クラシック輸入盤・新譜情報/グッディーズ

コメントはメーカー案内書より抜粋です。お問い合わせ:goodies2@pc.highway.ne.jp

14-05 No.1

2014年05月08日 19時04分17秒 | Weblog
★☆ダイレクト・トランスファーCD-R DSDファイルの販売開始のお知らせ☆★
当シリーズの3000番台のタイトルはすべてDSDファイルでの販売も行っており
ます。

販売メディア:USBフラッシュメモリー
(4GBを使用予定。1メモリーに1タイトルを収録。メモリーのメーカーの指定は
ご容赦下さい)
ファイル形式:DSDIFFまたはDSF(タイトルによってどちらかの形式になります)
付属品:DSDディスクに付属と同じフロント&バック・インレイ 各1枚
価格:1タイトル ¥1905(税別)

DSDファイルの再生はパソコンとUSB DACの組み合わせで行えます。
昨年よりメーカー数社が、DSDダイレクト再生に対応したリーゾナブルなDACの
発売を開始しました。当店のお薦めはKORGのDS-DAC-10です。
当店HPに商品リンクがございますので、ご利用下さい。

DS-DAC-10の商品説明
http://www.korg.co.jp/Product/Audio/DS-DAC-10/index.html
商品リンク
http://hwm3.gyao.ne.jp/goodies/open.html

DSDディスクは受注製造販売となりますので、ご注文をいただいてから発送
までにお時間をいただきますこと、ご了承下さい。

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★消費税変更に伴う価格表示について★
2014年4月1日以降の当HPにおける価格表示は下記のようになります。

●2014年4月1日以降の表示価格には「(税別)」の表記を行い、税抜き価格となり
ます。
●2014年4月1日以前の表示価格は価格のみの表記となり、すべて消費税5%換算
の税込価格となります。実質販売価格はこれより逆算を行い決定いたします。
紛らわしい表記となりますが、よろしくご理解いただきますようお願いいたし
ます。

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★ダイレクト・トランスファー CD-R 2014年5月新譜 5点発売★
発売予定:2014年5月下旬 価格:各1枚 ¥1429(税別)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

33CDR-3494
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6
イヴリー・ギトリス(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団
米 REMINGTON RLP-149-20
(1950年9月26-28日、ウィーン録音)
ギトリス28歳のデビュー録音! イヴリー・ギトリス(1922- )はイスラエルのハ
イファに生まれた。両親はユダヤ系ロシア人。5歳からヴァイオリンを始め、
10歳で最初のコンサートを開いた。大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フー
ベルマン(1882-1947)がギトリスの演奏を聴いてパリ音楽院に入学をすすめた。
音楽院では教授のジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ
(1881-1936)に師事して13歳で一等賞を得た。卒業後ジョルジュ・エネスコや
ジャック・ティボーにも指導をうけた。1939年、第2次大戦の勃発でイギリス
に渡り、軍需工場で勤務していたが、後に軍の慰問部隊でヴァイオリンを弾い
た。1951年にパリでソロ・デビューした。これは米レミントン社最初期の10イ
ンチLPに録音されたギトリスの初ソロ・アルバム。指揮者のクルト・ヴェス
(1914-1987)はオーストリアの指揮者。1946年-1951年までウィーン・トーン
キュンストラー管弦楽団の首席指揮者を、1951年-1954年までNHK交響楽団の
首席指揮者をつとめた。この録音のオーストリア交響楽団の実体はウィーン・
トーンキュンストラー管弦楽団だと思われる。ギトリスは90歳を越した現在で
も精力的に活動を続け、定期的に来日公演をしている。その記念すべき初録音
がこのシリーズに加わる意義は大きい。

33CDR-3495
ドビュッシー:
ビリティスの三つの歌(P.ルイス詩)
(1)パンの笛
(2)髪
(3)ナイアードの墓
忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)より
(4)やるせない夢ごこち
(5)巷に雨の降るごとく
(6)木陰にて
古澤淑子(ソプラノ)
アンドレ・コラール(ピアノ)
仏デュクレテ・トムソン LLP 8718(17cm LP)
(1952年パリ録音)
ソプラノの古澤淑子は1916年満州の大連に生まれた。ソプラノの荻野綾子に師
事して本格的声楽を習い、1937年にパリに留学した。パリでは大歌手でパリ音
楽院教授だったクレール・クロワザ(1882-1946)ついて研鑽を積んだ。彼女は
大戦勃発で帰国勧告をうけたが、パリに留まった。1944年ついに敵国人として
フランスを強制退去を命じられドイツを経てスイスに移り終戦を迎えた。戦後
はスイス、フランスで活躍し1952年に帰国した。帰国後はフランス歌曲を紹介
する「フランス歌曲研究会」主宰した他、後進の指導にも力をそそいだ。1975
年に再びパリに移住し晩年をその地で過ごした。この録音は1952年の帰国直前
にパリで録音された。17cmLPという短時間収録だが、SP時代に活躍したク
ロワザやジャーヌ・バトリ(1877-1970)の名唱と比肩する優れたフランスの香り
高い歌唱がきける。フランスのレコード会社がフランス歌曲の録音に日本人の
古澤淑子を起用したことは、いかに彼女が高い芸術境地に達していたかの証で
ある。一部使用原盤に起因する音のヒズミと雑音がある。

78CDR-3496
エレナ・ゲルハルト、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う
ブラームス:ジプシーの歌
ブラームス(ハイネ詩):死は冷たい夜
ブラームス(ボヘミア民謡詞):恋人をたずねて
ブラームス(ケラー詩):テレーゼ
シューベルト(ハイネ詩):街 -「白鳥の歌」より
シューベルト(シラー詩):バッカス讃歌
シューベルト(ザイドル詩):子守歌
シューベルト(スコット詩):エレンの歌(その2)
ヴォルフ(ハイゼ詩):月は嘆きながら神様に
恋人の死を見たいなら - イタリア歌曲集第17番
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
英 HMV GR16/21(プライヴェート録音盤)
(1939年10-11 月ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が第2次世界大戦
勃発期に、自費で録音したプライヴェート盤の復刻。録音当時ゲルハルトは祖
国ドイツを捨ててイギリス国籍を得た直後だった。ゲルハルトは1902年ライプ
ツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)
が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを認めた。1903年音楽院を卒業す
ると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は1907年、ニキシュのピア
ノで10インチ盤x7枚、12インチ盤x1枚からはじまった。以降レコード録音は機
械式録音時代、電気録音時代と多数ある。そのすべてがリートでオペラは歌っ
ていない。ゲルハルトの正規録音は1932年のフーゴ・ヴォルフ協会第1巻の12
インチ盤x9枚(19曲)が最後になった。それから7年後の1939年にこの10インチ
盤x6枚組のアルバムを、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と
生涯」(12インチ盤3枚組)を同様のプライヴェート盤として制作し、自身の知
人やファンに配り、販売はされなかった。HMVの白レーベルでアルバムの表紙
裏には自筆署名のシールが貼られていた。ピアノのジェラルド・ムーアの起用
もあって、56歳のゲルハルトは素晴らしい歌唱を披露している。HMV盤特有の
ノイズと共に原盤のキズがあるが、声もピアノもゲルハルトの録音中最高。

78CDR-3497 ※機械式録音盤(電気式以前)の復刻音源
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
英 HMV E279/30
(1921年11月21日&1922年1月11日イギリス録音)
この曲の世界初録音。イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀の前半に活躍
したイギリスのヴァイオリン奏者。1910年17歳で名ヴァイオリン教授レオポル
ド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに
向かった。アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子になっ
た。1913年20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフ
スキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラーム
スのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。1916年から1919年には北米公演を行
いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコ
ード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイ
オリン協奏曲、バッハの「シャコンヌ」、電気録音初期のベートーヴェン:
「クロイツェル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番
がHMVにあった。

78CDR-3498
ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
(カデンツァ: フルニエ)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団
蘭 HMV DB9743/5
(1951年5月26日、ロンドン、アビー・ロード、EMI第1スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを
習ったが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年
パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイ
ヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エ
コール・ノルマル教授、1941から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942
年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、
ヴィオラのプリムローズを加えてピアノ四重奏で活動、さらに1945年にはカザ
ルスの抜けたカザルス・トリオに加わり、ヴァイオリンのティボー、ピアノの
コルトーと演奏活動した。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。指揮
者のラファエル・クーベリック(1914-1996)はチェコの大ヴァイオリニスト、
ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれた。1942年チェコ・フィ
ルの首席指揮者になったが、1948年イギリスに亡命した。1951年シカゴ交響楽
団の音楽監督に就任した。HMV盤特有のノイズと原盤のキズがあるが、フルニ
エの典雅な芸術は他に代えがたい。

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