二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

昔のダンスホール(1)

2006-08-26 07:47:34 | ダンス
歴史とは正確に伝わらぬモノだなあ、と感じる場面が多かった8月。
関連して、文化とは伝承が困難だと感じることの多い昨今である。

あるブログで、面白い表現が有って、呻らされた。
「ノーキョー」と言う言葉を外国人が憶えるまでは、
   日本という国は、海外では尊敬の対象であった

というもの。
昭和40年代の海外の様子の感想を、私に書かせれば10ページ以上は要する内容の話を、これだけ簡潔に表現する、このブロガーの筆力に、敬意を表したい。

日本文化の変化ではないが、
   ダンスの世界も随分と変化した。
 {海外旅行(5)[C-108]}、
にキャズ君が書いている、とおりである。


社交ダンスに関するブログで、私の同年代にダンスを愉しんだ方の、
ダンスへの情念を書いた記事、{ラヴェンダー、「女の情念」}、
が有ると、キャズ君に聞かされて、私も昔話を一寸ご披露する

昭和30年代の第二次ブームの頃までは、ダンスホール等に行っても、ダンスシューズを履いている人物が居ると、蔭で「あの人は、ダンスシューズだぞ。 すごいな」、と噂した、とキャズ君が書いた、あの頃の話である。

最近10年余に始めた人: 『ダンスを始めようと思うと、ステップも知らない内に先ず、ダンスシューズ、ズボン、ドレス等を買ってから練習に参加する今の人』、   の知らない、昔話である。

「女の情念」の記事に、銀座「フロリダ」などという大昔の話が出ても、その昔のホールを知らない人は、かなり思い違いを生じるであろう。
昔のダンスホールは、昨今のパーテイ会場とは、随分と雰囲気が違っていた。


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昔のダンスファンには、本当に音楽の好きな人物が多かった
 最近のダンス人種(アマ、プロ)のように「音楽なんてどうでも良い」、なんて言う人は、間違っても居なかった。
ホールに出演するバンドの追っ駆けをする人も多くて、自分の贔屓のバンドの月間予定表を持って、新宿、横浜、銀座、と、そのバンドの出演するダンスホールを、追い駆けて回る連中も、(私も含めて!)大勢居た。

最近のパーテイ会場との大きな違いは、
昔は女性側から声を掛けて誘うということは、絶対に無かったこと。
そして、男性が誘っても、女性が中々応じてたち上がってくれなかったこと。

オーステインの「Pride and Prejudise」、の時代からの欧米流は、その様であった。

女性3人に声を掛けて一人立ってくれる位が私の相場であり、二人までは、「只今、休んでいます」、と言って断られるのであった。
私一人が例外的にモテナカッタのではなく、大体その辺が相場だから、男性側も女性に誘いを入れる前には、予め充分に下見をする。

ぼんやりと椅子に座っているように見えても、頭の中はフル回転して、ホールの中の女性の様子を観察して居る。
背丈の釣り合い、踊りの上手下手、人柄・振舞いなど、をさりげなく値踏みしているのである。
いろいろな条件で彼女の判定に合格しなければ、誘っても断られうだけだし、断られれば矢張り、不良でもプライドが痛むので、嫌な気持になる。
声を掛けるのが中々の勇気を要する決断であった。 アレならば応じてくれそうだ、と見極めを付けて、申し込む。
恐らく女性側も同様、予め充分に下見をしていたのだろう。

昔のホールでは、男女が組んで踊り始めると、バンドが交代するまでの30分間をそのまま踊り続け、バンド交代の時に分かれる、のが普通であった。
特別に相手に大きな不満を感じる場合は、バンド交代を待たずに、途中で踊りを止めるし、逆に、特別に好意を持つと、2バンド、3バンド、と連続して踊り、更には飲食席に行って会話をしたりもする。
以前に私が書いた、宝塚のスターさんと2時間も3時間も連続して、([A-19]:「出逢い」に想う(2))、というのは、かなり例外的な幸運に恵まれた場合である。

組んでみたが、多少不満だ、という場合は、仕方がないから、現在の演奏バンドのステージが終わるまで、我慢して踊るのが常識であった。
逆に言うと、そのために、それまでの時間を椅子に座って、テキの品定めをして、選び損なわないように目標候補を選定して置くのである。
お目当ての相手を決めて、バンド交代の時間を狙って獲得する。


★近頃の市民サークル等では、声を掛ければ100%相手が応じてくれるし、組んでみて相性が悪ければ気楽にバイバイだから、昨今は申し込む方も気楽だし、相手構わずになる。
まごまごしていると、背丈も踊りも全く不適合な女性から、申し込まれて閉口する。
こうして今は、ホールで音楽が掛かると、殆ど全員がフロアに出て踊りまくり、座っている人は殆ど居ない。
昔は、フロアで踊っている人の数よりも、周囲の座席で座って、チャンスを待っている人の方が多いことも、屡々であった。


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★若い頃関西に居た私は、京都に居た時も、神戸に居た時も、本当に踊りたい時は大阪のミナミに行った。
其処には、『ダンサー1000人』を誇号する大ホールが3っつ在って、生バンドが3交代で演奏していた。

そのダンスホールは、ペアーで入場すると、入場料が多少割引かれて、安くなるのであった。
その入り口近くで、女性を見掛けると、声を掛けて一緒に入り、相互に安く上げる。 入場券販売窓口付近で、何と無しにモタモタしている女性は、男性から声を掛けられるのを、待っているのであった。
女性3人連れがさりげなく立って居たりする。 偶々男性3人組みが来ると、どちらからとも無く声を掛けて、即席ペアーが3組出来て、入場する。
男性二人連れが来た所に、こちらが一人で行き掛ると、どちらも顔見知りでないのに、声が掛かってきて、3組が完成したりする。

その様にして入場して、そのまま一晩、踊り明かすことも、一曲だけ踊って分かれる事も、一曲も踊らないで、入場するだけで入場料の清算が終わったら分かれることも、成行き次第である。


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男性も女性も、ホールで相性の良い相手と巡り会って、本当に愉しく踊れる事は稀である。
逆に言うと、本当に愉しく踊れた時には、出来れば次回も、その次も、今後ズット、その人と組んで踊りたいと思う。
相互に、その様に感じればしめたものである。 次回の約束をし、それからは次第に、他の相手とは踊らないで、特定のカップルが出来上がる。
その状態が最高である。 が、永遠には続かない。

何かの折に、相手が遅れて、未だ現れない時に、他の相手と踊ったりするのが、普通トラブルの原因になる。
遅れて来た彼(女)が現れた時に、彼女(彼)が直ちに対応すれば良いのだが、偶々、現在組んで居る相手が矢張り魅力的であったりして、あともう一曲だけ踊ってから彼(女)の所に行こう、等と考えるのが間違いの元である。

待つ身は長いから、遅れて来た方はジリジリしている。 踊っている方は、組んでいる相手からもう一曲だけ、などと言われるとその気になる。
遅れて来て、待っている方は、現在演奏中の音楽が終わったら来る、と思っているのに、それが来ない。
この様なことで、二人がその場で喧嘩になる、というのは良くあるパターンである。

★この様にして、一旦カップルを組んだ相手同士が別れた場合は、何の経緯も無かった同士よりも、もっと具合が悪い。([故事来歴]
それ以後は、ホールで出会っても口も利かないし、まして組んで踊るなどは、有り得ない関係になる。

踊りの上手なホールの常連には、この様な「元カップル」が非常に多いのである。
時には、壁際に並べた椅子に数十人の男女が座っているのに、フロアに出て踊っているのは、2~3組だけ、等という事も起こる。
私の様なホールの常連には、 ここに居るA君と、あそこのa嬢はこの様な[故事来歴]があった、 あちらのB君と其処のb嬢はこの様な[故事来歴]があった、 全てを知っているから、組めない事情は分る。

★ある時私は、遠方から東京に偶々来て、そのホールに立寄ったという女性に、訊かれたことがある。
「あの座っている人達は、踊りを知らないのかと思っていたのに、踊るのを見たら物凄く上手なのですね。 それなのに、上手な男性も、女性も大勢居るのに、何故踊らないで、2時間も3時間も、ただ座っていたのでしょうか」、と。
外来者には、座っているのは、男女ではなく、[故事来歴]が多数、座っている事が分らないから、不思議であったのだ。



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キャズ君が書いているように、昔のホールは不良の居場所だったから、皆が相当に「したたか」であった。
でも、教え魔的な性分とは人間の本性に基づくもので、「俺はこんな事を知っている」、と自己顕示したい人物は、昔も居た。

まだ、ラテンが日本に入って来て日が浅い頃、或る、人の良い、(という事は、オツムの弱い) 男性Z氏が、組んでいる相手の女性に向かって、
「4、1、のカウントの時は、動かないでいるのだ」、
と大きな声を出していた。
Z氏は相手の女性に教えるフリをしているが、腹の中では、その周囲にいる他の人達に聞かせて、俺はこんな事を知っているのだと、自慢したいのであった。

処が、壁際に座る連中も、21世紀現在のダンス人種とは違って、「不良共」である。
隣り合って座っている同士が、大きな声で、
「おい、フォー,ワンのカウントの時は、動かないでいるのだそうだ」
「そうか、俺は知らなかった」、
と感心したフリをしながら、Z氏に聞こえるように、声を上げて話をした。

Z氏が気分高揚したのは、言うまでもない。
挙句の果てに、曲が終わった時に、居並ぶ十数人のワル共は一斉に、Zペアーに向かって拍手した。  Z氏は、ホール内の皆に向かって何度も頭を下げていた。
蛇足を付け加えると、このワル共の方が、ダンスの腕前はZ氏よりも、遥かに上、であることは言うまでもない。


★上に引用したキャズ君の記事にあるように、第一次、第二次ブームの頃には、ステップの名前さえも知らないで、理屈等抜きで踊りを愉しんでいる人が多かった。
最近は実際の踊りは出来なくても、理論は凄く知っている(心算の)教え魔が多くなった。

先日も、R君の踊っている姿を見て、全く従来未知のある人物が、お前の踊りは間違っている、と言って教えに来たそうだ。
R君が、ある有名なアマチュアの団体戦で、3年連続日本一位を取った団体の名義人、であることなど知らない、教え魔の怖さである。
元ワルのR君は、鄭重に礼を述べた(勿論名乗らなかった)そうである。

バカなコメントを入れるのは、ブログの世界だけではない


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9 コメント

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ダンスに見え隠れする「女の情念」 (ラベンダー)
2006-08-26 12:05:06
はじめまして♪

コメントを有り難うございました。ダンスのお話というので早速、飛んで参りました。

「昔のダンスホール」の話を一気に読みました。『銀座フロリダ』で踊ったという位ですから往年の不良というプレイボーイだったのでしょうと想像できました♪



残念ながら私はフロリダには行ったことがありません。第二次ブームと云われる時代でまだ10代でしたのでフロリダではなく(銀座ミマツ)か(ACB)には行った記憶があります。こちらはヤング向きでしたし、ロックとマンボブームだったせいかしら。ですからキャブ様もピアニスト様もずっと大人だったわけですね。



私のダンスの話はその頃にマンボとジルバを覚えた位ですから、今のホールでは全然通用しないので遅まきながら個人レッスンについて習っている状態なんです♪ですが覚えが悪くてなかなか上達しません。



そこで、ダンスが達者な友人知人からの情報から、まるで体験したかのような話を仕立て上げて投稿しています。拙い文章で本当に恥ずかしい限りです。

ピアニスト様にはまた、豊富な楽しかった体験談を是非お聞かせ下さいませ。そして私の半分作り話ですが読んで下されば嬉しいです。では又お会いいたしましょう♪

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入場料 (キリン)
2010-05-06 00:09:48
実は入場料を調べているのですが、
大阪の三つのダンスホールの入場料はいくらくらいかかりましたか
1955年頃です
お分かりになればお教えいただけませんでしょうか
1970年ころから行き出したのですがこれもはっきりと覚えていません
男性が700~800円程度だったと思います
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銀座「フロリダ」の件。 (田子作)
2010-12-09 12:08:59
「銀座フロリダ」と、良く出て来ますが、銀座「小松ストア」裏の「横井英樹」所有の「日本遊船?ビル」の地下に「フロリダ」が出来たのは「新橋フロリダ」が無くなった後の事です。

「フロリダ」は、新橋第一ホテル横から、銀座に移動してから「閉鎖され」て、
同じ名前の「ダンスホール」が、上野池之端のパチンコやの2階に、一時出来ましたが、
経営は違うようでした。
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昔のこと (二人のピアニスト)
2010-12-10 01:27:11
すっかり忘れていた、上野のパチンコ屋の二階のホール。 私は、1,2度行っただけだが思い出しました。 あの頃のことを記憶している方のコメントを拝見するのは、珍しいですね。 新宿コマ劇場の地下にあったホールでダンサーをしていた女性と、あるダンス会場で、暫く前にパッタリと出会ったことがありましたが、お互いに直ぐ分かりました。
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鳴子坂 「国際親善クラブ」 (田子作)
2010-12-19 12:38:49
今の西新宿・鳴子坂にあった「鳴子松竹」という「映画館」の「焼け跡の地下」に、
戦後直ぐに出来た「国際親善クラブ」と云う「ダンスホール」があった。
昼間の客は、殆どが「早稲田・日大・女子美・文化女子大・文化服装学院」の生徒で占めて居り、皆 一生懸命に「社交ダンス(競技ダンス)」を、踊ったものです。

昭和32年に、新宿に「歌舞伎町」が出来てから「無くなった」けど、
「競技ダンス」と「サロンダンス」を「踊り分け」て、「殆ど毎日」良く踊ったものです。
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フロリダ ダンスホールの件。 (田子作)
2011-01-08 13:34:54
なぜ、伝統のある「新橋フロリダ・ダンスホール」の話が出ないのだろう?

「フロリダ」と言えば「新橋・フロリダ」しか、普通は「思い当たらない」と思うけど、

銀座の「フロリダ」は、「新橋フロリダ」が無くなってからの「1時的なダンスホール」で、

横井英樹の「東洋郵船ビルの地下」に出来た、短期間の「ダンスホール」だと思うけど。
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フロリダ (田子作)
2011-01-08 13:44:51
フロリダダンスホールについては、
伝統ある「新橋フロリダダンスホール」についての書き込みが無くて、
一時的に新橋から移った「銀座フロリダ」の件しか、書き込みが無いのが残念です。
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新橋も書いています (二人のピアニスト)
2011-01-08 18:25:36
新橋フロリダについては、「昔のダンスホール(3)」の主題として書いてあるので、何故、田子作さんがこのように言われるのか理解できません。 昨年コメントを入れて頂いた時に、過去のダンス関係の記事を全て見て頂いたものと思っていました。 ホール以外の話題も随分書いていますが、一体どのような経路で田子作さんがここに到達したのか理解できません。
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社交ダンス・タンゴ・に夢中の人生。 (田子作)
2011-01-14 12:22:35
二人のピアニストさん、失礼しました。
途中で、別の掲示板から入って来たので、判りませんでした。
田子作は、中学2年の3学期から、年上の女子経済専門学校(東京文化女子大)の生徒に誘われて、ダンスを始めて、東京の殆どのダンスホールには、行って居たので、知っているのです。
東京ばかりでは無く、関東・東海・関西・迄、
良く行きましたから。
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