毎日新聞「記者の目:2007/08/1:http://mdn.mainichi-msn.co.jp/features/index.html」に、アロン・ボールドウイン記者の一文が載っていた。
久間発言の直後に英字紙の読者投稿欄に、
久間発言に対する日本人の否定的な反応、に怒る声が相次ぎ、
「戦争の犠牲者は日本人だけではない。全世界が犠牲となったのだ・ ・ ・」、と主張したそうだ。
私も老化が進行し、日本字の新聞も週刊誌なども、余り読まなくなっていて、英字新聞は全く見ていない。
それで、この英文毎日の記者による、海外論調の紹介は、私にとって狭いながら海外の状況を覗く窓の働きをしてくれて、有難く思った。
勿論、書いてあることを文字通り受け入れるのではなく、自分の経験や知識で情報選択しているのは言うまでもない。
ボールドウインの記事によると、久間問題に対する反応は、日本国内と海外とで非常に大きな違いがある、という。
大半の日本人が久間発言に怒ったのとは逆に、過半数が海外読者である英文サイトでは、反応が全く違っていたという。
海外の意見には、
「日本人は(戦時中に)殺害された多くのアジア人を忘れるべきでない」、とか、
「日本が第二次大戦に責任が有る事に、目を向けるべきだ」、とか、
「最初にパールハーバーが無ければ、広島も長崎もなかった」、
という意見、などがあった。
私自身は、この久間事件のシリーズの記事を書くときには、シリーズの第一回記事の冒頭に
「これについて書こうと思うが、日本中のメデイア、ブログの総攻撃を受けている久間防衛相の発言を、部分的にもせよ支持する記事を書くとなると、真意を正確に伝えるのに大変注意深く作文せねばならない」、と書いた。
それは、戦争で亡くなった日本人は、原爆被害者だけでなく、東京大空襲の被害者も、徴兵されて赴いた戦地で特攻志願を強制された若者もいる、・・・・・と思う私の気持が、久間発言に対する批判的な論調の一部に、拒否反応したからだ。
記事にもそれが滲み出している箇所があるが、兎も角、書き方に気を付けないと、誤解を招きかねないので、気にしていたのであった。
*********************************************
以前に私がよく読んでいた某ブログの管理人m氏は、大変な読書家であり、それも多くの日本人とは一寸変わった地域の文献を読んで紹介しているので、私には貴重な知識を与えて頂いていた。
ところが、このm氏は、口癖の様に、「出羽の守」という表現を使って、欧米の文物を評価する人を非難していた。
その多くは私も納得、同感できる主張であったが、中には私自身の見聞でも欧米の方が優れていて我々日本人が学ばなければいけないと実感したような事に付いても、「出羽の守」でバッサリと切り捨てられてしまうのを見て、悔しく感じることがあった。
そこいらに多くある、罵詈雑言を飛ばすだけのブログならば気にならないが、m氏ほどの人が、「話の内容」でなく、「それが欧米のものである」という理由で、切捨てるのが情けなく感じられたのであった。
ボールドウイン記者の文章をみて、連想したのがm氏のことである。
この英字紙の投稿者の主張に私は共感する処が多くあった。
しかし、それを言うと、今度はm氏一人でなく、日本中のメデイア、ブログの総攻撃を受けて、辟易することになる、と私はこのシリーズの最初から思っていたのであった。
*********************************************
ボールドウイン記者の記事をみて、①私が「そのとおり」と思った文章と、②本当の反原発を訴え、本当の反戦を訴えるには、この様な行き方でないといけないのだな、と思った文章があった。
**********************
第一は、長崎在住の被爆者の言葉、
「海外の人々は、ビデオ等で、自分達は原爆について知っているという感覚を持つのでしょう。 ・ 知っているから、もういい、という気持で ・ ・ ・。 だが、『生の声』を聞いて初めて、・・・」、という体験談である。
私のブログで何度も繰返し、蒸し返している、「言語による情報伝達の限界」、の一例である。
「本当に」分る、と、「そこそこ」分るの落差、{cf▲「成果主義」について}、が、この被爆者を苛立たせている。
▲久間事件・(8)・将棋の話、に書いた、中京地区のアマチュア強豪Q氏は「そこそこ」分る人であったが、「本当には」分っていないことを自覚しなかったし、周囲もそれを教えてやらなかった。
この原爆被災者の言葉、『自分達は原爆について知っているという感覚を持つのでしょう』、は正にそこの所を言っている。
『生の声』を聞いて、「本当に分って」もらったときに、それまで分ったつもりで居た人の態度が変わったことを、この記事は書いている。
第二の、本当の反原発を訴え、本当の反戦を訴えるには、従来の運動が成果を上げていないことを反省しなければならない、という点も同感である。
上記のように、海外の人々に「本当に分って」もらうよう努力すること、と同時に、日本人も敵対する意見や立場の背景を考える事が必要だ、という事である。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
国際連盟脱退で日本が破局への道を進む事になったのを思うと、現時点で、世界の常識を素直に考えて見る必要が有るように思う。
あの時も、世間の大勢は勇ましい掛け声で満ち、良識派は少数であった。
そのツケが、1945/8/15であり、広島、長崎であった。
東条英機が敗戦後の大森収容所の中で、この辺を後悔していた「余りに素朴な後智恵」(保阪正康著「東条英機と天皇の時代」)、に付いては、東条個人の他に、当時のマスコミにも、大きな責任があった。
現在のマスコミ人種は、それを忘れてしまったのだろうか。
★ ★ ★ ★ ・参考・ ★ ★ ★ ★
▲ [2007/07/4] 久間事件・戦後を問い直す(1)
:序論、cf.[A-54]
▲ [2007/07/5] 久間事件・戦後を問い直す(2)
:{1945終戦事情の、私の捉え方}
▲ [2007/07/6] 久間事件・戦後を問い直す(3a)
:{戦後日本の、社会情報流通の問題点}
▲ [2007/07/7] 久間事件・戦後を問い直す(3b)
:{日本の社会情報流通システムでの体験}
▲ [2007/07/8] 久間事件・戦後を問い直す(4)
:{久間章生防衛相の6/30発言要旨}
▲ [2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(5)
: [A-49][2007/07/4]にこの記事を入れたかった
▲ [2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(6)
:{マスコミ流の遣り口}
▲ [2007/07/16] 久間事件・(7)・私のブログ
:「ブログ記事の在り方」に関する話題
▲[2007/07/17] 久間事件・(8)・将棋の話
:前回分の記事が長くなるので、分けたもの。
久間発言の直後に英字紙の読者投稿欄に、
久間発言に対する日本人の否定的な反応、に怒る声が相次ぎ、
「戦争の犠牲者は日本人だけではない。全世界が犠牲となったのだ・ ・ ・」、と主張したそうだ。
私も老化が進行し、日本字の新聞も週刊誌なども、余り読まなくなっていて、英字新聞は全く見ていない。
それで、この英文毎日の記者による、海外論調の紹介は、私にとって狭いながら海外の状況を覗く窓の働きをしてくれて、有難く思った。
勿論、書いてあることを文字通り受け入れるのではなく、自分の経験や知識で情報選択しているのは言うまでもない。
ボールドウインの記事によると、久間問題に対する反応は、日本国内と海外とで非常に大きな違いがある、という。
大半の日本人が久間発言に怒ったのとは逆に、過半数が海外読者である英文サイトでは、反応が全く違っていたという。
海外の意見には、
「日本人は(戦時中に)殺害された多くのアジア人を忘れるべきでない」、とか、
「日本が第二次大戦に責任が有る事に、目を向けるべきだ」、とか、
「最初にパールハーバーが無ければ、広島も長崎もなかった」、
という意見、などがあった。
私自身は、この久間事件のシリーズの記事を書くときには、シリーズの第一回記事の冒頭に
「これについて書こうと思うが、日本中のメデイア、ブログの総攻撃を受けている久間防衛相の発言を、部分的にもせよ支持する記事を書くとなると、真意を正確に伝えるのに大変注意深く作文せねばならない」、と書いた。
それは、戦争で亡くなった日本人は、原爆被害者だけでなく、東京大空襲の被害者も、徴兵されて赴いた戦地で特攻志願を強制された若者もいる、・・・・・と思う私の気持が、久間発言に対する批判的な論調の一部に、拒否反応したからだ。
記事にもそれが滲み出している箇所があるが、兎も角、書き方に気を付けないと、誤解を招きかねないので、気にしていたのであった。
*********************************************
以前に私がよく読んでいた某ブログの管理人m氏は、大変な読書家であり、それも多くの日本人とは一寸変わった地域の文献を読んで紹介しているので、私には貴重な知識を与えて頂いていた。
ところが、このm氏は、口癖の様に、「出羽の守」という表現を使って、欧米の文物を評価する人を非難していた。
その多くは私も納得、同感できる主張であったが、中には私自身の見聞でも欧米の方が優れていて我々日本人が学ばなければいけないと実感したような事に付いても、「出羽の守」でバッサリと切り捨てられてしまうのを見て、悔しく感じることがあった。
そこいらに多くある、罵詈雑言を飛ばすだけのブログならば気にならないが、m氏ほどの人が、「話の内容」でなく、「それが欧米のものである」という理由で、切捨てるのが情けなく感じられたのであった。
ボールドウイン記者の文章をみて、連想したのがm氏のことである。
この英字紙の投稿者の主張に私は共感する処が多くあった。
しかし、それを言うと、今度はm氏一人でなく、日本中のメデイア、ブログの総攻撃を受けて、辟易することになる、と私はこのシリーズの最初から思っていたのであった。
*********************************************
ボールドウイン記者の記事をみて、①私が「そのとおり」と思った文章と、②本当の反原発を訴え、本当の反戦を訴えるには、この様な行き方でないといけないのだな、と思った文章があった。
**********************
第一は、長崎在住の被爆者の言葉、
「海外の人々は、ビデオ等で、自分達は原爆について知っているという感覚を持つのでしょう。 ・ 知っているから、もういい、という気持で ・ ・ ・。 だが、『生の声』を聞いて初めて、・・・」、という体験談である。
私のブログで何度も繰返し、蒸し返している、「言語による情報伝達の限界」、の一例である。
「本当に」分る、と、「そこそこ」分るの落差、{cf▲「成果主義」について}、が、この被爆者を苛立たせている。
▲久間事件・(8)・将棋の話、に書いた、中京地区のアマチュア強豪Q氏は「そこそこ」分る人であったが、「本当には」分っていないことを自覚しなかったし、周囲もそれを教えてやらなかった。
この原爆被災者の言葉、『自分達は原爆について知っているという感覚を持つのでしょう』、は正にそこの所を言っている。
『生の声』を聞いて、「本当に分って」もらったときに、それまで分ったつもりで居た人の態度が変わったことを、この記事は書いている。
第二の、本当の反原発を訴え、本当の反戦を訴えるには、従来の運動が成果を上げていないことを反省しなければならない、という点も同感である。
上記のように、海外の人々に「本当に分って」もらうよう努力すること、と同時に、日本人も敵対する意見や立場の背景を考える事が必要だ、という事である。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
国際連盟脱退で日本が破局への道を進む事になったのを思うと、現時点で、世界の常識を素直に考えて見る必要が有るように思う。
あの時も、世間の大勢は勇ましい掛け声で満ち、良識派は少数であった。
そのツケが、1945/8/15であり、広島、長崎であった。
東条英機が敗戦後の大森収容所の中で、この辺を後悔していた「余りに素朴な後智恵」(保阪正康著「東条英機と天皇の時代」)、に付いては、東条個人の他に、当時のマスコミにも、大きな責任があった。
現在のマスコミ人種は、それを忘れてしまったのだろうか。
★ ★ ★ ★ ・参考・ ★ ★ ★ ★
▲ [2007/07/4] 久間事件・戦後を問い直す(1)
:序論、cf.[A-54]
▲ [2007/07/5] 久間事件・戦後を問い直す(2)
:{1945終戦事情の、私の捉え方}
▲ [2007/07/6] 久間事件・戦後を問い直す(3a)
:{戦後日本の、社会情報流通の問題点}
▲ [2007/07/7] 久間事件・戦後を問い直す(3b)
:{日本の社会情報流通システムでの体験}
▲ [2007/07/8] 久間事件・戦後を問い直す(4)
:{久間章生防衛相の6/30発言要旨}
▲ [2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(5)
: [A-49][2007/07/4]にこの記事を入れたかった
▲ [2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(6)
:{マスコミ流の遣り口}
▲ [2007/07/16] 久間事件・(7)・私のブログ
:「ブログ記事の在り方」に関する話題
▲[2007/07/17] 久間事件・(8)・将棋の話
:前回分の記事が長くなるので、分けたもの。