携帯の物凄いアラーム音で、飛び起きた。
いや、まずその揺れで、飛び起きたのかもしれない。
前々日まで、ライブ遠征で、帰宅後翌日仕事行って、、
仕事は、10月からの体制変更が控えており、なんだかばたばたしていて、、
疲れもあって、その日は、夕食後、つい、、寝落ちてしまっていたらしい。
そう。スマホ片手に。
部屋の明かり、つけたままで。。。。
地震だ。
飛び起きて、その凄い揺れの中・・・がちゃーん、がたがた、音も凄かった・・・
「ついにきた」
なんか、そんなふうに思った。
これまでも時折、「あ、今地震だね」なんて言いながら、揺れに身を任せて、
揺れが収まるのを待つ・・・どこか、あまり危機感もなしに・・・のとは、
あきらかに違っているのが、すぐにわかった。
あの東日本大震災をTVのニュースで見ながら、
恐怖にかられながらも、それでもどこか、自分の身には起こらないであろう、、
そんな気持ちが、正直、あった。
でも、いつか、こんな体験を自分もする日がくるのかな、、、
そんな感じで。
で、今回はその「いつか」が、遂に、「今」きた。
そんなふうに思った。
怖かった。
あのTVの映像の様子が、自分の身に起ころうとしているのか?
家、、、つぶれるのかな、、、
私、下敷きになるのかな、、、
短い時間の中で、いろんな思いが錯綜していた。
と、明かりが消えた。
そこで初めて停電になったことを知った。
「あ。。。停電だ」
いきなり暗闇になり、恐怖が増した。
口の中がカラカラになっていくのを感じた。
そして、揺れが収まり、自分はベッドの上に、揺れのハジマリの時と同じ体制でいることに
気がついた。
無事、だった。
すぐにTVをつけようと思ったが、停電だった。
暗闇の中、ベッドサイドに常備していた、、ハズだった懐中電灯をまさぐったけど、
見当たらなかった。
暗闇の中、なんとかリビングに降りて、別の懐中電灯を見つけ、様子をみてみた。
母の寝室では、タンスの上のものが落ちてる様子がみえたけど、
母は、変わりなく眠ったままだった。
ひとつしかない懐中電灯では、何もすることができず、まずは、
明るくなってくるのを、ひたすら待った。
五時少し前になって、あたりが明るくなり、様子がわかってきた。
タンスが倒れたり、食器が壊れたり、そんな被害はまったくなくて、
でも唯一、オーディオラックの扉が、外れたらしく、CDが飛び出して落ちてしまっていた。
未開封の徳ちゃんのCDに、ひびが入っていた。
植木が落ちて、床の上に散乱。
本棚の雑誌類が、落下して散乱。
ベッド上にある収納扉も開いて、ストックしていた化粧品などの数点が
ベッドの上に散乱していた。
何が、どこでどんなふうになっているのか?その情報源がほしくて、
TVつけたけど、相変わらず停電。
スマホでネットニュース、、、と思ったら、
充電が、、、ない。
かすかすの状態で、とりあえず、無事であることを仲間達にラインした。
落ちてきたものを、とりあえず、かたずけていたら、母が起きてきた。
地震あったのわかってる?
そうだねー、地震あったねー
・・・かなりのんきな返事が返ってきた。
ラジオのスイッチを入れ、周波数を合わせながら、唯一の情報に耳を傾ける。
北海道全域停電。
ご近所を見渡しても確かに、どこも電気がついていない。
しかも、信号もついていない。
ブラックアウト、なんて言葉を初めて聞いた。
全道停電なんて、こりゃ、一日二日の停電は覚悟だな?
と、腹をくくって、まずは、明かりの調達にはしった。
少し歩いた先のホームセンタには、すでに見たこともないような長蛇の列。
なので、諦めて、違う店を探した。
近所に釣具屋さんがあるのを思い出し、向かってみると、
店舗は暗いままで、それでも開店してくれていて、
LEDライトが、山積みになっていた。
それを買い求める人が列を作っていたので、私もその列に並ぶ。
使い方のわからないようなものもあったけど、店員さんが、丁寧に、
説明してくれたり、レジが動かないので、と、手作業での対応をしてくれていた。
並んでる人のかごには、4つ5つと、まとめてライトを買う人がほとんど。
電池入りのライトである必要があったけど、店のライトはすべてすぐに使えるものばかり。
次々とみんな、同じものを買っていく。
私も、三つ購入。
ランタン式のそのLEDライト。
いやぁ。。。実に明るい。
LEDを開発してくれた方に、改めて感謝☆って気分でした。
ライトのおかげで、調理ができ、水もガスも問題なかったので、
土鍋でご飯を炊き、電気の切れた冷蔵庫の中の、ダメになりそうなものから、
調理して、食事を作った。
冷凍庫のストックしたものは、一応、クーラーボックスに移し、
保冷材をたくさん入れてもたせたけど、6日7日は、気温も高くて、
まもなくして保冷材も溶けかかってきた。
安売りの時まとめ買いして冷凍しておいた、ウインナーやハムを炒めたり、
卵を茹で卵にしたり、大量の卵焼きを作ったり。
しゃけの切り身を焼いたり。
ご近所の奥様が、九時になったら、断水になるらしいよ、って言いにきてくれて。
慌てて、バスタブに水をはり、バケツや、お鍋に水を確保した。
・・・でもそれは結局誤報で、私の地区では、断水はなかったんだけどね。
電気のない生活は、それはそれは不自由で、どれだけ電気に頼った生活をしてるのかを
痛感せざるをえなかったケド、水とガスが使えたせいで、
食べることには、困らなかった。
最低3日間の水と食料の備蓄、ってよく聞くけど、実感しました。
家には、ストックのカップめんも、山ほどあり、
水も2リットルのペットボトルを、箱買いで、ストックしてありました。
冷蔵庫のもので三日間は、しのげるだけのものはありました。
散らばった部屋に掃除機をかけることもできず、
仕事は、「自宅待機」と指示されていたので、他にすることもなく、
かといって、情報を得るツールはラジオしかなく、
ただひたすら、ラジオを聞いていましたね、、、。
あとになって、同じ市内でも、地区によっては、断水したところもあり、
高層階マンションでは、給水で確保した水を高層階まで運ぶのが大変だったと知りました。
そうだよね、、、電気止まってるから、エレベータ使えないしね、、
オートロックのマンションでは、出ることすらできない。
車で、避難したくても、ガレージが開かない。
もし閉じ込められたマンションの中で、備蓄がなければ、
食べること飲むことにも困ったことになったわけで。
普段の備蓄の大切さ、本当に実感しました。
その一方で、冷凍が溶けて、ダメになってしまった食品も多くて。
それを破棄するとき、炊き出しに頼っている人がいる中、
なんともいえない罪悪感にさいなまれました。
6日は、あっと言う間に夕方になり、暗くなる前にと、早めに食事をすませて、
早々に就寝しました。
なんか、疲れもあって、すぐに寝落ちたな、、、
でも、余震はその後も頻繁にあって、そのたび、目が覚める。
翌日には、同じような時間に、同じような揺れの結構大きな揺れがあり、
やっぱり、飛び起きた。
熊本地震の時は、余震でも震度7があって、実は、それが本震だった、、とか。
ここまで頻繁な余震があると、また同じように、大きな地震があっても
おかしくないわけで、そのたび、あの時思った「遂にきた」って感覚が蘇るの。
翌朝を迎え、停電はいつ、回復するのかの、具体的な情報もなく、
とりあえず、再び土鍋でご飯を炊き、味噌汁を作って、大量ストックの納豆や、
前日作った卵焼きで朝食。
友人との連絡も取れない中、どうにかして、スマホを充電したく、
ラジオで情報集め。
市役所で、道庁赤レンガ広場で、
駅前の〇〇で、、、と情報はあるけれど、交通機関はすべてマヒ状態。
車もないので、歩いて行ける範囲でしか、ムリだし、、、
そんなことを悶々と考えていたら、〇〇のドコモで無料で充電できます、、の情報が。
少し遠いけど、歩けない距離ではない。
朝食後、母には、「地震があって大変な状況になっているんだから」と
再三言い聞かせ、2、3時間くらい、出かけるからと言って、ドコモに向かいました。
でもな、、きっと長蛇の列なんだろうな、、、など思いながら。
で、案の定。
一時間ほど歩いてついた店の前には、人人人・・・
しかたなく私も列に並び待つこと一時間。
30分ほどの充電を順番で待つ間、「水しかありませんがご自由に飲んでください」
って張り紙のウオーターサーバーのある待合所で、TVのニュースを見ました。
地震発生から、TVで、初めてみる我が地域の様子。
我が北海道の様子。
その惨状を、目の当たりにして、今回の地震がやはり今までの地震とは違っていたことを
実感しました。
地震当日の夜。
ご近所中、真っ暗闇。
信号の明かりさえない、あんな暗闇、初めてでした。
翌日は少しづつ、電気が戻っている地区もあったみたいで、
スーパーも一部営業していたみたい。
カップめんや、トイレットペーパーなど、大きな袋を抱えての買い物客もいました。
うちの近所のスーパーは、地震当日の朝も、電気のない店舗の入り口付近で、
長蛇の列ができており、あるものを一人ひとつづつ、、なんて感じで制限つきで
売ってました。
店の冷凍庫も使えなくなり、アイスキャンデーを、溶けちゃうんで、、ってんで
並んでるお客さんに無料で配っていました。
暑かったからね、、炎天下、並んでるお客さんには、
本当にありがたかったと思うよ。
真っ先にいったコンビニ・・・セコマ・・・も、停電の中、
お店の人が手作業で対応していて、次から次へと店に入っていくお客さんで、
大混雑してました。
私は、乾電池式充電器探していったんだけど、もちろん、とっくに売れ切れていて。
同じコーナーで物色してる人に、「電池式のって、どれですかね~」って話しかけてみたら
自分もそれを探してきてみたんですけど、ないですね~。
おにぎりや、パンなど、食べ物のコーナーは、お菓子のはてまで、
すっからかんでしたね。
30分の充電で、どうにか、17パーセントの充電。
・・・は?17%??いやぁ、、なぜに??
スマホ変えたばっかりなのに、急速充電できないタイプのだったの!?
なんて、ちょっとショック受けました。(苦笑)
それでも、やっとの思いで、スマホに電源を入れ、ラインで近況報告。
と同時に、情報を検索なんてしていたら、またすぐに充電なくなるし、
情報検索を友達に頼んで、その報告を受ける、、という。
停電復旧の最新情報や、充電サービス情報、はては、近くの銭湯情報など(笑)
心配してくれている仲間たちが、調べてくれて。。。
メールしてくれた友達もいたけど、すぐに返信できず、
電気復旧と同時に、メール打ちまくり(笑)
着信あった知人にも、電話して無事を報告したり。
電気の復旧は、これまた突然で。
翌日の昼過ぎ、他に充電できるところ、あとは電池式充電器求めて、
いくつか店を探して出歩いていたらね、ところどころで信号がついてるのに
気がついたの。
同じ一本の道路なのに、向こう側はついてなくて、あっち側はついてる、、みたいな。
え?どうゆうこと?
復旧したの??
歩く人も少ない中、通りすがり、すれ違った人に、「あそこ、信号ついてますよね!
電気復旧したんですかね!?」なんて声かけたら、
「僕もいま気がついたんです」なんて、お互い、半信半疑?
家の近所も道路挟んで、アッチとコッチで、明かりのついてる家と暗い家、、
信号ついてる道と暗いままの道、、なんて感じで、どうなってるの?
なんで家、電気つかないの??
二日目も暑くてね、そんな中、炎天下歩いたり並んだりしたせいで、
日焼けはするし、汗だくになったし、あぁ、、、お風呂はいりたーーい、、
電気、、電気、、早くついて!!(泣)なんて心境だった。
お風呂入って、冷たいビール飲みたい、、、
そんなこと思いながら、そうだ、お湯沸かしてお風呂入ろうって決めて、
三つの大き目の鍋で順々にお湯沸かし、沸かしてはバスタブに、沸かしてはバスタブに、、を、
繰り返すこと、一時間(笑)
たっぷりたまったお湯を大事に大事に使いながら、
お風呂♪入りました。
そして、ビール欲しさに、セコマに行ったら、
店、電気ついていて!
電気もどったんですか?
この辺りは、復旧したんですよ、、、
え、、そうなんだ、、、
あの、、、うちはまだで、、、
あの、、もしよかったら、スマホ充電していただけませんか?
(こんな時に、、、誰だってみんな充電で困ってるのに、そんなお願い、非常識だよね、、、)
と、思いつつ、思い切って言ってみた。
そしたら、「いいですよ」
コンセントに差すだけなら。充電器ありますか?なんて言っていただけて。
充電器用意して、スマホ充電。
二時間ほどで、60%。
涙でるほど、嬉しかったです。
あとで知ることになりますが、セコマの地震当日対応が、
「神対応」って絶賛されていたんですね。
電気ない中、ガスでご飯たいて、具材もなくなり、塩むすびを作ったんだとか。
確かに、あの朝、八時には、すでに店の前人でいっぱいでした。
お店の方だって、被災者なのに、食料品確保に出歩きたいだろうに、
店でお客さん対応してた。
ダメ元でお願いしたわがままなお願いも、快く「いいですよ」って。
ありがとうございました。
友達と連絡を再び取り合えた時の、安心感たら、なかった。
そんなことがあった二時間くらいあと、、、遂に、、、
【8時22分】
電気きたぁーーーーー!!!!!!
思わず叫んだよ・・・
電気きたぁー!あぁーーー!ほくでん、ありがとうーーー!
(笑)
速攻コンセントにスマホを繋ぎ、
リビングを明るくして、TVつけて。
冷蔵庫を再設定して、ぎりぎり間に合った食材を再び冷蔵庫に戻し、
電気のありがたさを心から感謝した。
二日間。
厳密にいえば、前日3時から、翌日20時までの41時間の停電。
たかだか、41時間?
確かに、数字だけみたら、たかだか、、かも。
でもね、大きなデキゴトだった。
どれだけ電気に頼った生活してるのか、思い知った。
ブラックアウトというのも、前代未聞のことだったようで。
全交通がマヒし、信号が停止し、物流も、経済も、なにもかもが、止まる。
都市機能の停止。
ただひたすら、「並ぶ」ことしかできなくて。
でもそんな中、その不自由さを、少しでも、どうにかしようとする人たちの存在もあって。
いろーーーんなことを考えさせられる時間でした。
その考えた、いろーんな思い、、、を、綴ります。。。。