11月の最後の日の日曜だったので、午前中に我が家玄関脇の狭い倉庫のツタの絡まる壁に孫のK君に手伝ってもらって、恒例のささやかな「クリスマスイルミネーション」を飾り付けた。
日差しは暖かいが風は初冬を感じさせる冷たさで、「風邪」やインフルエンザが流行りだしていて、医院や病院では今年はB型インフルエンザのワクチン注射が盛んに行われて、もう品切れ寸前だというから、子供や高齢者は早めの対応が必要な冬である。
午後は、地元の「平和と人権を考える市民の会」が主催した映画会「オレの心は負けてない!」を観に中央公民館へと向かった。
この映画は、在日朝鮮人「慰安婦」となってしまった「宋神道さんの戦い」を追ったドキュメンタリーであった。
チラシとチケットを預かり、少しでも多くの人に参加してもらえればと願ったが、なかなか「従軍慰安婦」の映画なので、宣伝やお誘いが難かった。
それでも、多くの参加者が日曜の午後ではあったが、中央公民館の大ホールに集まられての映画鑑賞会となって一安心であった。
宮城県で戦後を過ごされていた「宋神道さん」、朝鮮読みでソン、シンドさんは陽気なお婆さんなのだが、戦時中に強制的に中国本土各地で7年間も、日本の兵隊さんたちの「慰安婦」として従事させられたという。
現在はよく笑い、冗談を飛ばし、よく怒る激しい気性と鋭いお喋りの、類まれなる洞察力の持ち主の彼女だが、屈辱的な経験を繰り返した後、半世紀経って「日本政府」に謝罪を求めて訴訟することに踏み切った女性なのである。
「人の心の一寸先は闇だから、オレは絶対、人を信じない」と、人間不信に陥っていた彼女だったが、在日の慰安婦裁判を支える会の人たちを中心に、この歴史的事実を受け止めて、共に戦おうとする女性たちと出会うことで、他者への信頼や自らへの確信を取り戻し、明るく強く戦う女性と変身して行ったのである。
「二度と戦争はしないこと」を合言葉に、「戦争は国のためじゃなくて、自分のためにしてはならない」と、全ての人に語りかけながら、「裁判やってオレも、ちっとは人間らしくなった。すっかりアカ抜けたババァになっちまったよ」と笑い飛ばす。
裁判の結果は、国の責任は認めたものの、訴訟時があまりにも遅いので、有罪の判決は出ず、「敗訴」となり、上告も棄却されてしまい、「慰安婦裁判」は決着したのだが、しっかりと歴史的事実を確認し、国の責任を問うたことは大きな成果であった。
1993年に提訴し、2003年に敗訴が確定したが、この十年間の宋神道おばぁちゃんの成長と元気な言動に、私たちも多くを学び、心を揺さぶられる思いであった。
私の知人の若い女性の鑑賞後の感想は、「ダークやったね」と一言。しかし、そんな不幸な戦争の時代があって、今は平和で愚痴を言いながらでも暮らせる時代に生きていられることを感謝すべきだと実感している様子であった。
日差しは暖かいが風は初冬を感じさせる冷たさで、「風邪」やインフルエンザが流行りだしていて、医院や病院では今年はB型インフルエンザのワクチン注射が盛んに行われて、もう品切れ寸前だというから、子供や高齢者は早めの対応が必要な冬である。
午後は、地元の「平和と人権を考える市民の会」が主催した映画会「オレの心は負けてない!」を観に中央公民館へと向かった。
この映画は、在日朝鮮人「慰安婦」となってしまった「宋神道さんの戦い」を追ったドキュメンタリーであった。
チラシとチケットを預かり、少しでも多くの人に参加してもらえればと願ったが、なかなか「従軍慰安婦」の映画なので、宣伝やお誘いが難かった。
それでも、多くの参加者が日曜の午後ではあったが、中央公民館の大ホールに集まられての映画鑑賞会となって一安心であった。
宮城県で戦後を過ごされていた「宋神道さん」、朝鮮読みでソン、シンドさんは陽気なお婆さんなのだが、戦時中に強制的に中国本土各地で7年間も、日本の兵隊さんたちの「慰安婦」として従事させられたという。
現在はよく笑い、冗談を飛ばし、よく怒る激しい気性と鋭いお喋りの、類まれなる洞察力の持ち主の彼女だが、屈辱的な経験を繰り返した後、半世紀経って「日本政府」に謝罪を求めて訴訟することに踏み切った女性なのである。
「人の心の一寸先は闇だから、オレは絶対、人を信じない」と、人間不信に陥っていた彼女だったが、在日の慰安婦裁判を支える会の人たちを中心に、この歴史的事実を受け止めて、共に戦おうとする女性たちと出会うことで、他者への信頼や自らへの確信を取り戻し、明るく強く戦う女性と変身して行ったのである。
「二度と戦争はしないこと」を合言葉に、「戦争は国のためじゃなくて、自分のためにしてはならない」と、全ての人に語りかけながら、「裁判やってオレも、ちっとは人間らしくなった。すっかりアカ抜けたババァになっちまったよ」と笑い飛ばす。
裁判の結果は、国の責任は認めたものの、訴訟時があまりにも遅いので、有罪の判決は出ず、「敗訴」となり、上告も棄却されてしまい、「慰安婦裁判」は決着したのだが、しっかりと歴史的事実を確認し、国の責任を問うたことは大きな成果であった。
1993年に提訴し、2003年に敗訴が確定したが、この十年間の宋神道おばぁちゃんの成長と元気な言動に、私たちも多くを学び、心を揺さぶられる思いであった。
私の知人の若い女性の鑑賞後の感想は、「ダークやったね」と一言。しかし、そんな不幸な戦争の時代があって、今は平和で愚痴を言いながらでも暮らせる時代に生きていられることを感謝すべきだと実感している様子であった。