係としては理解できない「30年以上前のペットの殺害」を逆恨みしての犯行だとの容疑者の供述に、誰もが不思議かつ只者ではない不安を感じた事件であった。

 ここ数年、インターネット上での「犯行予告」や「面白半分の中傷書き込み」などが続出していて、その内のいくつかは後で、犯行を予告したものだったとか、秋葉原の大量無差別殺傷事件では、携帯電話からの犯行に至るまでのプロセスを逐次コメントとして書き込むという「実況型の犯罪」まで登場した。

 今回の容疑者においても、ネット上での「犯行予告」的な書き込みがなされていたというが、自己顕示欲とでも言うべきなのか、他人の心に無断で飛び込んでくる様な「誹謗中傷」の類が、現代社会では日常茶飯事の如く行われているという。

 決してネット社会になる前には、こうした匿名の誹謗中傷や犯罪予告や、一方的な書き込みや批判による攻撃がなかったかというと、そうではない。

 以前、私が地方議員をしていた時にも、いろんな「誹謗中傷」としか思えない、電話、はがき、手紙、そしてメールなどもあったのである。

 そのいずれも「匿名」である場合が大半であり、たとえその言葉が間違っていようとも、反論はおろか弁明すらもできない「相手不詳」の匿名だったのである。

 そのために、一枚のはがき、手紙、メールを送ってきた「送り手」が誰なのかも分からないままに、相手の見えない恐怖や不安を感じて過ごさなければいけない目に遭遇していたことがあった。

 地方議員であることは、いわゆる「公人」なのかも知れないが、どんな一方的な誹謗中傷にも絶えるしかなく、適切な対象に対する「異議申し立て」や「反論」「弁明」など、まるっきり出来ない立場を余儀なくされたのである。

 日本は「民主主義社会」だと言われているが、決して「民主主義」が成熟した社会とはなっておらず、本当の議論や論戦を大衆もしくは議場や書籍、雑誌、新聞、マスコミ媒体を通して出来ればいいのだが、多くの場は、興味本位の限られたスペースあるいは時間としてのみ息づいているばかりである。

 一方的な「匿名の誰か」の言論や誹謗中傷により、傷ついている人間が、この世の中にはたくさんいて、私自身もそうした経験を一定期間せざるを得なかった被害者の一人だったかもしれない。

 これだけ発達した、テレビ、ラジオ、雑誌、書籍、新聞などのマスメディアに加えて、非常に匿名性の高い「インターネット」や「ネット社会」が、いつの間にか「他人の人権」や「日常生活」までもを蝕み、恐怖に陥れているという「怖い時代」となってしまったのである。

 今回の容疑者はほぼ犯人に間違いない「コイズミ」と名乗る男だったが、多くの隠された「匿名犯罪」に苦しみ、殺傷される不可解な事件が急増した社会に歯止めをかける知恵はないのだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の「原子力政策」にNO!!!

2008年11月23日 | 日本の課題
 先日、ラジオから「六ヶ所村の原燃のウラン再処理工場」の稼動試運転が、またもや来年2月まで延期されたというニュースが流れてきた。

 少しの安堵感と共に、国はまだ危険極まりない「原発の廃棄物」を再処理してプルトニュウムにし、再度「もんじゅ」を稼動させ、全国の原発の燃料とする、いわゆる「プルサーマル計画」からの撤退を諦めていないのだという不安を抱きました。

 そもそも、「六ヶ所再処理工場」とは一体何なのだろうか。

 現在日本国内には何と55基もの「原子力発電所」があり、昨年の新潟中越沖地震による刈羽原発の操業停止を除いて、国内電力会社各社と原子力安全委員会は、「資源の少ない日本では原子力発電が最適」とばかりに宣伝し、巨額の投資を政府もし、「原子力発電は地球環境に一番負荷を与えない」とばかりに推進していく予定だと言う。

 とんでもないことである。タレントや有名人に「原発は安全です」と言わんばかりにテレビや雑誌で宣伝させていますが、決してコストの安い発電方法ではなく、途方もない未来に「核のゴミ」を残す、地球に大量のリスクと危険を残す「原発」なのです。

 現在稼働中の原子力発電所から出た「ウラン燃焼後の廃棄物」の放射能の拡散の可能性も高い中で、「再処理工場」、「ウラン濃縮工場」「廃棄物管理施設」という三点セットの「核廃棄物のゴミ捨て場」が、政府の「飴と鞭」政策で青森県六ヶ所村に建設されているのです。

 「飴と鞭」政策とは、すなわち、こうした危険な「原発の核廃棄物のゴミ処理施設」つまり「迷惑施設」を立地させることを強引に受け入れさせた代償として「巨額の税金」を地元自治体にばら撒いて、青森県および六ヶ所村を財政的に潤すというものなのです。

 すでに六ヶ所村の再処理工場には使用済み核燃料を貯蔵する巨大なプール(3000トン)が完成し、日本中の原発からの廃棄物が輸送されて、プルトニウムに再生する試験が続いていて、高レベルの放射性物質による汚染が心配されていていますが、原子力安全委員会の査察、調査でのデータや安全性に関する見解は全く見えず、またもや「延期のニュース」のみが「不安」を募っています。

 今回の延期により、青森県および六ヶ所村には、今年度の巨額の「固定資産税」の入金も延期されるらしく、当てにしていた両自治体は困っているらしいのです。

 「とんでもないことです」。「お金」で釣られて受け入れを許諾した県や村の責任も重いですが、危険な政策を押し付けた上に経済的にも困らせている国の責任が一番罪深いものです。

 全世界の原発推進国も実験後に実用化を諦めたという、危険極まりなくリスクの大きい「プルサーマル計画」を継続し、10兆円にもなるという巨額の税金の無駄遣いをやめず、95年に「放射能漏れ事故」を起こした福井県敦賀の高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開をも目論む国の「原子力政策」に「NO!」の意思表示を強くしたいものです。

 
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーガニックランチ

2008年11月22日 | 季節の話題
 秋も深まり、朝夕だけでなく日中も秋風が吹くと寒さすら感じる季節になりました。

 先日もこのブログでご紹介した様に、私も含む長年の「男の料理サークル」の面々の有志が集まって、京都府宇治市の「ゆめカフェ」と名づけられた、元居酒屋のあった赤提灯の店で、月に一度、原則的には第4日曜日に「オーガニックランチ」と銘打って、私たち「お父さんたちがつくる」ランチを提供することになりました。

 このコミュニティカフェは今年の五月から、京都府の助成を受けて地域のネットワークとしてつながる人たちが思い思いの工夫を凝らして、一週間に一度か二度、自分が料理長となって「お店としての営業をする」企画なのです。

 私は長年の友人でもある、地元で小さな知的障害者たちの作業所「ゆめハウス」を主宰する人たちとの縁で、先月から第4日曜日に「一日料理長」的な参画として、今までの経験を生かして「オーガニックランチ」を提供することになったのです。

 先月は、「秋刀魚の炊き込みご飯」をメインに、一汁一菜に香の物をつけての定食ランチを、約20人のお客様に食していただき、何とか好評だったのです。

 今月は、明日11月23日、日曜日の11時半から14時半まで開店の半日、お客様のご来店を楽しみに、五人の仲間と朝から準備をして、次のメニューの「オーガニックランチ」を定食としてお出しする予定です。

 ともかく一般の方も含むお客様に食していただき、御代をいただくという「半日食堂」の主となるのですから、衛生面から御代をいただくにふさわしい昼食としての仕上がりが必要なので、必ず一度はメンバーが前もって寄り合って練習したり協議したりして、喜んでいただけるランチとしたいと張り切っています。

 明日の「今月のランチ」は、季節にふさわしい「きのこご飯」、「蓮根さくさく南蛮」「豚とキャベツの和風スープ」と「香の物」の予定です。

 朝から「お父さんたちがつくる、オーガニックランチ」として、皆様に喜んでいただける昼食としたいので、しっかり準備する予定です。

 なお、御代は定食ランチがお一人様600円で、コーヒーつきで750です。

 ぜひ、お近くの方はご遠慮なく起こしくださいませ。

 ガリバーと仲間のお父さんたちがつくっていますので、お気軽に声をかけてください。

 なお、御代はいただきますが、決して商売ではありません。

 宇治警察の少し手前の、「ステーキのどん」の反対側にある「赤い提灯」が目印の古い店ですが、皆さんのお越しを心からお待ちしています。

 なお、12月だけは第3日曜日の21日に開催予定ですが、来年一月からも毎月第4日曜日のお昼時に開店予定ですので、明日ご都合がつかない場合も、ぜひ覚えておいていただき、お誘いあわせの上で、一度「オーガニックランチ」を食べに来てくださいませ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家で死ぬこと。

2008年11月20日 | テレビマスコミ
 高齢化時代に突入したといわれている現代日本だが、日本で亡くなる多くの方が、「出来れば家で家族に看取られて死にたい」と思っておられただろうと思うのだが、結局は病院のベッドの上で、終末医療のお世話になって、多くは酸素吸入や多くの点滴などのチューブや医療器具に囲まれて「ご臨終」の時を迎えてしまうようである。

 今晩の「風のガーデン」という木曜22時からの倉本聡脚本のテレビドラマでは、癌で亡くなった俳優、緒方拳さんが演ずる終末医療に取り組む北海道富良野のお医者さんが、長年往診を繰り返した後の患者さんが、ご家族の見守る中で「死」を迎える場面が放映されていた。

 長野県の諏訪中央病院の鎌田医師や神宮寺の高橋和尚さんたちが著した本にも、「家で死ぬこと」のむつかしさが記されてはいるが、今夜のテレビドラマの「死の場面」は、特筆すべき脚本がしっかりと主張したかったシーンとして演出されていた。

 花に囲まれた病床の老人が息を引き取る前に、医師が「おじいちゃんの手を握ってあげて」とお孫さんたちに諭した後に、「今天国に召されました」と告げるのだが、亡くなったご主人の頬を挟むようにして残された老妻が「よくがんばったね」と労をねぎらう言葉をかけ、娘さんが「ありがとう」と感謝の言葉を語り、回りの家族や医師や妻も、それぞれに小さな拍手をして、病で召された老人を看送るのである。

 人の死ぬ場面で、この様な「拍手」が自然に出てくるような演出というべきか映像は、かつて観たことがなかったが、なんともさわやかというべきか、「いいもんだな」と感じずにはおれなかった。

 私自身も小学生時代に実の祖母を、また40年近く前に実の父を病院で見送った時を含め、数度は知人や友人の「死の場面」に遭遇したが、この様に「拍手で見送る」ことは決して出来なかった。

 近い将来に自分の年老いた母を見送ったり、愛すべき家族や友人の死に立ちあった時に、果たして「拍手」できるかどうかは自信がないが、今夜のドラマの場面を見ていて、自分の死ぬる時には出来れば自分の家で、家族に看取られて、出来れば「拍手で見送られたい」ものだと正直思った。

 終末医療という名の「ホスピスケア」などが主流になりつつある現状では、その多くが「病院で死ぬ」という形を避ける事ができない中で、「家庭で家族に看取られる」という理想の死に方を、ドラマとはいえ映像として演出した、倉本聡脚本にの「風のガーデン」に痛く感動した。

 しかし、このドラマを遺作として亡くなった、俳優「緒方拳」は、結局は病院で亡くなったのか、家庭で亡くなったのかは定かではないが、家族の望む終末医療への願いと本人が願う「死に方」には、まだまだ隔たりがある様に思うのである。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の子供の孤独感。

2008年11月18日 | 日本の課題
 昨日の毎日の朝刊で「幸福度調査一位のオランダの提言」という記事があり、日本も含む世界の20ヶ国の15才の子供たちを対象とした調査で、「自分は孤独」と感じた子供の割合が、オランダの2.9%に対して、なんと日本は10倍の29.8%だつたとの報告が掲載されていた。

 なんという数字だろうか。日本の子供たちは世界一孤独感を感じているらしく、二位のアイスランドの子供たちが10.3%だったことと比較しても三倍近い、とんでもない数値の結果が出ていて、教育関係者ならずとも驚ろかされたのである。

 「なぜ,モノが豊かな日本で、こんな多くの子供たちが孤独を感じているのでしょうか」と、今月11日に開かれた「日蘭共同教育改革シンポジウム」で、オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんが日本の教育関係者,約300名の参加者に語りかけたというのである。

 このデータは、2007年に国際児童基金(ユニセフ)が発表した、経済協力開発機構(OECD)加盟国に対して実施した子どもたちの「幸福度」に関する調査結果である。

 「自分は孤独と感じるか」と問われて「はい」と答えた割合がもっとも多くて、約3人に1人が日本の場合は「孤独感を感じている」と回答したことになるのである。

 社会の閉塞感の中で、家庭もなんとなく冷たく、ひとりポツンと取り残された様な子どもたちの孤独感は、日本の大人たちの孤独感に通じると言おうか、大人社会の孤独感が、そのまま子供にも影を落として、孤独な気分にさせているのではないだろうか。

 つまり、その原因は大人が作っている社会が、暗くてなんとも逃げ出したくなるような閉塞感に包まれていて、子供たちも何となく孤独感に苛まれているのではないだろうか。

 この原因のひとつとして、リヒテルズさんは、日本とオランダの教育現場の実態の違いと「学力」や「学習」に関する考え方の違いなど、学校のあり方も含めた教育感の違いを指摘されている。

 オランダの教育現場で重視されているのは、「自立学習」と「個別教育」なのに対して、日本の学校では統一の教科書による一斉教育がまだ主流を占めていて、昨今の全国統一テストの結果などに対する対応などからも、いまだに「学力レベル」が上や下だとする、個人よりも全体の中での位置ばっかり気にしている教育感が、まかり通っている。

 オランダの学校教育が一番だと言いたいけではないが、五人程度のグループ学習の中で、各々の習熟度や関心の違いから、先生がその子供に適した参考書や教科書を提供して指導するという、「各自サイズ」に合わせた教育がなされているという。

 人間としての総合的な成長と学習による発達を育み、「学力に偏した変革ではなく、人間としての総合的な発達を促す教育」を目指してほしいとリヒテルズさんは注文をつけている。

 幸福度調査の結果は、少なくとも子どもたちのひとり一人に耳を傾ける大切さを物語っているのではないだろうか。

 異なる意見も尊重できる、すなわち知人が多くても友人のいない孤独感に苛まれない「幸せ」を感じられる人間関係に包まれた家庭や学校であってほしいものである。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムダなダム

2008年11月17日 | 地域の話題
 先日、滋賀、京都、大阪、三重の4府県知事が淀川水系の大戸川ダム(大津市)計画に対して建設凍結などを国に要望する共同見解を発表した。

 この大戸川ダム計画は約40年前に公表されて以来、その建設の是非について、いろんな議論がなされてきたが、ここ数年は国土交通省の諮問機関である淀川水系流域委員会などでも、流域住民や専門家の参加で協議して、治水や洪水対策としてのダム建設の根拠そのものに疑問を呈する意見が出ていた。

 私自身も、この淀川水系流域委員会の主催するシンポジウムや意見交換会に何度か参加したこともあるが、国や地方自治体の予算が厳しくなってきている背景に、本当に建設が不可欠なのかどうかの議論が活発になされてきた。

 そして一定の結論としての「ダム建設の凍結もしくは中止」の結論が出たのだが、一部の住民の異論があっても、「ダムは必要」とする国土交通省は、計画通りのダム建設を進めようとする意向を示したのである。

 そこで初めて、今回の様な地元関連自治体としての滋賀、京都、大阪、三重の各府県知事が慎重な協議を重ねた上での決断で、国に地方が発言する形での「異例の反発」となったことは特筆すべきことである。

 今までの地方行政の多くは、国の施策の上意下達の執行機関の様に、国の施策の方針に逆らうことなど、ほとんどなく否応なしに国の出先機関の様に従順に人と金を出しても協力を余儀なくされてきたのである。

 今回の4知事の決断の背景には、地元滋賀県の嘉田由紀子知事の言動と専門家としての知識が大きく影響したと思われるが、市民派的知事として選出されて以来、新幹線駅建設中止の英断への戦いを通じてみせた静かな闘志が、ここでも示された様に感じている。

 従来の土建屋政治と呼ばれた政治手法のみでは考えられない、地方自治体としての多額の税金を出費する公共事業に対し、住民本位の優先順位を考慮し、国に対して財政難の状況下で、こうしたムダなダム建設には協力しないと明言したに等しい。

 なぜ無駄かと言えば、200年に一度あるかどうかと言われる異常な豪雨などに対応できる治水、すなわち洪水防止の役割のためだと言われても、結局予想をはるかに超える豪雨の場合は全く役に立たないダムの事例がたくさんあるからである。

 また、何のための公共事業かとよくよく考えて見れば、すなわち土建屋や業界団体の利益のために、選挙の時にお世話になる見返りに、相当額の仕事を発注しなければならないという、非民主的な時代錯誤の政治的土壌のための施策だったりもしたのだ。

 国も地方も厳しい財政難に陥った、こうした過去を清算して、本当に住民の福祉と安全に寄与する事業を十分に検討した上で、優先順位を住民にも公表、コンセンサスを得た事業を遂行してもらいたいものである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確信犯

2008年11月16日 | とんでもない!
 先日来の話題の主、定年退職して6000万円の退職金の返納について問われて、「生活が苦しいから使います」と答えていた、例の航空自衛隊の制服組トップの幕僚長、田母神俊男氏は、なんたって確信犯的人物である。

 あの名物女社長で有名なホテルチェーンの「アパグループ」が主催した懸賞論文に応募し、「日本が侵略国家だというのは濡れ衣」という内容で最優秀賞300万円を獲得して、現役の自衛隊幕僚長が政府見解としている「村山談話」に反する見解を公表したことは問題だと騒ぎ出したのである。

 今日たまたま11月21日号の雑誌「週刊朝日」を開いてみて、巻頭のカラーページてせ、ドン小西のイケてるファッションチェックの欄が端的に彼の姿、ファッションを通じて記しているのが面白かった。

 前航空幕僚長として国会の委員会に証人として登場して持論を堂々と繰り返し述べた田母神氏が、その後の記者会見へ臨む時の服装について、ドン小西氏は「いちおう謝罪会見」の場に出る、公務員、しかも自衛隊制服組トップだった御仁が、「チンピラじゃあるまいし、背広の前ボタン全開」で、世の中なめきったような、まるで「田舎の不良中学生」の様だと書いている。

 そうです。自衛隊という箱の中で、こういう人がいつの間にか偉くなって、世の中の社会的常識や世論、考え方、問題など全く関係なしで、「ナマの世間に何の興味もない」人なんだろう。

 彼の言動は確信犯的思想というよりも、幼稚な短絡した戦前、戦中派の行動論理を今だに踏襲している、古きタイプの御仁なのだが、問題は彼のみではなく、自民党を中心とした防衛族や国会議員の中の多くが、彼と同様な歴史観や戦争感を持っているというのである。

 たぶん、侵略戦争も否定し、アメリカ合衆国の罠にはまった「真珠湾攻撃」に始まって、日中戦争のきっかけの事件も中国のせいで、南京大虐殺や従軍慰安婦などはなかったなどと、嘯く連中が、未だに多くいるのである。

 たぶんネット上でも、田母神氏の発言は間違ってないとする人たちの書き込みや、こうした見解に対するコメント、誹謗中傷も多く出ているのだろうが、そんな歴史認識や反省なき第二次世界大戦への日本の関与という思考では困るのである。

 今回の田母神氏の懸賞論文での入賞、発覚をきっかけに大騒ぎしてはいるが、以前から彼の言動は変わっていないし、更迭されても国会に招致されても、記者会見しても全く変わらない、ただの戦争好きオタクの様な御仁なのである。

 こんな御仁を自衛隊制服組のトップにした政府の責任も重いし、この様な考え方、思想の持ち主が今なお防衛省のみならず、国会議員、官僚の中に多く現存していることを問題にすべきである。

 「憲法改悪」、「憲法第九条の廃止」などを訴え、自衛隊を日本の正式の軍隊にして、専守防衛から集団的自衛権という名の戦闘部隊として機能させたい輩が要注意なのである。 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする