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戦後70年の記憶 ⑩ 竹槍と風船爆弾

2015-04-16 05:38:42 | 日記
昭和20年に入ると、戦況はますます厳しいものになって行った。
国民の戦う意欲はまだ有ったものの、肝心の、物資がなくなっていた。
大本営は、あらゆるもので対抗することを考えたのだろう、国民に竹槍で武装するよう呼びかけた。
国民に、竹を切って来させて、竹先をとがらせて訓練を始めた。
訓練されたのは、主に、女性である。
母達が、モンペ袴姿で、近所の空き地で、黄色い声を張り上げながら竹槍をふるっている姿をよく見かけた。
大本営は、こんな戦況下に置かれても、本土決戦と1億総玉砕を唱えていた。

小学高学年、高等小学校生も例外ではなかった。
男子は剣道、女子は薙刀が、体育の授業であった。
もし、本土決戦となったら、沖縄のひめゆり部隊の様に、駆り出されていたことであろう。

一方、大本営は、何とかして、アメリカ本土へ、打撃を与えよう考えていた。
当時の学者達が、知恵を絞ったのであろう。
上空を流れる偏西風を利用して、爆弾を付けた風船をアメリカまで飛ばそうとする作戦であった。
しかし、風船をつくるゴムが無かった。
仕方なしに、紙で風船を作ったのであった。
この紙風船が、アメリカ本土まで届いたかどうかは、いまだ知らない。
ずっとのちになって、週刊誌で読んだのだが、戦争末期に、アメリカ東海岸の山中で、不思議な山火事が有ったとかで、これが、風船爆弾の戦果ではなかったと、書かれていた。

↓の戦後70年の記憶 ⑤神風でも書いたが、つくづく、大本営は、カミ頼みが好きだったものである。

高校生になってから物理の授業で聞いた話で有るが、風船爆弾に味をしめた大本営は、学者たちに命じて、戦争に勝つための知恵を出させたとのことであった。
その先生の発明では無いが、有る学者が、小舟で、大砲を撃てる技術を発明して、大本営から表彰されたそうである。

その技術とは、こう言うものであったそうだ。

小舟から大砲を撃てば、その反動で船はひっくり返ってしまう。
それを防ぐためには、同時に、反対側へも、大砲をうてばいい、と、言うものであった。

物理学に詳しくない軍部の人間達は、大喜びしたのであろう。
しかし、物理の先生は、笑って言ったものである。
水平に撃つなら別だが、上空に撃つとしたら、正反対の海の中にも撃たなければならない。
しかし、軍部は、こう言ったそうだ。
海中ではなく、正反対の空に向かって撃つのだと。
しかし、これも、物理学を知らない者の言うことである。

力と言う物は、ベクトルである。
ベクトルを合わせないと、力はゼロにはならない。
この方法では、海中真下に向かうベクトルが残ってしまい、船は、海中に沈むことになる。
この程度の物理の原則は、高校生でさえ、理解できることで有った。


12 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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戦争の記憶 (地理佐渡..)
2015-04-16 06:32:06
おはようございます。

もう戦争が終わって70年です。
歴史を紐解く機会はおおいのですが、
こと、20世紀前半の日本史は、
築き上げたものを作って壊すという
半世紀でした。さらには、それに
対する総括も無く、無責任な体質
をそのままにしたまま、経済成長
を優先してきてしまったなと感じ
させます。
あれこれ言うと自虐史観であると
言われたりもしますが、やはり
客観的に過去の歴史に向き合うべ
きものと思ったりします。
竹やり。ネットなどでも写真が
結構検索できますが、まさにあれ
で本土防衛なんかできないのに
よくもまぁそれらしく指導強制
していたものと思います。

平和な国日本。
まさに戦争の無い国。
これが一番です。
戦後生まれではありますが、
祖父母がへ語る戦争の話からは
よいことは一つもありませんでした。
あっ、ついつい余計なことを(笑)。


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竹やりと風船爆弾 (山小屋)
2015-04-16 06:51:12
竹やりは聞いたことがありますが、風船爆弾は知りませんでした。
アメリカまで飛ばすという発想がおもしろいです。
アメリカは遠い国です。
アメリカにロープを縛って近くに引き寄せるという学者は
でなかったのでしょうか?(笑)
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竹屋理と風船爆弾 (mcnj)
2015-04-16 07:02:57
地理佐渡さん、おはようございます。

歴史の解釈は、人それぞれの、育った環境、身の処し方、考え方の相違がありますから、いろいろ有って当然ですが、歴史の事実を、歪曲してはいけません。
歴史の事実は、一つしか有りません。
今の日本が、とやかく言われるのは、歴史に対して、正しい認識を持たないからです。

このシリーズを始めるにあたって、特に留意したのは、その点でした。
幼い小学1年生が、見聞したことです。
できるだけ、偏見や、自己主張を交えずに、事実を、淡々と記載しておくつもりです。
でき売れば、mcnjよりも年長の語り部が表れてくれればありがたいのですが。
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竹槍と風船爆弾 (mcnj)
2015-04-16 07:08:18
山小屋さん、おはようございます。

日本軍は、神風だけでなく、大国主命にも、お願いするべきでしたか。
多力王尊もおられたことですし。
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Unknown (ココア)
2015-04-16 10:08:50
戦争を語れる方が、少しずつ少なくなっています。
私は、母や父からもその時代の話を聞いて育ちました。
平和学習を改めてすることもなかったのですが
今は、必修だと思います。
大人になってから、ひめゆりの塔も、原爆ドームも行きましたが
心が痛みました。
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戦争 (mcnj)
2015-04-16 10:35:53
ココアさん、おはようございます。

気が付いたら、四男坊のmcnjが、兄弟の筆頭になってしまいました。
兄たちは、もっと戦争を知っていたのに、みんな、逝ってしまいました。
何か、責任のようなものを感じて、このシリーズを始めました。

いつか、これを目にされた方が、平和に対する思いに目を向けて下されば幸いだと考えております。
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Unknown (みゆきん)
2015-04-16 17:39:56
戦争とは、人間が人間を殺しあうだけ
後には何も残らない
戦争を知らない私
そのまま一生、知らないでいたいです。
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戦争 (mcnj)
2015-04-16 18:39:46
みゆきんさん、こんばんは。

戦争は、今でも、世界中で行われています。
日本がそうなったのも、ジッチャマの時代、つい、昨日のことなのです。
大きな犠牲を払って、戦争はダメだと教えてもらったのです。
この体験を、貴重なものと心にきざみつけておかなければなりません。
次の世代に、語り継いで下さい。
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Unknown (野良)
2015-04-16 20:03:14
 ご無沙汰いたしております。
 小さな船で大砲を撃つというので てっきり その反動で進んでアメリカまで攻め込むのかと思いました。 しかし 偏西風を利用した風船爆弾は使えませんでしたが 偏西風に乗って来る黄沙は困りものです。
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戦争 (mcnj)
2015-04-16 20:45:15
野良さん、こんばんは。

こちらこそご無沙汰しております。

小舟で、アメリカ海岸までいければ、まだ、戦う手段があったかも知れませんが、負けは負けでしたね。
日本に、ゴビ砂漠のようなものがあれば、黄砂で、アメリカを悩ますことができたかも知れませんね。
それで、戦争に勝てたか同課は、別ですが。
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