将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

コロナウィルス騒動

2020年03月22日 | 施設

コロナウィルス騒動のせいで、先週末から施設と外部との接触制限が始まった。つまり、将人が楽しみにしている毎週末の帰省、散歩ができなくなったのだ。さすがに、先週は先生の説得を聞かず、家に電話してきて、お散歩行く、お好み焼き食べる、と帰省をせがんだ。施設ではコロナウィルスはおろか、何の伝染病も流行っていないが、多くの療養病院と同じで、外部との接触を極力少なくすることで、この国難を乗り切ろうということなのだろうが、そんなことを言ってもなかなか理解にいたらないだろうから、ここはやむなく詭弁を弄し、「お父さんが病気になったから帰ってもお散歩に連れて行けない。だから、お父さんの病気画治るまで学園にいて!」というと無言だが、パニックになることもなく、先生に電話を代わってくれた。2週目の今も電話をかけてくるわけでもなく、無断外出したということもなく、学園で過ごせているようだ。そのため、3連休を自宅でのんびりしている。将人にもらった久々の自宅の休みだ。そう、将人が帰ると、とにかくいろいろな所に連れて行ってやろうとして、家にいる時間が少なくなるものだ。6年近く続けている毎週末の帰省は、もう隔週の帰省でもいいのかもしれない……。もう27歳になったのだから。

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冬休み、一段落した我が家の人生. New year holidays. Hill-top of our family life.

2017年01月12日 | 施設

将人のお正月も終わった。転職したおかげで時間が自由になり、今年は6年ぶりに将人とじっくり過ごし、ほぼ2週間べったりできた。行きたくても行けなかった所を次々言うのでかたっぱしから行ってみた。ただし、時間はこっちの都合で我慢させた。すると、待てた。大体、朝は自宅で過ごし、15時くらいから出発した。出先ではよく抑制が効いていて、特にパニックになることもなかった。海ほたる、成田空港、昔住んでいた越谷、春日部の健康ランド、喫茶店、本屋、などなど。

Our new year week has finished. Owing to my work change, I have had enough time to be with Masato for whole of the 2 weeks, which I could not have for 6 years. We have visited many places that he wanted to go to, reflecting upon his patience at the staying facilities on ordinary weekdays. However I did not get controlled by him especially about the starting time. He did have the patience for that. On average we enjoyed the stay at home in the morning, starting about at 15:00. He did not make any particular panics or troubles on the visiting places. I am very happy he had good self-control. The firefly at Tokyo bay aqualine, Narita international airport, the family hot spring centers which are at Kasukabe or Koshigaya where we lived before.

自分にとってもいい子供帰りが出来た。将人は、先日の療育手帳再判定の際の知能検査では3歳児レベルなんだそうだ。子供を育てることで親も成長すると聞くが、うちの場合は2人揃って成長が止まっている? 他の親御さん方を見ていて本当にそう思う。よく言えば、ピュア、悪く言えば単純、素朴、愚直。

I enjoyed the infantile regression in a good meaning. At the revaluation of his rehabilitation certificate, he was diagnosed as 3 year-old boy in terms of Intellectual growth. I hear we grow as we raise our children. I think we are retarded, including me. I truly feel it, seeing other parents. Pure, and also simple, rough, foolishly honest.

手に入れるものは入れたし、獲得できなかったものは自分には縁がなかったのだと諦め切れる年齢になったと思う。次の人生、つまり、また生まれ変わってからやればいいのだと自分に言い聞かせることもできるようになった。将人にも、もう今以上、期待することもないし、入所施設で既にお世話して頂いている。私の身に何かあってもなんとかなる体制にはなった。他の親御さんのように、子供の結婚、先方のご両親との交流等で頭を痛める必要もないわけだ。自分も定年となり、バイトはしているものの、働く必要も本当はあまりない。年金が出るまでの、つなぎのお金くらいは蓄えがある。人生が一段落ついた感じだ。

I have got what I could get. About what I could not get, I have become ready to satisfy myself that they are beyond me. I can now convince myself that I will be able to get them in the next world if I could be born again. Masato has already grown enough for my satisfaction. He lives already at the facility where he can stay long even if I die. I don't have any worries about his marriage or how to communicate with our new relatives of daughter-in law, like the other fathers. Frankly speaking, I don't have to work anymore now after the retirement, although I work sometimes as a part-time job. I have some money before I get at the age when I can get pension. I feel that we have reached the hill-top of the life, where we can take a rest and make a plan for the future.

後は、将人のためになるべく長く生きることが最重要だ。健康と自由、コミニュケーションだろう。出来れば、これまでご支援頂いた世間様に何かいい事が出来ないかと思う。将人と以前した、道のごみ集めもいいと思う。

Now the most important thing is that I should survive or live long as long as I can for Masato. Health, freedom and communication are the keywords for us. I think I would like to do something for the world that we have been cherished by and supported by. It is a good volunteer working to pick up garbage on the road-sides, which we have done at his 1st junior high school student.
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短期入所を5日ずつ

2014年05月06日 | 施設

平日のみ短期入所させてもらい、昼間もそこで作業をさせていただいている。週末は、光の村の時と同じで、金曜日夕方に帰ってきて、月曜日朝に送っていくというパターンだ。

送迎も助けてもらっているので、仕事に没頭できるというものだ。週末も将人がいると、平日の溜まりに溜まった疲れで精神的、体力的に休まらないので、またヘルパーさんに助けてもらっている。

これがなければ、今の病院勤務は当の昔にできてくなっていただろう。今の病院業務はここらの安定が大前提で成り立っている。そして、4月後半預かっていただいた所で、何とか5月以降も暫くは継続短期入所できるようになったことは画期的だ。まさに特筆に価する。

九死に一生を得たというのはこのことだ。将人も重症の人が多い施設の中で、「将人君、,将人君」と呼ばれて悪い気はしないようだ。比較的すんなり行くし、機嫌も悪くない。ただ、やりたいことが山ほどあるらしく、家に帰ると昼夜を分かたずお茶飲み合戦がまた、始まってしまう。

我々がもしもっと若くて、仕事で22時過ぎに帰り、朝も7時過ぎに出て行くというハードな毎日を送らなければ、しつこい将人の言葉遊びに耐える毎日を持ちこたえられるなら在宅でもいいのであろう。ただ、本当にそれではこちらが発狂してしまいそうだ。ただ、帰省中も家から脱走しなくなったのには感心する。将人なりに家の一員になろうとして頑張っているのだ。

 

 

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ケアハウス見学

2014年02月04日 | 施設

初雪が降ってきた。舞っている雪自体が大きいし、積もりそうな勢いだ。将人が入れそうなケアハウスの見学をさせてもらってきた。トライアスロンもできる子だと言うと、うちは適当ではないのではないかと引かれてしまう。まるでプロレスラーみたいに誤解されてしまうみたいだ。それでも、今回の支援員の方は読みの深い方みたいで、じゃ力持ちでしょうね、農作業はできますか、と続けて下さった。すかさず、お茶畑で手作りのお茶を作っていますと申し添えた。

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短期入所の契約

2013年04月14日 | 施設

お仕事実習をしようと思っていたのに脱走してしまい、専攻科卒業後の将人の在宅・通勤を断念し、ある意味、とてもすっきりした。そのため、先週の家庭学校の際には将人を連れて短期入所の契約をすませてきた。5月末には学校を休ませて2週間試しに入所させてみることにした。

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入所

2013年04月06日 | 施設

自宅近くに大久保学園という入所施設もある社会福祉法人があることがわかり、先日見学に行ってきた。

作業所的な所も、農作業から工業製品まで幅広く整っており、以前見学した土佐の光の村、足利のこころみ学園、千葉袖ヶ浦ののびろ学園にも劣らぬ巨大施設だった。ただ、例のごとく入所枠はふさがっており、短期入所か通所が空いているだけだった。

どこもそうだが、障害の重い子は家ではどうしようもない。「地域にお世話」という国の方針だが、こと将人に関していえば、それはとりもなおさず、地域の警察にお世話になることであり、夜中に呼び出されて、迎えに行くことを意味する。

以前は幼かったので早い時間に補導してくださったが、もう20歳を超え、エレベーターで30分、上下していてもホテル側は建前上は見逃してくださるからだ。つまり、遅い時間までいることだけをいつも指摘されることとなる。いきおい、呼び出しも終電の終わった午前1時過ぎとなる・・・。

仕事を続けるなら、やはり、入所しかないと思うが、行き場はない。どうしたものか。個人的には枠外で、追加料金を支払ってもいいのだが、福祉関係は全て国負担か、一切関わりなしか、どちらかだ。そうなると、自分で丸抱えでやるしかないが、24時間をカバーするそんな奇特な、特殊なヘルパーさんが見つかる可能性は皆無だ、と思う。多動型の自閉症は半端じゃないのだ。それは決して金銭の問題だけではない。

そこで、普通は親が仕事を辞めて、自ら介護生活に入ることとが多いだろうが、こちらは年をとるし、将人は発達の頂点だ。振り切られることは明らかで、じり貧は目に見えている。本当にどうしたものか。

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社会福祉セミナー(3/3)

2009年12月20日 | 施設
また、その勉強会でサイコドラマ(心理劇)というものを教えて頂きました。

普段は親、父という目線しかないのですが、自分の子供や、我々親子を脇から長年眺めている猫、あるいは隣のおばさん、担任の先生、幼稚園時代の園長先生、はたまた自宅の電話、学校の電話に扮して、アドリブでお互いが会話していくのです。

しかも、配役を順繰りに変えていく!! さっきは障害児、今度はその親、次は担任の先生、猫、玄関のドア、最後は市役所の担当官・・・・。 とても面白いですが、非常に恐ろしくもあります。

しかし、これまでの見方考え方をいったん全て捨て去って振る舞うというのには、とても新鮮なものがありました。いいカタルシスになると思いました。同じ状況なのに、立ち位置だけでずいぶん考え方、発想自体が変わるもんだなと自分でも不思議な気がしました。

私だって、今は障害児の親していますが、ほんの10何年か前までは逆の立場でした。長い人生の間では、その境は永久的なものでもないし、相互に立場が変わる事さえあり得ます。

行き詰まった時には、心許せる人たちとやってみるといいかも知れません。なるようになるし、みんな結局は同じじゃないかという気がします。
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社会福祉セミナー(2/3)

2009年12月18日 | 施設
そうした時、その方々が楽になる術(すべ)は何か。

思うに、どう考えても親より接する面積は少ないのだ。仮に施設の職員で、時間的には親よりこの数ヶ月は多く接している人でも、5年、10年、つきあうのかといえばそうでもないだろう。担当も変わるだろうし、その職場自体を離れる可能性だってある。これに比し、親は一生親なのだ。何より、時間軸、空間軸以外にも、運命共同体としてのつながりは深い。これは、逆手にとってみれば、砂時計をくるっとひっくり返す、そのわずかな時間を割いて面倒みているだけだと考え直せないものだろうか。

親でさえ匙を投げる瞬間が多々あるものの、その一方、頬ずりしたくなる愛おしい瞬間がある事も紛れもない事実だ。それもこれも全部込みの、ありのままが親子なのだ。一方、他人の関係だと客観的なものの見方ができていい反面、あまりにも客観的になりすぎて、悪い所を忘れられないかも知れない。

99%匙を投げても、わずかに1%輝く所があれば、親はその事で頭と心を満たし、嫌な99%を忘れる事ができます!

結婚前のカップルが持つ盲目的な感情に似ているかも知れません。「結婚前は両目でしっかり見なさい。結婚後は片目でぼんやり見なさい。」ということわざがありました。そのま逆です。思えば、この発想が自然に身に付いてくるにつけ、どんなにか人生が広がってきた事か。子供に感謝さえしています・・・。

今は自分のどうしようもない子供に対しそうしていますが、そのうち他の、近親者や、結局、自分自身もそうなる運命かも知れません。というか、そうなる確率の方が高いのです。「子供叱るな来た道だもの。年寄り笑うな行く道だもの。」という格言もありました。

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社会福祉セミナー(1/3)

2009年12月15日 | 施設
先日、福祉施設関係の勉強会に行って来た。

そうしたら、入職して数ヶ月の知的障害者施設の若い女性職員の方が、「利用者さんは私より4才程度しか違わない男性で、週5日、私が支援させて頂く事となりましたが、どうしても生理的に合わないので辛い。どうしたらいいのでしょうか。」と、この道40年の大先輩に聞いておられた。また、ある40代の男性は「この業界に20年いたが、もう卒業する事にしました。転職です。思うに、~~。」とこれまでの疑問、改善案等を質問という形で吐露しておいでだった。

はじめの質問に回答者は「私も職員にはカッとなったりする事があるが、こと知的障害者だとそうならないね。もうそういう関係になってしまったんだね。」と長年の、甘い辛いを知り尽くした果ての、風格のある重い言葉でゆったりと答えておられた。

しかし、もう少し蘊蓄(うんちく)を語って頂きたかったというのも、偽らざる本音だ。というのも、上記のような悩みはどの福祉関係機関でもある事で、人手不足の大きな原因になっていると思われるからだ。

実際、私の住んでいる市でも、今までお世話になっていたサポートセンターが人手不足でつい最近閉所になった。もう一つの方も近く閉所になるという。市に予算が付いて、こっちが利用者認定されていても、実際に利用させて頂くサポートセンターが存在しないという状況になってしまったのだ。国会はあって予算があっても、内閣がないという状態だ。

医療関係の、特に慢性期の「治らない」病気を担当する人たちにもよくある悩みだ。家族に押しつけられているという感じ。この人たちを支援するのは意味があるんだろうか、という素朴な疑問。もっと結果が日々残る事をしたいという、性急で純粋な向上心。楽で、もっと脚光を浴びる仕事があるのに、どうして自分はこういう仕事に就いたのだろうか、という戸惑いにも似た人生の迷い。

心を込めて仕事をしたら、目に見えてわかる結果が欲しい・・・。

障害者の介護は、まず親への便宜のため。親の安堵の表情が第一義の指標であり、喜びとして頂きたい。我々、親の方も素直に喜びを出さないといけない。医療者もそうだが、そもそも日本には変な遠慮があるような気がしてならない。せっかく人が助かる、喜ぶ仕事をしておいでなのだから、その喜びを我が仕事の喜び・やりがいとして素直に意気に感じる事があってもいいのではないかと思う。

そして、宗教的に考えられる人なら、生あるものに最後まで愛を注ぐこと、そのものを神の意志と信じ、その僕になる事が仕事の結果であり、動機。対象者に対する愛というより、神により遠隔操縦されている感じ。その神の操作に身をゆだね、栄光の来世を信じ、今を捧げる事で納得できるかもしれない。

それを、障害者そのものに結果を求めてしまうと、変わらない現状に自分の無力感を募らせるだけになるかもしれない。また、尊敬とはいかないまでも、自分の生理的許容範囲内にない人に節度をもって支援できるかどうか。親でさえも、時々その無軌道ぶりに匙を投げるのだ。まるで縁のない人が、たとえ仕事だからといっても、単なる1回限りの関係ならともかく、継続して接するのは苦しくなるのも当然といえば当然かもしれない。

そうした時、その方々が楽になる術(すべ)は何か。
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